第2話 雑巾
ラナは勢いよくベッドから立ち上がると、ベッドの上にいる3人に振り向いた。
「皆さん、とうとう私の新プロジェクトがロンチしました!」
人差し指を天に向けて高々と掲げる。
「名付けて、――『ソフィア姉さんを超えろ!水揚げをハックして最高値を獲得しようプロジェクト』です!」
3人は同時に「はあ?」と眉をひそめた。
「ミーナ、私の色は?」
「……童色です」
「ルーナ、娼姫見習いになれない私の存在は世間に?」
「知られていません」
「そう! 世間にとって私は、黄金色の髪を持ちながら水揚げを迎える少女……そして、これまで存在すら知られていなかった謎多き人物なんです!」
「誰も知らない女だからこそ、男たちは見たくなる。手に入れたくなるはずです!」
ラナの言葉に呆気に取られる3人を見渡し、ラナは不敵にニヤリと笑ってみせた。
「じきに秘密兵器が完成します。度肝をぬくプロダクトをご覧に入れますよ」
◇
ヴェルヴェット館の玄関ホールには、この館の娼姫たちの『番付表』が掲げられている。
名前。売上。そして最高級娼姫の証である『コルチザン』の称号。
売り上げ順に並ぶその表の頂点には、他を圧倒するソフィアの名札が燦然と輝いていた。
しばらくその名札を静かに見つめたあと、ラナは酒がぎっしりと載った重いトレイを抱え直し、ホールへと向かった。
廊下で黒のタキシード姿の旦那と行き違うと、旦那は苦虫を噛み潰すかのような視線をラナに注いだ。
「おい、ラナ。なんだその格好は。雑巾みてえだな」
「ほらどけ。これからソフィアの『三会目』の客が来られるんだ、総出でお出迎えだよ」
——『三会の礼』
それは、コルチザンと客が契りを結ぶまでに行うしきたりのことだ。
コルチザンの称号をえた娼姫は、一見の客をとることはない。
彼女達の客となるには3回通わなければならない。というのがこの街の習わしなのだ。
ラナはトレイを抱えたまま素早く物陰へと身をひそめた。
重厚な玄関ドアが従者の手によって静かに開け放たれると、裕福そうな商人が現れた。
過度な装飾を抑えた上質な仕立ての衣類は、生地の素材そのものが光を放つかのように洗練され、圧倒的な品格を漂わせている。
「ようこそ、三度目のお越しにございます。今宵、晴れてお馴染みとなられますよう……」
静寂の中、静かに佇んで待つ客人。
やがてアプレンティスと呼ばれる娼姫見習いたちが一列に並び、うやうやしく頭を下げると——その隊列の奥から、ソフィアが姿を現した。
「……やっと、こうして貴方とお目にかかれました。ご挨拶をお許しいただけますか?」
深々と頭を下げる男に対し、ソフィアは静かに佇み、黙って自らの手を差し出す。
若い商人は片膝をつくと、彼女の白く美しい手の甲へ恭しく口づけを落とし、そのまま優雅にエスコートしてホールへと歩みを進めた。
(……すごい)
優美な光景。 言葉を失うラナの胸の底から興奮が湧き上がってくる。
物陰から見つめるラナは、羨望に胸を踊らせながら、華やかな一団がホールへ消えて行くのを見つめ続けた。
◇
月光の下。
ヴェルヴェット館の敷地の門の前に豪奢な一台の馬車が止まった。
小さな窓の向こうから、冷たい美貌の男が館を射るように見据えている。
群青色の前髪が、微かに揺れた。
「……」
男が背もたれを中指で二度叩く。
馬車は何事もなかったように、再び走り出した。
◇
なんだい邪魔だよ。
——まったく、汚いね。
ホールの出入り口脇でしゃがんで作業をするラナの腰を、先輩格のコルチザンがゴミでもはけるように蹴り付けてホールへ入っていった。
この豪華な高級サロン『ヴェルヴェット館』において、娼館生まれの最下層──いわゆる「生まれ落ち」として生きるラナの価値は、ゼロに等しい。
借金のかたにサロンに売られてくる娘の中には、貴族の出や、大きな商家の出だったものもいる。
ラナは生粋の娼館生まれ娼館育ちであり、ヴェルヴェット館の序列の最底辺にいるのだ。
ラナは大ホール入り口脇にあるデシャップへ、酒を両手いっぱいに抱えて手際よく並べていた。
棚の下段に、大きなピッチャーを収めていた……その時だった。
ポト……ッ。
ラナのすぐ脇に、一筋の液体がこぼれ落ちた。
ふと視線を向けると、そこにはスパンコールが悪趣味なほどちりばめられた派手なヒールが佇んでいた。
見上げると、片眉を意地悪く吊り上げて嫌味な笑みを浮かべたカーラが、グラスをこれみよがしに逆さにして振ってみせながらラナを見下ろしていた。
ラナはカーラの目を毅然と睨み返しながら、ゆっくりと立ち上がる。
すると廊下の奥から、真っ赤な髪を揺らしたダイアナと、その一団がカーラの加勢に加わるかのように歩み寄ってきた。
妖艶で豊満な肢体をあらわにし、大胆に胸を強調するドレスを纏ったダイアナ。
その周囲を固める娼姫見習いの妹分たちも、ダイアナに合わせたギラギラと悪趣味な黒や濃い紫のドレスに身を包んでいる。
獲物を痛ぶるような嗜虐的な視線が集中する中、中央のダイアナだけが退屈そうに明後日の方向を向き、欠伸を噛み殺していた。
「あらあら……『色なしの生まれ落ち』じゃない。こんなところにいたのね? 」
カーラはラナの衣服を舐めるように下から上へ目線を這わせる。
「ごめんなさいね、雑巾かと思ったの。まさか人だなんて思わないじゃない?。……濡れなかった?」
「残念」
カーラはわざとらしく声をだすと、ラナの目の前で手にとった布巾を床へぽとりと落とした。
「ほら、どうぞ? 染みになるわ、早く拭きなさいよ」
……ラナは無言のまま、そこへ膝をついた。
落ちた布巾を手にとり、黙々と濡れた床を拭き始める。
(……今はいい。あと少し。笑っていられるのも今のうちよ)
無防備に差し出されたラナの手の上に、スパンコールの散りばめられたヒールの靴底が容赦なく乗り、グッと体重がかけられた。
「……っ!」




