第17話 醜悪な檻
「……ずいぶん必死な顔をしてたわよ?」
くすくすと、姉さんがいつものように優しく微笑む。
本館玄関脇のアプローチにある、白くて品のいい小ぶりなベンチ。 ラナたちはそこに並んで腰掛けていた。
「——まさか、ソフィア姉さんとノア様が『ご学友』だったなんて……」
驚きを隠せないラナの横顔を見て、ソフィアはあっけらかんと笑っていた。
「国中の貴族の子供が同じ学園に通うの。だから同世代の貴族はみんな学友なのよ。」
「公爵様は私より学年が二つ下で、生徒会で活動の引き継ぎをしたくらいの間柄よ」
「ラナ、『生徒会』と言ってわかるかしら?」
「?」
「ふふっ……学園の生徒たちを代表して、色々な活動をする集まりよ。」
ひとしきり可憐に笑ったあと、ソフィアの瞳が一段温度を下げた。
どこか遠くを見つめるような、静かな目。
ソフィアは静かに語り出した。
「——ヴェルヴェット館に売りに出された時ね、「三会の礼」で客を袖にできる。 屈辱的な仕事など、ほんの少しで済むはずだと聞かされていたの……」
* * *
……しかし、ヴェルヴェット館は彼女の年齢を理由に門前払いをし、格下の店へ流そうとした。
18歳を過ぎて売られて来た娘は一般娼姫として初日から安価で客を取り、連日何人もの相手をし続けなければならない。
そんな安価な女を置く店ではない、と。
「一日だけ」と、ソフィアは頼み込んだ。
一日で稼ぎ出す金額を見てから、自分の価値を決めてほしい、と。
花代の初回レートは三万。
ヴェルヴェット館で水揚げを済ませた少女達の半分にも及ばない。
だがソフィアには、はっきりと見えていた。
かつての『学友』たちがどう動くかが。
彼女と面識のあった若い貴族たちは、醜い思惑と優越感を剥き出しにして次々と入札を入れた。
彼女はたった初日で、そこらのコルチザンと変わらない花代を叩き出してみせたのだ。
ヴェルヴェット館は前例を覆しソフィアのために「一般娼姫」の席をひとつ用意した。
それからの花代はうなぎのぼりだった。 客を取れば取るほど、ソフィアの価値は跳ね上がっていったのだった。
「……社交界もここも、そんなに変わらないかもね。狭くて、醜悪で……檻のようだったわ」
ソフィアは呟くように言葉を続ける。
「でもね……今こうして、離れて見てみると——少しだけ眩しいわ」
そう言うと、ソフィアはどこか寂しげに、けれど優しく微笑んだのだった。
(あの中に、ヴァルハイト公爵は、いなかったわね……。)
* * *
どこか遠くを見つめるソフィアの横顔。
その美しい笑顔の陰には、これまでに刻まれた、目に見えない無数の傷跡が潜んでいる。
ソフィアが優美な微笑みの奥に纏うのは、過酷な戦いを生き抜いてきた勇壮な戦士のような、凛とした雄々しさだった。
そうだ、私には一つだけまだ叶えていない夢があった。
原点にして一番大事な夢。
りっぱなコルチザンになって姉さんに褒めてもらうこと。
——私はまだ、道の途中だった。
◇
いつもの気配がまったく無い、音ひとつ無い黄金宮。
しんと静まり返った二階の部屋で、ラナは公爵がいつも腰掛けている長椅子にぽつんと腰を下ろした。
「あちらはお天気大丈夫かしら……」
窓の外には、どんよりとした曇天が立ち込めている。
夏の終わり。このところ天気は少し不安定だった。
(『生徒会』ってどんなところだろう)
ノア様とソフィア姉さんが並んでペンを走らせる姿は、きっと息を呑むほど美しいのだろう。
想像してみると、羨望で心が高揚する。
だがそれと反比例するように、まったく同じ分だけ、胸をきりきりと締め付けられるような心地がした。
◇
翌日ラナは久々に稽古場へと足を運んだ。
そこではソフィアが妹分たちにワルツを教えている最中だった。
「ラナ姫様ー!」
双子がぱっと顔を輝かせる。
「あら、珍しいのね」
ソフィアもとびきりの笑顔で迎えてくれた。
手と手が重なり、もう一方の手が優しくラナの腰に回される。
流れるような優美な音楽とともに、ソフィアが華麗にラナを操った。
背が高く、迷いのないリードはまさに洗練された貴公子そのものだ。
真剣な眼差しで見つめられ、ラナは思わず頬を赤らめてしまう。
——そして。
「痛っ!!」
「あんたねぇ! これで何回目よ!」
ソフィアが脚を押さえて声を張り上げた。
「もう嫌! 私の足があざになっちゃうわ!! あんたはそこで……見学!!」
汗を拭きながら肩を落とし、部屋の隅の椅子に腰掛ける。
すると、脇にいた古株のコルチザンがチラリとこちらを振り返った。
「あんた、もうコルチザンになったんだろ? 妹を持って自分が教えなきゃならない立場なのに、何やってんだい」
「……はい、すみません」
返す言葉もなかった。
居心地の悪さを誤魔化そうと、ラナは厨房へ冷やかしに向かった。
古株の女中と雑談に興じていると作業台の汚れが目に留まった。
拭き取ろうと辺りを見回すが、いつもの場所に雑巾がない。
「あぁ、場所が変わったんだ。あんたは手を出しなさんな。あの子らの仕事なんだから」
あの子らと言われた幼子達は見ない顔だった。最近入った子だろうか。
「あんたら、ラナに挨拶に行ってないのかい?」
「すみません……黄金宮が恐ろしくて……」
女中は鋭く幼子達を睨んだ。
「仕置き部屋に行きな」
「え! よして下さい。こんな事で仕置きなんて」
「何言ってんだい、挨拶を蔑ろにするような娘をほっとけるもんかね。これはこちらの問題だ。口を出さないどくれ」
肩を落とす新人に、ラナの心もしゅんと萎んでいく。
なんだか自分が、悪いことをしてしまったような気がした。
どうも今日は居心地が悪い。
ラナは早々に雑談を切り上げ、黄金宮へ戻ることにした。
(……暇だな)
黄金宮と本館を繋ぐ、勝手口の通路。
従者がいない今は、重い扉を開くよりこちらの方が通りやすかった。
無機質で暗い通用口の扉を開ける。
真上まで上がった太陽が、残暑の強烈な日差しを容赦なく降り注いでいた。
夏の終わりを告げるようにそこら中でセミの鳴き声がやかましく響き渡っている。
「あら、ラナ姫さん!まだいたのね!」
草むしりをしていた人の良さそうな女中が、嬉しそうに微笑みかけてきた。
「うちの子があなたの大ファンでね。毎日小説の内容を聞かされているんですよ。すっかり私もファンになりました!」
「……しかし、なんでまだヴェルヴェットにいるんです? とっくに公爵様とここを出られたのかと」
悪気のないその言葉が、胸にチクリと刺さった。
「ああ、そうだ。番付表のことは気にしないでくださいね。お客様が来るまでには綺麗にしておきますから。あんなの、ただの悪戯ですよ」
「え……?」
迂回するつもりだった正面玄関へ回り込む。
そこにあった番付表には、ペンキのようなドス黒い赤文字で荒々しい落書きがされていた。
ラナとソフィアの名札の間に、境界を示すように引かれた一本の直線。
最上部には『殿堂入り』と殴り書きされ、ラナのコルチザンの札には二重線が引かれている。
そしてその脇の壁にはこう書かれていた。
『グラン・トロフィー』
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