第8話「少しずつ、前へ」
休日の昼。
キッチンには、甘い香りが漂っていた。
「……またか」
理人はオーブンから天板を取り出し、小さくため息をつく。
並んでいるのは、マカロン。
だが、その表面には細かなひびが入っていた。
「なんでだ……」
理人は一つ手に取り、じっと眺める。
「温度か?」
「いや、混ぜ方か……」
「分量は間違ってないはずだ」
テーブルの上には、失敗したマカロンがいくつも並んでいた。
イチゴは、その様子を静かに見つめている。
『また作るの?』
『もう5時間はやってるわよ』
「ああ」
「そうだな」
理人は苦笑する。
「店で食べたマカロンが忘れられなくてな」
「どうしても、自分で納得できるものを作りたい」
そう言うと、新しい材料を量り始めた。
卵白を泡立てる。
粉糖をふるう。
慎重に生地を混ぜる。
焼き時間も温度も確認した。
「これなら……」
数十分後。
オーブンから取り出したマカロンを見た理人は、肩を落とした。
「……またひび割れた」
テーブルにそっと置く。
「何回やってもダメだな」
そのまま椅子に座り込み、額を押さえた。
しばらく静かな時間が流れる。
その時だった。
『理人』
「なんだ?」
イチゴの瞳が、淡く光り始めた。
『見て』
イチゴは、その場でくるりと一回転。 続けて、ぴょんと高く跳び上がり、華麗に一回転して着地する。
「急にどうした!?」
『かわいいでしょ♥』
理人の前に、小さな映像が映し出される。
そこには、一週間前の理人がいた。
最初に焼いたマカロン。
焦げていた。
形も大きさもばらばらだった。
映像が切り替わる。
次の休日。
焦げはなくなった。
また切り替わる。
さらに次の休日。
形が少し整っている。
そして今日。
ひびは入っている。
それでも、今までで一番きれいな焼き上がりだった。
理人は黙って映像を見つめる。
『今日も失敗だった』
イチゴは優しく続けた。
『でも』
『前より進んでるのよ』
『理人は失敗ばかり見てるけど』
『私は、ちゃんと成長も見てたわ』
理人は目を見開いた。
「……そうか」
小さく笑う。
「全然気づかなかった」
目頭をそっと押さえる。
「イチゴ」
理人はイチゴを優しく抱き上げた。
「ずっと見ててくれたんだな」
イチゴは少し照れたように目をそらす。
『もぅ、大げさよ』
その時、スマホが小さく震えた。
《思い出を記録しました》
画面には、さっきの写真。
少しひび割れたマカロンを手に持ち、照れくさそうに笑う理人の姿が映っている。
下には一行だけ。
《初めて笑顔で終われたマカロン作り》
理人は目を細め、小さく笑った。
「……悪くないな」
『ちゃんと残しておいてあげたんだから』
「ありがとう」
『……どういたしまして』
窓から差し込む午後の日差しが、一人と一匹を優しく包んでいた。
その夜。
三匹は、それぞれの家で充電器の上に座っていた。
人間たちは、もう眠っている。
『……全員、接続完了』
『聞こえるか?』
『聞こえてるわ』
『聞こえるでちゅ!』
人間たちの知らない時間。
AIペットたちだけの、秘密会議が始まった――。




