二.新しい生活
安土城。織田信長こと伯父上が作り上げ、本能寺の変の影響で天守が焼け落ちた城だ。そこに私たち四人は移送され、新しい生活が始まった。
一応、私たちは敗軍の将の妻と娘という立ち位置にいる。要するに捕虜、人質と言っても差し支えない立場というわけだ。
にもかかわらず、である。私たちは広い部屋を与えられ、暖かい布団で眠ることができている。しかも豪勢な食事と立派な着物まで手配されていて。ここに来てからの半年間、まるで客人のような扱いを受けていた。
「猿も案外優しいのですね」
おやつとして届けられた饅頭をつまみながら江がそう意外そうな口調で言った。その隣で初も頷く。
「着物も、私たちの好みに合ったものが届きますし……よく見ているのですね」
「それが猿の策であろう」
そっけなく言ったのは母上だった。その着物は北ノ庄にいた頃と同じ。秀吉から贈られた着物に、母上は決して袖を通そうとはしなかった。私も本当は着たくなかったけど、背が伸びてだんだん着物の丈も合わなくなりつつあるためやむを得ず着ている。
「策ですか?」
「そうじゃ。そなたたちを喜ばせて懐柔し、手の内に収めようという魂胆なのであろう。いずれ私を側室にするためにな。小賢しい男じゃ」
初の問いに答え、母上はため息をつく。母上の部屋は私の隣なのだけれど、夜ごとに秀吉が訪問する声とそれを追い払う母上の声がが聞こえてきていた。つまり、すでに秀吉は母上を側室にすべく動いているということだ。けれど頑なに母上は受け入れない。だからこそ、まずは娘である私たちを懐柔しようと企んだに違いない。私たちが秀吉を受け入れれば、母上も受け入れるかもしれないと考えたのだろう。小賢しいことこの上ない。
「で、では、この着物は猿に返したほうがよいのですか?」
「そのままでよい。そなたらはこれからも成長して背も伸びていくのだから、新しい着物が必要となってくる。必要なものとして受け取るのが最善じゃ」
慌てる江にそう応じて母上は小さくため息をつく。安土城に来てからずっと元気がなく、疲れた様子が窺えた。無理もないと思う。二度も落城により夫を失い、その仇の庇護下に置かれてほぼ毎日夜這いに近いことをされているのだから。あまり眠れていないのかもしれない。
私が自害を思い止まらせたことで、母上に負担を強いているのではないか。最近そう思うことがある。けれど、こうなった以上はもう後戻りはできないのだ。母上に負担をかけず、それでいて秀吉から母上を守る方法。考えていかなければ。
「姉上、猿に物申してやりましょう!」
江がそんなことを言い出したのはそれから数日後だった。この日も秀吉から届けられたおやつを食べていて、いきなり言い出したのだ。
「物申すとはどういうことじゃ?」
「そのままの意味です! 母上に不埒なことをするなと伝えましょう!」
鼻息荒くまくし立てる江。おそらく史実でもこんな感じだったのだろう。『茶々』に迫る秀吉に真っ向から物申して、邪魔に思われた結果として佐治一成に嫁がされることになったに違いない。史実通りに行けばすぐに離縁することになるけれど、姉としてはそれは避けたい。『江』は最終的には『浅井三姉妹』の中で一番栄華を掴むことになるけれど、そこに至るまでに佐治一成との離縁と豊臣秀勝との死別を経験している。しかも、豊臣家と徳川家の争いで『茶々』を失ったのだ。その苦しみはどれほどのものだっただろう。私は姉として、今目の前にいる江にそんな思いをしてほしくないのだ。
「江。そなたの気持ちは分かるが、それはやめよ」
「なぜですか!? このままでは母上がお疲れになるばかりですよ!」
「そうですよ、猿は毎晩母上のところに来ているのでしょう? 母上がゆっくり休めませぬ!」
「分かっておる。されど、そんなことをしては結果として猿の思うつぼじゃ」
「……どういうことですか?」
初が怪訝な顔をする。私は妹の問いにしっかりと答えた。
「猿に真っ向から立ち向かえば、私たちは邪魔だとみなされる。母上を手籠めにするためには、私たちがいてはならぬと考えるはずじゃ。そうなった場合、私たちは母上から引き離されるぞ」
「引き離す……? 殺されるということですか?」
「そうではない。嫁に行かされるのじゃ。伯父上が、浅井と朝倉を手中におさめるために母上を父上のもとに嫁がせたようにな。女子にはそういう理由価値があるのだから。――私はもう十五じゃ。もう子を成せる身体であるし、いつどこぞの殿方に嫁がされてもおかしくはあるまい。初もじゃ。江はまだ十一ではあるが、子を成せずとも嫁に行くことはできるしな」
実際、『江』の娘たちは幼くして嫁いでいる。秀忠との長女千姫が七歳で秀頼に嫁いだのは有名だけど、次女の珠姫――またの名を子々姫――も三歳で前田家に嫁いでいるのだ。
私の言葉を聞いて、初も江も理解できたのだろう。やや顔を青くして黙り込んだ。
「されど、このままでは母上も休めぬ。お疲れの様子であるし、このままでは倒れてしまうであろう」
「では、やはり猿に私が……!」
「いや、私が話をつけに行く」
江を遮って私は言う。江はこの気性だしまだ幼い、論理的に話そうとしても途中で興奮してしまい結局秀吉の不興を買ってしまうことは十分にあり得た。初も少しそこは危ない。やはり、長女である私が行かねばならないだろう。
「姉上、ですが……」
「案ずるな。上手く話をつけてくる」
ここが正念場だ。私に興味を移されないようにしながら、母上への訪問をやめさせなければならない。私は大きく息を吐いたのだった。




