二.化け狸
私が母上と話を付けている間に、秀次様は少しずつではあるが動き出していた。詳しいことは聞かせてもらえなかったけれど、豊臣家の家臣たちを内側に取り込んでいるようだ。
「危険ではないのですか? そこから殿下に話が漏れでもしたら……」
私がそう危惧すると、秀次様は「もちろん危険だ」と答えた。
「だが、これは必要なことなのだ。私一人の力では叔父上を関白の座から下ろすことなどできぬ。もし露見しそうになったときに、うまく誤魔化してくれる仲間が必要なのだ」
「されど……」
「案ずるな、茶々。私はこの数年、豊臣家の中で地位を築いてきた。それに、今の叔父上のやり方に不満を抱いている者も多いのだ。徳川殿や前田殿も、叔父上に直接物申してくれておる。今のままでは不満が募る一方だと、私に関白位を譲るべきだとな」
「……そうですか」
秀次様に関白位を継がせるべきだと考える人が他にもいる。それは心強いことだが、結局バレてしまっては意味がないのだ。どうにも私はそれが不安だった。史実を知っているだけに、前田殿――前田利家はまだしも、家康はあまり信用できない。何しろ、秀吉の死後に三成と対立して関ヶ原の戦いを起こし、その勝利に乗じて秀頼から天下を奪った男である。
そこまで考えて私ははっとした。もし今回の計画が露呈して秀次様や私、最悪の場合子供たちまで処刑されたとしたら、豊臣の後継者はまだ生まれて間もない小吉だけ。そしておそらく、秀吉はそう遠からず死ぬだろう。そうなったら、史実と同じことが起こるはずだ。秀頼が小吉に代わるだけ。そうなったら江は――史実の『茶々』と同じ未来を迎えるかもしれない。それだけはあってはならない。あの子にだって、幸せな未来を歩んでほしいのだ。そうなるとやはり、今回の計画は絶対に成功させなければならない。
「茶々? 難しい顔をしてどうしたのだ」
考え込んでいた私は、秀次様の声にはっと我に返る。
「いえ、大丈夫です。……それより秀次様、仮に殿下を関白の座から追い出すことに成功したとして、その先はどうするのですか?」
「どうする、とは……以前話したではないか」
「秀次様が関白となるのはもちろん承知しております。されど、追われた殿下の身をどうなさるのかとお訊きしているのです」
「ああ、それなら考えておる。伏見の、淀のほうに城があるのだ。あそこは以前、亡き秀長叔父上が改修していてな。松寿丸が生まれたとき、叔父上が祝いにと私に与えてくれたのだ。今は家臣に管理を任せていて、人が住める状態ではある。そこに隠棲していただこうと思うのだ」
「淀……」
おそらく、史実の『茶々』が鶴松を産むときに産所として与えられた場所だろう。彼女が『茶々』から『淀殿』となったきっかけの場所。
「それならばよいのですが……」
「あそこなら私の目も届く。叔父上が不穏な動きを見せても気づけるだろう」
秀次様がそう言ったとき、障子の向こうから声がした。
「殿、お方様。お話し中申し訳ございません。お客人がお見えになられております」
「客……? 今日は来客の予定はないぞ」
「はっ、至急の訪問だとのことで……徳川公がお見えです」
「何?徳川殿だと?」
驚いて立ち上がる秀次様。とりあえずお通しせよと命じ、急いで部屋を出て行った。
「急な訪問をお許しください、秀次様、お茶々様」
来客用の一室で待っていた徳川家康は、入ってきた私と秀次様を見るやさっと頭を下げた。
「頭をお上げください」
「はっ」
秀次様の言葉に応じて家康は顔を上げる。前世の現代では一般常識である家康だが、こうして顔を見たのは初めてだった。
壮年と初老の間くらいだろうか、その顔に人のいい柔和な笑みを浮かべている。いかにも好々爺といった風貌だが、その目には異様に強い光があった。まるで獰猛な獣のような、獲物を狙っているような――正しくは、自分が天下を獲る機をうかがっているように思える。
「して、こたびはどのようなご用件で?」
「は。所用がありまして大坂に参りましたので、ご挨拶をと思いまして。特にお茶々様に」
「私に……ですか?」
私に何の用だというのだろう。思わず身構える私に、家康は笑った。
「殿下より、お茶々様の妹御を倅の室として迎えるよう命じられましたことはご存じかと。お市様はすでに出家されておいでですので、お茶々様にご挨拶をと思いましてな」
「それは……ありがとうございます。ですが、妹は……」
「ああ、存じておりますよ。亡き御夫君を……秀勝殿を今でも想われておられると。強く拒まれておられると伺いました」
そう言って家康はふっと笑みを消し、真顔になった。
「されど、ご安心ください。我が徳川家にお迎えするからには、お江殿を心より大切にいたします。秀勝殿のことを想われたままでも構いませぬ。また、倅が不埒なことをせぬよう、私も目を配ります。これは徳川と豊臣の間をつなぐ大事な縁談にございますゆえ」
「……ありがとうございます、徳川殿」
秀次様が安心したような様子で言うが、私は素直にお礼を言えなかった。
今の豊臣家には、姻戚関係による後ろ盾がない。秀吉に子はなく、甥である秀次様と秀勝様の正室はそれぞれ私と江というほぼ身内に近い存在だったのだ。だからこそ、江を徳川家に嫁がせて、徳川家との繋がりを作って次世代の支えを作ろうという心積もりなのだろう。だが、今回の縁談で得をするのは家康も同じ。江を迎えることで、将来豊臣家の中に入り込みやすくなる。
それに、今回の秀次様の計画に乗っかって、それが成功すれば秀次様の政権でも重鎮にいられる。失敗したとしても、秀吉の後継者になるのは小吉。そして、江は小吉の生みの母だ。どっちに転んでも、豊臣家の中で力を蓄えることができるのだ。それを考えての今回の行動――そう思うと、その狡猾さに吐き気がした。




