悲しき運命
ミスティアやコロ、ミゥが本気で泣き出す前に止めたほうが良さそうだ。
「お久しぶりです、魔女エリザ!」
ディーユが声を張り上げると、山姥のような魔女が動きを止めた。
「……魔法師か。いや、結界を越えたのは……子供たちじゃな」
ディーユとアイナの方を向く。
ミスティアの襟首を掴み、包丁を振りかざしていた手を下ろす。
「ひええっ!?」
涙目のミスティアが魔女の手を振り払い、逃げ出した。
「ティアくん!」
「こっちだにゃ!」
コロとミゥは既にディーユとアイナの背後へと逃げ込んでいた。ミスティアも同じように逃げ込む。
「うぅ、怖かったよー!」
「よしよし大丈夫、あとは任せろ」
素直な感情を出せるようになったのは良いことだ。コロもミゥも、ミスティアも。泣きたければ泣き、笑いたければ笑っていい。
「……あの時の、二人かぇ?」
魔女の瞳に光が戻る。いや、狂気を演じていただけか。
「お久しぶりです」
「ほぅ? なんともまぁ、大きくなったのぅ」
背筋を伸ばし、シワだらけの顔に笑みを浮かべる。魔女は人食いの「狂気の山姥」を演じていた。
「魔女さん……?」
「ディの知り合いかにゃ?」
「でもボクらを食べようとしたよね!?」
「ガハハ、驚いたかのぅ? 久方ぶりの客人で、ついハッスルしてしまったわい」
腰に手を当てて高笑いする魔女エリザ。
「あれは魔女の挨拶みたいなものさ。子供達はみんな脅かされるんだよ」
「え、えぇ……?」
「悪趣味だにゃ」
「そうなの?」
鬼気迫る動きで追い回された子供達にとっては恐怖体験だったに違いない。
しかし魔女からは殺気が感じられず、「鬼ごっこ」を楽しんでいるように思えた。だからアイナも咄嗟に飛び出さなかったのだろう。
「ったく。私もあの瞬間、思い出したよ。以前、ここで同じことがあったなと」
アイナの言うとおり。今の光景はデジャブだった。
「あぁ……そうだな」
子供の頃、アイナと二人でこの場で同じ洗礼を受けた。
あの時は驚きと恐怖のあまり逃げ出す前に脳貧血でぶっ倒れた。アイナは「ディーユから離れろババァ! うわぁああ!?」と、涙と鼻水を流しながら必死の抵抗を試みた。
「お前さんたちのことは、よーく覚えとるぞぃ……! ディーユとアイナ、じゃな? 黒髪の小僧はワシの姿を見るなりぶっ倒れ、青い髪の娘っ子は果敢に突っ込んできたからのぅ」
「ディさん……」
「にゃはは!」
「そうなの?」
「うぁ……ぁ、もう」
子供たちの視線が集まり、苦笑するしか無かった。十年前のことを、魔女もよく覚えているものだ。
小屋の入り口に戻りながら歩き出す魔女。
「後にも先にも、あれほど正反対の反応をした子供はお前さんたちだけじゃった。カカカ……! まぁ中に入るがいい。可愛い子供たちも。なぁにとって食いやせん。茶でも馳走しようかの」
すっ、と声が若返った。
そして、扉の前で薄靄に包まれたように姿がゆらぐ。
魔女の姿が細くなり、背丈も変わってゆく。
「なっ……!?」
「姿が変わってゆく!」
全員が驚きの声を上げた。
「もう姿を偽る必要も無さそうじゃ」
再び姿を現したのは老婆ではなかった。張りのある声は若く、三十代に見える魔女だった。
「ろ、老婆じゃなかったのか!?」
「美人……だと!?」
アイナが唖然呆然として驚くのも無理はない。
整った鼻梁に切れ長の瞳、きりりとした薄い唇。知的な顔立ちの美人で、瞳の色は濃いエメラルドグリーン。
グレーがかった髪はゆるくウェーブし、腰までかかっている。
そして浅黒い日焼けしたような肌に、尖った耳――。
「ダークエルフ……!」
「バカな、そんな。ミスティア以外にも伝説のダークエルフが……!?」
魔女エリザは老婆。そして人間である。ずっとそう思い込んでいたし、実際にこの目で姿を見た。
しかし、何故気が付かなかったのだろう。父や母、祖父母の代、それよりもずっと昔から村に伝わる魔女の話。そのおかしな点に。
子守唄になるほど長い時間「森の中に住む魔女」がいたことに。
語られる魔女の姿は決まって、みすぼらしい老婆だったということに。
「認識撹乱魔法で姿を偽っておったが、もう必要なかろう。我が同族が自由に旅をし、そうしてディーユとアイナと一緒にいるのなら……。そういうことなのじゃろう」
「ティアくんと似てる……」
「姉ちゃんかにゃ?」
「ほんと? 似てるかなぁ」
ダークエルフの魔女が深い知性を湛えた瞳をミスティアに向けた。
「あ……」
伝説の存在。ダークエルフが二人いる事実。
「そうか、だから」
魔女エリザは正体を見せたのか。
「のぅ、個体識別番号315。いや、ミスティア……かの?」
◇
小屋の中は涼しく快適だった。
山あいのハテノ村とはいえ夏は暑い。しかし涼やかな風が通り心地よい。
魔女の生活感は意外にも質素で、清潔なものだった。
むき出しの天井の梁からは、干した多種多様なハーブ類がぶら下がっている。
暖炉の煙突の排気を管で誘導し、煙を利用した燻製棚が珍しい。金網の上には野生動物の燻した肉が保存されていた。
つつましく、静かな暮らしを営んでいる感じが伝わってきた。
魔女エリザは鼻歌交じりにお茶とお茶菓子を準備してくれた。シイの実を粉にして焼いたクッキーと、庭で育てたハーブティをご馳走になる。
「美味しいお茶です」
「これは子供の頃に食べた焼き菓子の味だ!」
コロもミゥもミスティアも、魔女のお茶会を堪能している。
「村が消えて困っておったのじゃ。塩は本当に助かったぞぃ」
魔女エリザが笑みを浮かべる。
老婆からのギャップに慣れないが、ダークエルフへの拒否感もない。むしろその美しさに目を奪われる。
「いえ、お役に立って何よりです」
ディーユはそう言いながら、横に座ってクッキーを食べていたコロの頭を優しく撫でた。
塩は準備の良いコロのお手柄だ。リュックには「こんなこともあろうかと」と、余分に塩などの日用品を詰め込んできたのだという。
山の中での一人暮らし。無くなると困るのは塩などだ。
定期的に村に降りてきては日用品を買っていく魔女も、やはり生きていくのは大変だったのだろう。
「……魔女さん、いい香り」
コロがつぶやく。
「石鹸とシャンプーは手作りじゃ」
「わぁ、だから良い香りなんですね」
「おうおう、ならば塩のお礼じゃ。魔女の手作りハーブ石鹸を持ってゆくが良い」
「わぁ! ありがとうございます」
石鹸を嬉しそうに受けとるコロ。
「何故、老婆の姿で?」
「ったく、ディーユは。そんな事、聞くまでもないだろう」
アイナがディーユに意地悪な視線を向ける。
「こんな美人魔女がいると知れてみろ。村じゅうの男たちが目の色を変え、我も我もと求婚に来るだろうが」
「あぁ、そうか」
「……目覚めた二百年前は、そんなこともあったのぅ。ワシも若かったゆえ、恋もした。しかし途中からいい加減、ウンザリしてきてのぅ。山に引きこもり、姿も偽ることにしたのじゃ」
「モテモテだったのにゃ?」
魔女エリザは遠い目をするが、ミゥは興味深げだ。
「あぁ、そうだとも。じゃが……。いくら愛そうとも誰も彼も、先に居なくなってしまう」
「寿命の差……ですか」
「運命は変えられぬ。どんなに愛そうとも、逝ってしまうのじゃ。ダークエルフとして創造されたワシらと、人間では生きる時間が違いすぎる」
魔女の視線はいつしかミスティアに向けられていた。
哀れみともとれるそれは、目を背けていた事実を思い起こさせる。
「え? ボクが何……?」
「目覚めてからどれくらいじゃ?」
「二ヶ月ぐらい」
「世界消滅の後か……。眠っていたほうがよかったかもしれぬぞ。個体識別番号三桁台は、長寿命因子がほぼ標準で備わっておる。病気や怪我は別としての」
「どゆこと?」
キョトンとした顔でミスティアがディーユの袖を引く。
「……お前は、俺達よりもずっと長生きだってことさ」
長寿命のダークエルフ。彼らはディーユやアイナが老いてもおそらく、殆ど変わらぬ姿のまま生き続ける。
悲しい別れが、遠からずやってくる。
その時、ミスティアはどうなるのだろう。
新しい仲間、新しい生き方を見つけているだろうか。
「ディーユもアイナも、ミゥもコロも、みんな……ずっと一緒だよね!?」
「一緒だ。ずっと。けれど寿命の違いは……。必ず、俺達は先にいなくなる」
唇を噛む。
「そんな、やだ!」
「おまえさんは生きる時間が違うのじゃ」
いったい魔女はどれほどの出会いと別れを繰り返してきたのだろう。諦めにも似た、深い悲しみが瞳に浮かんでいた。
「そんなことないもん! ディーユもアイナも、みんな、ずっと一緒だって……!」
必死にしがみつくミスティアの体温が愛しくも、悲しかった。
いまにも泣き出しそうな少年の背中を抱きしめる。
「あぁ、そうだとも」
口には出さないが、半獣人のコロやミゥとの別れも避けられない。
それは、ずっと早くに訪れる。
半獣人族の寿命は人間よりもずっと短い。
年老いた半獣人を見たことがない。彼らの多くが四十代で静かに生涯を終えるからだ。
「偉大なる先史クソ魔道士たちが、そう寿命を設計したのじゃ。何たる傲慢、忌々しき悲劇よのぅ」
鬱々とした魔女の声に気持ちが沈む。
確かに必ず別れが訪れる。
それは変えようもない、悲しき運命だ。
「惑わされるな!」
アイナが叫んだ。
「アイナ?」
「アイにゃん……?」
「やはり魔女は魔女……! そうはいくか。言葉に惑わされな、ミスティア!」
ガタンと立ち上がり気勢を上げる。
「アイナ……?」
ぐすん、と鼻をすするミスティア。
「人はいつか死ぬ! だが、今じゃない!」
「それは……そうだ」
「だからこそ生を、今を、精一杯生きるのだ! 我ら騎士はいつ死んでも悔いなきよう、全力で戦い、いかなる時も誇りを失わぬ! 生を終える最後の、最期の瞬間まで全力で生きる!」
「アイナ……!」
「だから心配するなミスティア! 全力で生きろ! 今を、明日を! これからもだ! 私達も共に生きて、生きてやる!」
アイナの力強い声に皆の瞳が輝く。
魔女エリザが静かに、息を飲むのがわかった。
<つづく>




