夏の空と最果ての村
西域調査隊の馬車の隊列は、街道を西へと進んでゆく。ときおり馬を休ませながら、ゆっくりと着実に。
進行方向の左手、つまり南側は変わり果てた白い塩の砂漠。夏の日差しを照り返し、生き物の侵入を拒むかのように、不気味な陽炎が揺らいでいる。
進行方向の右手、つまり北側は緑あふれる森林地帯。以前と変わらぬ風景で、生き物たちの気配もある。
三台の馬車は一列となり、二つのエリアの境界線に沿って西へ。白い砂漠と緑地帯の境界を縫うように征く。
「あと半刻ほどでハテノの村境ですぞ」
二号車の御者を務める老兵士が振り返った。
「みんな下車の準備を。そこからは徒歩だ」
やがて馬車の隊列が停車し、小休止。ここでディーユたち『ガーデニア騎士団』は途中下車となる。
ハテノ村へ向かうには本来、ハイレネー山を北へ一日ほど大きく迂回する必要がある。
それでは西域調査の時間が無駄になる。ゆえに、ディーユたちが別動隊として、山道を進む最短距離をゆく。
そうすることで時間も短縮でき、里帰りという目的と合わせ意味のある分隊行動となる。
「ではディーユ殿、お気をつけて!」
「明日の夕刻にここで。集合時間は厳守でお願いいたします」
白ひげの隊長と、ロージー少尉が念を押す。
彼らはここから更に西域へ進み、大陸の西の果て『忘却希望岬』で折り返してくる。
「わかりました。では、また!」
三台の馬車が出発するのを見送って、ディーユたち一行は北の森へ入り、徒歩でハテノ村へと向かう。
街道から分岐した道は、馬車では進めない村人や山羊だけが通る抜け道だ。ゆるやかな上りの山道を進み、谷を下ったその先に目的の村がある。
見れば分岐路の脇に『ハテノ村、3キロメル→』と看板があった。
「見ろディーユ! この看板、懐かしいな」
「あ、これは……アイナが蹴飛ばして、へし折ったやつか?」
「ははは、昔の話だ」
「ったく……」
あれは二人で王都へ上京する日だったか。
乗合馬車を待つこと半日。一向に馬車が来ないことに怒ったアイナが、看板を蹴飛ばしたら根本から折れた。慌てて二人で直しているところに馬車が来て、悪戯をしていると思われた。
あれから何年経っただろう。
故郷が近づいてきたという実感がわいてきた。
重装備をものともしないアイナが先頭をゆき、意気揚々と山道を登る。
「コロ、荷物はボクが持つよ」
「あ……ありがとう」
「うんしょっと」
「ごめんね、食べ物とか詰め込みすぎちゃった」
「あとでみんなで食べれば、軽くなるよ」
ミスティアがコロの重そうなリュックを代わりに背負う。
千年近く眠っていても実年齢は変わらない。いつもディーユにべったりのミスティアだが、コロやミゥとも仲間意識が芽生えてきたようで何よりだ。
「あ、トカゲ!」
ミゥが猫耳をぴんと立て、飛びかかった。虫取り網を振り回し、倒木の上に居た青っぽいトカゲを捕まえる。
「つかまえたにゃ!」
「おおぅよくやったミゥ。それは塩焼きにすると美味いぞー。内臓は干して精力剤になる」
アイナが振り返り、サバイバルの知恵をミゥに授ける。
「たのしみ……にゃっ!?」
ミゥの手からトカゲが消えた。目を輝かせるミゥの手元を、風のように小さな翼竜がトカゲを咥えて飛び去った。
それは一瞬の出来事だった。
「あ、ウリュー」
「こらぁ! 返せにゃ!」
ミゥが叫ぶが、時既に遅し。友竜は悠々と、空へ舞い上がって輪を描く。
トカゲは胃袋の中に収まってしまった。
しばらくすると、ミスティアの背負ったリュックの上に、友竜舞い戻ってきた。
「ごちそうさま、だって」
「う”ー」
ミスティアが代わりに礼を言うと、ミゥは頬を膨らませた。
「ウリューも腹がすいていたようだ」
「ははは……」
三人組のやりとりが微笑ましい。
ディーユは軽やかな足取りで、最後尾をついて行く。このあたりは危険な魔物はいないが、油断していると野獣が出る。
『ブキュルル……』
「出た!」
アイナが嬉しそうに叫び剣を抜き払った。
「なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
「向こうから食糧のお出ましだからな! これは上等の肉がとれるんだ、ヒャッハー!」
山賊のようなアイナの前に現れるとは不運なヤツだ。
出現したのは野獣、ツノイノシシだった。体当たり攻撃が主だが、頭部の一本角で身体を串刺しにされた人間もいる危険な野獣だ。
「みんな、下がれ」
ディーユがダッシュでアイナの元に駆け寄り、前衛と後衛の位置につく。コロとミゥ、ミスティアを最後列に据える。
「魔法で足止めをする」
「タイミングを合わせて脳天に剣を振り下ろす」
さらりと連携の相談を交わす。
『ブキュル……ブシュー……』
「あ、あれ……?」
しかし。ツノイノシシは鼻息を激しく吐き出すと、踵を返して藪の中へと消えていった。
アイナは拍子抜け、がっかりする。
「まさか」
ディーユが振り返ると、ミスティアがすまし顔で微笑んだ。瞳に宿っていた淡い光が消えてゆく。
「『通して』って念じたら、道を開けてくれたよ」
「さすがは森の王」
「でも、いまぐらいのが限界っぽい」
「……イノシシ以下の知能の魔物は、難しいと?」
「うん。スライムとか大ナメクジはダメだったし」
「なるほど」
ミスティアの固有能力は、オークやゴブリンなど知能を持つ魔物相手なら有効だ。そして野獣でもある程度は精神干渉できるらしい。しかしそれ以下となれば難しいようだ。
「くそっ、晩飯が逃げた!」
「アイにゃん、村で魚釣りするにゃ」
「……そうだな、仕方ない。村に行けば、きれいな川が中央に流れていて、川魚も釣り放題なんだ」
「おぉー楽しみだにゃ」
アイナの話しに瞳を輝かせるミゥ。
ハテノ村はハイレネー山からの氷河が、永い年月をかけ削った谷底にある村だ。
村の中央には北から南へ向け、澄んだ川が流れている。冷たい水を好むイワナがたくさん棲んでいて、よくアイナと獲って食べたものだ。
やがて深い山の森林地帯を抜けると、下り坂になった。
森が徐々に緑を濃くする。青い空にシャワシャワという蝉時雨が吸い込まれてゆく。ハテノ谷が近いのだ。
「コロ、足元にきをつけて」
「……この先に、村があるの?」
「あぁ、俺の生まれ故郷さ」
「ディーさんの……」
コロはディーユと手を繋ぎながら歩いている。けれど横顔に僅かな翳りがあるように思えた。
「コロ……?」
「ううん、あの……。あまり、人の匂いがしなくて」
戸惑いぎみに、小さく答える。
「まぁ、もともと過疎の村だからなぁ」
一抹の不安を押し込める。胸騒ぎはするが気のせいだ。森は深く、生き物の気配もする。村はちゃんとあるはずだ。
ハテノ村の人口は五百人ほど。世帯数も百に満たない。酪農と狩猟、半々で生計を立てている。
中でもアイナの家は代々狩人の家系で、1、2を争う大きな家だった。ディーユは十歳の時に流行り病で両親を失くし、アイナの家に引き取られた。
もともとアイナとは幼馴染みで友達だったこともあり、アイナは同い年の「弟」ができたことにとても喜んだ。
アイナの父親は狩人ながら思慮深い人だった。
ディーユに「おまえは狩人よりは学問だな」と、貴重な本を長老宅から借り受け、また貸ししてくれた。
本当の家族のように、姉弟のように、温かく、楽しい時間を過ごしてきた。とても良くしてもらった思い出ばかりだ。
「あの大岩の隙間を抜ければ村だ!」
森の向こうにまるで壁のように、大きな岩が行く手を塞いでいた。根本には人が通れるぐらいの隙間があり、光が洩れている。
歩む速度をあげるアイナの後ろを、ミゥとミスティアが慌てて追う。
「まて、アイナ……!」
ディーユとコロも大岩の隙間を抜ける。
不意に、視界が開けた。
明るい夏の日差しが、谷底を照らしている。
「――く……っ?」
あまりの眩しさに目を細めた。
次第に目が慣れ、白い世界が視界に入る。
白い砂に覆われた谷間が。
「あ、あぁ……!」
「そんな……!」
「村が……無いにゃ!」
「う、うわぁぁああ……っ!? お母さん、お父さん……ッ!」
アイナが谷底に向けて走り出した。
足を白い砂にとられ、何度も転ぶ。それでも、家のあったはずの場所へ向かう。
「アイにゃん!」
全てのものが溶け、白い平坦な砂へと変わっていた。
村で唯一の教会の鐘楼が、かろうじて半分だけ形を保っている。しかし何軒かあった丸太の家々も、何もかもが白い砂地へと変わっていた。
コロがへたりこんだ。
「……ごめんなさい。本当は、灰の臭いしか……しなかったの」
「コロ、いいんだ」
敏感なコロは村に近づくにつれ、滅びの気配を察していたのだろう。
頭をそっと撫で、ミスティアにコロを任せる。
遥か遠くへと行ってしまったアイナを追う。
アイナは谷間の中央を流れる川のほとりで、へたりこんだ。白い砂のなかで動かない。
足を砂にとられながらも必死に進むと、次第に状況がわかってきた。
――『滅びの光』が南から駆け上ったのか……!
ハテノ村の南側は大きく開けている。太古に氷河が削った扇状地形。その石英質の谷で『滅びの光』が集まり反射され、村の家々を飲み込んだのだろうか。
「アイナ……!」
「ううっ、うわぁあああん、ディーユゥウ!」
アイナがタックルするように腰に抱きついてきた。
「……アイナ」
何の言葉もかけることができない。
深い悲しみと、大きな喪失感に心を切り裂かれているのは、ディーユも同じだった。
声をあげて叫びたい。だが、半ばこの結果を予想していたのだ。自分の故郷の村だけは無事だと、なぜ言えるのか。それはつまるところ、すがるような希望でしかなかった。
「ううっ! ……みんな……消えてしまった。お母さんも、お父さんも、ホブナおじさんの家も、バリカスの雑貨屋も……。みんな、みんな、」
「うっ……うぁ、あああっ……くそうっ!」
アイナの背を抱きながら、ディーユも慟哭する。
今はただ、そうするしかなかった。
緑あふれる美しい風景がどこまでもつづく村。そんな牧歌的な村の風景はもう無い。すべてが無機質な白い砂へと変わっていた。
これで全てを失った。
生き残ったのは、二人。
世界に取り残されてしまった孤独感に苛まれる。
無論、同じ苦しみと悲しみを抱えているミーグの人々もいるだろう。
けれど、自分達だけは、故郷だけはきっと大丈夫だ。という根拠の無い想いがアイナとディーユを支えてた。
だが、それも潰えた。
閉じてゆく。暗くなる視界。
白い塩の砂へ埋もれ、沈んでゆくように。
「アイにゃん」
「ディーさん」
「ディ、ボクらが……いるよ」
気がつくと、ミゥやコロ、ミスティアが寄り添ってくれていた。
背中から抱き締めるように。
小さな手の温もりが、白い砂の絶望から掬い上げ心を包み込む。
「……ぐすっ、あぁ……すまない」
「そうだな、もう一人じゃない」
立たねば。
ここで倒れているわけにはいかない。
助け、支えているつもりが、逆に支えられていた。
コロやミゥ、ミスティアの存在が無ければ、もっと深い悲しみに沈み、このまま塩に呑まれたいとさえ考えただろう。
ゆっくりと立ち上がり、アイナの手をとる。
「立て、アイナ」
「ディー……」
「二人で生きていこう。みんなの分も」
「……でも、もう」
「アイナは一人じゃない、俺がいる。俺には、おまえがいる」
「ディ……」
「それにミゥやコロ、ミスティアもいるんだ」
「そうだな……、まるで……」
アイナの涙を両手でぬぐい、涸れかけていた胸の「くちなし」の小枝に枯死再想、ウィード・リコレクションを注ぐ。
ゆっくりと蘇り、つぼみをつけ、白い花を咲かせる。
「新しい家族みたいだろ。だったら、本物になればいい。ここから、いまから」
「えっ……? それは」
「俺と結婚してくれ、アイナ。ずっと、これからも一緒だ」
言いたかった言葉が、するりとあふれる。
想いをそのまま、正直に。
「デ、ディーユ……! ちょっ……えっ!?」
かぁーっと顔を赤くするアイナ。
「はじめよう、二人で」
何もない世界の最果てから。
全てを失った無から。
家族を。
差し出したくちなしの花をアイナが受けとる。そして、胸にそっと慈しむように抱き締める。
「……ずるいぞ……」
「は?」
「こっ、こんな……弱りきって、傷心な乙女を。大ダメージを負った、瀕死の私をつかまえて……こんな……こと。くっ、殺せ!」
「なんでそうな……!」
がばっ! とアイナがディーユを包容し、唇を奪った。
普通は逆だろう……!
……というツッこみを返す余裕もなかった。
熱烈な接吻をすると、アイナはぷはぁ………と唇をはなし、口許をぬぐう。
そしてくちなしの花を勝ち誇ったように天に掲げた。
「っしゃぁああああ! お父さん、お母さん、やりました……! アイナは婿をゲットしましたよー!」
もう吹っ切れたように天に向かって叫ぶ。
青空の向こうに、両親の笑顔が透けて見えた。
ディーユがどっ、と砂に腰を下ろし目を白黒させる。
「なっ、なん……?」
「わ、わわわ、わぁ……?」
「いまのプロポーズにゃ?」
「なになに? ボクもしたい!」
沈痛ムードも一転、きゃいきゃいと、大騒ぎになった。
すると、コロがはっとした様子で振り返った。
谷の奥の方、ハイレネー山のほうに視線を向ける。そして、すん……と小さく鼻を鳴らす。
「これ……火の臭い、暖炉……?」
「コロ?」
<つづく>




