新たなる世界、新たなる任務
「早いものだなぁ、あの戦いからもう一ヶ月か」
「あぁ、まるで悪夢みたいな出来事だった」
アイナと並んでレザトゥス城の門をくぐりながら、ディーユはしみじみとつぶやいた。
悪の魔法師の侵略を退けたミーグ領は、本来の平穏を取り戻しつつあった。
――ラソーニ・スルジャン狂乱事変
世界を滅ぼしかけた災厄の魔法師、ラソーニ・スルジャン。その名は額に刻まれた「✕」印、汚物の刻印のとおり、歴史に汚名を刻まれることになった。
世界を滅ぼした希代の極悪人、王宮魔法師の名を穢し、Sランクの皮を被った狂人として、口にすることさえ忌避された。
ミーグ領を我が物とせんと卑劣な戦法で攻め入り、甚大な被害をもたらした戦争犯罪人は、正義の鉄槌――雷撃により完全に塵となり消え去った。
今や街も城もかなり復興が進んでいた。
野戦病院のようだった城の前庭も、今や芝生も目に鮮やかな庭園に戻っている。負傷した多くの戦士たちも、治療の甲斐もあり殆どが完治。再び職務についているという。
「明けない夜はないさ」
「覚めない悪夢もない」
二人は似たようなことを口にして、微笑みを交わす。
空を見上げると雲ひとつない、快晴の青空が広がっている。
気の早いセミが朝から鳴きはじめ、いよいよ夏本番。今日も暑くなりそうだ。
顔見知りの衛兵や給仕たちと挨拶を交わしながら、城内を進む。ミーグ伯爵の古城の中は、ひんやりとして心地が良い。
「ところで、聞いたかディーユ」
アイナは少し伸びた前髪を払い除けながら切り出した。青い髪をポニーテールに結わえ、騎士の軽装――いわゆるビキニアーマー的な夏装備――を身に着けている。
「何をだ?」
「新しい任務があるそうだ」
「南方探索か?」
ディーユが反射的に口にしたのには訳があった。
二週間前、驚くべき知らせが届いた。
広大なアースガルド大陸の南西部にある、ヴェトムニア領との連絡がついたというのだ。
そこは直線距離で千キロメル南方の地。ミーグ領よりも広大な熱帯雨林を抱える領域で、生存者がいるというのだ。
いや、正確にはミーグ領と同じく「そっくりそのまま」世界に取り残された形で存在していることがわかったのだ。
それは、喜ぶべき吉報だった。
かなりの人口を抱えた領域が、南端部に残っている。この知らせに、ミーグ領の人々は歓喜に沸いた。
それはヴェトムニア領の人々も同じだったらしい。
――我々は世界で孤独ではない……!
この事実は多くの人々を勇気づけ、希望が見いだされた。
ヴェトムニア領は高温多湿な気候と肥沃な土地、多くの天然資源が眠る熱帯雨林を抱えている。農産物の生産、鉱物の産出が主な産業であるが、産業基盤が脆弱であり、加工する術も無く、職人も知識もが不足しているという。
反面、ミーグ領は多くの各種工房を抱え、技術力と生産能力は高い辺境領地のひとつだった。
だが肝心の原材料が手に入らずに困っていた。
早速、魔法通信の中継装置を百キロメル単位で敷設。
最初のコンタクトから一週間後には、超遠隔通信によるオンライン・ミーティングが執り行われた。
そこで互いの領主が挨拶を交わし、様々な情報の交換が行われた。
その後、海路を使って全権委任大使が中間地点で会合することになった。船上で、互いの全権委任大使により「友好通商条約」が締結されたのがつい昨日のことだ。
しかし驚いたのは、ヴェトムニア領では体制が政治体制が貴族制から共和制に移行し、独立国家を名乗っていたことだった。
どうやら魔導災害直後にクーデターが勃発。貴族たちの圧政と支配に反旗を翻した人々――主に半獣人たち、を中心とする議会共和制へと体制が移行していたのだ。
彼らは、新生ヴェトムニア共和国を名乗った。
混乱から支配体制が入れ替わるのはよくあることで、彼らの自治権の問題だから、とやかく言うことはない。
代表者は、半獣人諸部族連合評議会議長ヨルムガルド。思慮深い狼半獣人の男らしい。
むしろミーグ領でも条約の締結を機会に「国家」を宣言し、再出発すべきだ、という意見が出始めていた。
ミーグ伯爵が王を名乗ることに反対する者は誰もいない。しかし当の本人が「堅苦しくなるのは嫌なんだよ」と難色を示しているという。
まぁ、王政に移行するのも時間の問題だとは思うが……。
いずれにせよ、遠く離れてはいるが、二つの小国が協力することで生まれる効果は大きかった。
何よりも人々は「我々は孤独ではない!」という事実に、大いに勇気づけられることになった。
大陸の調査に関しては、互いに保有する情報の交換も行われたようだ。
その結果、アースガルド大陸全土を支配していた千年帝国は消滅。
帝国が崩壊したことが確定、歴史的事実となった。
これにより「国家」とし運営できる人口規模と経済規模を併せ持つ領域は、事実上最南端のヴェトムニアと最北端のミーグ領のみとなった。
残された領域は他には無く、南方の海上の島々に小さな村が残っている程度らしい。
「南方探索は、我らの仕事ではないさ。領軍の先遣部隊が、水を確保できる地を選定して、拠点を構築。小さな拠点が出来れば、そこから更に南へ交易路を整備してゆく計画らしい」
「千キロ先か。気が遠くなる話だが……」
「希望が無いよりはずっといいさ。頑張りがいもあるだろう。それに互いに道を作れば、半分ですむ」
「確かにな。……ところで、新しい任務の話は?」
「あぁ、それなんだが」
気がつくとミーグ伯爵の執務室に着いていた。
ドアをノックし中へと招かれる。
中ではアフェリア女史、それにミーグ伯爵がいた。
マリアシュタット姫の姿はないが、城内を散策し、兵士や衛兵、魔法師、給仕、さまざまな人たちと会話をすることを楽しみ、日課にしているようだ。そのせいで城内ではマリア姫ファンの多いこと多いこと……。
流石は旧王家の血筋。人を惹き付けるカリスマというスキルを、先天的に有していらっしゃる。
「ディーユ、アイナ。二人に仕事を頼みたい」
「はっ」
「なんなりと」
「ここから西方区、未探索領域の調査だ」
「西……? 南方面ではなく?」
そこまで言いかけたアイナは、はっとした様子だった。
ディーユとアイナに命じた探索とはつまり、里帰りをしてこい、という粋な計らいだと気がついたからだ。
「二人には大活躍してもらったが、あまり褒美は出せなかった。名声も知っての通りライクルのほうが有名になっちまった。そこで代わりといっちゃなんだが、しらばく骨休めをしてくるといい。二人は同郷なんだろう?」
「ありがとうございます、伯爵! お心遣い感謝します」
アイナが歓喜し、ディーユと顔を見合わせる。
「領軍の調査班、一個小隊が2日後、西方の未探索領域へと向かいます。お二人はそれに同乗し途中下車。帰りに拾ってもらうことでよろしいですね?」
「はい、もちろんです」
アフェリア女史は手はずを整えていてくれたらしい。
「これで大手を振って故郷へ凱旋だ」
「……村自体が消えてなければな」
「ディーユ、そんなことがあるはずがないだろう」
とはいいつつ一抹の不安があるのは確かだ。あの破滅的な滅びの光の影響範囲に、故郷の村が巻き込まれていない保証はどこにもない。
これは影響範囲の限界領域に沿って、被害を確かめるための調査でもあるのだ。
「人選は任せる」
ミーグ伯爵は一言そう言うと、ニッと微笑んだ。
ディーユは深々と礼をする。コロやミゥ、ミスティアも同行してよいということだ。
話が一通り終わったところで、アフェリア女史がある事情を説明しはじめた。
「実は、ご存じの通り新生ヴェトムニア共和国との国交が成立し、海路および陸路での交易通商路の整備が急務となりました。それに対し、領軍の人員や資材を南方開拓に振り分け、南へと向かい、通商拠点を整備してゆく必要があります」
「なるほど」
「ふむ」
アフェリア女史が、ホワイトボードに描かれた地図を、指示棒で指し示しながら詳細を説明した。
図は縦長の菱形を思わせる大陸の図。北端にミーグ王国(予定)、南端にヴェトムニア共和国と書き込まれている。
「乾燥と水不足以外、脅威も見当たりません。別の『狂った魔法師』のような者が生きている可能性も考えて、精鋭を送り込み、開拓をしていきます」
「領軍の主力が動いているというのは、そのためか」
アイナが顎を指先で支えながら目を細めた。
「まぁ、いわばこれは陣取りゲームさ」
ミーグ伯爵が窓の外を眺めながら言った。
「陣取りゲーム……そうか」
「ディーユ殿は気づかれましたね。南方からはヴェトムニアの開拓団が北進(↑)。こちらからは南進(↓)。すると陸路で互いに出会う地点こそが、新しい国境線となるのです」
アフェリア女史がそれぞれから矢印を書き入れてゆく。
「無論、表向きは協調しての開拓だ。しかし」
「既に、新しい世界秩序の構築も始まっている……ということですか」
「そういうことだ」
国家同士に永遠の友情はない。
「こちらの戦力を見せつけておく必要もあるわけか」
ライクルが魔法兵団長として南方に向かうといっていたのもこのためか。
「というわけで、領軍の人員や資材を南方開拓に振り分けたので、西方の調査が中断しているのです。……もっともな理由でしょう?」
アフェリア女史も微笑みを湛え、指示棒で自分の手のひらを打ち鳴らした。
「そのうち、南の開拓を手伝ってくれと頼むかもしれねぇ。だから今のうちに、行ってこいよ」
「「はいっ!」」
<つづく>




