森の黒き人 ~オークたちの希望
ミスティアが魔物と対話できる、というのは本当らしかった。
ダークエルフの少年、ミスティアの持つ固有スキル。それは「魔物と対話できる」というものだった。
魔法と呼ぶべきか能力と呼ぶべきかは悩むところだ。しかし本人の言葉を借りるなら、「ダークエルフとして設計された初期段階から仕込まれていた仕様」ということらしい。
『ブキ』
『ブヒュ』
『ブギィイ』
「そうそう、長老がいるところで話がしたいんだ」
ミスティアは彼らと心で対話している様子だった。
本来は言葉にする必要などないのだろうが、声に出しているのは、ディーユたち同行者にもわかるように、という彼なりの配慮だろうか。
『ブキッ(任せな)』
三匹のオークはどこからどう見ても、先日戦ったばかりの魔物そのものだった。
豚と人間のハーフのような顔。でっぷりと膨らんだ腹。短い足に長く太い腕。体の色はグレーがかった肌色で、全体的にアンバランスだ。
肩から腰に袈裟懸けした毛皮、あるいはボロ布は薄汚れ、獣臭がひどい。
彼らは散歩でもしていたのか、武器を持っていなかった。しかし身の丈2メルテを超える巨漢の両腕は丸太のようで、振り回されたら一撃で致命傷を負いかねない。
「こわい」
「にゃぁ」
「俺だって怖いよ」
コロとミゥがオーク達を見るなり腰にしがみついてきた。
弱々しい半獣人の少女たちなど、本来なら真っ先に魔物の餌食になりかねない。
二人の肩に手を添え、魔法使いのマントで隠すようにしながら様子を見守る。
「デ、ディーユ……! 私はどうしたらいい!? 連中、こっちをガン見しているのだが!?」
アイナは敵意と困惑混じりの表情で訴えた。笑っているのか泣いているのかわからない面白い顔で。
本来なら問答無用で戦闘開始。殺すか殺されるか、命のやりとりをするはずの敵。それが今、こうして何事も起きることなく対峙している。それだけでも奇跡のような状況だ。
どうしたら良いかわからない、という気持ちは実際のところディーユも同じだった。
『ブキッ』
『プギ』
『ブヒュル』
「えーと、『アイナ姉ちゃんが可愛い』だって」
「はぁっ!?」
ミスティアの翻訳に、アイナが素っ頓狂な声をあげた。
三匹の若いオークたちは雄だった。
気のせいか顔が赤く上気し、目がハートマークに見えなくもない。
「……っぷ、はははは」
ディーユは思わす噴き出した。笑いを堪えきれなかった。
コロもミゥもディーユとアイナのやりとりを見て、すこし安堵した様子だ。
「わ、笑うなディーユ! って、オークども、こっちに来るんじゃないいいっ!」
「まてまて、剣は抜くなよ」
「しっ、しかし」
「この様子なら、取って食われたりはしない……と思う」
「思う、だと!? こいつらはオークだぞ!? 人間をむさぼり喰らうんだぞ!?」
「いや、それは偏見だな。実際は雑食性で、人間の肉は余程の空腹でない限り食わないらしい」
「まぁ……確かに食っているところは見たことがないが……」
「だろう」
王立図書館で読んだ本には「オークは半獣人に近い」と書いてあった。ちなみに魔物探求に生涯を捧げた偉大な作者は晩年、調査中に魔物に食われたらしいのだが、それは黙っておくことにした。
三匹のオークはアイナの周囲に集まり、輪を描くようにぐるぐると歩き回っている。すんすん、と豚鼻を鳴らし、テンションあがるぜ! と言わんばかりにブキィ! と鳴いた。
「………………ッ!」
アイナは完全に白目状態で固まっている。
『ブキッ』『プキ』『ブキ』
三びきはアイナを取り囲み、まるでスキップでも始めそうな軽やかな足取りで、森の向こうに行こう! と身振り手振りで誘っている。
「あ、あわあわわ……」
「大丈夫。いこう、案内してくれるって」
ミスティアが先頭になり、森の奥へと進み始めた。
オーク三匹のエスコートを受けながらアイナが進み、その後ろをディーユとコロ、ミゥがついていく。
背後で息を殺して見守る猟犬小隊たちは気が気では無い様子だったが、ディーユは彼らに視線を送り、大丈夫だとジェスチャアを送る。
一時間で誰も戻らなければ城に戻る。救出作戦は行わない。そう最初から打ち合わせていた。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……。いや、すでに豚鬼は出ているか」
ディーユは慎重に進みながらつぶやいた。
コロとミゥは、魔法使いのマントの裾をつかんだまま左右からトコトコとついてくる。
「コロ、どんな臭いがする?」
「ん……とね。獣臭いけど……。不思議、怖い感じの臭いはしないの」
コロは自分でも不思議そうに小さく首をかしげている。
「ミゥ、魔物の気配はあるかい?」
「んー……。大きいのと小さいのが、森の向こうに隠れて、こっちを、ミィたちを見ているニャ」
「なるほど」
周囲の魔物に一定の秩序とルールが生まれているのだ。
やはりミスティアのスキルによる効果か。
やがて、深い森の奥に巨木が見えてきた。
「大きな樹だ。この森のマザーツリーだろうか?」
「マザーツリー?」
「森の木々のお母さんさ。種や根で森を広げるんだ」
「へぇ……!」
コロが見上げる巨木は、トチの木だった。夏にかけて丸いドングリのような実をつける。森の生き物達の貴重な食料源だ。
周囲は切り拓かれ、明るい広場のようになっていた。
日の当たる場所には蔓が生い茂っていた。
――蔓? 山芋か。
栽培しているのか自生しているのか、沢山の山芋の蔓が地面を覆い尽くしていた。ところどころ掘り起こされているとこを見ると、オークたちの食料になっているのだろう。
しかし葉は枯れかけていて勢いがない。
掘り起こされた芋の切れはしも細く、痩せ細っていた。
――これがオークたちが町を襲った原因か。
近くを流れる小川の側には、折り曲げた木々を組み合わせた、三角錐の「ほったて小屋」があちこちに点在していた。
それは葉を上にのせて雨よけにした小屋だった。人間なら四人も入れるかどうかという大きさだ。
「オークの集落か……!」
と、オークたちの姿が見えた。
雄と雌、そして小さなオークが群れて暮らしているようだった。
数は百、いやもっといるだろうか。見るからにオークだとわかる巨体の合間を、まるで飼い犬か何かのように、小さな生き物が走り回っている。どうやら勝手に居ついているゴブリン族のようだ。山芋の切れはし、ゴミを拾っては口に咥えてどこかに走り去る。
「あわわ……」
アイナが振り返った。もうダメだ。と言わんばかりだが、ここまで来たらミスティアを信じるしかない。
こちらの姿に気がつくと、流石に集落全体がザワめいた。
『ブゲィアアア!』
見るからにリーダー格とわかるひときわ巨大なオークがドスドスとやってきた。
「彼が、この森のオークの長老だよ」
ダークエルフのミスティアは平然としている。
集落を見回して、微笑む。
骨や拾った金具を繋ぎ合わせた装身具をジャラつかせた長老オークに向き直った。
「やぁ、戻ってきたよ。約束通り」
『ブギァイ……ゲィアアア! ビギァアア……ゲァ!』
集落全体に響く声に、オークたちが呼応して叫んだ。
ディーユは思わず目を丸くした。オークがあんなにも複雑な声を出すのを初めて聞いたからだ。
「な、なんといってるんだ!?」
アイナが泣きそうな顔で聞いた。
「んーと、『我らを導く神の御使い、黒き森の人が戻られた!』って。ボクのことね」
「なっ、なるほど……!」
『ビグァア、ブギァ! ピグァ……!』
「……この人間どもは、エサか、だって」
ミスティアがニヤリと口もとを歪めた。
『ブギュルルル、ブギィイイ!(黒き森の人は言った、約束した! 我らに、エサを、与えてくれると、導くと……!)』
オークたちの目の色が変わった。集落の気配が困惑と緊張から、一転、飢餓じみた叫びに満ちる。
「ディさん……」
「にゃ……」
雰囲気の変化を感じとったのだろう。コロがぎゅっとディーユの手をつかんだ。
「……あれ? なんて言おうかな」
ミスティアが肩をすくめ、苦笑する。
悪戯っぽい表情には、心なしか焦りの色がにじんでいた。
「ミスティア、う……裏切るのは許さんぞ」
アイナが剣の柄に手を掛けようとすると、三匹のオークたちがまるで「やめろ」とでも言うような仕草をした。
「えー? まだなにも言ってないじゃん」
余裕を装うミスティアだが、心中穏やかではないはずだ。
ここで「エサではない」とミスティアが言えば、「黒き森の人」として信頼されていたミスティアは「嘘をついた」ことになるだろう。
そうすれば人間たち同様、襲われてしまう危険がある。
ミスティアが唯一助かる方法。それは「こいつらはエサだ」ということだ。
そうすれば少なくとも、この場は切り抜けられる。
だが、それでは元の木阿弥だ。
ミスティアは人間の敵として、今後は執拗に追われる身となるだろう。オークを率いて再び魔物の王となるのなら、待ち受けるのは破滅だけだ。
そうさせたくない。
だれも傷つけずに、平和的に互いの生活圏を侵さないで過ごす方法を見つけ出す。
ディーユは静かに歩を進め、ミスティアの側に立った。
「ここでは美味い串焼き肉も、チーズもなにも食えないぞ」
「……わかってるよ。だから、来たんじゃん。『ごめん』って言いに」
ミスティアは、一度目を伏せると意を決したように、
「――この人たちはエサじゃないよ。ボクの……友達なんだ」
『ブ……ブゲイ!? ァアアアアアア!?(人間と、友? そんな、我らを導くのでは、なかったのかァアア!?)』
ドォオオオオ! と集落のオークたちの声が森を揺らし、怒号に驚いた小鳥たちが飛び立った。
「――まって! 違うよ、ボクは……その」
『ブギャァアアアァアアアアアア!?(そうだ、我らは空腹だ! だから、人間の家、襲う! 人間から奪う!)』
ミスティアの能力を超えた強い感情をオークたちが抱くと、その行動の制約を離れてしまうのだろう。
限界が近いことが傍目にもわかった。
「まって、お腹が空いているんだよね!? ボクと同じで、みんな、おなかが空いていて……。でも……! あのとき、オークのみんなは、お芋をくれたじゃん! 本当は、優しい、森の仲間たち、お願いだから、やめて……、おねがい」
ミスティアが涙ながらに叫んだ。
『ブギュルル……!(しかし……!)』
オークたちの希望。
それが黒き森の人、ミスティアだった。
森の恵みが失われ、飢えているオークたち。
それを救う神の御使いだと、信じられている。
「わかった。俺がなんとかする」
「ディ……さん?」
<つづく>




