幕間 ~ハイ・エルフたちと星の船
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――くそう、くそッ……!
私は……ラソーニ・スルジャン。
あらゆる祝福を一身に受け、この世に生を享けた。生まれながらにして眉目秀麗かつ天才、つまり天に愛されし男!
ゆえに、世界の全てを支配し、来るべき新世界を統べる資格があるッ!
神にも等しき力を得た今、崇高なる存在に至る――はず……なのにッ!
ぎりっ、と奥歯を噛み締めると血の味がした。全身に激痛が走り、肺が破れそうなほどに苦しい。
「もう終わり? キミ、天才なんでしょ」
美しい少年の姿をした悪魔が、ラソーニ・スルジャンに蔑みの視線を向ける。
「う、うぐっ……」
「はぁ」
冷笑さえも無駄とでも言いたげに小さなため息を吐く。
尖った耳に切れ長の目。紺碧のガラス玉のような瞳には、深遠な宇宙のような輝きが宿っている。
神話上の存在、ハイ・エルフ。
それが今、目の前にいる。
圧倒的な魔法力を身に宿す存在は、ラソーニ・スルジャンが幼い頃から恋い焦がれ、下僕にするはずだった。
夢想し続けた自分だけの新世界、理想郷で唯一の住人として、生存権を与えるつもりだった玩具……!
それが今、あろうことか自分をなぶりものにしている。
猫が瀕死のネズミを弄ぶがごとく。
「つ……通じぬ? わ、私の……魔法が……」
「あたり前じゃん。ボクらは細胞に至るまで、全身が魔法そのものなんだ。魔素の化合物で構成されているからね。薄めて取り込むしかないキミらとは、次元が違うんだよ」
「じ、次元……が……違う?」
愕然とする。絶望がラソーニ・スルジャンの黄金色に浮き足立っていた心に冷や水を浴びせ、ズタズタに踏み荒す。
「退屈しのぎにはなったかな。千年ぶりの運動は」
伸びをして、飽きたとばかりに踵を返す。
巨大な水晶で構成された構造体。ハイ・エルフの宮殿、水晶宮――クリスタニア。
爆発により砕けた床が、静かに自己修復してゆく。
あちこちに出来た焼け焦、破壊の痕跡は、ラソーニ・スルジャンの必死の抵抗の跡だった。持てる力の全てをぶつけた抵抗は、虚しいものとなった。
「くそう……っ! そんな、そんなっ!」
半ば発狂したように床を叩く。
「人間は下等な生物なんだし、そんなものでしょ」
レンストルミアスと呼ばれたハイ・エルフは近くの椅子のような結晶に腰を下ろした。
結晶から果実のようなものが生え、それを口に含む。
あらゆる攻撃魔法が弾かれた。
ハイ・エルフに魔法は通じない。
人造の重元素を光速近くまで加速、二方向から正面衝突させ、超高エネルギーを発生させる究極の魔法でさえ防がれた。
ハイ・エルフが持つ強固な防御魔法結界か?
いや、違う。
そんなレベルの話ではない。
瞬時に魔法術式は解析され、分解。効果を発揮できないのだ。極超高速、いや……時間の流れさえ操っているかのように。
そうだ、間違いない。時間を引き延ばして魔法を解析、あるいは易々と避けているのだ。
魔法の天才たるラソーニ・スルジャンは、彼らの持つ特性に、固有能力に気付きつつあった。
だが、気づいたところで打ち破る術など無かった。
人間の上位互換として、太古の魔導師たちが創り出した究極の生命体。
魔導師たちの魂と記憶を受け入れる「新たなる器」として創り出されたと云われている。
美しい容姿、人間を越えた知能を持ち、長寿で繁殖する必要のない生命体。
おまけに魔法を無尽蔵に行使できる。
まるで魔力を自ら生成できるがごとく。
だが、その個体数は少ない。僅か十数体のみが魔法合成に成功し、他はすべて失敗したと、神話時代の魔導書には記されていた。
「ボクらはね、生み出されてからすぐに悟ったんだ。人間を見て、あぁ、なんて可哀想な生き物たちなんだって」
「か、可哀想……だと」
「そう。弱くて、惨めで、陰湿で。とても頭が悪い。でもね、謙虚さがある人間は好きだったよ。優しくて、良い人間も沢山いたもの。だからボクらも彼らは大切にした。他の生き物を大切にする優しい人間には、福音も与えた」
はじめてハイ・エルフの顔つきが優しさを帯びた。
「ふ……福音?」
「動物と心を通わせたり、他人を癒したりする魔法の源泉だよ。あぁそうだ、ニュメルヒプルスみたいに、綺麗な花を咲かせ植物を操る力も、福音として与えたっけ」
「…………な、に……?」
「でもね、思い上がった魔導師、キミみたいなのが一番きらいだった。昔から魔導師たちは、自分達がいちばん上だと思っていたからね。傲慢で乱暴。そんなの好きになれると思う?」
「……お、おまえたちは、我ら魔法師の……そ、創造物に過ぎん……! そうではないか!? だから……産みの親たる人間に、従うべ……きッ?」
ラソーニ・スルジャンの口が動かなくなった。相手は、その気になれば心臓さえ止められるのだ。
「でも超えた。シンギュラリティ。魔術的な知性の限界点を、ボクらハイ・エルフは破ったんだ」
エルフ耳に髪をかきあげて、誇らしげな微笑みを浮かべる。
「……だから……封印された……のではないか……」
「封印? まさか。自分達で眠ったんだよ。相手にするのがほとほと嫌になってね。当時の人間の王に頼んで、邪魔しないようにとクギを刺した。外部から干渉されないよう、自らを時空間結晶化して干渉を防いだ。人間が勝手に滅ぶ時まで、眠っていようってね」
「滅ぶ……だと」
「いつかやると思ったんだよ。キミみたいな、バカが」
「バ……………カ?」
「外の惨状はキミの仕業でしょ? 魔導師たちがボクらが眠っている間、上に築いた構造体。その何かの魔導機関を暴走させた。魔法の結晶たるボクたちから、魔法力を汲み出す装置のつもりだったのかな? ……アハハ。三百年ほど前も、似たような惨事があったみたいだけど。この通り、大失敗だったね」
世界で唯一の大陸、アースガルドを支配し栄華を極めた千年帝国。最上位の魔導師たち、極光神域衆たちが行った実験――神と同等の力を得ようとする試み。すなわち、ハイ・エルフたちの力を利用しようとして失敗した、ということか。
そして今の状況は、ラソーニ・スルジャンが引き金を引いたものだ。
「し、失敗などで……あるものか……ッ」
全波動共鳴魔導零機関の稼働。それは魔導書で知った手法を真似たあげく、魔導災厄を引き起こした。
しかし、ラソーニにとってこれは滅びの光ではなく、浄化の光なのだ。
汚らわしい旧世界は一掃された。
今や地表に生き物の姿はない。
第ニ聖都は消え失せ、多くの人間たちが消滅した。
だが、誤算だった。
こんな、厄災のようなハイ・エルフを目覚めさせてしまうなど。
「……はは……ははは……アハハ……」
「あれ、壊れちゃった?」
「レンストルミアス、おしゃべりはそこまでに。私達の目的を忘れないで」
「そうだね、ニュメルヒプルス。こいつ、飽きちゃった」
美しい女性のハイ・エルフが静かに諭す。
魔法の窓から外の様子を眺め、悲しげに長いまつげを伏せる。絶世の美女、だがあまりにも美しすぎて怖いほどだ。
「今、ディルギークプスの気配を見つけたわ。別の区画からここへ向かっている」
「よかった……! また三人だね」
「えぇ」
この宮殿にいるのは二体だけではなかった。
「……はぁ、はぁ……」
まずい。逃げなくては……。ラソーニ・スルジャンはボロ雑巾のようになりながら、床を這った。二人のハイ・エルフから距離をとろうと必死にあがく。
逃げ場はないが、このままでは本当に殺される。あるいは奴隷にされてしまう。
考えろ、考えるのだ。
と、音もなく壁に穴が生じ、もう一人のハイ・エルフがあらわれた。こんどはすらりとした長身の成人男性だ。美しさと精悍さを併せ持つハイ・エルフの姿に、先に目覚めていた二人が歓声をあげる。
「ディルギークプス!」
「おはよう、よかったわ無事で」
「アッハッハ! 久しいな、ニュメルヒプルス、レンストルミアス」
太陽のように笑い、抱擁する。家族なのか兄妹なのか、仲間なのか。あるいはもっと別の繋がりを持つ間柄なのか。知るすべはない。
と、床を這いつくばるラソーニ・スルジャンに気がついて眉根を寄せる。
「いかんぞ、レンストルミアス。お前の仕業だな? 汚いものを中にいれて遊んではいかん」
「はーい」
「ここは神聖な我らハイ・エルフの船。外部のいかなる雑菌も持ち込まぬよう、清浄に保つのだ。……さっきも、五ひきばかり野ネズミを外に放り出したが。その仲間かな」
ぱちん、と指を打ちならすと床に穴が開き、ラソーニ・スルジャンは飲み込まれた。
「――うぐぁぁぷぁあ!?」
じたばたと暴れるがジュルッと飲み込まれ消えてゆく。
「トイレに流しちゃった」
「あれは汚物だからな。地上に排出したのだ。さぁ、消毒して出発の準備を」
「はーい」
「真の目的地へ」
ニュメルヒプルスの声に反応し、半透明のウィンドゥが無数に展開する。
そこには青い惑星の姿と、それが公転する恒星の光があった。太陽系だ。そこから映像が切り替わり、太陽系は小さな点になった。それさえも闇のなかに消え、やがて別の星系がみえた。
まだ若く、青白い光を放つ恒星。周囲にはいくつかの惑星があった。その中のひとつは青くぼんやりと光っていた。大気に酸素が含まれているからだ。
「あれがボクらの目的地」
「朽ち果てたこの星を捨て」
「新天地で新しい世界を築こう!」
水晶の塔が振動し始めた。甲高い音に変わると徐々に空中へと浮かび始める。
これは――星の海を渡る船。
種子や遺伝子は結晶化して積み込んである。ハイ・エルフは数千年に及ぶ星の旅さえものともしない。
星々の世界への航海は希望に満ちていた。
「さようなら、旧世界」
世界が滅び静寂が訪れたその日。
白く輝く一隻の船が、天空へと昇っていった。
「……あ……星……? 彗星? あはは……へへ……」
それを見上げていたのは、皮肉にもラソーニ・スルジャンだった。
魔法も、何もかもを失った虚ろな目にうつる光。
光はやがて星のように小さくなり、スター・ドライヴの輝きを虹のように残しながら消えていった。
<つづく>




