旅立ちと新たなる仲間 (★イラスト有り)
◇
「てめぇら、ちゃっちゃと綺麗にすんぞ!」
「がってん承知!」
甲板員たちが汚れたデッキを掃除してゆく。メルグ公爵の亡骸を川に流して水葬、毒液で汚れた甲板は、川の水を汲んでひたすら洗い流す。
「後始末までやることになるとは……」
「人手不足なんだ、文句をいうな」
「うぅ」
ディーユはデッキブラシで甲板を擦り、アイナが汲み上げたバケツの水をかけて洗い流す。そして枯れたひこばえは根本から鋸で挽いていく。
さっきまで死闘を繰り広げていた相手の残骸と、体液で汚れた甲板の清掃までするなど思ってもいなかった。
「よし! かなり綺麗になったな。いろいろとスッキリだ」
アイナが白い歯を見せて笑い、額の汗を拭う。
水面を渡る風が心地いい。
甲板掃除を手伝っていたディーユとアイナは同時に「うーん」と腰を伸ばす。
「スッキリしないこともまだあるがな」
振り返ると、後方に遠ざかりつつある第二聖都は異様な雰囲気を漂わせていた。
街のあちこちで黒煙が立ち昇り、上空に霧のように滞留している。特に異様なのは中心部の宮殿上空だ。そこには不気味な暗雲が垂れ込め、時おり紫色の雷光が光っている。
禍々しい魔力が凝縮していくような、そんな不吉な気配を漂わせている。
凶事の前触れだ。船乗りたちはそう言い合い、一刻も早く流域から離れたい様子だった。
「――進路そのまま、銀鱗推進減速、第七船速へ!」
船長が艦橋から叫ぶと、船はやや速度を落としながら水門を抜けた。第二聖都・アーカリプス・エンクロードを囲む運河を抜ける。
滔々とした流れの向こう岸はイスタリアス大公領、更にその先はディブリード・メルグ公爵領だ。
大河と運河を隔てる水門を通過すれば、そこは川幅三百メルテもあろうかという大河、メコノプス。何隻もの貨物船や客船が行き交う様子は、聖都の騒乱が嘘のように穏やかだった。水上交通路に来て正解だった。封鎖された陸路とは異なり、いつもと変わらぬ様子であることにホッとする。
「わぁ……!」
コロが船べりにつかまって、変わりゆく景色に瞳を輝かせた。栗色の髪の毛と耳が風に揺れている。
少し離れた場所には、アイナが連れてきた黒猫っぽい少女、ミゥがいた。同じように船べりに掴まり水面を眺めているが、そちらは魚でもいないか、という目付きだ。
「そういえば、この船は何処に向かうんだ?」
肝心なことを聞いていなかった。追放された身で成り行き任せ。まだ行き先も決めていないのだ。第二聖都で落ち着いて暮らせない以上、どこか知らない遠くの町にでも行きたい気分だが……。
「北の氷壁海を進み、ミーグ伯爵領へ向かっている」
「なんだ俺たちの故郷の近くじゃないか」
「まさかこんな形でディーユと里帰りとはな。結婚の報告みたいだな」
「笑えん冗談はよせ」
「……はっはっは!」
アイナは楽しそうだが、故郷となればいろいろと報告もせねばなるまい。ちょっと気が滅入るが、懐かしさの方が大きい。
船は最北端のエルモ岬を越えた先にある、ミーグ伯爵領へと向かっているという。ミーグ伯爵は先代の国王陛下の弟であり、マリア姫の叔父にあたる。あまり名所も名物もない小さな町と村がいくつかあるだけの比較的貧しい地域だが、隠れ住むにはもってこいだろう。
「錦の御旗を掲げて凱旋といこうじゃないか!」
「追放された四流魔法師に、都落ちした女騎士か……たいした凱旋だ」
「おい、都落ちなどと失礼なことを言うと許さんぞ! 一時的な戦略的撤退、転進作戦にすぎん」
ぐいぐいとディーユの横腹に拳をねじ込んでくる。子供の頃からの親愛の情を込めたツッコミらしい。
「わかったわかった、いちいち横腹をつつくな」
ところで疲れた。少し休みたい……。と思っているところに、犬耳少女のコロと黒猫少女のミゥがやってきた。
それぞれ茶色いヤシの実を二つずつ抱えている。飲み水代わりに船に積むココミノヤシの果実だ。
「ディーさん、これ、どうぞって」
「俺に? ありがとう、コロ」
「オレ……?」
一瞬、小さく首をかしげるコロ。
「あ、そうか『私』といっていたっけ……。宮廷にいるときの癖でね、お仕事のときは自分をそうよぶんだ。でも、こうして友達と話しているうちに『俺』に戻ってた」
コロに言われるまで意識していなかった。堅苦しい宮廷で気負いながら暮らし、周りに合わせようと頑張っていた。でも、それも終わりだ。もう気取らなくていい。そう思うと肩の荷が下りた気がした。
「そのほうが、すき」
「そうか」
頭を優しく撫でてやるとコロは横に寄り添ってきた。触れるか触れないか、微妙な距離感が安心するらしい。自分のココミノヤシを傾けて、こくこくと果汁を飲み始めた。
船べりに寄りかかりながら果汁を飲んで一息つく。
硬いココミノヤシの実は穴を開けると、中にほんのりと甘い果汁がつまっている。船旅や長旅には欠かせない貴重な飲み物だ。
――これも使えそうだな。
ココミノヤシの実の表面から繊維をむしり取ってポーチにいれておく。
「ししょー、これ草の味……」
「ミゥはココミノヤシを飲んだことがないのか?」
猫耳の少女が、べぇと顔をしかめながら頷く。
コロと同じぐらいの年だろうか。切れ長の猫目の光彩は綺麗なアメススト色を帯びている。体はやせっぽちだが、コロよりも野生児のような印象をうける。
「アイナはその子の師匠なのか?」
ディーユが尋ねると、誇らしげにミゥがぴんと耳をたてた。
「騎士の弟子なのにゃ」
「そうとも。私の危機を助けてくれたからな。勇気のある立派な子だ」
アイナは、がしっと大きな手でミゥの頭を撫でた。みゃぁと嬉しそうなようすが可愛い。
「黒猫の騎士見習いか」
コロがこちらを見上げていた。期待を込めた眼差しがキラキラと輝いている。
「コロも魔法使いの弟子になりたいか?」
「うんっ!」
「才能が見つかれば、なれるかもな」
「さいのう?」
「自分の中で光る何かだよ」
「ふーん?」
「ところで、お前たちはケンカでもしたのか?」
「うー……」
「……にゃぁ」
コロとミゥは互いに一瞬目を合わせたが、別の方を向いた。
何故か最初から苦手意識があるようだ。同族嫌悪なのか、犬猿いや犬猫の仲なのか。メルグ公爵と戦っている間、二人は物陰に隠れていたが、お互いに警戒しあっていたようだ。
「ま、そのうち打ち解けるさ」
「ご苦労さまです、皆さん」
そこへ、甲板に美しい姫が姿を現した。
「姫……!」
「お、おぉ……!?」
船員たちが慌てて隅に避けて道を開ける。
ディーユとアイナも素早く礼をして、片ひざを突こうとした。しかし「そのままで」とマリア姫は微笑まれた。
千年帝国第三王女マリアシュタット姫。アイナが忠誠を誓う主。王族の狩人装束に身を包み、プラチナブロンドの髪は編んで胸の方に垂らしている。それでも薫りたつような気品や輝くオーラは眩しいばかりだった。
後ろには先程一緒に戦ってくれた兵士三人に、どこかで見たようなCランクの若い魔法師が一人。それと執事服を着た初老の男が付き従っている。
「此度は、皆様のおかげで危機を脱することができました。本当に感謝いたします」
「姫……そんな、勿体ない」
アイナが恐縮する。
「私は故あって、王宮を出ることを決意しました。女王陛下の許しの無い許されざる旅路です。ミーグ伯爵領へと向かうこの船旅は困難なものになるかもしれません。そして皆様に再びあのような……危険な思いをさせてしまうかもしれません」
「構いません。どこまでもお供いたします」
アイナが宣言すると他の皆も納得したようすで頷いた。
しかしディーユは迷いがあった。
たまたま乗り合わせた船で、追放された王宮のそれも王族同士のいざこざの巻き添えなどなりたくない。御免被りたいという気持ちがくすぶっていた。
「……貴方は、魔法師の」
「ディーユです。もう王宮魔法師ではございませんが」
「存じ上げています。でも、王宮の庭園を美しく、花を絶やさぬようにと陰ながら努力してくださったこと、慎んで感謝申し上げます」
「姫、そんな……」
「ディーユ、マリア姫殿下はちゃんと知っていたぞ。お前が、心優しい魔法で、花を咲かせてくれたことを」
王宮の庭の植物を蘇らせたことか。
「別に、見ていられなかっただけです。マリア姫が、友人のアイナが……好きなライラックの花が枯れたと悲しむのを」
「ディーユ」
「素敵です! 花や草は、人の心を癒し。ときに闇に汚れた魂さえも浄化します。あぁ、ディーユ。私と共にきてくださいませんか?」
マリア姫が静かに手をさしのべた。
ディーユはどうするべきか悩んでいた。
「……痛ッ」
だから脇腹をつつくな。
そうだな。乗りかけた船だ。他にあてもない。それにアイナもいる。
「私のような非力な魔法が、どこまでお役に立てるかわかりませんが……。慎んでお受けいたします。お供させていただきます」
ディーユは儀礼作法に従い礼をした。
「嬉しい、ありがとうディーユ」
「はい」
「ということは、お供の子供達もいっしょね! 嬉しいわ」
マリア姫は嬉しそうに微笑むと、アイナと視線を交わす。
「よかったですね! ディーユさん!」
Cランクの魔法師の姿をした男が話しかけてきた。
「誰……でしたっけ?」
「えぇ?! ひどい! 忘れちゃったんですか? ボクですよ、ほら、ギルドの討伐戦で一緒だった」
緑っぽい髪に人懐っこい表情。
はて?
記憶にない。
ギルドからの依頼で魔物討伐など、嫌がらせも兼ねてあちこちに行っていたので、全部覚えていない。
「コホン、雷撃の魔法師! 稲妻の使い手……」
すちゃっとポーズをとってキメ顔をする。
「あ、思い出した! 二年前の討伐戦で一緒だった」
「ライクルですよ! 思い出しました?」
「あぁ、思い出したよ。あのときの」
確か、最悪の仲間だった。
怯えて使い物にならなかった男だ。Cランクの魔法師は最前線に送り込まれて実戦経験豊富な猛者が多い。だがこの男、ライクルは怯えて隠れて、何の役にもたたなかった。
すべての魔物を討伐し終えた帰り道になってようやく元気になり、「気持ちの整理がつきました!」といって放って見せたのが雷撃の魔法だった。
すさまじい威力で大木が真っ二つに割れていた。
「……なんでさっき助けてくれなかった?」
つい責めるような口調になってしまった。
「あっ、いや、その……。使う場面が、無かったといいますか。ほら! ボクの電撃って周りに影響大きいですし、船の上ですから危ないかなーと」
「はぁ……」
「そんなため息つかないで!?」
やれやれだ。
「さぁ! ここからは堅苦しいことは抜きです。旅は道連れ世は情け、みんな仲間ということで、船旅を楽しみましょう!」
えいっ!
とマリア姫が拳を振り上げた。
「おぉ!」
アイナにつられて俺もみんなも拳を振り上げる。
「切り替えが早いなぁ」
「そこが姫のいいところさ」
何はともあれ――
ディーユたちの旅は、今始まったばかりだった。
<第一章完 二章につづく!>




