再会 ~運命という名の腐れ縁
【作者より】
アイナとミゥ、マリア姫、そしてディーユたちへ……と場面と視点が変化します。
アイナの危機を救ったのは、猫耳族の少女ミゥだった。
「にゃっと」
「ミゥ……!」
肩までの長さの紫がかった黒髪と、ピンと立った猫耳が印象的な、メルグ公爵の奴隷少女――。
しなやかな動きで宙返りをし、アイナの横に並び立つ。
袖なしの上着と、ヒザ下から足首までを守るスパッツ姿。動きやすさを重視した衣装は、幽閉されていた塔で見つけたものだ。本来は少年従者が身に着ける狩猟用だが、よく似合っている。
「ヌガァッ! 目が、顔が、頭がァア!?」
メルグ公爵は甲板を転げ回るように悶絶している。
ミゥの放った強烈なカカト落としに顔面蹴り、おまけに眼球を爪で引っかくという三連コンボ攻撃は見事だった。余程、溜め込んでいた積年の恨みがあったのだろう。
「あいつは主人じゃなかったのか?」
「もう違う! もともと違う、キライ、大キライ! 痛いことばかり、酷いことばかりした」
ミゥの言葉通り、着替える時に見た痩せ細った身体には、無数の傷や痣があった。塔に幽閉されている間、アイナやマリア姫に語ってくれたのは、食事もロクに与えられず、汚れた指を舐める役目を強要され、拒否すると殴られ続けたという事だった。食事も、メルグ公爵がわざと床に食い散らかした残飯を、這いつくばって食べることしか許されなかった。聞くに堪えない酷い扱いだった。
だからマリアシュタット姫はミゥに言った
「私と共に逃げましょう」と。
逃げることは恥ではない。尊厳と誇り、そして命を失わぬため、必要なら逃げてもいいのだ、と。
ミゥは黙って姫の言葉を聞いていた。
アイナはミゥに向き合うと、片膝をつく。
同じ目線で語りかける。
「ありがとうミゥ。おかげで命拾いをした。私、騎士アイナはこの恩を忘れない」
「……アイナ?」
「君の心意気、勇気に敬意を表する。だからどうだろう。私の、騎士の見習いにならないか?」
「騎士、みならい?」
そっと、返り血で汚れた頬をなぞる。
「そうだ。今からミゥは、誇り高きマリアシュタット姫の騎士、私の……仲間だ!」
ミゥが紫紺色の瞳をキラキラと輝かせ、切れ長の目を見開いた。そして頷く。
「うんっ! 仲間……!」
アイナは微笑むと立ち上がり、再び険しい表情で剣を構えた。傷を回復させつつあるメルグ公爵と対峙する。
「では、共に戦おう! ミゥはヤツの気を引くだけでいい」
「にゃっ、まかせて」
「ンガアァアア!? おのれ、くぉの、恩知らずのクソゴミ猫がぁあ……! 拾ってやった恩も忘れ、裏切るかァァア! もういい、殺すゥウ!」
「こんな子供相手に恥ずかしくないのか! その傷の痛みなど、ミゥの痛みの何十分の一にもならぬはずだ!」
「ハァア? 痛みぃ? だってボクぁもう、痛ぁく、なぁあいもぉん……ヒャハハ!」
ディブリード・メルグ公爵が、両手をぱっと顔から離し笑い声をあげた。
傷は再生されていたが更に醜く歪んでいた。眼球は左右別々の方を向き、長い舌がだらりと口から垂れ下がっている。
もはや人間離れした怪物顔に敵意を漲らせ、アイナとミゥのほうを向く。
「怖いにゃ」
「あれはもう怪物だ」
「オマエが言うなァ! 顔にィ……醜い傷のあるメス騎士など、良くもまぁ、生きていて恥ずかしくないものだ、なぁァアッ!?」
「その言葉、そっくり貴様に返す」
「ぬかせしゃぁらぁああ!」
メルグ公爵の両腕が瞬時に伸び、手刀がアイナとミゥに襲いかかった。槍のように向かってくる突きは、五メルテの間合いさえものともしない。狙いも正確性が増している。
「んにゃっ!」
ミゥを狙って放たれた左腕は、俊敏な猫耳少女が避け、真下から蹴り上げて軌道をそらす。
「同じ手は食わぬ!」
アイナも冷静に動きを見切り、右腕を斬り払った。切断された腕が宙を舞い、運河に落下し水しぶきをあげた。
「ンギャッ!?」
気がつくと船は運河を確実に進んでいた。
城は後方に遠ざかり、貴族たちが暮らす中心街を貫く運河を渡りつつあった。
その外側に広がる庶民の街、さらに貧民街を抜ければ、あとは大河メコノプスへと至る。
貨物船とすれ違うと甲板上で繰り広げられる異形との戦いに驚き、指差し、騒ぐ声が聞こえた。
「腕ギャァアア!? なぁんんて。これも痛……くなぁああい!? フヒヒ、わかってきたぁ、今のボクはぁあ無敵ッ! 無敵なのだァア!」
切断された右腕の断面がブクブクと黒く泡立つと、じゅるりと不気味な腕が再生した。
「にぎゃっ? きもちわるい」
「おのれ……!」
濁魔という呪いじみた魔法の力。
これがAランク魔法師の力なのか……。
メルグ公爵が再び攻撃。今度は自らも動きアイナたちを追いかけ、肉薄する。
「ブヒャッ!」
「くっ!?」
変則的な鞭のような攻撃を避け、剣で腕や身体を斬りつけるが、瞬時に再生する。
――再生の速度が上がっている!?
「いい……! 気持ちィイ!」
もはや痛みさえ感じていないのか、恍惚としている。
メルグ公爵の肉体も更に変化していた。全体的に歪み、大きくなり、全身が黒く変色しつつあった。体のあちこちに千切れた貴族服がぶら下がっている。異様な変化を目の当たりに、アイナは戦いが長引けば此方が不利になると判断する。
「はあっ、はぁっ……くそ」
アイナの息も上がりつつあった。猫耳の少女ミゥが素早い動きでメルグ公爵の目の前を駆け抜けて撹乱、気を引きつけてくれなかったら、攻撃はアイナに集中していただろう。
――このままでは……!
魔法の助けが必要だった。
強い炎か、爆裂か。
いや、ディーユがいてくれたら、あんなヤツの動きなど、簡単に封じてくれるのに。
咄嗟に脳裏に浮かんだのは、幼馴染にして親友の魔法師ディーユの顔だった。かつて共に戦った魔物の討伐戦では、蔓草で魔物の動きを封じ、仲間の攻撃を支援してくれた事もある。
――っと、居ないヤツに期待してどうする。
思わず苦笑して首を横に振るアイナ。
彼はいつもアイナを気遣ってくれた。
城内の噂で追放されたと聞いて驚いたが……。
挨拶に来ることなく城から姿を消した。最後に会って言葉を交わしたかったが、余程の事情があったのだろう。あるいは近衛騎士であるアイナに迷惑がかかると、接触を避けたのかもしれない。
まぁ、心配などしていない。
ディーユはああ見えて、芯の強い男だ。
子供の頃からそうだった。そのうちまた会える。
どこにいようと……きっと。
しかし、感慨に耽っている時ではなかった。
「ミゥ、すまないが作戦変更だ。応援を、誰か魔法師を呼んできてほしい。たしか一人乗り込んでいたはずだ」
「わかったにゃ」
メルグ公爵の攻撃を引き付けつつ、ミゥを後方に下げる。
「次で決める……!」
あの怪物を倒すには一撃で、仕留めることだ。
確実なスキを作り、首を切り落とすしかない――!
◇
騎士アイナが甲板上で戦っている音が響いてくる。
甲板下の船室に押し込められたマリアシュタット姫は、いてもたってもいられなかった。
「私も出ます……!」
「いっ、いけませんマリア姫、どうか自重を!」
「我らは姫をここでお守りしろと、仰せつかっているのでございます!」
城からの脱出を手引きした若い兵士と痩せた中年の兵士が困惑し、姫が船室から出ていこうとするのをなんとか押し留める。
船室は貨物船にしては綺麗で上質なものだった。もともとが貴族の所有物なので、こうした部屋があったのだろう。豪華な客船とまではいかないが必要な調度品が備えられている。
マリアシュタット姫には他にも、少年従者セイカと、少し年上の侍女チエスが付き従っていた。二人も慌てた様子で姫をいさめにかかる。
「ダメですか?」
「おねがいですっ」
「私たちが叱られます……」
船室の外、甲板に通じる通路と階段には武装した兵士数名と、魔法師ディーユと交友があったというCランクの若い王宮魔法師ルセイユが守りを固めていた。
「私の大切な騎士がピンチなのです! こうしてはいられませんっ」
星球武器――モーニングスターを手に、むーっと鼻息を荒くする。狩猟装備に身を固めたマリア姫は、いつにも増しておてんばだった。
「し、しかし姫! 犠牲を出さぬためにとアイナ様がお一人で迎撃に向かわれたのです。ジョルジュ殿も我らには決死の覚悟で姫をお守りするようにと、命じられたのですから、その……」
「というか、私もあの公爵にガツンと一発、お返しをしてやりたいのです……っ! ミゥのような子供に酷いことをした罰を、与えてやらねば気がすみませんっ!」
トゲのついた鉄球を振り下ろすと、重さに負けて足元の床板にドシンと突き刺さった。
兵士たちは顔を見合わせ、いくらなんでもと青ざめた。
「な、ならば我らが戦いに向かいますから、ご命令を!」
「その武器もお渡しください、ワシらが姫の想いを確実に、あの公爵めの脳天に届けてまいります故……!」
「……もうっ! では任せました。廊下で震えている魔法師も一緒に連れてお行きなさい!」
「「はっ!」」
慌てて出ていく兵士たち。
廊下からは「えーっ? 僕も行くんですか!?」というルセイユの情けない声が聞こえてきた。
◇
◇
◇
ディーユは困り果てていた。
なかなか乗せてもらえる船が見つからない。船着き場に停泊中の船は何隻もいない、順番にあたってみたがどこも断られてしまう。
働き手は募集していたが、見るからに荷運びに向かなそうなディーユと、痩せて傷だらけの犬耳半獣人など、雇ってくれないのだ。
そんなディーユとコロを尻目に、船着き場では屈強な体つきの男が契約成立。さっそく大きな荷物を軽々と抱え、船に向かって歩いていく。
「兄さんだけなら清掃夫として、乗せてもいいんだが。……そっちがねぇ……」
担当の船員はコロに視線を向ける。
「この子は立派に働けます、掃除でもなんでも」
「いや、うちは客船だから……。最近じゃ船主ギルドも奴隷運搬には厳しくてね」
「……わかりました。無理をいってすみません」
裏では奴隷として都合よく使い捨て、そのくせ綺麗事を並べ立てる。腹立たしいがどうすることもできない。誰も彼も自分の立場を守ることで手一杯なのだ。
「……ごめんね。わたしがいるせいで」
「コロのせいじゃないよ」
「でも……」
「大丈夫」
しゅんとするコロ。栗色の髪を優しく撫でてやる。
不思議とこうすることでディーユ自身、心が穏やかに落ち着くことに気がついた。
ディーユとコロは船着き場を抜け、埠頭の先にやってきた。街の騒動などは無縁とばかりに、老人がのんびり釣糸を垂らしている。
水面がキラキラと陽光を反射している。暗雲が垂れ込めているが、雲間から光が差しているのだ。
「なんとかなるさ。そうだ、川沿いに歩いていこう。天気もよくなりそうだし、散歩しよう」
「うんっ!」
「魔法の触媒も手にはいるし」
「ふーん……?」
ディーユは軽やかに進むコロを追いながら、河川敷に落ちている小枝や種などを拾っては腰のポーチに入れた。
と、コロが不意に立ち止まった。
空を見上げて、鼻をすんすんと鳴らす。
何かを嗅いでいるように、静かに後ろを振り返る。
「どうした?」
雨でも降るのだろうか。
「すごく……嫌な、怖い臭いがする」
「何か、来るのかい?」
ディーユがコロの視線を追うと、後ろから一隻の貨物船が運河を進んできた。さっきの船着き場には立ち寄らず、通りすぎるようだ。
何やら船着き場が騒がしくなった。船員や作業員たちが貨物船を指差し、何か叫んでいる。
「うん、でも……不思議。ディーさんと同じ、ううん、とても似た匂いも近づいてくるの」
「似た……匂い?」
「うん」
貨物船が近づいてきた。
と、得体の知れない黒い化け物が暴れ、誰かが甲板で戦っていた。青みがかった髪をポニーテールに結った女騎士が、必死に剣で化け物に挑んでいる。しかし怪物は腕を何本も生やし、女騎士を追い詰める――
「……って、アイナ!?」
ディーユは思わず叫んでいた。
その声は甲板上のアイナにも届いた。
「はっ? えっ? ディ……ディーユ!?」
女騎士は驚いた様子で、目を瞬かせた。
「何やってんだー? すごい注目されるぞー」
のんびりとした調子でディーユが手をふり、声をかける。
「化物退治だよっ! 見てわかるだろ!?」
ガギィン! と剣で攻撃を弾き返す。
「ははは、騎士は忙しいなぁ」
「見てないでお前も手伝えぇーっ!」
<つづく>




