それぞれの脱出
◇
「お世話になりました」
「ごはん、おいしかった、です。ベッドも、いっぱい、フカフカで、うれしくて……」
コロは一生懸命伝えると、笑顔でぺこりと頭を下げた。尻尾がぱたぱた左右に揺れている。
「おやまぁ、こっちまで嬉しくなっちまうねぇ」
宿の女将さんもコロの心からの言葉に嬉しそうに頬を緩めた。
コロは飯を食い、一晩ゆっくり眠ったおかげか表情も顔色も良くなった。とはいえ殴られた痕や腕のアザは癒えていない。
「怪我は……痛くないかい?」
食堂兼宿屋の女将さんが、心配そうにコロの頭をなでる。髪も整えてもらってだいぶ小綺麗になった。
「……ん、だいじょうぶ。ディーさまが良くしてくれたから」
「そうかい、優しいご主人様にもらわれて、よかったね」
「うん!」
コロの腕や足には古着の切れ端が包帯代わりに巻かれている。昨夜、ディーユは持ち歩いていた乾燥薬草を『枯死再想』で生薬に変え、傷の化膿止めとして塗りこんだ。
幼馴染みのアイナの傷を治したい一心で魔法師になっても、結局だれかを癒す魔法は身につかなかった。
こんな小さな少女の傷さえ癒せない。
何が魔法師だ……。
王宮には治癒や病を治す専門の魔法師たちもいた。彼らの治療を受ければすぐに治るだろうが……自分の無力さが情けない。
王城を見ると不気味な暗雲が垂れ込めていた。ゴロゴロと雷鳴が轟き、不穏な気配がする。
――なんだ? この……圧迫感は。
魔力?
雷鳴が轟く。ディーユたちの見ている前で紫色の稲光が神聖教会の鐘塔に落雷。屋根を打ち砕いた。
「きゃぅ!?」
「コロ、大丈夫だ」
幸い距離は離れていた。
「うぅ……怖い、へんな……臭い……」
コロはディーユの腰にぎゅっとしがみついたまま怯えている。
「臭い?」
「……ん。お城から……変な感じがするの」
「城から……?」
ハッとする。
コロの直感は、臭いあるいは匂いとして、何かを感じる力があるのかもしれない。
思い返せば宿と飯にありつけたのもコロが「いい匂いがする」と路地裏を指差したからだ。食堂なら他にもあったのに……。
静かにコロの瞳をみつめ、優しく頬をなでる。
「心配ない、ここから離れよう」
「……ん」
邪悪で胸騒ぎのする気配。
明らかに膨大な魔力が王宮から溢れている。一体、何が起こっている?
確かめる術などないが、ただならぬ異変が起きている。
それだけは察することができた。
「王都を出るだろ? 気をつけてな、訳ありの兄ぃさんたち」
気がつくと店主と奥さんは、ディーユたちを見送りつつ自分達も身支度を整えていた。
「旅の支度……ですか?」
「あぁ実は昨夜よ、街の商店主ギルドからの話ああってな。街を出ることにしたんだ。商店があちこちで暴徒に襲われたって。ったく、この国はどうなっちまったんだか」
店主は眉間にシワを寄せ舌打ちをした。
「あたいらも街を出て、故郷にしばらく引っ込もうと思ってね」
「そうですか。お二人もお気をつけて」
「あぁ!」
「元気でね、お嬢ちゃん」
「……ばいばい」
ディーユとコロは食堂兼ヤミ宿屋の主人と女将さんに礼を言い『五つ星亭』を後にした。
街の治安は刻々と悪化している。
大きな荷物を抱え、子供を抱き、朝から殺気だった雰囲気の人々が大通りを行き来している。
「こわい……」
「手を離すなよ」
ぎゅっと腕にしがみつき歩くコロ。
早朝だというのに表通りが騒がしい。裏路地の隙間から見えた表通りで馬車同士が衝突し、主たちが怒鳴り合う声だった。街から脱出しようというのか、荷物を山のように積んだ馬車が次々と行き交っている。
「聞いたか、城で……」
「反逆じゃねぇか! 魔法師の」
「しっ! 異を唱えたガリレウス侯爵が粛清されたそうだ」
「女皇陛下は何を……」
「骨抜きらしいぜ、もうこの国は……」
「……嘘だろ、一体……」
街角では衛兵たちが争乱を鎮めることもできず、強張った表情で話している。通り過ぎざまに聞き耳を立ててみると、王城で何か異変があったようだ。
街の雰囲気もかなり切迫している。
昨日コロと出会った路地裏の色街あたりから黒煙が上っている。
「……どこへ……いくの?」
コロは不安げにディーユを横から見上げた。
縋るように寄り添って歩き手を握って離さない。捨てられたくない、置いていかれたくない、そんな気持ちが伝わってくる。
「今から運河ヘ向かう。そこで船をみつけて街を出る。船で運河を下り、川に出て海へ。そう……俺の故郷に向かうのさ」
「ディーさんの、こきょう? おうち?」
小首をかしげ、犬耳を動かすコロ。
「あぁ、生まれた家がある」
孤児院だが、小屋でもなんでも住むところは新しく見つければいい。
ここよりずっとマシなはずだから。
「……コロも行っていい?」
出会ったばかりの、素性も知れぬディーユが唯一の頼れる大人なのだ。
信頼してくれるのは嬉しいが、その健気さをい不憫にさえ思う。
「もちろんだ一緒に行こう」
「……うん」
夕べコロにつてはいくつかわかったことがある。親についてコロは「知らない」という。聖堂教会が慈善事業の名目で運営する孤児院――実際は劣悪な環境で使い捨ての労働力を育成する場所――でしばらく育てられ十歳になったとき神父によって売春宿の下働きとして売られたようだ。
聖人でも救世主でもないディーユは、不幸な身の上の子供を全員救いたいが、そんな力はない。
だが、コロとの出会いは何かの運命、このいくそったれな世界に神がいるのなら、お導きなのだろう。
不運続きのディーユにとって、コロとの出会は運命のターニングポイント。運命の風向きが変わった、とでも言うべきか。
コロの鼻のおかげで裏路地の食堂を見つけた。
コロの素直な心が店主と奥さんの警戒心を解き、一夜の宿を得ることが出来た。
そこで得られた情報により、運河から聖都を脱出するという道を知った。
「そうだ、旅の準備をしよう」
「……じゅんび?」
街は朝だといいうのに物々しい。
店は品薄で、食料品はどこも空だ。
とにかく品物がない。奪い合いや怒鳴りあう声があちこちで響く。
残っていた金は僅かだったが、出来る限り旅の装束を揃えることにする。
露地裏の奥で怪しげな露天商が安い盗品を売っているのを狙う。どれも二束三文で買えるが、売っていた中古のリュックに、適当な日用品をまとめ買いして詰め込んだ。
――盗品か……。
だが四の五のいっていられない。
風よけの外套とコロの靴も買う。
品物を路地裏の男から買い取り、次の通りへと向かう。わずか二分後のこと、
「……ディーさん、嫌な感じ……」
「ん?」
「あんちゃん、悪ぃが金目の物出しな」
「犬のメスガキを置いていっても構わねぇぜ、ヒャヒャ」
人混みを避け、裏路地を出ようとしたときだった。ガラの悪い男たちにゆく手を阻まれた。ナイフと棍棒を手にした三人組。前に二人、後ろに一人。
「………ディーさん……」
コロが息を飲む。
「そういうカラクリか」
驚くというよりも、呆れた。
怪しげな露天商たちと強盗はグルなのだ。白昼堂々に強盗とは仕事熱心で恐れ入る。
もう言葉さえ交わす必要もない。
「どいてくれ、先を急いでいる」
「あぁ!? 聞こえなかったのかお前ッ! さっさと……金あ”ッ!?」
強盗が悲鳴を上げた。
「な、なんじゃあ!? とっ取れねぇ、ぎゃぁあ」
「痛ぇッ! ナイフから……根が……根がはえ、はぇええぁあああ!?」
強盗どもが握っていたナイフの柄や棍棒から根を生やした。
「その根は骨まで達するぞ」
枯死再想。
相手が近づけば魔法力の影響も強まる。
距離2メル以内なら一瞬だ。
急速に根を生やすことで皮膚を食い破り、肉を貫き、骨に絡みつく。その激痛に強盗どもが悲鳴を上げ、地面を転げ回る。
「あぎゃああっ!? な、なんだこれ……地面にッ……腕がッ」
強盗の腕は地面に固定された。貫通した根が地面に根を下ろしたのだ。生きたまま地面に縛り付ける。
厄介なのは素手で殴りかかられる、あるいは全て金属製の武器で攻撃された場合だが、柄や鞘には木材や植物性の繊維が必ず使われている。それを『枯死再想』で活性化、相手の動きを封じ戦闘不能にすることができる。
「て、てめぇ……魔法師……か」
こんな輩には言葉さえ必要ない。
容赦しない。コロを守り、聖都を脱出すると決めたのだから。
「……行こう、コロ」
「んっ」
小さな肩を抱き寄せ再び歩き出す。
うめき声を上げながら倒れて苦しむ強盗を踏み越え、裏路地を出た。
昼前にようやく運河に着いた。
街の建物が途切れ、運河が目の前に広がっていた。青い空の下、やや濁った緑色の水がゆったりと流れている。
幅は十五メルほどの運河の支流。陸路と並んで物流を支える重要なインフラだ。
「このあたりは、まだ静かだな」
「……お魚、美味しそう」
コロが橋の欄干から水面を見つめている。
「それは捕まえられないよ」
「……うー?」
残念そうなコロに苦笑しつつ、辺りの様子を窺う。
緊迫した気配もまだここまでは及んでいない。
街の喧騒や騒ぎは遠くから聞こえてくる。人々は目の前の略奪や買い出しで忙しく、誰も運河など気にしていないのだろう。
宿屋の主人と女将さんに感謝だ。
船着き場に向かうと何隻もの渡し船や、客船が運河岸に横付けされていた。
ディーユの狙いは、無料で乗れる運河輸送船だ。労働を提供する代わりに、どこも人手不足で引く手数多だという。実際、船の前には『運搬作業員募集、食事提供』とある。賃金を払うとは言っていないところがミソだ。
「力仕事が苦手だが……仕方ない」
「……コロもはたらく!」
◆
北の塔、マリアシュタット姫が幽閉された塔。
唯一の入口の外で物音がして鍵が外れ、そして扉が押し開かれた。
「マリア姫は私がお守りいたします」
アイナは緊張の面持ちで、マリアシュタット姫を守っていた。
「姫、少々予定が早まりました」
現れたのは、老執事長ジョルジュだった。
黒くシンプルな礼服を身に着け、手には鍵をもち、後ろには衛兵が二人いる。
「貴公か!」
アイナは老紳士の顔を見てホッと肩をなでおろした。
「まぁジョルジュ……!」
旅装束のマリアシュタット姫も小さく手を打ち鳴らした。
「この塔の鍵を手に入れられたとは。予定が早まったとは?」
近衛騎士アイナがジョルジュに尋ねた。
「魔法師達の一部が反乱を起こしました。ラソーニ・スルジャンに異を唱える長老派と支持する者たちが、手下のA級魔法師ども戦闘になっております」
「なんだって!?」
ズン……! と衝撃が城を揺らした。
階下で戦闘が行われている。剣戟と怒号、魔法と魔法がぶつかっている。
「この混乱に乗じ、脱出を」
「戦っている彼らを見殺しにしろと?」
アイナは悔しそうに拳を握りしめた。ジョルジュは首を横に振った。
「仕方ないのです。我々が加勢したところで状況は変わりません」
「女皇陛下とラソーニ・スルジャンは城内を掌握しているのです。戦力差が大きすぎます。長老派が粛清されるのも時間の問題でしょう」
「くっ!」
城から脱出するしかマリア姫の安全は確保できない。
「この混乱に乗じて脱出を。アイナ殿はマリア姫を、どうかお守りください」
「わかった。参りましょう、マリア姫」
「はいっ、ジョルジュもいっしょに! あなた達もありがとう」
ジョルジュと衛兵たちに礼を言うと、塔の階段を下る。途中で何人か、魔法師と衛兵が倒れていたが、ジョルジュの仕業だろう。
螺旋階段を下り、途中から細く暗い通路に入り込む。
そこからは梯子が延々と暗闇の底に続いている。
「ここは?」
「太古の魔法昇降機の遺跡です。下れば城の裏手、荷降ろし用の船着き場です。そのまま待機している船へ」
ジョルジュは全て手配済みのようだった。
「姫、私が先に降ります、次に姫が」
「平気です、これくらい」
アイナにつづき、ひょいっと降り始めるマリア姫。
二十メルテほど梯子を降りると、船着き場の横の集積場の上に出た。荷物がピラミッドのように積み重なっているのでそれをたどって降り、身を隠す。
船着き場には小さな船が数艘、大きな貨客船が一隻停泊していた。
全長三十メルもある木製の大型船だ。掲げられている旗は、ミーグ伯爵領のもの。荷降ろしを終え、故郷に向けて帰路につくところのようだ。
と、船の横に居た若い兵士と緑マントの魔法師が一人、こちらに気がついた。
剣に手をかけ身構えるアイナを、二人は身振りで「まて」と押し止めた。
「お待ちしておりました、我らはミーグ伯爵の……」
「ジョルジュ殿、アイナ殿、話は聞いております、姫とお早く船へ」
「感謝いたします!」
急ぎ船に乗り込むと、ミーグ伯爵の陪臣だという年老いた貴族が出迎え、マリアシュタット姫一行を受け入れてくれた。
ここまでは順調だった。
緊迫した脱出劇は、船さえ出てしまえばひとまず終わる。城内の騒ぎが徐々に裏手の船着き場へと近づいてくる。
「急げ、出港……!」
「んっ……あれは?」
その時だった。
船着き場を見下ろす城の裏手のバルコニーに、一人の人物が姿を見せた。
でっぷりと肥え太った樽のような男。
「ディブリード・メルグ公爵……!?」
「んん、姫ぇ、マリア姫ぇええ、どこに行こうというのですか、なぁ……?」
ニタァアア、と下卑た笑みを浮かべる。
治療を受けていたはずではなかったか?
だが傷の上には赤黒い、何かがべったりと張り付いている。
「んん、姫ぇ、マリア姫ぇええ、どこに行こうというのですか、なぁ……?」
「なっ!?」
ボコ……ボコボコとディブリード・メルグ公爵の腹部で何かが蠢いた。
網目のような赤黒い根が、腹から胸、頸、顔へと広がり顔が狂気に彩られてゆく。
「にぃいい……がぁ……しいませんよぉおお? ボクのマリア姫ぇえええ、ゲヒゲヒゲヒ……!」
<つづく>
【作者より】
王都脱出編いよいよ佳境、
次回、迫りくるしメルグ公爵の魔の手……!
「ジェルジュとアイナの戦い」おたのしみに!
次回も読んでいただけたら幸いです。
では★




