21章 人喰らいの獄釜組
21章 人喰らいの獄釜組
チャイムの音がした。
蛇塚組所有のアパート、3階。
犬養と雪白の部屋。
雪白は対応せず、部屋の隅でじっとしている。
犬養や知っている人間でなければ出てはいけないと言われている。
来客が帰るのを雪白は黙って待っている。
「雪白君」
「兄さん!?」
聞き慣れた声がドアの向こう側から聞こえた。
月影に似た声。
来客に動きはない。
雪白はドアスコープから外を見る。
「……?」
誰も居ない。
チェーンを付けたままドアを開ける。
下に降りる階段が見える。
ひらり、と黒いコートの裾が階段を降りるのが見えた。
「……」
味も素っ気もない、ただの黒いコートだ。
その筈だ。
防寒具を着込む。
アパートの階段を降りるだけ。
雪白は戸締まりをして、部屋を出た。
●
獄釜組の事務所。
山の麓にある、何の変哲も無い斎場だ。
獄釜組は組葬専用の組織だ。
抗争で死んだ組員は火葬された後、組葬で送られる。
昨今、暴対法の規制により、堂々と組葬は執り行えなくなってしまった。
だが、私有地の中ならば問題は無い。
獄釜組は組葬を執り行いたい組に山の中を貸している。
この斎場、山全てが獄釜組の持ち物だ。
八瀬は1人で事務所のドアを開ける。
「あれ、八瀬の叔父貴。どうしました」
「鬼門達は戻ってないか」
「……」
夜勤であろう組員が八瀬の姿を見て立ち上がる。
突然の質問に面食らったのか、組員が目を瞬かせた。
「カシラ達なら」
そう言って組員がちら、と奥を見た。
八瀬の視線がそちらに釣られる。
風を切る音がするのと、ぐぅ、と蛙が潰れたような声がしたのは同時だ。
八瀬の拳が組員の鳩尾を打った。
「……山奥の廃寺か?」
「はい……」
咳き込む組員を見下ろしながら問うと、あっさりと答えた。
麓に事務所があり、中腹に廃墟や廃村、そしてその先に廃寺がある。
そこまで来いという事だろう。
八瀬自身も、あまり立ち入った事が無い場所だ。
「悪いな、兄貴からは例え何があっても織を守れと言われてる」
そう言って八瀬は事務所を出る。
外で待たせていた蛇塚組達と山奥へと向かう。
真っ赤な月が輝きを増していた。
●
臓器移植を受けた患者の性格が変わるという話は有名だ。
元の臓器の持ち主と同じ趣味を持ったり、食べ物の趣味が変わったり。
原因は不明だ。
過酷な手術故に体質が変わったとか、魂が宿っているとか、色々と言われている。
素晴らしい。
ならば、月影の臓器を自分に入れれば、月影は永遠に自分の所から離れない。
鬼門はテーブルの上にあったワインボトルを叩き割る。
もう不味い肉を食う必要は無い、下げ膳は全て自分の物だ。
「あはは、あはははははは!」
●
藪から鬼が出た。
最初に死んだのは蛇塚組の組員だ。
銃も持たない獄釜組の組員に喉笛を噛み千切られ、死体が更に食い荒らされる。
銃声。
蜘蛛の子を散らすように鬼が木々の間に隠れる。
平然とした表情で蛇塚が本堂を見た。
「趣味の悪い殺し方や」
「銃刀法に引っ掛からない為にはこうするしか無いでしょう?」
扉がぎぃ、と耳障りな音を立て、鬼門が中から出てきた。
銃を構えた有侠を檻原が制する。
「まぁ待て。ワシら何も聞かされてへんぞ。先生の息子をアイツが面倒見てた事すらな」
「……」
檻原の言葉に鬼門が顎に手を当て少しだけ考え込む。
「事件が起きる少し前から、先生達は親父に織を預けていました。海外で個展を開く予定だったそうで」
淡々と鬼門が続ける。
「だが2人は帰って来ず、我々は残された美術品を売り織を育てた」
鬼門の顔に飽きの表情が現れる。
「これ以上、必要で?」
「いや、もうええ」
檻原の声と同時に鬼門が物陰に隠れた。
遅れて銃声が響き、廃寺に穴が開く。
「他はいい! 何を差し置いても蛇塚を殺せ!」
「来るぞっ! 親父を守れーっ!」
鬼門の声に鬼達が蛇塚に向かって殺意を向ける。
檻原がそれを見て鼻で笑いながら言う。
「モテモテやんけ」
「嬉しないですぅ」
まずは4人が正面から来た。
合間をすり抜け後ろに回る。
1人、首を絞めゴキリとへし折った。
死体を残った2人に投げ、孤立した方を絞め殺す。
「親父!」
木刀を持った華風がこちらに走って来た。
1匹が標的を変える。
向かってきた鬼の口が木刀の刀身で受け止められた。
齧り付いた口が木刀を奪おうと左右に振られる。
木刀を奪われまいと華風が力を込め、そして急に脱力し鬼を投げ飛ばした。
「犬ぅ!」
「おっしゃ」
犬養が倒れた鬼の腹を踏みつける。
暫く動けないであろう事を確認しても残りの1匹と向かい合う。
横から八瀬が鬼を蹴り倒した。
泥染が銃で足を撃ちながら苦言を呈す。
「八瀬さん、ここで貴方に怪我でもされちゃあ親父と叔父貴が悲しむ」
「……蛇塚はともかく織が言うならしょうがねぇ」
「俺の扱い……!」
鬼門の歯がぎちりと音を立てた。
「八瀬の叔父貴……!」
「おう」
墓石と鬼の肩を踏み台に、八瀬が本堂へ飛んだ。
蛇塚も八瀬に続く。
黒いコートがバサリと音を立てる。
2人が本堂の階段前に着地した瞬間、鬼門が悲鳴のように叫んだ。
「親父に言われただけで! 血の繋がりも何も無いでしょう!」
「ヤクザが兄貴のいう事聞いて何がおかしい!」
八瀬の言葉に鬼門が口を噤む。
親父の言う事を聞いた鬼門、兄貴の言う事を聞いた八瀬。
どちらも間違ってはいない。
だがそれでも何か決定的な違いがこの2人には、否、獄釜組と八瀬にはある気がした。
そして、2人がとんでもない話をしているが今それを追求している場合では無い。
「ま、俺としては兄弟返すなら何も言わんわ」
「……お前は死ね」
鬼門の表情に殺気が戻った。
随分、嫌われたものである。
後ろから飛びかかる鬼を避け、投げ飛ばした。
ついでに戦況を見る。
完全に膠着状態だ。
人外じみた鬼達の攻勢は留まる所を知らない。
そして蛇塚自身も引く気は無い。
月影の奪還は絶対だ。
どうしたものか。
蛇塚が考えたその時だ。
鐘が鳴った。
寺の鐘だ。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
何処からか念仏が聞こえる。
山が心臓のように脈打った。
念仏は山中から聞こえてくる。
赤い影がゆらりと動き、何かが現れた。
「……仏像?」
現れたのは木の阿弥陀像だ。
人の身長程の大きさで腕が何本もある。
突如現れた闖入者に誰もが視線をそちらに向ける。
「……親父?」
「何?」
鬼門の言葉に蛇塚が聞き返す。
そして返事は無かった。
鬼門の首が捩じ切られ、ゴトリと音を立てて鬼門の体が倒れた。
血飛沫が廃寺を汚し、阿弥陀の腕が獄釜組の組員達に向かって伸ばされる。
悲鳴は上がらない。
それどころか殺戮を受け入れるかのように微動だにしない。
子分達から戦意が消える。
ザマァ見ろ、バチが当たったんだ、などと腑抜けている。
蛇塚の脳内で警報が鳴る。
冗談では無い。
次の食料は俺達だ。
アレが自分達だけを見逃すなどという都合のいい話があってたまるか。
八瀬の方を見ると同じ事を考えていたようだ。
どうにかして子分達の目を覚まさねばと息を大きく吸った瞬間、見慣れた若白髪が阿弥陀に突っ込んでいった。
阿弥陀の手から捕まった組員を引き剥がし、顔面に蹴りを入れる。
「雪白君!?」
思わぬ人物に蛇塚は噎せながら叫ぶ。
何故こんな所まで来たのか。
だが、その困惑は子分達の目を少しだけ覚ましたらしい。
「……え、雪白君何で」
「テメェらもさっさと動け! あの阿弥陀ほっといたら次の餌は俺らだ!」
「押忍!」
蝮が子分の尻を蹴り飛ばす。
真っ先に走ったのは犬養と華風だ。
犬養が雪白の頭上に迫る手を蹴り払う。
その間に雪白と華風が獄釜組の組員達を引き剥がし、子分達に向かって投げる。
「……」
多勢に無勢と踏んだのだろう。
鬼門の体と首を抱え、阿弥陀が去った。
念仏が消え、場に静けさが戻る。
最早、闘争の雰囲気では無い。
2人は本堂へ向かう。
覗き込むと奥に月影の姿が見えた。
「兄さん! 従兄弟叔父さん!」
「織!」
「怪我無いかぁ」
「うん!」
月影が本堂から出ようとした所で誰かに捕まえられた。
舎弟頭の阿用郷だ。
そして、扉が勝手に音を立てて閉まる。
「織!」
「兄弟!」
2人は扉を叩き、蹴り上げる。
だが、びくともしない。
山の鼓動が大きくなる。
阿弥陀が殺した分、山に禍々しさが増した気がした。
●
外から何も聞こえない。
閉じた扉は押しても引いても動かず、開く気配も無い。
「織」
「阿用郷さん……」
いつの間にか阿用郷が後ろに立っていた。
月影の目元を隠すように手が翳される。
「こっちだ」
「?」
背を向け阿用郷が奥へと進む。
足元に注意しながら付いて行くと開かれた裏口があった。
出るように促される。
真っ赤な月明かりの下に出ると扉が閉められた。
「え」
「この先の湖で、兄貴が……、獄釜の兄さんが待ってる」
真っ直ぐ進め、と言ったきり返事は無くなった。
月影は向かう先の竹林を見る。
赤い月を雲が覆い始めている。
月影は竹林の中を進む。
獣道らしき道を通る。
風にしてはハッキリとした、唸り声のような音が聞こえる。
ガサガサと竹が揺れる。
ぼとり、と何かが落ちる音がした。
何だろうか、と見に行く足が止まる。
憎悪に満ちた声が月影の足を止めた。
「織……、織ぃぃ……!」
鬼門の声だ。
首だけの鬼門が怨嗟の声を吐いている。
「守ってやってたのに……! 可愛がってやったのに……!」
口に土が入るのも構わずに呻いている。
月影は思わず鬼門の頭を拾い上げ、土を落とした。
鬼門が困惑と驚きの表情を浮かべる。
そして――。
「触るなぁ!」
叫び声と同時に藪から何かが飛び出してきた。
首の無い、おそらくは鬼門の体だ。
「……っ!」
平手が月影の肩に飛んできた。
咄嗟に鬼門の頭を庇う。
「知らない癖に! 何も知らない癖に!」
「獄釜組がどんな目でお前を見ているか知らない癖に!」
「今晩、俺がお前をどうしてやるかなんて知りもしない癖に!」
月影の腕の中で鬼門が叫ぶ。
飛んでくる平手を音だけで避ける。
「!」
石に足を取られ、体勢が崩れた。
鬼門の頭を守る為に抱え込む。
「今日まで俺がどんな思いでお前に触れられずにいたか知らない癖に……!」
受け身が取れぬまま倒れる月影の体を鬼門が受け止めた。
●
月は完全に隠れてしまった。
湖の畔、月影は適当な岩場に腰掛ける。
鬼門の体が隣に座った。
「寒くはないですか」
「ええ」
膝の上に鬼門の首を置く。
鬼門の乱れた髪を整え、顔に着いた血と涙の跡を拭った。
寒さや体調を慮る事は出来ても、それ以上を言うのは憚られた。
「気にしてはいけませんよ」
「え」
鬼門の思わぬ言葉に月影は目を丸くする。
「ヤクザなんてみんな身勝手なんですから。私も蛇塚も……、親父だって」
「はい……」
会話が途切れる。
静かなものだ。
湖の波音だけが聞こえる。
今は誰も戦っていないのだろう。
このまま朝になってくれと思った時だ。
甲高い声が辺りを揺らした。
湖の中央に木の阿弥陀像が現れる。
月影を待っている。
鬼門の首を体に預ける。
名残惜しく振り返り、雲が薄れるのを待った。
「親父は今度こそ天に奪われたくないんです」
「!」
少しだけ月明かりが漏れ始める。
鬼門の顔を見て、湖の方を見た。
「……行きますね」
「……お気を付けて」
鬼門の声を背に受け、月影は湖面に立った。




