第30話 新学期と教会の噂
夏休みが終わり、学園の新学期が始まった。
久しぶりに制服に袖を通し、アリアに髪を結ってもらう。
「本日は、どのようになさいますか?」
「そうね。今日は後ろでまとめて、リボンをつけてもらえるかしら」
「かしこまりました。お色はいかがいたしましょう」
「淡い青紫がいいわ。セレイアの花に似た色の」
鏡の中で、アリアが手際よく髪を整えていく。
夏休みの間は、ほとんど髪を下ろして過ごしていた。
湖で遊ぶときは邪魔にならないように結んでもらったけれど、毎朝どんな髪型にするか考えるのも、学園生活の楽しみの一つだ。
「お土産も忘れずにお願いね」
「はい。化粧水の小瓶は、すべてお持ちするお荷物に入れてございます」
「ありがとう」
エミリーとソフィアは、もう登校しているかしら。
今日は二人に会えるのが楽しみだった。
◇
教室へ入ると、すでに何人もの生徒が集まっていた。
久しぶりに顔を合わせた友人同士が、夏休みの出来事を話している。
私もエミリーとソフィアを探した。
「あっ、レティシア様!」
先に気づいたのはエミリーだった。
「お久しぶりです!」
「エミリー様、ソフィア様。お元気でした?」
「ええ! レティシア様もお変わりなくて?」
「はい。とても楽しい夏休みでしたわ」
「よかったですわ!」
ソフィアも笑顔で迎えてくれた。
「お手紙、ありがとうございました。お二人とも、領地で楽しく過ごされたようですわね」
「ええ。レティシア様にお話ししたいことが、たくさんありますの」
「私もですわ!」
エミリーが嬉しそうに身を乗り出した。
ところが、すぐにその表情が曇った。
「……あの、レティシア様」
「はい?」
「その……教会の件は、大丈夫でしたの?」
教会?
「ああ、土地のお話ですか?」
「やっぱり、本当でしたのね!」
ソフィアまで心配そうな顔になった。
「夏休みの終わり頃から、王都でも噂になっておりましたの。ローゼンバーグ公爵家のご令嬢が、教会への寄進を拒まれたとか……」
「まあ。そんな噂が?」
「ええ。それで、レティシア様が教会と揉めていらっしゃると聞いて、心配しておりましたの」
なるほど。
あの話が、もう王都まで届いていたらしい。
「確かに、私の土地を譲ってほしいというお話はありましたわ」
「では……」
「でも、お断りしましたの」
二人が顔を見合わせた。
「教会を建てたいとおっしゃるので、最初は土地をお貸しするつもりでしたのよ。無償で」
「無償で、ですか?」
「ええ。でも、所有権が必要だとおっしゃるので、別の土地を差し上げることにしたんですの」
「……え?」
「ところが、そちらでは嫌だそうですわ」
エミリーが首を傾げた。
「教会を建てるための土地ですわよね?」
「そう伺っておりますわ」
「それなのに、土地を差し上げるというお話を断られたんですの?」
「ええ。私も不思議に思いましたわ」
ソフィアが少し考え込んだ。
「でも、噂では、レティシア様が教会への協力を一切拒まれたと……」
「あら。それは違いますわね」
貸すことも、差し上げることも提案したのだから。
ただ、私が気に入っている湖のそばを渡すつもりはない。
「それで、今はどうなっておりますの?」
「お父様とお母様にお任せしましたわ」
「……お任せに?」
「ええ。私が何かする必要はないそうですもの」
二人はまた顔を見合わせた。
どうしたのかしら。
「レティシア様は、教会から何か言われるのが怖くありませんの?」
エミリーが小さな声で尋ねた。
「何を言われるんですの?」
「その……信仰心が足りない、とか」
「ああ」
そういうことか。
この世界では、教会の言葉をとても大切にする人が多い。
もちろん、神様を信じることが悪いとは思わない。
私だって神様がいることは知っている。
何しろ、実際にお会いしているのだから。
でも、それと土地を差し上げる話は別でしょう。
「教会に土地を差し上げないと、神様を信じていないことになるんですの?」
「い、いえ。そういうわけでは……」
「でしたら、問題ありませんわね」
エミリーは何か言いかけて、口を閉じた。
ソフィアが困ったように笑う。
「レティシア様は、いつもはっきりしていらっしゃいますわね」
「そうかしら?」
私は自分の土地を守りたいだけなのだけれど。
それに、せっかく久しぶりに会えたのだから、もっと楽しい話がしたい。
「あ、そうですわ! お二人にお土産がありますの」
「まあ!」
エミリーの表情が明るくなった。
「私も持ってまいりましたの!」
「私もですわ。お昼にお渡ししようと思っておりました」
「では、お昼が楽しみですわね!」
そうして私たちは、夏休みのお土産の話で盛り上がった。
◇
昼休み。
いつものように三人で昼食を取ったあと、お土産を交換することになった。
「こちら、私の領地で作られているものですの」
エミリーが差し出してくれたのは、小さな刺繍入りの巾着だった。
淡い色の布に、可愛らしい花が丁寧に刺繍されている。
「まあ、素敵!」
「職人さんが一つずつ作っているんですの。レティシア様には、この色が似合うと思って」
「ありがとうございます。大切に使いますわ」
ソフィアからは、綺麗な箱に入った焼き菓子をいただいた。
「領地で評判のお菓子ですの。日持ちするものを選びましたわ」
「嬉しい! お茶の時間にいただきますわね」
二人とも、私のために選んでくれたのだと思うと嬉しくなる。
「では、今度は私から」
私は用意してきた包みを取り出した。
「セレイアの香りを使った化粧水ですの」
「化粧水?」
「ええ。私の土地で採れる花から作っていただいたんですの」
包みを開けた二人が、小瓶を手に取った。
「まあ、可愛らしい瓶!」
「セレイアって、あの香水の?」
「そうですわ。でも、香水ほど香りは強くありませんの。毎日のお手入れに使えるようにしていただきました」
エミリーがそっと蓋を開けた。
「あら……いい香り」
ソフィアも香りを確かめる。
「本当ですわ。優しい香りですのね」
「気に入っていただけたなら嬉しいですわ」
「もちろんです! こんな素敵なものを、ありがとうございます!」
「私も大切に使わせていただきますわ」
二人が喜んでくれて、私も嬉しくなった。
「ただ、一つお願いがありますの」
「何でしょう?」
「これは販売していないものなので、ほかの方から欲しいと言われても、お渡しできないんですの」
「まあ、非売品ですの?」
「ええ。今回、お友達へのお土産として少しだけ作っていただいたんです」
「それなら、なおさら大切にしなくては」
ソフィアが小瓶を丁寧に包み直した。
エミリーも頷く。
「誰かに聞かれても、買えるものではないとお伝えしますわ」
「ありがとうございます」
これで安心だ。
気に入ってもらえたなら、それだけで十分。
販売する予定もないし、追加で作って配るつもりもない。
それに、私にはまだ渡したい相手がいる。
◇
午後の授業が終わると、私は図書室へ向かった。
クララに会えるかしら。
久しぶりの図書室は、夏休み前と変わらず静かだった。
本棚の間を歩いていると、奥の方で見覚えのある丸い眼鏡が動いた。
「あら、クララ様」
「……レティシア様?」
クララが顔を上げた。
「お久しぶりですわ」
「あっ、お久しぶりです!」
クララは抱えていた本を棚に戻し、嬉しそうに笑った。
「夏休みはいかがでした?」
「楽しかったですわ。湖のそばで過ごしておりましたの」
「まあ、素敵ですね」
「クララ様は?」
「私は、ほとんど本を読んでいました」
クララらしい答えだった。
「それで、今日はクララ様にお土産がありますの」
「私に、ですか?」
「ええ」
小さな包みを渡すと、クララは驚いたように私を見た。
「開けてもよろしいでしょうか?」
「もちろんですわ」
包みの中から小瓶が現れる。
「セレイアの化粧水ですの。ほんのり花の香りがするんです」
「……化粧水?」
「ええ。よろしかったら使ってくださいな」
クララはしばらく小瓶を見つめていた。
「私にも、お土産を……」
「ええ。図書室でお会いできるのを楽しみにしておりましたもの」
そう言うと、クララは少し照れたように笑った。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
「こちらこそ、また本のお話を聞かせてくださいね」
「はい!」
クララは大事そうに小瓶を抱えた。
喜んでもらえてよかった。
◇
その日の夕方。
学園の廊下では、まだ教会の噂が話題になっていた。
ローゼンバーグ公爵令嬢が、教会への寄進を拒んだ。
教会の申し出を退けた。
司祭が直接訪ねても、考えを変えなかった。
話を聞いた生徒たちは、それぞれに違うことを言っていた。
「教会に逆らって、大丈夫なのかしら」
「でも、公爵家ですもの」
「信仰に関わることですわよ?」
私も、廊下を歩いているときに何度か視線を向けられた。
どうやら、思っていた以上に噂が広まっているらしい。
まあ、聞かれたら説明すればいいわね。
それよりも、今日は楽しかった。
エミリーとソフィアにも会えたし、お土産も喜んでもらえた。
クララとも、また図書室でお話しできそうだ。
明日は何の授業があったかしら。
そんなことを考えながら、私は教室へ忘れ物がないか確かめに戻った。
教会の人たちが、私に何を期待しているのかは知らないけど、譲る気はない。




