ブラック企業戦士、聖女様のゴミ箱に内定する
「…あ、これ、死んだわ」
それが、俺の最後の記憶だった。
月間残業時間は300時間を超え、最後の一週間はエナジードリンクとサプリメントだけで命を繋いでいた。
深夜二時のオフィス。ディスプレイの光が滲み、心臓が変なリズムを刻んだ直後、俺の意識はブラックアウトした。
だが。
「…様、エルフレイデ様。この個体はいかがでしょうか?」
「…ふん。薄汚い。けど、死に損ないの割に目は死んでいないわね」
冷たい声で目が覚めた。
コンクリートより数段硬く、冷え切った石畳の上。
重い瞼を開けると、そこは鉄格子に囲まれた薄暗い地下牢だった。
…あれ?ここ、会社じゃない…っていうか、監獄?
体を起こそうとして、ジャラリ、と重い音が響く。
手首と足首には、ごつい鉄枷。
目の前には、場違いなほど豪華な純白のドレスを纏った女が立っていた。
眩いばかりの金髪。陶器のような肌。そして、すべてを見下すような冷徹な碧眼。
テレビに出ているアイドルも裸足で逃げ出すような超絶美少女だが、その纏う空気は慈愛とは程遠い。
「…ここは?」
「口を慎みなさい、不浄の者が」
隣にいたローブ姿の老人が俺を怒鳴りつける。
だが、俺は驚くよりも先に、妙な安心感を覚えていた。
…ああ。この、有無を言わせないパワハラ気質な空気。実家のような安心感だ。前の部長にそっくりじゃないか。
「エルフレイデ様、この男は『大罪人の息子』として捕らえられた者です。身寄りもなく、ここで処刑を待つだけのゴミ…貴女様の『浄化』の依代には最適かと」
エルフレイデと呼ばれた美少女、この国の『筆頭聖女』は、俺の顎を靴の先でクイッと持ち上げた。
「…いいわ。買い取るわ。どうせすぐに壊れるでしょうけど」
それが、俺の再就職先が決まった瞬間だった。
連行されたのは、神殿の最深部にある、窓一つない豪華な密室だった。
ふかふかの絨毯。豪奢なベッド。だが、入り口には魔法の結界が張られ、内側からは決して開かない。
「さて…」
エルフレイデ様が、手袋を脱ぎ捨てながら俺に歩み寄る。
その顔からは、民衆に見せるような穏やかな微笑は完全に消え失せていた。
「いい?私は今日、一千人もの愚民を『ヒール』で癒やしてきた…そのせいで、私の中には今、反吐が出るような『汚れ』が溜まっているのよ」
彼女の手のひらに、どす黒い、不吉な魔力が収束していく。
聖女が癒やしを行う際、他者の負の感情や苦痛を一時的に肩代わりする。それを排出するために、彼女たちはサンドバッグを必要とするらしい。
「痛いのは嫌いかしら?でも安心して。死ぬ直前に、私の『ヒール』で治してあげる…そして、また壊してあげる」
彼女の拳が、俺の腹部に深々とめり込んだ。
ドカッ!!!
肺の空気が強制的に押し出され、視界がチカチカと火花を散らす。
内臓がひっくり返るような衝撃。
だが、床に転がった俺の口から出たのは、悲鳴ではなかった。
「…っ、ぐ…ふ、はは…いいっすね、今の。腰が入ってましたよ」
「…は?」
エルフレイデ様が目を見開く。
「…前の職場の部長は、もっとえげつない角度から蹴ってきましたから。それに比べりゃ、聖女様の拳なんて、ご褒美みたいなもんですよ」
「…貴方、何を言って…頭が狂っているの?」
俺はフラつく足で立ち上がり、口端に溜まった血を親指で拭った。
痛みはある。だが、心は折れない。
ブラック企業で培われた感覚麻痺と社畜根性が、俺の生存本能を異常な方向にブーストさせていた。
「もっと来てくださいよ、聖女様。まだ俺、意識ありますよ?汚れ、出し切ってないんでしょ?」
「…っ!」
エルフレイデ様の顔が、怒りと困惑で朱に染まる。
「…いいわ。なら、その減らず口が叩けなくなるまで、徹底的に『浄化(サービス残業)』してあげる!」
彼女の瞳に、初めて執着の光が宿ったのを、俺は見逃さなかった。
…よし。定時退社は無理そうだけど、やりがいはありそうだな。
こうして、俺と聖女様の、歪な業務時間が幕を開けた。




