■番外編⑩「ただの本のはずだった」
少しだけ、裏側のようなお話です。
久しぶりに、その書庫を訪れたのは。
ただの気まぐれだった。
***
(……あった)
あの本は、変わらずそこにあった。
場違いなほど新しい装丁。
異質な存在感。
アルセリアは、迷わずそれを手に取る。
開く。
「……」
沈黙。
(……変わっていない)
内容は、あの時と同じ。
ヴァルクとレオンハルトの物語。
途中で終わる、あの奇妙な記録。
『──この先は、未定』
その一文も、変わらない。
(……では)
これは、何だったのか。
記録でも、予言でもない。
それでいて、ただの創作と断じるには——
あまりにも、現実と重なりすぎている。
考える。
だが、答えは出ない。
ふと。
(……?)
本を閉じかけた、その時。
裏表紙に、わずかな違和感を覚えた。
何かが、ある。
だが。
アルセリアは、わずかに目を細める。
——読める。
そう、思った。
なぜか。
理由は分からない。
だが。
読めば、分かる。
そう確信した、その瞬間。
(……)
視線を逸らす。
本を、静かに閉じた。
(……今は、いいでしょう)
あえて、追わない。
知る必要があるとは、思えなかった。
結論を急ぐ必要もない。
そう判断した、その時だった。
「アルセリア」
声。
振り返る。
レオンハルトが、そこに立っていた。
アルセリアは、本を棚へ戻す。
自然に。
何事もなかったように。
「何をしていた」
「不要なものの確認です」
「そうか」
短いやり取り。
自然に、手を取られる。
その瞬間。
先ほどまであった違和感が、嘘のように消える。
(……)
思考が、静かに止まる。
もう、疑問はない。
必要もない。
アルセリアは、わずかに考え。
「……殿下」
「何だ」
「もし」
一瞬、間を置く。
「別の本が現れた場合」
「……」
「内容の精査は、私が行います」
真剣に言う。
一拍。
そして。
「……いや」
短く、否定。
「もう必要ない」
一瞬の静寂。
その声音は、いつも通りだった。
だが。
——最初から、そんなものは存在しない。
そう言外に告げられた気がして。
アルセリアは、迷わず頷いた。
「……そうですね」
同意。
完全に。
二人は、そのまま書庫を後にする。
もう。
本を振り返ることはなかった。
***
後日。
王宮の片隅で。
一人の文官が、棚から一冊の本を抜き取った。
「……なんだこれ」
ぱらり、とページをめくる。
そこに書かれていたのは。
やたらと解像度の高い。
王太子と騎士の物語。
「……いや待て、これ本人——」
違和感。
既視感。
そして。
確信しかけた、その瞬間。
ぴたり、と空気が止まる。
——逃げ場がない。
そう、直感した。
「……それは、どこで手に入れた」
低い声。
振り返る。
そこには——
いつもより、わずかに機嫌の悪い王太子がいた。
文官の手から、本が静かに取り上げられる。
その拍子に。
ぱらり、と裏表紙が開いた。
小さく、書かれている。
『イベント頒布価格:500円』
『サークル名:夜明け前の微睡み』
「……」
沈黙。
誰も、何も言わない。
ただ。
レオンハルトの指が、わずかに止まる。
ほんの一瞬。
まるで——
その意味を、理解したかのように。
だが。
何も言わない。
本は、静かに閉じられた。
その本は——
少なくとも“公の場では”
二度と開かれることはなかった。
ただし。
記録上。
その本は、最初から存在しなかったことになっている。
なお、作者は不明のままである。
——そういうことになっている。
溺愛番外編 完
ここまでお読みいただきありがとうございました。
あの本が何だったのかは分かりませんが、楽しんでいただけていれば嬉しいです。
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