第7話「伝わらない言葉」
第7話です。
ここで、
“言葉にする”場面になります。
──限界だった。
それが、最初の自覚だった。
理由は、はっきりしている。
これ以上、黙っていれば。
何かが決定的に、手遅れになる。
そう分かっていた。
それでも。
言葉にしてしまえば。
壊れる気がした。
***
「アルセリア」
呼び止める。
彼女は、いつも通りに振り返った。
「何かしら、殿下」
完璧な声。 完璧な距離。
そして。
どこまでも、遠い。
「……少し、いいか」
「構いませんわ」
即答だった。
迷いがない。
そのことが。
ひどく、苦しかった。
沈黙が落ちる。
何から言えばいいのか、分からない。
どこからなら、間に合うのかも。
だが。
もう。
ここで何も言わなければ、終わる。
「……やめてくれ」
出た言葉は、それだった。
「……?」
アルセリアが、わずかに首を傾げる。
意味が分からない、という顔。
当然だ。
説明していない。
だが。
ここで止まるわけにはいかなかった。
「その……」
言葉を探す。
こんなふうに迷うのは、初めてだった。
「俺と、ヴァルクを」
一度、息を吸う。
「……そうやって、近づけようとするのを」
視線が、揺れる。
逃げ場がない。
「やめてくれ」
静寂。
風が、止まる。
「……どういう意味でしょう」
アルセリアの声は、変わらない。
いつも通りだ。
だからこそ。
何も伝わっていないと、分かる。
「そのままの意味だ」
短く答える。
それでは足りない。
分かっている。
それでも。
「必要なことですわ」
返ってきたのは、迷いのない言葉だった。
理解ではなく。 処理。
「殿下にとって最も合理的な関係性を構築するには──」
「違う」
遮る。
初めて。
はっきりと。
感情で、遮った。
アルセリアの目が、わずかに見開かれる。
けれど、それも一瞬だった。
すぐに戻る。
いつもの表情に。
「……何が、違うのでしょう」
問い。
冷静で。 正確で。
そして。
致命的に、遠い。
レオンハルトは、息を吐く。
逃げ場はない。
もう。
引けない。
「俺は」
言葉が、重い。
喉に引っかかる。
だが。
止めない。
「ヴァルクとの関係なんて、望んでいない」
静かに、言い切る。
その瞬間。
空気が、変わった。
アルセリアの瞳が、わずかに揺れる。
それは驚きではない。
計算が崩れた時の、揺れだった。
(……否定)
その表情だけで分かる。
理解ではない。 分析だ。
「現状認識に齟齬がありますわ」
即座に返る。
「観測結果から判断して、殿下と兄上の間には明確な──」
「違うと言っている!!」
再び、遮る。
声が、低くなる。
抑えきれないものが、滲む。
アルセリアは止まらない。
「では、なぜあの距離を──」
「アルセリア」
名前を呼ぶ。
それだけで。
空気が止まる。
初めてだった。
こんなふうに。
感情を乗せて呼んだのは。
沈黙。
逃げられない。
もう。
逃げない。
「……俺が言っただろう」
ゆっくりと、言葉を選ぶ。
「“見ていてくれ”と」
一瞬。
時間が、止まる。
アルセリアの思考が、固まる。
そして。
「ええ」
頷く。
迷いなく。
「その約束は、守っております」
完璧な返答だった。
完璧すぎるほどに。
レオンハルトは、目を閉じた。
(……違う)
胸の奥が、軋む。
遅れて押し寄せる痛みが、息を浅くする。
「……そうじゃない」
小さく、呟く。
届かないと分かっていながら。
それでも。
言うしかなかった。
「俺が言った“見ていてくれ”は」
視線を上げる。
まっすぐに。
逃げずに。
「そういう意味じゃない」
静寂。
風が、止まる。
アルセリアの思考が、動く。
(再定義、必要)
その反応を見た瞬間。
レオンハルトの胸の奥で。
何かが、静かに折れた。
「では、どういう意味で──」
問いかける。
正しく。 正確に。
そして。
完全に、間違った方向で。
レオンハルトは、息を吐いた。
力が、抜ける。
もう。
無理だと、分かる。
ここで言葉を重ねても。
この人は、意味ではなく構造として受け取る。
感情ではなく、情報として処理する。
だから。
届かない。
「……いや」
首を振る。
「いい」
それ以上は、言わない。
言えない。
言えば。
本当に、壊れてしまう。
彼女の中にある前提も。
自分がどうにか保っていた均衡も。
「忘れてくれ」
それだけを残して。
視線を逸らす。
アルセリアは、動かない。
(未完了イベント)
そう処理しようとして。
そこで、初めて。
思考が、止まる。
(……異常)
その言葉が、浮かんだ。
理由は分からない。
けれど。
今までと同じように“誤差”として切り捨てるには。
あまりにも。
声が近すぎた。
視線が、痛いほど真っ直ぐだった。
そして何より。
あれは。
自分の知らない温度だった。
何かが、ずれている。
それだけは、分かる。
そして。
その違和感は。
彼女の中で、初めて。
無視されなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
言葉にしたのに、
一番伝わっていません。
次話、
決定的に変わります。




