0096 サイン地獄
ソメリト合衆国陸軍のP89シューティング・イーグルは、ダロス皇国空軍のメッサージュミレMR202に対抗できる、唯一のジェット戦闘機であった。北ソメリト戦線にて、この両雄が制空権を巡って互角の勝負を繰り広げていた。それこそ、毎朝・毎晩・毎日、同じルーティンで戦い続けていたパイロット達は、この日もまた同じ光景が待っていると思っていたが、その予想は大きく外れていた。
キリト国とソメリト合衆国の国境の上空にて、南下してきた同盟軍の航空機は、これまでとは数も質も違う、機数にして倍は投入されている。
ソメリト合衆国のパイロットは、慌てて地上も見下ろす。こんなに大規模な航空支援が行われると言う事は、地上軍も大きく動くに違いない。今は兎も角、後方に報告して、今後の判断を仰ぐしかない。
無線にてこの事実を報告しようとした時、頭上から急降下してきたMR202の30ミリ機関砲にて、パイロットと共に粉々に砕け散っていた。
メリスト連邦王国空軍のメビロ・ブレンラスター四発爆撃機は、北ソメリト戦線を支えているソメリト合衆国の基地に大量の爆弾をばら撒く。対空砲が次々と砲弾を打ち上げる中、何機かはその砲弾で引き裂かれて、地上に落ちていったが、それでも他の爆撃機は逃げる事無く爆撃を続行している。
いつもの定期便ならば、基地への損害は大したものではなかったが、この日の爆撃はいつもよりも桁外れであった。地下壕に隠れている基地スタッフは、爆撃の衝撃で揺れるシェルターの中で、ここから行われるだろう地上軍による猛攻撃を想像して、これから暫くの間は、「正念場」を迎えるに違いないと見ていた。
これを乗り越えられるかどうかは、まだ分からない。それまで生きられるかどうか。
メリー姉さんことメリー・マステアが予見していた同盟軍による攻勢計画は、彼女が思っていたより早く決行されていた。ソメリト合衆国の4大湖の巨大な兵器廠から供給されるだろう大量の武器が前線に出てくる前に勝負をつける。その計画であったのだが、ソメリト合衆国の抵抗は思った以上に粘り強く、このままでは「鉄の嵐」でもって同盟軍は吹き飛ばされてしまう。
同盟軍は、残された戦力をかき集めて、もう一度大規模な攻勢をかけてきた。西海洋艦隊がどう頑張っても、あの広い西海洋を全てカバー出来る程の力は無い。そうでなくても、ロッシナ連邦から大海洋の北端を通ってキリト国へと送る輸送ルートもあるのだ。幾らでもやり方がある。
北ソメリト戦線にて、こうして集められた戦力は開戦劈頭にて投じられた物量と遜色ないレベルである。砲弾や爆弾、銃弾が吹き荒れる、「鉄の嵐」が無数の血と涙を、多くの命を巻き込んで、空に、地上にばら撒かれていた。
同盟軍2度目の大攻勢!
マックス・ハリストン大統領は、顔面蒼白になりつつも、その報告を耳にしていた。グレイス諸島のダイヤモンド湾奇襲攻撃以来、もうこれ以上驚く事なんて無いと思っていたが、この大攻勢はそれと同じか、もしかすればそれ以上の衝撃を齎していた。
既に前線からは、「援軍要請」「更なる人的動員の要請」「武器弾薬の補充要請」が、続々と届けられていた。大統領の執務机には、これらの書類が山積みになって、しかもそれら全てにサインしなければならなかった。
もう胃も心臓も痛まない。此処へ来て、金の出し惜しみは出来ない。もうそろそろ、官民双方より「限界です」と言う悲鳴にも似た意見が出されている。特に人的動員の、徴兵の影響は産業界を締め付けており、女性を雇用し始めている工場も出始めている。冗談抜きに、このままでは国民皆徴兵となって一般女性すらも戦場に出す羽目になる。
もう一度、再動員をかけるしかない。マックス・ハリストン大統領は、覚悟を決め始めていた。戦線が南下したら、それこそ女子供も真っ二つにされる。和平交渉なんて、まだまだ先の話だし、こんな中途半端な状態での和平交渉なんてジョークにもならない。やるしかないんだ。このままではいけないのは、自分自身も同じだ。
朝起きて、歯を磨いて、顔を洗って、ブレイクファーストを食べたら、サイン。サイン。サイン。コーヒー飲んで、ランチを食べて、デザートまで食べてから、サイン。サイン。サイン。ディナーを食べて、シャワーを浴びて、家族への電話をかけたら、今度は寝るまで、サイン。サイン。サイン。大統領としての責務は、地味だし、派手じゃない。派手に見えるのは、プロパガンダの成果に過ぎない。右から左に書類を流して、サインを書くだけである。時としては、大統領令として特別な書類にサインする事があるが、そんなのは特例である。
メリー・マステアは、前線から後方に送られてくる負傷兵や戦死者の入った棺を前にして、これを写真に撮るべきかどうか悩んだが、あんまり長く悩む前にカメラを向けていた。フェルニナ・ケールは隻腕・隻眼にて、その惨状を前にしてもそこまで動じていない。元々、戦姫として軍籍に居ただけに、こう言う光景には免疫が出来ているらしい。
メリー姉さんは、周囲の兵隊が抗議の視線を向け始めている中でも、構わずに国旗を被せた棺が運ばれる光景を撮影し続ける。軍から検閲されるとしても、その時はその時である。したければ勝手にしろの精神で、ずっと撮影し続ける。
「フィルムの無駄じゃないですか」
とフェルニナはメリー姉さんに告げるが、メリー姉さんは構わずに撮影し続ける。そして、その写真は軍の検閲を全部すり抜けて、デイリー・ステート新聞の一面を飾っていた。
「国家存亡の危機」
と言う見出しにて、国民に対して更なる協力を求める、一般的なプロパガンダであったが、国防省の一部では、「検閲すべし」との意見もあったが、民衆を煽情するのにこれ程効果のある写真は無いとして、一面トップを飾っていた。
同盟軍が北ソメリト戦線にて攻勢に出たのだから、大海洋でもレイド・サム公国海軍が、何かしらの動きを見せるに違いない。奇襲攻撃を生き延びた2隻の空母が戦列に戻っているとは言え、レイド・サム公国海軍と真っ正面から戦えば、どう転ぶのか。
半年か、あと1年、耐え抜けば最前線に続々と物量が現れたら、北ソメリト戦線はこちらの勝利で終わる。あとは、逆撃あるのみである。あと、半年か、1年。それまで、人的資源が持てば良いのだが。




