転校生
21
朝、起きた。
自分の無事を確認した。
生きてる!
当たり前のことがこんなに嬉しいのは初めてだったかもしれない。
22
学校へ行くのが怖かった。
いざとなったらハルちゃんに守ってもらうつもりで教室に入ると、凜はまだ来ていなかった。
ほっとして席に着く。
後ろの席のハルちゃんに挨拶する。
「おはよ~」
「おっ。おはよ、絢音」
爽やかだ。
爽やかな朝だ。いつもと変わりない。
HRが始まっても、凜は来なかった。
担任のピカ田先生と一緒に、男の子が入ってきた。
ほっそりとした体型がかっこいい、ウェーブのかかった髪もかっこいい、いわゆるかっこいい男の子だ。
教室中がざわつく。
「えー。転校生を紹介します。今日からこのクラスでみんなと一緒に学ぶ……」
彼の名前を忘れたのか、ピカ田先生は転校生に振った。
「君、自己紹介を」
転校生は先生の失念を許すように爽やかに微笑むと、黒板に白チョークで自分の名前を大きく書いた。
実千原 海斗
「ジッセンバラ……」
後ろでハルちゃんが声に出してそれを読んだ。
「ジッセンバラ……ウント……」
あたしはそれがなんかツボにはまって、思わずくしゅっ!とくしゃみをするふりで笑いを誤魔化した。
聞こえたのか、転校生が正しい読み方を、ハルちゃんのほうを向いて、爽やかな笑顔で口にした。
「実千原海斗です。趣味はドラムをやります。あと、萩原朔太郎の詩とか読むのが好きです。よろしく!」
「おおー!」
ハルちゃんが身を乗り出した。
「うちのクラスにも詩が好きなやつ、いるよ! 今日はなんか来てないけど、仲良くしてやってね! あと……」
「交流は後で」
ピカ田先生が口を挟んだ。
「座って、井伊さん」
ハルちゃんに命令をするピカ田先生のことが憎らしげに見えた。
チビハゲ小デブのおじさんの分際で。
「ね、ね! 絢音!」
小声でハルちゃんがあたしの肩をつついてきたので、あたしは喜んで振り返る。
しかしその口から出たのは思いもしなかった言葉だった。
「ジッセンバラくんて、かっこよくない? あと、ドラム叩くんだって! 僕のベース、合わせてみたいな!」
やだ。
男の子に興味なんかもたないで……。
凜は昼になっても学校に来なかった。
怖がるのと同じぐらいに、あたしは心配になりはじめる。
お弁当を向かい合って食べながら、ハルちゃんに聞いた。
「凜……。どうしたんだろ? ハルちゃん、同じアパートに住んでるんだよね?」
「あー。でも、一緒に登校はしてないからなー」
ハルちゃんは大きくて綺麗な赤い口の中に玉子焼きを入れながら、言った。
「先生も何も言ってなかったなー」
「どうしたんだろ……」
「心配なら、今日、うちのアパート、来る?」
あたしは思わず立ち上がっていた。
「行く!!!」
そして念のため、付け加えた。
「ハルちゃんの部屋、行きたい!」
「おいでおいでおいで」
ハルちゃんが嬉しそうに笑った。
「きたねー部屋だけど、面白いモン、いっぱいあるよ」
無表情なあたしだけど、この時ばかりは顔が輝いていた自信がある。
「わあっ! いいの? 本当に? 行っても?」
はしゃぐあたしの耳元にハルちゃんが口を近づけてきた。
ドキドキするあたしの耳に、甘い声で囁く。
「いっぱい、愛し合おうな」
「うん……」
あたしは目がキラキラしていたと思う。
「うん、うん……!」
そこへ転校生のジッセンバラくんがやって来て、
「ねえ、ちょっといいかな」
ハルちゃんに話しかけた。
「おお、ジッセンバラくん」
ハルちゃんが言うと、
「サネチハラだよ。覚えてほしいな」
残念そうに訂正した。
あたしは黙々とお弁当を食べながら、2人の会話を聞いていた。
「今朝の自己紹介の時、途中で先生に止められたでしょ」
ジッセンバラくんが言った。
「あのあとの続き、何を言いかけたのか、聞こうと思って」
「うん。ドラムが趣味って言ってたでしょ? あたし、ベースやるんだ」
「本当に!? すげぇ!」
転校生は大袈裟なぐらいに驚いてみせた。
「その高身長に、その美形でベーシストって……、かっこよすぎ!」
「わぁ……。こういう口のうまいやつって、要注意だぞ? 絢音」
「本心だよ。本当に、このクラスで一番飛び抜けて可愛いなって思って見てたから、もう名前も覚えちゃったよ井伊春加さん。君と友達になりたいな」
「うっわー! 『たらし』なんだね、ジッセンバラくんて! 絢音! 離れろ!」
「サネチハラだって!」
サネチハラくんは冗談を聞いて笑うように、爽やかな笑顔を見せた。
あたしのほうはまったく見ないで、ハルちゃんの顔ばっかり見てる。
「とりあえず、友達になってくれない? よろしく」
握手の手を差し出した。
「音楽、何聴く?」
ハルちゃんは手は差し出さずに、聞いた。
「なんでも聴くけど、『おちゃかたま』とか特に好きかな」
「おお! いいね~!」
ハルちゃんが手を差し出した。
「あたしも好きだよ『おちゃかたま』! 気が合いそうじゃん」
ハルちゃんのすらりとした綺麗な手が、男の子と握手をした。
「うっ……!?」
あたしはなんだか胸の奥が苦しくなって、小さく呻き声をあげた。
「な……、なんだろう……、これ……?」
ぐるぐるする。
体の中で内蔵が全部ぐるぐる動き出したような気持ち悪さで、臭いけむりみたいな不快感がモヤモヤと産まれはじめて、止まらなくなった。
あたしなんか見えてないように、2人の世界でハルちゃんと転校生が、にっこにこで会話している。
それを見てたら、お弁当が喉を通らなくなって、あたしの中でみっともない青色をした鬼が、すっくと金棒を手に立ち上がった。
「ねえ……」
あたしはハルちゃんの袖をつまんで、揺らした。
「今日、いっぱい愛してくれるんでしょ?」
「えっ?」
ジッセンバラくが初めてあたしを見た。
「愛してー、愛してー」
ハルちゃんがあたしの知らない歌を歌ってすっとぼけた。
「あたしーをー、もっと壊ーしてー」
ふざけた動作であたしをぎゅっと抱きしめた。
あたしが転校生から見えない角度でハルちゃんの首筋にキスしてやると、あくまでふざけているように見せるように、頭をぱしぱしと叩いてきたので、あたしはその首を軽く噛んだ。
「わ、いたーーっ!!」
ハルちゃんが明るい悲鳴をあげると、ジッセンバラくんが可笑しそうに笑って、あたしでも知ってる詩かなんかのことばを口にした。
「仲良きことは、美しきかな/武者小路実篤」
あたしはそのことばを聞いて、なんだかムカついた。
転校生の顔は見ずに、心で転校生を睨みつけた。
このひとは、あたしのだからね!
男の子になんか渡さないんだから!




