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セカンド・キス


   15


次の日から小此木くんに微笑みかけることにした。なるべく本当の恋人みたいに。そうしておけば、きっとハルちゃんがもっと応援してくれる。1つ年下の幼なじみの男の子と、前の席にたまたま座っている暗い女の子の、ニセモノの恋を応援して、あたしとももっともっと親しくなってくれる。そんな風にすれば、ハルちゃんもきっとあたしのこと、特別に好きになってくれる。



あたしはシンプルな頭でそう信じて、それからはそれをすべての行動原理として動いた。



小此木くんと恋人のふりをして、ハルちゃんともっと親密になる。目標はそこだ。それからでいい、ハルちゃんにあたしの気持ちを伝えるのは。









 朝、教室に入ると、小此木くんはもう来ていて、相変わらず現代詩の本を気取ったような顔で読んでいた。


「おはよう」

 あたしはたぶん、初めて彼に挨拶をした。


 声を掛けられた小此木くんは驚いたように顔を上げ、ニヤリとした。

「どうした? 珍しいな、貴様のごとき引っ込み思案が挨拶などと……」


「ねえ」

 そう言うとあたしは彼の耳元に近づき、

「今度デート、どこに行く?」

 息を吹きかけ、囁いた。


 返事はなかった。見ると小此木くんは電気椅子に座らされたみたいに痺れて固まっていた。

 何も言わなくなったので、心の中で「キモっ」と呟いて、自分の席へ向かった。




「おっはよ~」

 歩いて来るあたしを遠くから見ていたハルちゃんは、近づくとニヤニヤ笑った。

「カレと何やら爽やかな朝の挨拶を交わしていたねえ?」


「マンガ、描いたよ」

 どうでもいい話題は無視してあたしは言った。

「見に来る?」


「おー、行く行く」

 ハルちゃんは気持ちのいい声で、言った。

「凛も連れて」


「ダメっ!」

 大声が出てしまった。

「あいつ、あたしのマンガ、けなすから……。お願い、ハルちゃんだけで来てよ」


「そっか」

 大好きな物わかりのいい笑顔。

「じゃ、今度いつか、うちにも遊びにおいでよ。絢音のほうからも来てよ」



今、世界にあたし1人なら、飛び上がっていた。





「おい」

 昼休み、小此木くんがあたしに話しかけて来た。

「次のデートは動物園にするぞ」


 動物は好きだ。こいつにしては意外なぐらいナイスチョイスだ。

 たちまち頭の中にハルちゃんと一緒にアルパカと戯れる自分が浮かぶ。


「いいね!」

 あたしは思わず答えていた。

「ハルちゃんも誘おう」


「ハァ!? なんであいつもまた誘うんだよ? 貴様、俺のこと恐がりすぎじゃないのか?」


「人数多いほうが楽しいじゃん」


「あいつもかわいそうだろ。ダブルデートとやらならばまだしも、その……。目の前で俺たちカップルのイチャイチャを見せつけられるのは……だな」


 大丈夫、見せつけられるのはあんたのほうだから。

 そう思ったけど、何も言わずに彼に微笑んであげた。







 あったかいコーヒーを今日は出した。

 それは唇が冷えないように。


「あはははは!」

 あたしの部屋でミニテーブルを挟んで向かい合って座りながら、ハルちゃんはあたしのマンガを読み、大笑いしてくれた。

「おもしれー! やっぱ絢音、マンガの才能あるよ」


 昨日、寝る時間を削って頑張って描いて、よかった。


「最初のページ、破いてあるけど、失敗したの?」

 気づかれた。


「うん……、ちょっと」


「鉛筆なんだから消しゴムで消せばいいのに。せっかくの作品に傷がついてるみたいで勿体ないよ」


「ふふ……ありがとう」

 下敷きを使っててよかった。ハルちゃんへの愛の告白は次のページに跡を残すこともなく、完璧になかったことになっていた。


 マンガを読み終えると、することがなくなったのか、ハルちゃんはコーヒーを啜りながら、小此木くんの話を始めた。

「でも不自然だな。僕も凛も帰るとこ同じなのに、僕だけ絢音ん家に遊びに来てるなんて」


「帰り、同じ方向なんだね」

 あたしはどーでもいいと思いながら、聞いてあげた。


「方向どころか実は同じアパート。腐れ縁なのかね。ちっちゃい時も近所だったんだけど、今は同じアパートの違う階に住んでるよ。ま、あいつの家族が先に引っ越して、僕が追いかけて行ったみたいな形だけど……。たまたまじゃなくてね、本当に追いかけて行ったんだよ。僕がちょっとした事件起こしちゃって、それがおそらく原因で……両親が離婚して、さ。母さんと僕の2人で路頭に迷ってたら、仲良くしてた凛のご両親が空き部屋があるって紹介してくれて……」



話の内容はあたしには難しくてよくわからなかった。


あたしはハルちゃんの唇の動きばかり見ていた。


彼女の唇はまるで輪ゴムみたいによく伸びる。


よく喋るひとだから、唇もよく鍛えられているみたい。


口を開くたび、綺麗な歯並びと、その奥にある少し尖った舌が見えて、あたしは見とれた。



「あ! ごめん。つまらん話しちゃったな」

 ハルちゃんはおおきな口を開けて笑った。

「……で、どう? 凛とはうまく行ってる?」


「キスされそうになった」

 あたしは嘘を言った。


「おお!? まじか!? あの凛が!?」

 ハルちゃんは大はしゃぎだった。

「すげーな! やるな! あのハナタレ坊主が……。やっぱ男の子なんだなぁ……。で、されそうになっただけ?」


「練習……したい」

 あたしは切ない声で、言った。

「お願い……。練習……しよ?」


「いいの?」

 ハルちゃんの顔からふざけた色が消えた。

「この前、怒ったんじゃなかったの?」


「怒ったんじゃない。……びっくりしただけ」


「いざとなると逃げちゃうんだね? わかる」

 ハルちゃんが立ち上がった。

「いいよ。教えてあげる。まずね、ムード。これ大事」


 そう言うとハルちゃんはあたしのCDを音量を絞って流した。

 こんなだったっけ。千回以上聴いてるマリアの音楽が、初めて聴くようなアダルトなものに聴こえた。


「おいで」


 ハルちゃんにそう言われ、あたしはゆっくり、ゆっくりと立ち上がった。

 心はすぐにでも彼女に飛びつきたかった。心のままに動いたら暴走してしまいそうだった。

 あたしはゆっくりと、ハルちゃんの前に立ち、身を任せた。


 ハルちゃんの両腕が、あたしに巻きつく。

 ブラウスの繊維を通じて体温が伝わって来る。

 吐息の温度まで、伝わって来た。


「踊ろう」

 ハルちゃんはそう言うと、あたしを抱いてゆっくりと、踊りはじめる。

「うん、いいね。そうそう。僕の目を見つめて。いい表情してるよ。恋してる表情の演技、上手だね」


 もちろん演技なんかじゃない。

 あたしは彼女の手を握って、踊った。

 見つめ合う目の中に互いが映っていた。


「僕のこと、凛だと思って」

 そう言うと、ハルちゃんの顔が近づいて来た。

「好きだ、絢音」

 あたしの顔に彼女の手が巻きつく。指で顎をつまむと、ゆっくりと優しく、上を向かせ、ハルちゃんは唇を押しつけて来た。



 やっぱり頭のてっぺんまで痺れてしまう。


 コーヒーの香り、ミルクの甘み、美しい獣のような匂い。混じり合う。


 ハルちゃんはやわらかく10秒ほど押しつけた唇を離すと、照れたように笑い出した。



「どう? まだ緊張しちゃう?」

 平常心の声で言う。

「これが相手が男の子だったら……凛だって思ったら、やっぱ、ムリ?」


「あたしからも……させて」


 あたしの積極的なリクエストにハルちゃんはびっくりしたようだったけど、感心したように笑い、

「ん。いーよ? 好きにしてごらん」

 そう言って少し前屈みになり、目を閉じた。


 あたしの目の前で、ハルちゃんの唇が、あたしのキスを待っている。


 あたしは彼女の肩に手を乗せると、少し背伸びして、そこに唇で噛みついた。


 すぐにハルちゃんが笑い出し、顔を引いた。

「おいおい……。ぱく!って来たな、ぱく!って。……違うよ、唇は閉じて、力を抜いて、そっと押しつけるように……」


「好きにするもん」


「ま、いっけど……練習だもんね。じゃ、もう1回」


 あたしはハルちゃんの首にぶら下がるように抱きつき、彼女の目をまっすぐ見ながら、顔を近づける。

 ハルちゃんが目を閉じる。面白がるような笑いを浮かべているその顔に、あたしは言った。

「ハルちゃん、大好きだよ」



彼女が目を開けそうになったので、思い切りその唇に貪りついた。遊びだとか、練習だとか……、出て来て欲しくない言葉たちをまるで封じ込めるように。あたしより高い背を伸ばしてかわそうとするその動きを、首にぶら下がって止めさせた。押しつけるだけのキスなんていやだ。もっともっと、2人の境界線をなくしたい。交わりたい。あたしは心のままに、自分の胸を強く押しつけて、彼女の唇の内側まで貪った。



 ちゅっという音を立てて、あたしの唇がハルちゃんをようやく離した。


 腰が抜けたようにハルちゃんはあたしのベッドに座り込む。


「ちょっ……。絢音……。やりすぎ……」


 ピンク色の吐息でそう呟いたハルちゃんを、あたしはベッドに押し倒した。





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