罪悪感
好きでもないひとから「めっちゃかわいかったぞ」なんて言われてもキモいだけだと思ってたのに、あたしは小此木くんにそれを言われて嬉しかった。ちゃんと楽しそうな笑顔をハルちゃんに見せられてたんだ、と教えてもらったからかもしれない。でもそれだけにしてはおかしかった。夕焼けに頬を染めた小此木くんの顔を見て、ちょっといいなと思ってしまったのだった。
今さらながら不思議にも思う。この人見知りのあたしが、まるで1人でいる時のように、小此木くんの前だとふつうに喋れるのだ。気心が知れてるわけでもないのに、喧嘩までした。あたしは彼のことを動物だと思っているのだろうか。動物相手だとむしろお喋りになるあたしだから。ただしそれはぜひ触れ合いたいかわいい子犬ではなく、やはり水槽の中のイグアナなのだが。
「ねえ、絢音」
授業中、後ろの席からハルちゃんが話しかけて来てくれた。
「マンガ、続き描いた? あの続き気になるんだけど。読みに行ってもいい?」
明らかに自分でも顔が輝いているな、と自覚しながら、あたしは振り返り、でもすぐに、まるで叱られたみたいにうつむき、答えた。
「あ……。あれから全然描いてない」
最近それどころじゃなかった。いろんなことがありすぎて、マンガにまったく心が向いていなかった。
「あ。じゃ、描いたら教えて? 楽しみにしてるんだよ」
「うん……」
そう答えながら、心の中ではいっぱい喋っていた。
マンガなくても来ればいいじゃん。小此木抜きで、2人っきりになりたいよ。おいでよ。おいで、おいで、おいでー……! お茶飲んで、お菓子食べて、ハルちゃんがベース弾きながら喋って、あたしが聞くから。ハルちゃんの心地いい声も、唇や舌がたてる音も。そしてハルちゃんが弾いてたベースを急に置いて、立ち上がって、そして……。
あ。
そうか。
そんなあたしの心の声なんかもちろん聞いてもらえるわけもなく、
「お父さんのあのベース、もうちょっと借りてていい?」
ハルちゃんは自分の部屋でベースを楽しむ話をした。
「うん」本当は早く返してと言いたかったが、言えなかった。
そうか。今、あたしの部屋にはベースがない。
目当てのものがないから、ハルちゃんは来てくれないんだ……。
彼女の目当てには、ならないんだ、
あたしなんかは……。
「触ってるだけで楽しいんだ、あれ。やっぱりいい物は違うわ。あれで練習してるだけで腕が上達しそう」
「うん」
あたしは「うん」ばっかり言ってる自分に気づいて、死にたくなった。
とりあえず今日、帰ったら、マンガを描こう。寝る時間を削ってでも。そればかり考えていた。
マンガを描いたら、ハルちゃんが読みに来てくれる!
自転車を飛ばした。きつい登り坂も死にものぐるいで漕いだ。まだ暑さの残る9月の太陽があたしを汗でびちょびちょにした。帰るとさすがに気持ち悪かったのでシャワーを浴びた。新しい下着に着替えると、気合いを入れて大学ノートに向かった。晩ごはんまでまだ時間がある。2Bの鉛筆を持ち、唇に当てて、考え込む。ハルちゃんが読んでくれるものだと思うと、緊張してなかなか続きが出て来ない。鉛筆が、動かない。ハルちゃんが、読んでくれるものだと思うと……
はっとした。
描くものはマンガじゃなくてもいいんじゃないだろうか。
ここにハルちゃんへのあたしの想いを書けば……
ハルちゃんが、読んでくれる……。
口ではとてもことばに出来ないから、ここに……。
あたしはHBに持ち替え、鉛筆を動かした。
想いがあふれ出した。
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井伊春加さん、ハルカちゃん、ハルちゃん、ハルちゃん……。
あたしの気持ちを知ってほしい。口では言えないから、ここに書いちゃうね。
あたしは小此木くんのことは本当に何とも思っていません。成り行きで付き合うことになってしまったけど、正式に別れました(これを書いてる時点ではまだ別れてないけど、これをハルちゃんに見せるまでには絶対に別れる!)。
ハルちゃん、あたしの本当に好きなひとは、あなたです。
女同士、へんかもしれないけど、本当に、本当に!大好きなんです。
ハルちゃんと恋人同士になりたい! 本気だよ!
もしも返事がOKなら、あたしを彼女にしてくれるのなら、振り向いてキスしてほしい。
もしもだめなのなら……お願いです。そのまま何も言わずに帰ってください。
絢音
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書いてしまった……。
これをハルちゃんに……見せるのか。
すごく怖い……。
ごはんの時間まであと少しになってしまった……。
小此木くんに別れを言い渡すのはなんでもないことのように思えた。飼っていたイグアナを里子に出すようなものだ。別に殺すわけではない。あたしにとてもなついていたイグアナならかわいそうだとも思うけど、まだ飼いはじめて4日ぐらいのものだ。なんてことはない、なんてことはない。
これを読んでハルちゃんはどう思うのだろうか。
彼女の気持ちになって、いろいろと想像してみた。
『嬉しい! 僕もじつは、絢音のこと……』
これが理想。これであってほしい。
『引くわー! 女同士なんてありえんし!』
……怖い。
『え? つまり凛のこと、利用してたってこと?』
あ……。
『本当は僕が目当てなのに、凛と付き合ってることにすれば、僕がキスの練習してくれるから、それで騙してたの?』
その通りだ……。
『ひどくない? 凛は僕の幼なじみなんだけど……。絢音と付き合えて凛、すごく喜んでたんだけど……。ひどい! 傷つけて!』
あたし……、ひどいやつだって思われちゃう……。
あたしは書いたばかりの告白ページを急いでビリビリと破った。
そして考えた。
そういえば……
あたし、なんで小此木くんと付き合ってしまってるんだっけ?
自分の意志が弱くて断われないところに命令されて、流されてしまったのは確かだ。でもその後、ちゃんとクリーニング・オフを言い渡したから卑怯じゃないはずだ。好きなひとが別にいることも言い渡した。それをあいつが無視しただけだ。
でも無視されたまま、付き合ってることを認めてしまっている。デートまでしてしまった。それはやはり、あたしにとって彼には利用価値があるからだ。彼はハルちゃんの幼なじみ。あたしの知らない彼女をよく知っている。それもある。でも一番の利用価値は……
あいつとのキスの練習がしたいと言えば、ハルちゃんはきっと相手になってくれる。
優しい顔をして、「好きだよ、絢音」と言いながら……。
小此木くんとの練習じゃなかったら?
彼の真似ではなく、ハルちゃん自身としてなら、キスしてくれないのだろうか……?
わからない。
わからないものは、怖い。
だから、あたしは、小此木くんを利用しているのだ。
付き合ってることにし続けて、彼を、騙して……。
少しの罪悪感……。
ハルちゃんへの想いが、そんな罪悪感をどうでもいいものにした。
やっぱりこのままがいい。このままで、いいのだ。小此木くんを利用しよう。シンプルな話だ。あたしがそれがいいから、そうするのだ。




