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Ⅰ:堤防の決壊

「ガトールーク、しんぶん、しんぶん」


ロコが、自分の身の丈ほどもある新聞の束をかかえて、走ってきた。


「おっ、ありがとう」

店番をしていたガトールークは、それを受けとる。


「ちょうかん?」

「いいや、朝刊は朝に来るやつ。

この間教えたろ?」

「あ、そうだったネ!

じゃ、これ、ゆうかん」

「そ、夕刊だ」


ロコが、カウンターに紙面を広げるガトールークの肩によじ登る。


「きょうの“いちめん”は、なんだったノ?」

「一面?

ほら、これ」


ガトールークがページを戻すと、

そこには、カラーの写真が刷られた、大きな記事。


ロコが、新聞紙の上に飛び下りる。

「んとネ、

“アデリーおうこく”、

… なに?」


「アデリー王国凱旋、だ」

ガトールークが答える。


ロコは、首をかしげた。


「ガトールーク、“がいせん”って、なに?」

「凱旋っていうのは、勝って帰ることさ。

…このアデリーって国は、その隣の国の、ウェスパと戦争してたんだ。

アデリーが凱旋ってことは、ウェスパが負けたんだよ」

「“せんそう”…」

「ああ、要は国どうしのけんかだよ」


「ふーん」

ロコが、ガトールークを見上げる。


「ねえ、まけたら、どうなるノ?」

「負けたら、勝った国に従わなきゃいけないんだ。

ほら、けんかだって、負けたやつは勝ったやつに文句言えないだろ」

「…やだネ」


「そう、やだよな。

ほんとにロッキンラインは平和でありがたいなー」

ガトールークが頬杖をつく。



と、そのとき、


「あー!」

ロコが叫んだ。


「な、なんだよ」

「しっそう、しっそう!」


ロコが指さした先にある記事に、ガトールークは目をやる。


長い赤毛の男の写真。


「えーと何、

【アデリーの兵士長フェニックス氏、失踪】」



そう、ガトールークと生活をともにしはじめたころ、ロコは、“失踪”という言葉を真っ先に覚えたのである。

マリ村の一件があったからだろう。



「ふうん…

また失踪か」


どうやらこの、先陣を切っていったらしいフェニックスという兵士長が、戦いが終わっても戻ってこなかったようだ。

戦場に死体はなく、ウェスパの捕虜にもなっていないのだという。


「…身元のわかんない亡骸に、紛れてるんじゃないのかな…

悲しいなあ、こんなことばっかりで」


ロコが小さく鳴いて、うつむいた。



… ふと静かになったその瞬間、

魔法屋の屋内に、風雨の音だけが打ちつける。


「…雨、ひどいな」

「あめ、やまないネ」


昼間から降り続けている雨は、だんだん風をはらみ、激しくなってきている。


「まだ夕方だっていうのに、真っ暗だよ。

電気がすごく明るく感じる」



そう言った矢先だった。



窓の外に閃光が走り、 雷鳴が、鳴り響いた!


「プキュー!」


ロコがガトールークに飛びつき、彼の胸にうずまる。


「うわ、すっごい雷」


ガトールークの声を打ち消すように、もう一発。


電球から、明かりが失われた。


ロコが泣き出す。


「う、停電かよ…

もう店閉めて帰ろう。

な、ロコ?

大丈夫だ、怖くないよ」


ガトールークは左腕でロコを抱きしめて、右手を振った。


黄色い火の玉が彼の手のひらに現れる。


ガトールークはその火をカウンターに飾ってあったランプに入れ、それを提げた。



店の裏口を抜けて鍵を閉め、振り向くと、そこにもう教会の扉が見える。


ガトールークはそこに飛びこんだ。



案の定、教会の中は明かりがまったくない。


ガトールークは、声を上げた。

「じいさん、じいさん!」


「おお、ガトールーク」

ジェニファントが、礼拝堂の方から、裏口側へ来た。


「なんじゃお前、こんなに濡れおって」

「しょうがないだろ、すごい雨なんだから!

これだけ降ってたら、傘なんか意味ないよ。

それより、礼拝堂に人は?」

「ちょうどさっき皆帰ったところじゃ、安心しろ」

「そっか、ならよかった」


ガトールークが肩の力を緩めた、

その瞬間。


「ジェニファントさん!」


礼拝堂から、呼び声がかかる。


ジェニファントは法衣の裾をたくしあげ、住居スペースの階段を駆け下りる。

ガトールークも、あとに続いた。



礼拝堂には、濡れた髪をまとめなおすセレスティーナが、息を切らせていた。


彼はジェニファントとガトールークの姿を確認し、安堵を浮かべる。


セレスティーナは、ようやく呼吸を整えた。


「…ああ、二人とも、無事でよかった!」

「何があったんじゃ、ナイト殿」

「ロワール川の堤防が切れたんです!

この街にもすぐ水が来ると思います」

「…では、この教会は、避難所にすればよいのじゃな」

「はい、城だけでは収容しきれなくて…

解放していただけると、ありがたいです」


「…ひなんじょ…?」

ロコが、泣きはらして濡れた顔を上げる。


「そう、避難所」

ガトールークが、そっとロコの頬をぬぐう。

「ここは丘の上だから、水が来ないかもしれないだろ?

だから、街の人たちを、ここで守ってあげるんだ」


「こわい…」

ロコが涙を溢れさせる。


ガトールークは、震える小さな体を抱きすくめた。




突然、教会の扉が、勢いよく開いた。


振り向いたセレスティーナが、目を丸くする。

「た、隊長!」


ロッキンライン兵士隊長の、ブロスライドだ。

銀の甲冑から水をしたたらせ、礼拝堂に駆けこんできた。


「ジェニファント神官、突然失礼して申し訳ない」

ブロスライドは、歩み寄る。


「兵士隊長殿、ご用は何じゃな?」


彼は、答えた。

「あなたの家にいるという魔法使いを、借りたいのだ」


「お、俺?」

ガトールークが声を上げる。


「左様。

川の決壊はさらに拡大している。

もはや我々の力では及ばない領域に来ているのだ」


「ちょ、ちょっと待ってください!」

セレスティーナが口を挟む。

「ガトールークさんは一般市民です!

僕らの都合で巻き込むなんて、そんなの ────!」


「言ったろう、セレスティーナ。

もはやナイトにすら、なすすべがないのだ」

「僕たちナイトは、市民を危ない目にあわせないためにいるんじゃないんですか?!」

「頭を冷やせ、セレスティーナ。

ナイトにだって、家族や友人がある。

その人たちを悲しませないことも一般市民を守ることではないのか?」

「…そ、それは…

でも、だからって!」


「セレスティーナ」

ガトールークの声が、彼を制した。

「俺、行くよ」


「が、ガトールークさん、正気なの?!

危険なんだ、それこそ命が危ないんだよ!」

「でも、俺なら何かできるかもしれないんだろ?

なら、やってみるしかないじゃんか!」

「僕はイヤだ、ガトールークさんを行かせるなんて…」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」


ガトールークが、ロコをジェニファントに渡す。

「じいさん、ロコ、頼んだ」


「ガトールーク、ガトールーク!いっちゃやだヨー!」

「大丈夫、すぐ戻ってくるよ。

約束だ」


ロコをなだめた彼は、

ブロスライドを振り返った。

「決壊したところまで、連れてってください」


ブロスライドはうなずき、外へ繋がる扉を押し開ける。



銀の背中のあとに続くガトールークを、ジェニファントが呼び止めた。


「ガトールーク」

「ん?何、じいさん」

「気をつけてな」

「…うん

じゃあな!」


ブロスライドを盾にするように、ガトールークは嵐の中に飛び出していった。




「…行っちゃった」

セレスティーナが、つぶやく。


「案ずるでない、ナイト殿」

「ジェニファントさん…」

「どの道止めても聞かんのじゃろ。

まったく、困ったやつじゃが────

それが、あいつの生まれ持った性じゃからの」

「…」


うつむいたセレスティーナを前に、ジェニファントはけらけらと笑う。

「なあに、どうせなんにもないような顔して帰ってくるわい!」


「ガトールーク、だいじょぶだヨ」

ロコが顔を上げた。

「だって、やくそくしたもん」


「…そう、だよね」

セレスティーナは、小さくうなずく。



しかしセレスティーナは、不満だった。


「僕、避難を呼びかけてきます」


彼は、沸々とした憤りをかき消すように、雷鳴のとどろく荒天の中へ、戻っていった。


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