Ⅹ:包囲された礼拝堂
「なんだって…?!」
ガトールークは、つい今までの眠気が一気に覚めた。
「アデリーの軍隊が、攻めてきたって…」
「僕もうどうしたらいいのかわかんないよ、ガトールークさん、来て!」
セレスティーナが彼の手を引く。
ガトールークは、片手で眠っているロコを抱きあげ、二階に下りていった。
「…ガトールーク」
緊張した顔つきのフェニックスが、テーブルについている。
「ん…」
ロコが、目をこすった。
「ガトールーク、まだ、よるだヨ?」
「寝てる場合じゃない、アデリー軍に教会が囲まれてるんだよ!」
「…」
「えー!」
理解に少々時間を要したロコも、ガトールークの腕の中で飛び上がった。
ガトールークは訊く。
「じいさんは?」
「ジェニファントさんは、礼拝堂に…」
「知らせたのか」
「ううん、まだ」
「礼拝堂に人はいるのか?」
「今日はもう、いないよ」
セレスティーナの答えを聞き、ガトールークは一階へと階段を駆け下りる。
「じいさん!」
ジェニファントは、礼拝堂にある女神ファルシアンの像を磨いていた。
「なんじゃガトールーク、騒々しい」
「仕方ないだろ、外をアデリーの兵士に包囲されてるんだよ!」
「お前に言われんでもわかっとるわい」
ジェニファントは、不満そうにため息をつく。
「外から声が聞こえた、どうやらフェニックスを要求しとるようじゃの」
「…もう何か言ってきたのか…?」
「ああ、フェニックスを差し出さんと“超・スーパーびっくりパイプ3号”とかいうのをぶっぱなすとかなんとか、とな」
「…はあ?」
ガトールークは、首をかしげる。
「アデリー軍における最新型の大砲のことだ」
彼の後ろから、声が追いかけてきた。
「それで無数の敵の城を落としてきた」
「な、なんだそれ…」
またも名前が奇怪である上に、どうやら強力な兵器らしい。
どこから撃ってくるのかわからないが、とにかくそんなものに対処できるような装備が、教会にあるはずもなかった。
「どうすんだよ、じいさん」
ガトールークは尋ねる。
ジェニファントは、やっと銅像を磨く手を止めた。
「ずっとこもっとるのも性に合わんしの。
出てってみるかのう」
「なに考えてんだじいさん、撃たれるぞ?!」
「ばかたれ」
ジェニファントがガトールークの頭をひっぱたいた。
「わしはファルシアン様の加護を受けとるんじゃぞ、弾なんぞ当たらんわい」
「… あっそ…」
怪訝な表情のガトールーク。
彼をよそに、ジェニファントは、奥にいる二人に呼びかけた。
「ナイト殿、フェニックスのそばについてやっておくれ」
「…はい」
「フェニックス、お前は礼拝堂のすみにいなさい」
「…
…わかった」
ジェニファントはうなずき、
外へ続く扉の方へと、つま先を向けた。
彼は扉を開く。
並べ立てられた兵士たち、
その合間に置かれた二台の大砲。
そして眼前には─────
──────黒光りする甲冑の、男。
赤いマントと羽飾りをはためかせ、それは立ちはだかっている。
ジェニファントは、口を開いた。
「このような夜更けになんのご用じゃな、お客人」
「何度も言ったはずだ」
甲冑の男は、冷たく言いはなつ。
「はて、そうじゃったかのう」
ジェニファントは、平然とひげをなでている。
「近頃は耳が遠くてのう」
「しらを切るつもりか、じじい!」
詰め寄る甲冑の男。
ジェニファントは、それを見上げて、腕を組む。
「まったく、無礼な若造じゃのう」
「なんだと?」
「人にものを頼むときは、まず名乗るのが礼儀じゃろ、それから心を尽くして─────」
「ええい、うるさいじじいだ!」
男はいらだち、鎧を鳴らした。
「アデリー軍兵士長のジョーダンだ」
「ほう、冗談みたいな名じゃの。
異国は面白いのう、ほっほ」
「貴様!」
「落ち着きなされ、カルチャーショックの一種じゃろうに」
「…ああ、なんてこと言ってんだよ、じいさん…」
扉の裏で聞いているガトールークの鼓動が、速まる。
「わしはこの教会の神官、ジェニファント=リストクラッサじゃ」
ジェニファントは、続ける。
「お前さんが探しとる男じゃが、うちにはおらんと思うぞ」
「とぼけるな、我々が位置情報送信型の最新式すっとびボールで集めた映像にはっきりと映っていた!」
ジェニファントは、“すっとびボール”という単語がアデリーで常用されているらしいことに一種の感動をおぼえた。
彼は、返す。
「ほう、 ならその映像を見せておくれ」
「なに?」
「映像があるんじゃろ。
ほれ、出さんかい」
ジョーダンは、しばし沈黙し、
…答えた。
「…よかろう、国に連絡を取り、後日送らせる」
「今はないんじゃな?」
「…そうだ」
「ほう、その映像とやらも怪しいもんじゃのう。
ま、もともとないんじゃろうから、当たり前じゃの」
ジェニファントの微笑に、ジョーダンは言葉を切った。
しかしそれは、一瞬だった。
彼は、また、顔を上げる。
「よくわかった、ジェニファント。
ならば、交渉といこう」
ジョーダンの声色が、変わった。
「交渉じゃと?」
ジェニファントは、眉を寄せる。
「そう、交渉だ。
噂はかねがね聞いているぞ、この教会に巣くう、魔法使いの話をな」
「…と、いうと?」
「隠す必要はない、異形の魔法使いがこの教会をねぐらに住みつき、人間を殺しては魔物に作りかえているという話じゃないか。
我々がその魔法使いの息の根を止めるかわりに、フェニックスを渡してはもらえないかね?」
「言っておることがめちゃくちゃじゃ」
ジェニファントは、声を荒げる。
「よいか、それはわしの育てた子じゃ!
確かに魔法は使えるがな、まかり間違っても人に危害を加えるようなことはせん!」
「…ほう」
ジョーダンの声が、笑みを帯びた。
「お前の育てた子供が、邪悪な魔法使いと」
ジェニファントが顔を真っ赤にして怒る。
「邪悪とはなんじゃ、そのようなことはない!」
彼の反論をはねのけ、ジョーダンの声が、響いた。
「こいつは闇の使徒だ! ひっとらえろ!」
「─────!!!」
ガトールークの体が震える。
腕に抱かれたロコが、彼を見上げた。
「ガトールーク、どうしたノ?」
「ロコ…
…セレスティーナのとこへ、行っててくれ」
「ん、わかった」
ロコがガトールークから離れる。
頬に色を失い、速い息をつくガトールーク。
彼の唇から、言葉が漏れた。
「…嫌だ…
嫌だ、じいさん!」
セレスティーナが呼び止める間もなく、彼は扉を蹴破って、外に飛び出した。
ジェニファントが、振り返る。
「何をしとるんじゃ、引っこんでおれ!」
ガトールークは、甲冑の男の前に、割って入った。
「ジョーダンさん、じいさんはただの教会の神父なんだ、魔界の回し者なんかじゃない!」
「なるほど貴様か、その魔法使いというのは」
「そうだ、俺だよ」
「…そうか」
甲冑の男の声は、高らかに放たれた。
「一番隊、仕留めろ!」
鎖の手袋をはめたジョーダンの指がガトールークの胸ぐらをつかみ、空間に投げ出す。
次の瞬間、
ガトールークの肩を、弾道がかすめる。
「…!!」
身をひるがえす間もない。
二発めの銃声が、容赦なく、彼の左胸を貫いていった。
繰り返される突然の轟音に、セレスティーナははっと顔を上げる。
彼の腕に抱かれたロコは、目をまわしてのびている。
… あっけなくも気絶してしまったらしい。
教会の入り口が押し開けられ、ジェニファントが、 姿を現した。
セレスティーナは手近な机にロコを下ろし、扉の方に向かう。
「ジェニファントさん、」
大丈夫ですか。
そう言いかけて、セレスティーナの唇は止まった。
ジェニファントが、その腕にいだくものを、そっと床に下ろす。
彼は一言も発せず、また、外へ戻っていってしまった。
フェニックスは、セレスティーナに駆け寄った。
彼の見つめるものに、目をやる。
「…そんな」
セレスティーナが、喉を震わせた。
「…嘘、
…ねえ、ガトールークさん?」
白く細い指が、蒼白な頬をなぞる。
「僕だよ、わかる?
ねえ、ねえってば、起きてよ、ガトールークさん!」
打ちつけるように彼の肩を揺するセレスティーナ。
フェニックスは、ガトールークをそっと抱き起こした。
全身が、温かく濡れている。
何発もの弾丸を叩きこまれたのだ。
その体躯に鼓動はない。
泣き崩れるセレスティーナ。
フェニックスは、ガトールークの顔を見つめた。
幼い肌に、弾のかすめた傷が赤く走っている。
しかしその表情は、驚くほどに静かで、穏やかだ。
フェニックスは、小さな体を抱きすくめる。
「どうして…お前が」
喉から、声がこぼれた。
それに導かれるように、思いが脳裏をめぐる。
──────私のせいだ!
私が教会に来なければ、 ここにとどまらなければ、…
あの日、戦場を、逃げ出さなければ…!
私がすべての発端だというのに、なぜこの青年が死ななければならない?
さんざん巻きこんだあげく、狂暴なアデリーの兵士たちに撃ち殺させてしまったなんて!
代われるものなら代わりたい。
罪のないお前をこんな目に遭わせて、ごめんよ。
ガトールーク!
フェニックスは嗚咽する。
涙がつたって落ち、ガトールークの頬についた血をにじませた。
セレスティーナが、立ち上がる。
「…許さない」
海のような深い青を覆いかくし、彼の瞳は熱く紅をたぎらせる。
扉に手をかけたセレスティーナ。
フェニックスが、呼び止めた。
「何をするつもりだ、セレスティーナ」
「決まってるでしょ、
…皆、叩きつぶしてくるんだよ」
「何を言うんだ、お前も間もなく撃たれるだけだ!」
「… 最初から、僕が出ていくんだった…
僕が皆殺してしまえば、こんなことにならなかったのに!」
怒りが外に溢れだすように、セレスティーナの細い腕はまがまがしく形を変えてゆく。
───────
今、平静を失ったセレスティーナを外に出せば、この街はどうなってしまうかわからない。
フェニックスは、とっさに、木の幹のように黒く硬くなったセレスティーナの手首をつかんだ。
──────その瞬間、
教会の中に、白い光が鋭くまたたく。
「…な、何?
…雷?」
セレスティーナが頭を振る。
突然の閃光によるとまどいが、わずかばかり彼の激昂を鈍らせた。
「…ああ、僕は、なに言ってるんだろう
…そんなことしてガトールークさんが喜ぶはずないし、まして帰ってくるわけじゃないのに ─────」
フェニックスは、息をついた。
セレスティーナが赤い目を伏せたまま、彼をうながす。
「すみっこにいよう…?
もしまたドアが開いたら、フェニックスさん見られちゃうよ」
「…そうだな」
フェニックスが立ち上がった、
そのとき。
「…わわっ、ちょっ」
フェニックスの肩にかかる手。
彼は、腕の中に視線をやった。
「ああ、びっくりした。
落ちるかと思った…」
…
「…あれ?
俺、なんでここにいるんだ?」
──────…!!!
フェニックスは、震える声で、彼の名を呼ぶ。
「…ガトールーク?」
「えっ、ああ、何?」
平然と答えた彼を、フェニックスは強く抱きしめた。
「…よかった …ガトールーク」
「よ、よかったって…
何がどうなったのか、さっぱりなんだけど」
力を緩めたフェニックスにセレスティーナが歩み寄る。
彼はガトールークの顔をのぞきこみ、涙をこぼした。
「…ガトールークさん…
…生きてるんだね」
「そりゃ生きてるよ、
…ってあれ、俺なんで生きて…
撃たれたんじゃなかったっけ…?」
ガトールークは、フェニックスの上から床にすべりおりる。
そして彼は、
「…そっか」
…微笑んだ。
「フェニックスが、助けてくれたんだな」
ガトールークは、手の甲で、フェニックスの頬をぬぐう。
彼の手の触れた涙の跡が、うっすらと光った。
彼は、セレスティーナに向き直る。
「お前もほら、もう大丈夫だから、落ち着けよ」
その指が、セレスティーナの額にあてがわれる。
指先が、淡く光を帯びた。
太く隆々と変形した腕が、真っ赤に燃える瞳が、嘘のように、静まっていく。
床を打つ、小さな足音。
ガトールークは、振り返って、しゃがんだ。
「ロコ」
「ガトールーク!」
「ロコは、なんともないよな」
「うん、へいきだヨ!
でもネ、ばーんっておと、うるさくて、きぜつした!」
「気絶したら平気じゃないだろ」
ガトールークが、両手でロコを持ち上げる。
ロコが、ガトールークの胴を指さした。
「ガトールーク、まっかっか!」
「まっかっか?
…うわっ」
青かった寝間着が血濡れて、完全に赤く染まっている。
「これ、だめだ。
着替えなきゃ…」
ガトールークは、二階に続く階段の方を向きかけて、
…振り向いた。
「セレスティーナ」
「うん、何?」
「じいさん、まだ外に、ひとりでいるのか?」
「…うん」
セレスティーナの返答に、ガトールークは腕を垂れ、唇を結ぶ。
彼は、壁の女神像を見上げた。
「…あーあ、ほんとに、こいつが教会を守ってくれたらなあ」
ロコが、フェニックスの脚に飛びつく。
「ぼく、フェニックス、まもるノ」
「…ロコ」
「ぼく、まえにいったもんネ、フェニックス!
フェニックス、ぼくがまもる!」
「…ああ」
フェニックスは、うなずく。
そのとき。
ガトールークの脳裏に、一筋の光がさしこんだ。
女神ファルシアン、 そして、ロコ。
「…いけるかもしれない」
ガトールークがつぶやいたのを、セレスティーナは聞きのがさない。
「ガトールークさん、いけるって、何が?」
「…これだ、
うまくすれば、アデリー兵を追いはらえるかも!」
ガトールークは、ロコに歩み寄った。
「ロコ」
「ん、なに?」
「ロコ、フェニックスを守るって言ったよな」
「うん、まもる!」
「…そのために、ちょっと危ないこと、頑張れるか」
「…ん…」
「…やっぱり、怖いよな」
「ねえ」
ロコが訊く。
「ガトールーク、いっしょ?」
「ああ、俺も一緒だよ」
「ほんと!」
ロコの笑顔が弾けた。
「ガトールーク、いっしょ!
ぼく、できるヨ!」
「ありがとう!」
ガトールークは、柔らかい、黄色い体を抱き上げる。
「よーし、悪いやつらに一泡吹かせてやるぞ、ロコ!」
「ひとあわ?
あわ、ぶくぶくー!」




