Ⅸ:黒い球体の標的
「…すっとびボールだ」
…フェニックスの一言に、セレスティーナとガトールーク、ジェニファントが、凍りついた。
「きゃはははは、へんなノー!」
ロコだけが、机の上を転げている。
「すっとびぼーる、へんななまえ!」
「あっ
…えっ?!」
ガトールークが、はっと頭をもたげる。
「な、名前?! まさかこれの名前、すっと…」
…そこから先は、笑ってしまって言葉にならない。
宙に浮いていた“すっとびボール”の部品がばらけ、工具箱の中に落ちた。
「な、何…
…すっとびボール…って」
セレスティーナはまだあぜんとしてい る。
「ふ、フェニックス」
すっとんきょうな顔のフェニックスに、 ジェニファントが訊いた。
「なんじゃ、“すっとびボール”とは…」
フェニックスが、はたと顔を上げた。
「あ…ああそうか、
それは、アデリー軍が生産・所有する、小型飛行偵察機だ」
「う、嘘でしょ、て、偵察機の、名前…?!」
ようやく事の次第を飲み下したセレスティーナは、どつぼにはまって机に突っ伏し、動けなくなってしまった。
「だ、ダメだもう、笑いすぎて吐きそう」
体を震わせながら、ガトールークが椅子の背もたれに寄りかかる。
「…そんなにおかしかったか?」
「おかしいとかいうレベルじゃないよ、なんかもうショックすぎて、だって偵察機が、…」
すでにその名を口に出すこともままならないガトールークを見て、フェニックスはため息をついた。
「まあ、無理もない…
アデリーは軍国としては最先端だが、文化創造性は皆無に等しいからな」
「す、す、すっとびボール…」
セレスティーナはまだ笑っている。
ジェニファントが、やっとのことで呼吸を整えた。
「いやはや、他国の文化とは時に恐ろしいものじゃのう…」
「ほんとだよ、俺アデリーには絶対住めない、そんなことしたら腹筋が断裂するって」
ガトールークも涙をぬぐいながら、ようやく自分を落ち着けた。
「まったくだ、あの国にいると感覚が麻痺する」
フェニックスは、うなだれる。
「俺も初めは違和感しか感じなかったが、いつのまにやらそれが普通になっていたな…」
「フェニックス、げんきだして」
ロコが、フェニックスの頬を小さな手で叩く。
「あ…れ、もしかして」
ガトールークは、ふと、腕を組んだ。
「アデリーの偵察機ってことは…」
「あ、アデリーの偵察機だったら、なあに?」
まだあえぐセレスティーナが、ようやく体を起こす。
「…まさか
…フェニックスを、探しに…?」
ガトールークの一言に、フェニックスの表情がこわばる。
「…ありえない話ではないな」
「ええっ、どうして偵察機なんか持ち出してまで、フェニックスさんを…
だって、兵士長だったのに」
「兵士長だからこそ、だろう」
フェニックス自身が、セレスティーナの疑問を打ち消した。
「おそらく、軍の機密事項を漏らさないためだ。
私はアデリーが誇る中枢技術にまで触れているからな…」
「…なあ、フェニックス」
「何だ」
「…捕まったら、
…どうなるんだ?」
「ひとまず投獄だろう。
その後の事は…
…詳しくは知らん」
殺されるのか、と言いかけて、
…ガトールークは、踏みとどまった。
もし仮に、本当にフェニックスが死刑になったら?
どんなひどい仕打ちをされるか知れないが、とにかく、首を吊られようが、めった刺しになろうが、彼は死なない。
そう、死なないのだ。
その光景を目の当たりにしたなら、フェニックスが不死鳥であるということはともかく、彼は不死身の男だという話にはなる。
そうなれば、フェニックスが軍に拘束され、いいように利用される未来は避けられないだろう。
深刻な面持ちのガトールークを見て、フェニックスは彼の胸中を感じとったようだった。
「案ずるな、ガトールーク。
私は、大丈夫だ」
「大丈夫って、なにが大丈夫なんだよ…?」
「私は不死鳥だ…
結局どこにいてもそうなる運命、私の力を取りこもうというやからには、この何万、何億年、幾度も出会ってきた。
…もう、慣れた」
「嘘だ、そんなの」
ガトールークが、吐き出すように言う。
「慣れてたら、フェニックスはアデリーから逃げてこなかった。
まして死にたいなんて、思わないだろ?
そんなことに慣れる人なんか、いないよ」
「まあ落ち着け、ガトールーク」
ジェニファントが、ガトールークを椅子にうながす。
彼は、言った。
「そう深く考えんでもよい、フェニックス。
ここは教会、善の女神ファルシアンに祝福された地じゃ。
常軌を逸しとらん限り、野蛮なまねはせんじゃろう」
ロコがにこにこしながら、ガトールークの肩から顔を出した。
「フェニックスも、ここにすむノ?」
「うん、しばらくはここにいるのがいいよ、フェニックスさん」
セレスティーナが微笑む。
「ここが一番安全だよ。
皆、フェニックスさんのことをちゃんと知ってる人ばかりだから。
ジェニファントさんとガトールークさん、それにロコちゃんも、フェニックスさんを守ってくれるよ」
「わー、ぼくもまもる!」
テーブルの上を渡り、ロコがフェニックスの前に座る。
「…ありがとう」
フェニックスが、その小さくて黄色い頭をなでた。
「…厄介になって申し訳ないが、そうさせてもらえれば、どんなに楽か」
ガトールークが、席を立つ。
「ごちそうさま!
俺、先にシャワー浴びていいかな」
「好きなようにせい」
「ガトールーク、もうねるノ?」
「うん、なんかまだだるいっていうか、本調子じゃなくて」
「ガトールーク、かぜ!」
ロコが立ち上がった彼の肩に飛びつき、ガトールークの首筋に頭をうずめた。
「ガトールーク、ちょっとあったかい」
「でも鎮痛剤飲んだらだいぶよくなったから、たいしたことないさ。
寝て起きたら、すっきり治ってるよ」
「ほんと?」
「ああ、ほんと!
ロコも一緒に風呂入ろう」
「わーい、おふろ!」
ロコがガトールークの頭にのぼって、はしゃぐ。
ガトールークは、それを床に下ろした。
「上にパジャマ取りに行かないといけないからさ、ロコは先に行っててくれよ」
「うん、わかったヨ!」
「湯船に落ちるなよ、俺そんなにすぐ助けに行けないからな?」
「おじいちゃんにもおんなじこといわれた!
わかってるヨ、じゃねー!」
軽い足取りで風呂場の方に走っていくロコを見送り、
…ガトールークは、振り返る。
「フェニックス」
「何だ」
「後でちょっと、上に来てよ」
「後で?」
「うん、風呂からあがったら」
「…わかった」
フェニックスがうなずいたのを見て、ガトールークは目を細める。
彼は、屋根裏に駆け上がっていった。
「そうそう、わかる!
ガトールークさん、ときどきジェニファントさんと同じこと言うよ!」
セレスティーナが、頬杖をついた。
「やっぱり、二人ってどこか似てるんだ よねー」
「馬鹿を言え、あんな奴に似られるなんて願い下げじゃ」
ジェニファントは、仏頂面で紅茶をすする。
フェニックスは、思わず微笑した。
「むっ、笑いおったなフェニックス」
「え、ああ、いや…」
「なんじゃ、若者はもっとはっきりせい、はっきり」
「おっと、失念するな、ジェニファント」
「なんじゃと?」
「若いのは、見た目だけだ」
フェニックスは、屋根裏部屋への階段を上がった。
「おっ、来た」
青い寝間着のガトールークが、ベッドから起きあがる。
「そこ、座りなよ」
まだベッドの横に置きっぱなしの椅子に、フェニックスは腰かける。
「…あのさ」
ガトールークは、少し伏せ目がちに、切り出した。
…
「不死身じゃなくなる方法、いろいろ調べてみたんだ」
「…あったのか」
「あったことはあった────
────…けど、今すぐには無理だ」
「…と、いうと?」
「城の書庫にあった本で読んだんだけど、霧の島に、万年樹っていう木があるらしいんだ。
その花の蜜を唇に塗って、願い事を唱えると、それが叶うんだって」
「願いを叶える?」
「そう──────
もう肉体の残ってない亡くなった人を、生き返らせることはできたみたいなんだ。
体がないとアンデッドとして再起させることも難しいのに、もう一度生命を与えられるなんてすごい魔法だよ。
多分、不死身じゃなくなることもできる」
「それがすぐにできないというのは?」
「万年樹の花は、千年にたった一度しか咲かないんだ。
で、次の開花までには、あと二百年あるから…」
「…そうか」
フェニックスは、小さくうなずいた。
「ごめんな、あんまりいろいろわかんなくて…
今度あそこに忍びこんで、もっと詳しく調べてみるけど」
「あそこ…とは?」
「いや、城の書物庫」
「やめておけ」
フェニックスが笑う。
「また、捕まるぞ」
「大丈夫だよ、そしたら今度はネズミかなんかに化けて外に出るさ」
ガトールークは横になる。
「いや、いい」
フェニックスは、彼にそっと布団をかけた。
「お前にこれ以上甘えるわけにはいかな い」
「ええ、でも、半分は俺の趣味なんだし、なんだか煮えきらないよ」
「お前はさんざん危険な目にばかり遭って…
セレスティーナの寿命が縮むぞ」
「平気だよ、あいつ肝は丈夫だから」
「いいから、やんちゃばかりするな」
フェニックスのまなざしは穏やかだ。
「なに、二百年など、あっというまだ。
私はそれよりはるかに生きているんだぞ」
「…わかったよ」
ガトールークは、毛布に頬をうずめた。
「でも俺は俺でまだいろいろ見てみたいから、もしなにかわかったら教えるよ」
「ああ、頼む」
「おはなし、おわった?」
二人は声のする方に目をやった。
階段から、ロコがこちらをのぞきこんでいる。
「ああ、ロコ、ほったらかしでごめん。
おいで」
ガトールークが呼ぶと、ロコはいそいそとベッドによじのぼり、布団にもぐりこむ。
ガトールークは、訊いた。
「ロコ、俺とフェニックスの話、聞いててわかった?」
「ぜーんぶきいてたけど、ちっともわかんなかった!」
ロコは無邪気に笑う。
ガトールークは、困ったように微笑した。
「まだいろいろ教えてやんなきゃだめだなあ」
「ガトールーク、おめめ、はんぶんだヨ」
ロコがガトールークにすり寄る。
「ねむいノ?」
「明かりを消すか?」
「ああ、ごめんフェニックス、そうしてくれよ」
フェニックスが、壁のスイッチに触れる。
「おやすみ、ロコ、ガトールーク」
「ああ、おやすみ」
「フェニックス、またあした!」
彼は暗くなった屋根裏部屋をあとに、居間に下りていった。
フェニックスは、何気なくテーブルについた。
食事が片づいたなかで、まだ置きっぱなしの工具箱を見つめる。
「今夜はちょっと冷えるよね」
色素の薄い金髪を後ろにまとめた、白いパジャマのセレスティーナが、フェニックスの隣に座る。
「フェニックスさん、なにか飲まない?」
「そうしよう」
「コーヒーと紅茶が…
あっ、ミルクもあったかな!
僕カフェオレにしようっと」
「ああ、私もそれでいい」
今晩、セレスティーナはここに泊まるらしい。
こういう日は、彼がこの家のことをやっているのだろうか。
そんなことを考えているうちに、セレスティーナがマグカップをふたつ持ってきた。
「はい、熱いから気をつけてね」
「ありがとう」
「ジェニファントさんね、今、教会のお掃除なの」
セレスティーナは、頬杖をつく。
「洪水がひどくならなかったから、避難してきた人は皆、今夜はおうちに帰れたんだって」
「そうか」
フェニックスは、温かいカフェオレをすする。
「今度はガトールークさんのこと、王様に知れるといいなあ」
セレスティーナが、ため息をついた。
「今度は?」
「そう、今度は。
ちょっと前に、ロッキンライン領のマリ村ってところで失踪事件があったんだけど、それもガトールークさんが解決したんだよ?」
「ほう…」
「なのにガトールークさんったら、自分がやったってことを黙ってようとするの。
どんなご褒美がもらえるか知れないし、お城勤めになれるいい機会だったのに」
「欲のない男だな」
フェニックスは、息をついた。
「…そういうやつだ」
「…そうなんだよね…
って、よく考えたら、ガトールークさんに城つきの魔法使いになれなんて、無理な話かも!」
セレスティーナは、椅子を立つ。
彼は、窓際に歩み寄った。
フェニックスもつられて立ち上がり、窓を開ける。
「今夜はよく晴れてるね!
お星様がいっぱい見えるよ」
「ああ、アデリーではこうはいかない。
あそこは要塞だ、空は狭いし、明るすぎる」
「ふふっ、フェニックスさん、アデリーになんか行かないで、最初からこっちに来てればよかったね」
「本当だ、拙速だったな」
フェニックスは、窓から、白い城壁を眺める。
──────と、そのとき。
彼の視界を、ふと、黒い影が横切った。
低くうなるようなモーターの音。
フェニックスがはっと顔を上げる。
セレスティーナも、同じことに気づいたようだった。
「フェニックスさん、まさか、今のって…」
「…ああ」
「すっとびボ…」
セレスティーナが、やっとのことで、吹き出すのをこらえた。
「…あ、あはは、
アデリーの、偵察機…だよね」
「そうだ」
フェニックスは、外を見下ろす。
暗がりに点々とする、黒の鎧。
ところどころに、明かりが見える。
フェニックスは、歯ぎしりした。
「…アデリーの兵隊だ」
「ええっ、そんな、まさか…」
「その、まさかだ。
…教会が、包囲されている…」




