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小堀純【8】

(1)


その日、3班は日中から任務に取り掛かっていた。あれから1週間が経ち、武井さんも復帰してきている。私と武井さんの組み合わせがあれば、大抵の任務はそつなく片付く。しかし、今回はそこに新たなパーティとして端野織子が加わった。敵の配置を把握し、援護射撃をしてもらう。初の試みであり、一緒に動くことになった武井さんの表情にも緊張感がある。

「端野チャン、大丈夫?あぶねー時は無理すんなよ。」

「分かってる。危ない時は二人とも置いて逃げるから安心して。」

「やーん、薄情〜」

知らない間に、武井さんとも軽口を叩き合える仲になっていたようだ。意外と適応能力高いじゃん。

今回の任務は3班のみで遂行される。規模は大きくない。

敵は少年と呼ばれる時期に複数の殺人を犯し、実刑を免れて今はいわゆる半グレ集団のトップとして生き延びている。この集団では、違法薬物の売買が行われており、ターゲットはホステス嬢に絞り込んでいる。女性であれば、ホステスとして稼げなくなっても、風俗嬢や売春等で死ぬまで金を搾り取れるとわかっているからだ。

それだけでもクソみたいな話だけど、このトップの殺人事件も凄惨なものだった。まるで動物実験するかのように、人間を解体して遊んでいたそうだ。彼の父親は名誉ある医者だと言うから虫唾が走る。司法が釈放しなければならない状況だったとしても、現在も犯罪に手を染めている以上生かしておくわけにいかない、と言うのがこの案件だ。

「田島さん、今回も全員殲滅でいいんですか?トップ以外は殺すほどの罪ではない気がしますが…」

行きのトラックに揺られながら、私は班長に尋ねる。

「小堀、薬漬けの上に売春婦にまで堕ちた女性がどうなるか分かるか?そう長くは生きられない。それでも奴らは搾取する。それに、手下もトップの男が何をしてきたかは分かっているはずだ。分かっているからこそ、手下になっているんだ。」

田島班長の言葉に私は口をつぐんだ。

「あとな、我々の仕事についてはあまり深く考えるな。自分が大事ならな。」

班長の言う通りだ。

敵に情けをかけては、こちらの心がもたない。

敵が地獄の淵に立たされているのと同様、私たちも同じ場所に居るのだ。

トラックが停まる。どうやら目的地付近に着いたようだ。

「端野、頼めるか?」

田島さんの言葉に、織子が強く頷いた。

織子は建物の内部を透視している。見るところ、2階建の廃倉庫のようだ。しばらく織子は倉庫をじっと見て、

「…1階は広いフロアになっているみたいで、人が20人ぐらい点在しています。2階は、ロフトになってるのかな?奥の方に5、6人。臨戦体制の者はなく、全員平常の状態ですが…どいつがボスかは分かりません。」

と、説明した。それから、田島さんの方を見ると

「…おそらく、全員薬物中毒者かと。突飛な動きに注意です。」

と付け足す。

「はあ、仲間内でもやってんのか。いしけーな。」

織子の言葉に武井さんが呆れたような声を出す。

「端野、細かい分析だな、助かる。しかし、ボスが分からないとなれば、班の中で行動を分ける必要もあるまい。」

田島班長の言葉を受けて、班員全員が武器を装着する。

「一斉に突撃だ、一気に片付けるぞ!」

「了解!」

兵士たちが一気に正面の扉へと走り出した。


(2)


倉庫の扉はいかにも重そうな鉄製のものだ。

「はいはい、みんなどいてねー。」

後ろから武井さんの声がする。振り向くと、ロケットランチャーを構えていた。いつの間にそんなもの持ってきてたんだろ。

隊員が道を開けるや否や、躊躇なく扉に向かってロケットランチャーを打ち込む。爆音と共に扉に大きな穴が空いた。まあ対戦車用だからこれくらいの扉は朝飯前だろう。

「GO!」

武井さんの掛け声で、一気に隊員が倉庫内へとなだれ込む。

出入り口付近にいたと思われる運の悪い数人は、ロケットランチャーの威力ですでに絶命していた。

「織子、あんたは後方から撃つことに集中して!」

「分かった!」

初めて敵に武器を構えるであろう織子に私は声をかけた。

私が腰に下げたナイフを抜く頃には、すぐ後ろに武井さんが追いついていた。その手にはハンドガンが握られている。

「病み上がりにロケランは効くぜぇ〜」

そういやこの人、怪我は完治しているんだろうか。

「武井さん、ロケランはどうしたの?」

「あー、表にほっぽってきた!」

…何て雑な扱い。

「やーやーやー、僕のおかげで敵さん減っちゃったんじゃないの?」

倉庫の中を見渡して武井さんがおどけて見せる。

対する半グレ集団は、まさかいきなり出入り口にロケットランチャーを撃ち込まれるとは思っているはずもなく、半ば呆然としていた。

「…か、カチコミだ!!ぶっ殺せ!!」

奥の方の男が大声を上げる。

はあ、なるほど。あんたが頭ってわけね。

すると敵の多くが拳銃を構えた。拳銃を持ってる…ってことは、また上に組織がついてるって事だな。面倒くさい。

「カチコミって…ヤクザじゃあるまいし。」

銃を構えた織子は呆れ顔だ。まあ、我らがシセツも似たり寄ったりだと思うが。

「私が一直線で変態クズ野郎をぶっ殺す。周り、お願い。」

「ほんじゃ俺は、上のやつやっつけてこようかなあー。あ、俺も一人で大丈夫よ。」

私と武井さんはそれぞれ周りの隊員に一声かけると、一気に走り始めた。

それと同時に周囲に怒号が飛び交う。しかし、威勢が良かったのはほんの一瞬。すぐに悲鳴や命乞いの叫びに変化した。

ロフトから数発の銃声が聞こえた。さすがトップクラスのガンマン、仕事が早い。

敵がいくら銃を持っていようと、訓練された者のそれには到底敵うわけがない。

私は攻撃をすり抜け、最短距離で頭の男に迫る。

「クソアマが!」

男が私に銃口を向ける。次の瞬間、銃を握る手を何かが跳ね飛ばした。

振り向くと、私のすぐ後ろで銃口から煙を立てる織子がいた。

後方に居ろって言ったのに…!

その一瞬の隙に、男が織子に迫り血まみれの手で彼女の腕を捻り上げた。

挿絵(By みてみん)

「イタタタ!ちょっと、やめて!!」

「わーい、ロリっ子ゲット!俺、小さい子大好きぃ!!」

どうやらこの男、キメすぎてて痛みを感じないっぽい。しかも、超絶にキモい。

しかし、織子を捕らわれている以上、下手に手出しできない…どうしたものか。

捻った手を返して、男は織子の顔をまじまじと見た。

「わー、可愛いお顔。俺のお人形になりなよ。たくさん可愛がってあげるからさ…」

やばい、キモい。どうしよう。

「…さっきから、ロリだ小さいだ言いよって…」

ん?織子の様子が…

「キッショいんやボケェ!!」

男が織子を自分側に向けたのが運の尽きだったようだ。

思い切り織子の前蹴りが男の股間に命中した。

「っげえぇ!」

痛覚が鈍っても、これは内臓系の痛み。耐えられるはずがない。あっさりと織子は男から解放された。

「人のこと舐め腐りよって…」

ふらつきながらもかろうじて立っている男に向かって織子はそう言い放ち、軽く助走をつけると大きく飛び上がる。

「くたばらんかい、この変態野郎が!」

あらー。見事な回し蹴り。見事な回し蹴りが頭部に入ったよ。あらー、頭が良くない方向に曲がったね。これ、頸椎行ったやつだね。

織子が着地を決めるのと同時に、男もどさりと倒れ込んだ。

倒れた男を見てみると、やはり首がそうであってはならない方向に捻じ曲がっている。口からはぶくぶくと泡が溢れ出していた。これは、見まごうことなきご臨終です。

ふっと顔を上げて、こちらを見る織子に私は盛大な拍手を贈った。

「あんた、体術もいけんじゃん。やるね。」

「いや、あまりにもキショくて…」

そんな会話をしていたその時、男のポケットから滑り落ちたスマホが鳴る。私が拾い上げて画面を確認すると、どうやら男の父親である『名誉ある医者』から、みたいだ。本来そんな必要はないが、私はこの着信を受けてみた。

『おい、お前!また何かやらかしたのか?いい加減にしろよ、後処理する私の身にもなれ!』

受けた途端、耳に飛び込んできたのは怒鳴り声だった。

「なるほど、息子さんの悪事を隠蔽していたのはあなたでしたか。」

私はごく落ち着いた声で、電話口の相手にそう話しかける。

『…君は、誰だ?』

流石に自分の子供の声ではないことはすぐに分かったようだ。

「誰でもいいでしょう?それより、あなたの息子さん今亡くなりましたよ。」

私の報告に電話口の相手は、意外にも安堵とも取れるため息を吐いた。

『…やっと死んでくれたか。そうか…』

それだけ言うと、通話は一方的に切断された。

この時、私はなんとなく、この無様に死んだ男の境遇を感じ取った。

「…私たちと、同じだ。」

「え?何て?」

その声はあまりに小さく、そばにいた織子にも聞き取れなかったようだ。

周囲を見渡せば、ほとんどが片付いている。我々の仕事はスピード勝負だ。シセツの存在を隠すためには、とにかくサッと任務をこなす必要がある。

「今回のMVPは織子だね。」

「後方にいなきゃならなかったのに、いても立ってもいられなくなっちゃって…ごめん。」

それだけ私を心配してくれていたと言うなら、怒るに怒れないな。私は苦笑いした。

「とにかく、田島班長にはいい報告ができるでしょ。」

すっかり片付けが終わった倉庫を後に、私たちはトラックへと戻っていった。


(3)


トラックで待っていた田島班長に隊員がそれぞれ報告を行う。相手が銃で武装していたことを伝えられると、田島さんの表情が曇った。

「ただの半グレが銃器を持っているとは考えにくい。上にも何かありそうだな。」

このあたりの見立ては、私と同じようだ。隣を見ると、織子が小刻みに震えている。

「端野、どうした?」

田島さんも気が付いたようで、彼女に問いかける。

「す、すみません。射撃で人を撃つのは平気だったんですが、敵の首を折った時の感触がまだ残ってて…」

織子が動揺するのも分かる。遠距離で射殺するのと直接手を下すのはまるで違う次元の話だ。肉に食い込む自分の体の一部、骨が砕ける瞬間。決して気分のいいものでは無い。命を奪う行為を、しっかりと体感するのだ。初めてのことならばショックは大きいだろう。

「確かに嫌なものだよな。しかし、今回お前は的確に動いて頭を仕留めた。今は誇れなくても、じきに慣れてくるだろうさ。」

シセツの隊員にとっては重要なことだが、私は正直この『殺しに慣れる』という考え方が好きではない。人殺しは人殺しだ。そんなものに慣れてしまえば、本物の化け物になってしまいそうで、怖い。

でも、そうなっていくしかないのだろう。この閉じられた世界で生きていくためには。

「小堀、お前からの報告は?」

私の報告が後回しになっていたため、田島さんが促す。あまり報告したくないが…仕方ない。

「頭の男の死亡確認後、たまたま彼の父親から着信がありました。」

私の報告に、田島班長は目を丸くする。

「まさか、出たのか?」

「はい、電話に出ました。勝手なことをして申し訳ございません。」

私が正直に答えると、田島班長は眉間を押さえた。やれやれ、といった表情だ。だが、すぐに元のポーカーフェイスに戻ると、

「で、その父親は何と言っていた?」

と私に問う。

「これまでの彼の悪事を隠蔽していたのは、父親みたいです。頭が死んだことを伝えた時は、『やっと死んだか』と安堵していたようでした。」

死んだボスは、私たちと境遇が似ている気がしてならない。親に見捨てられ、育てる事を放棄され…行き着いた先がシセツか、それともしょうもない集団か、それだけの差。ここにいる誰もが、一歩間違えば彼のようになっていたのかもしれない。「…小堀、もう一度言うぞ。」

田島班長が低く私に言葉を投げかけてきた。

「敵は、敵だ。そうでしかない。奴らの背景など知ろうとするな。」

「…すみません…」

彼の言葉に対して私は謝ることしかできなかった。

「その人間臭さはお前の良いところではあるが…いつか足を掬われるぞ。」

「…はい。」

そこから先、トラックの中は沈黙が続いた。

私は、この人間性を殺さなければ生きていく道がないのだろうか。


(4)


任務が終了し、解散した3班は思い思いの場所へと散って行く。

私と織子は素直に寮へと戻ることにした。

「織子、大丈夫?」

さっき震えていたことが気になって、歩きながら彼女に声をかける。

「うん、落ち着いた。けど、けど…」

織子は何か思いつめた表情をしていた。

「今は無理でも、いつか人を殺した事を誇れるようになるってこと?人を殺すのなんか、誇れる事じゃないよ…」

田島さんの前では言えなかったであろうことを、吐き出す。

織子の言葉に、私は胸に疼くような痛みを感じた。

彼女と私ではこの仕事の暦が違う。彼女は今日初めて他人の命に手をかけたのだろう。しかし、私はすでにもう取り返しがつかない人数を殺めている。もちろん、誇りになんて思っていない。間違いなくこの世でも末端の方にある汚れ仕事だ。

でも、いつからか殺すことに鈍感にはなっていた。

標的だから殺す。そこに何の意味も感情もない。

「私も誇れることだなんて思ってないよ。かれこれ4年、現場に立ってるけどさ…」

私もありのままの本音を織子に伝えた。彼女がこちらを見る。

「でも、慣れるんだよね。まるで流れ作業でもしてるかみたいに。」

私は使いたくなかった『慣れる』と言う言葉をあえて用いた。

織子の顔が、怯えたような表情になる。

「怖いでしょ?怖いよね。私も、怖いんだ自分が。でも、もうこのシセツで勤めたらね、そうなるしかないんだ。」

苦笑いする私から目を逸らし、「あたしはそうなりたくない」と小さく呟く。

「私もそうならないで欲しいと思うよ。織子も、武井さんも、ヒューゴも。」

罪悪感を持たなくなったら、それはもうただの怪物だ。

それぞれがどこかに引っ掛かりを持つことで、かろうじて人の形を保っている。

「そう言えばあのキショい男、父親に見放されてたの?」

少し落ち着いたのか織子は、話を巻き戻した。

「尻拭いだけはしてたみたいだけどね。厄介者だとは思ってたんじゃない?」

私は大袈裟にため息をつく。

「それで、『私たちと同じ』…」

織子の呟きに私は驚いてそちらを見る。

「あんた、聞こえてたの?」

「うん、聞こえてた。都合悪そうだから聞こえないフリしたけど。」

いつもは辛辣なくせに、なんでそう言うところは気を回すのか。よく分からん。

何だか気まずくなって、二人とも黙って歩いた。

「…何も変わらないのかもね。」

先に沈黙を破ったのは、織子だった。

「親に厄介払いされて。ロクでもないことに手を染めてる。あたし達が相手にしてるのは、合わせ鏡みたいなものなのかも。」

織子も私と思ったことは一緒だった。しかし、こうして標的に思いを馳せれば攻撃に迷いが出る。田島さんの言うことはもっともなのだ。どちらの言い分も分かるから、私は何も言葉を返せなかった。返せないままに、寮のエントランスに到着してしまった。

その時、織子がくいくいと袖を引く。

「 ねえ、純。今夜そっち泊まっていい?」

もう平気、とは言っていたもののやはり一人は怖いのだろう。人を初めて殺めて平常心でいられる方がどうかしている。

「いいよ、甘いものでも食べようか。」

甘いもの、と聞いて織子の表情が少し明るくなる。

エレベーターの中で何を食べるか相談していると、あっという間に私の住む部屋の階に到着した。

「ホットケーキミックスがあるから、それにアイスつけてあげるよ。」

「バナナがあったら、バナナも乗せて!」

話に夢中になっていると、通路の先を見た織子が不意に「あ…」と言葉を止めた。

私もつられてそちらを向く。

私の部屋の前に大きなキャリーバッグが置かれていた。

そのキャリーバッグの向こうには、膝を抱えて座る人影が見える。

「…えっ…」

私と織子は顔を見合わせると、部屋の入り口まで小走りをした。

キャリーバッグの影に隠れていたのは…

「…カタン…!」

そう、そこに座り込んでいたのは、間違いなくカタンだった。

挿絵(By みてみん)

「どうしたの?何でここに?」

慌てて私がカタンに問うと、ゆらりと彼女は頭を上げた。こちらに向けられた眼差しには、かつてのような輝きはない。

「純ちゃん…」

カタンの大きな瞳から涙が溢れ出す。

「…やっぱり一緒に住めないって…言われちゃった…」

カタンの言葉に私は衝撃を受けた。カタンが家へ帰ると言って出て行ったあの時、あの母親からそんな気配は微塵も感じられなかった。それに、預けて、引き取って、また預ける?ある程度物事が分かる子供にする仕打ちではない。

「…詳しく聞くから、とにかく中へ。織子も入りな。」

私はそう言うと、急いで部屋の鍵を開けた。


(5)


とりあえず、二人を部屋に入れるとホットココアを入れて出した。

カタンは虚ろな目で、私と織子を交互に見ると、

「二人は、仲良くなれたの?」

と尋ねてくる。

「お陰様で、何とかね。つまりはこいつがただの天邪鬼だったって話。」

「そんな、大雑把な説明しないでよ!」

「だって本当の話でしょうが。」

私と織子のやり取りを見て、カタンは微かに笑った。

「よかった…きっと仲良くなれるって思ってたから…」

この底無しのお人好しな感じは、変わっていない。というか、変わるはずもない。カタンがシセツを出てまだ1週間ちょっとの話なんだから。

「それで?カタンは何があったの?」

私が本題を切り出す。するとカタンはうつむいた。

「何がって…何もないよ。私は、いつも通り生活していただけ。」

ココアが入ったマグカップを握る手が微かに震えている。

「父や母と毎日話して、ご飯を食べて…寝てた。それだけ。でも、2、3日したら両親の様子がおかしくなってきて…」

カタンは小さくため息をついた。

「夜、二人が言い争う声が聞こえた。父が何で連れ帰ったのかと母を問い詰めていた。母は世間体がどうの、って返していた。ああ、私は二人に歓迎されて帰ったわけじゃなかったんだ、って気づいたの。」

彼女の独白に私は心底がっかりした。

カタンの両親はどちらも、大人の事情でカタンを連れ戻しに来たんだということが分かってしまったからだ。

「それで、ママが言ったの。まだ準備がうまく行ってなかった、もう一度シセツにいてくれないか、って。」

「だいぶ身勝手な話ね…」

横でカタンの話を聞いていた織子が思わず言葉を漏らす。

私も全く同意見だ。これでまたカタンを迎えに来たとしても、そこに善意はない。彼らの都合でしかないだろう。

全てを話し切ったカタンは、さらに強くカップを握る。

「…もう、いや。」

極小さくカタンが呟いたと思うと、彼女はマグカップをテーブルに叩きつけた。

「もう嫌!嫌、嫌、嫌!!10年も隔離されて、やっと一緒に暮らせると思ったのに、何よこれ!パパもママも大嫌い!!私のことなんてどうでもいいんだ!」

それは初めて聞くカタンの絶叫だった。叩きつけられたカップからココアがこぼれている。

「何がこれからは一緒、よ!周りの目を気にして私を連れ戻しに来ただけなのに!優しい顔して、私を欺いて!」

私と織子はカタンの叫びを聞き続けることしかできなかった。

「こんなシセツも嫌!人殺しなんかしたくない!!人殺しなんかしたくない!!」

それは今まで隠していた彼女の心からの本心なのだろう。

思いの丈を吐き出したカタンは、肩で大きく息をしていた。

こんな時、なんて言葉を掛ければいいのだろう。数えきれない人を殺めてきた私に何か言えることはあるのだろうか。胸が、苦しい。静かに織子を見ると、彼女はうっすらと目に涙を溜めていた。

しばらくすると、カタンの呼吸が整ってきた。

「…ごめんなさい、ひどいこと言って…」

小さな声で、謝罪をする。バカだな、謝らなくていいのに。

「問題ないよ。みんな、同じこと思いながら働いてるんだから。」

先にフォローしたのは、織子だった。今日初めて人に手をかけた彼女だからできたことかもしれない。織子の方を向くと、カタンはポロポロと涙を流した。織子も共鳴するように涙をこぼす。

「…あー、もう。泣くな泣くな。いや、泣いてもいいけどさ。ほらテーブル拭くよ、ココア入れ直すから。」

私はそう言って立ち上がると、テーブルを拭いてそれぞれのマグカップを回収した。キッチンで改めてココアを入れていると、織子がこれまでのことを謝っているのが聞こえた。ここから三人の仲が始まるのかもしれない。


その日、三人は一緒の部屋で寝た。ベッドは1台しかないから、二人は布団で寝ることになったが。三人であれやこれやと雑談して、そろそろ寝ようという時にカタンが口を開いた。

「ねえ、私決めたよ。」

それは独り言のようでもあった。

「このシセツで、ずっと暮らすよ。もし、また親が連れ戻しに来ても、もう帰らない。」

カタンの言葉を受けて、モゾモゾと彼女の方を向く。

「次来たら、私がグーパンしてやるよ。」

それを聞いたカタンはクスクスと笑って、

「じゃあ私は左からグーパンするね。」

と言った。

「そしたらあたしは真ん中をグーパンするわ。」

見ると織子がパンチの素振りをしている。

「三方向はきつかろう。」

私は二人の台詞に苦笑いした。

「…私を、受け入れてくれて、ありがとう。」

急にポツリ、とカタンが言った。

やばい。何でこのタイミングで。目から謎の汁が出そう。

「寝よ寝よ、おやすみ。」

私は慌てて、二人にそう言うと瞳を閉じる。

きっとこのシセツで戦う人たちは、計り知れない闇を抱えている。私が入所した経緯なんてたいしたものではないかもしれない。織子や武井さんも多くは語らないが、おそらく凄惨な過去の上でここにいる。

闇の中から、さらなる闇へと放り込まれる。しかし、その深い闇こそが呼吸ができる唯一の場所である人間も居る。

もし、天国や地獄があるのならば、我々が向かう先は間違いなく地獄だ。それでもここで生きていくことは、必ずしも苦しみだけではないと思いたい。


こんな時間に更新です!

猫にまとわりつかれていて、パソコン作業が大変です。助けてください!

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