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冥合奇譚  作者: 月島 成生


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21.昔語


 想いを自覚して、二日。

 表向きは、胡桃と今まで通りに接することができている。


 烈牙も、あの日以来克海の前では出ていない。胡桃が言うには、家に帰り、自室に戻ると出てくるのだという。そして否応なしに術書を広げて、勉強させられるのだと。


 問題は、部屋で烈牙が表にいると、霊たちがはっきりと見えることらしい。

 胡桃のときには、なんとなく気配を感じる、どこからともなく声が聞こえる、といった程度なのだけれど、と。


 克海は元々、心霊現象に関しては懐疑的だ。

 今でも完全に信じているわけではないが、あの悠哉が嘘をつくはずもないから本当なのだろうと、漠然と思っていた。


 ――そう。たとえ克海が胡桃を好きになったとしても、もっとも強力な恋敵である悠哉を嫌いになれないのが、困りものだった。


 現に今も、明日が日曜日で休みだからと、悠哉のところに泊まりに来ている。親も、悠哉なら安心ということで、夕方に道場へ行った後は、自宅に帰らず、直接訪ねた。

 事前に連絡を入れていたからか、行った時にはすでに、風呂の準備がされていた。

 風呂から上がってくると、ダイニングテーブルに夕食が並んでいる。


 毎度のことながら、至れり尽くせりだよな。


 内心で、ひっそりと苦笑する。

 悠哉自身、とても魅力的な人物だった。色々と話を聞けるだけでも楽しいのに、こんな風に居心地がいいものだからつい、入り浸ってしまう。


 やっぱり敵わないな、と思う。年下のいとこ――男相手でさえ、こういうことを自然にやってしまう人だ。

 この人が本気で狙って尽くせば、きっと落ちない異性はいない。

 加えて胡桃は、以前から悠哉に憧れていたという。


「――あれ、この本って……」


 奇妙な感慨が浮かぶ前にと、話題を探す。

 そこでふと目を転じ、見つけたのはリビングのテーブルに置かれた、和綴じの本だった。


「今日、烈が忘れて行ったんだ」


 こういうところが抜けている、と笑う姿が楽しそうで、思わずつられて笑った。


「じゃあ、今日は広瀬と二人きりだったんだ」


 今まで、とはいっても二回だけだが、そのときには克海も合わせて三人で会っていた。だから単純に、克海がいなければ二人という計算をしただけなのに、悠哉がわずかにムッとする。


「妙な言い方はやめてくれ。烈もいるから、実質三人だな。――というか、ここへ来たときから帰るまでずっと烈だった。中にいる胡桃ちゃんと話すのも、烈を介してだったから」


 むしろ、胡桃とは会っていないに等しい。

 言外の声に、ああと納得した。

 「二人きり」などと言ったから、からかわれたとでも思ったのだろう。不機嫌というより、照れているのに近いかもしれない。

 そう思うと、最初はまったくからかう気などなかったのに、いたずら心が湧いてくる。


「ってことは、広瀬とデートすると、中の烈も一緒なんだ? 悠兄も大変だ」

「デートなんてしてないぞ。これからもないな、たぶん」

「そうなの?」

「十一も年下なんだぞ。手を出したら、間違いなく犯罪だ」

「でも、十六と二十七だとちょっと問題ありそうだけど、二十歳と三十一なら大丈夫じゃない?」


 実際、もっと年の差のあるカップルも珍しくない。言うと、悠哉が眉をひそめる。


「それは――そうかもしれないが。彼女から見ると、おれは立派におじさんだろう」


 恋愛対象になるはずがない。物言いには、思わず笑ってしまった。


「それ、同じこと広瀬も言ってたよ。自分が子どもだから、相手にされないだろうって」


 お互い、相手さえその気があるなら、そう受け取れる言い方をしている。

 ということは、当人自体はまんざらではないのではないか。


 ふと、頭の中で二人が並んだ姿を想像してみる。

 悠哉も胡桃も、容姿に恵まれているだけではなく、人柄もいい。理想的な、美男美女カップルに思えた。


 お似合いだよな。


 浮かぶ感想に、あれ、と疑問が浮かぶ。


 ――まったく、嫌じゃない。


 胡桃が悠哉のことを褒めているのを聞けば、面白くないと感じられた。二人が並んで立つ姿を思い浮かべるだけでも、チクリと胃が痛んだ。

 なのに今は、なんだかんだ言いながらも傾倒しているらしい悠哉が、微笑ましい。


「まったく、お前たちはなんの話をしてるんだ……」


 疲れたように片手で頭を覆う仕草に、照れが見える。そのあとも小さくぶつぶつ呟くのはきっと、照れ隠しなのだろうと思えば、やはり微笑ましかった。


 うまくいってほしいな。


 自然と浮かんだ感想は、我ながら不思議なものだった。





 克海が泊まった翌日、日曜日。やはりというか、胡桃が訪ねてきた。

 否、正確には烈牙が、ではあるが。

 ともかくやってきた烈牙は克海を見て、一瞬だけ眉を歪ませるも、「おう」と手を上げて挨拶をくれる。

 克海も、「うん」と挨拶ともいえぬ返事をした。


 なんとなく、気まずい。


「そうだ、烈。手を出して」

「なんだ、これ」


 ぽんと手に置かれたものに目を落とした烈牙に、悠哉が笑う。


「ここの合い鍵だ」

「えっ」


 驚きの声は、克海と烈牙、両方から上がった。

 到着早々、ソファにどっかりと座りながら、烈牙はうーんと唸って頭を掻きまわす。


「受け取れねぇだろ、さすがに」

「なぜだ?」


 きょとんと問う悠哉は、本当に意味がわかっていないようだった。


 実を言えば、克海も合い鍵をもらっている。

 悠哉の本を借りることも多々あるが、彼がいつも部屋にいるとは限らない。何度か予定が合わなかったあとに合い鍵をくれて、「いつでも好きに来い」と言ってくれたのだ。


 信頼されているのだと思えば、嬉しかった。なのに、まだ知り合って間もない胡桃にも渡すなんて、自尊心を傷つけられた気分になり――


 違うと、すぐに気づく。

 悠哉にとって胡桃は、最近知り合った女の子である以上に、大昔からの親友である「烈牙」のイメージが強いのだ。


 ――けれど、それだけだろうか。胸の奥が少し、もやもやとする。


「お前が表にいると、周囲の霊たちを余計寄りつかせてしまう。胡桃ちゃんの部屋のように、磁場が強ければなおさらだ」


 眉をひそめて不服そうにする烈牙に、説明を続ける。


「かといって、胡桃ちゃんの家以外、たとえば外出先で術書を広げるわけにはいかない。他人に見られれば明らかにおかしな人だし、なにより、それこそそこが安全とは限らない」

「そりゃあ、まぁ……」

「その点ここなら、人目を気にせずにすむ。だがおれがいつも在宅しているとは限らない。ならば鍵を預けておくのが最適だと思うが――」

「あーもう、違うだろ」


 はぁ。深く嘆息する烈牙に、悠哉が首を傾げる。


「なにか間違ってたか?」

「そうじゃねぇ。言ってることは、一々もっともなんだけどよ。忘れてないか? こいつはおれじゃない。一応は女だ」

「だから?」

「で、お前は男だろ」


 胸元を指でつつかれた悠哉が、ああ、と苦笑した。


「心配しなくても、手なんか出さないよ」

「だからそうじゃねぇって」


 えっ。

 そういう意味で反対しているのかと思っていたので、内心で声を上げた。


「女であるこいつに鍵を渡す、自由な出入りを許すなんて、誤解されても文句は言えない。お前の恋人に知られたらさすがにまずいだろって言ってんだ」


 なるほど、と納得もするが、大雑把そうに見える烈牙の、意外に細やかな心配りに驚きもある。「豪胆なくせに繊細」と評した悠哉の言葉は、やはり正しかったということか。


「彼女なんていないよ。だから余計な気を回さず、遠慮なく訪ねてくれ。――もちろん、胡桃ちゃんも」


 烈牙だけではなく、あえて胡桃の名を出したことに、下心はないと言い切れるのだろうか。

 思わず向けた疑惑の目に同調したわけではないのだろうが、烈牙が面白がるように片眉を跳ね上げる。器用に逆側の目を細めて、笑みを深めた。


「『だったら、悠哉さんに彼女ができるまで甘えさせてもらっちゃおうかな』だってよ。胡桃が鈍くて助かったな。――それとも、気づいてもらった方がよかったか?」

「なんのことだ?」


 そらっとぼけた調子で返すが、克海にも見え見えだった。


 やっぱり、悠哉は胡桃に気があるのだろう。自覚のあるなしは、別としても、だ。


 チリチリと胸が痛む。

 昨夜は、どうせなら二人にうまくいってほしいと思っていたのに、なぜ今はこうも不快なのだろう。


「それよりも、胡桃ちゃんの様子はどうだ? 夢はまだ見ているのか――霊たちの動きも知りたい」


 どうやら烈牙が気に入ったらしいベリーティーを淹れながら、悠哉が問う。おそらく、話題転換の意味合いもあったのだろう。


「夢は見てるな。おれの自我がはっきりしたせいか、今は蓮の夢が中心だけどな」


 紅茶を一口すすって、ほう、と息を洩らす烈牙に、きょとんと眼を向けた。


「どういうこと?」

「おれの夢を見てたのはたぶん、記憶が戻りかけだったからだろうと思う」


 うるせぇな、と一喝される可能性を覚悟していたのだけれど、意外にもすんなり応じてくれた。


「その頃はおれも、記憶が曖昧でな……胡桃にとっても、すぐそこにあって、思い出せそうなのに思い出せない、もどかしい感じがしてたんじゃねぇかな。そうしたら、気になる。気になったら夢を見る」


 そういうことだ。しめくくって、烈牙はひょいと肩を竦める。


「霊たちは……まぁ、変わった動きはねぇな。相変わらずうじゃうじゃしてるし、ちょいちょいいたずらめいたもんはされるが、おれで十分対処できる状態だ。月龍(ユエルン)くらいの力量のヤツが、本気で敵意持ってかかってきたらヤバイとは思うけどよ」


 そうなる前に、術を覚えねぇとな。げんなりとした顔からは、やる気は感じられない。発言だけを見れば、ちゃんと使命感はあるようだけれど、と考えて、ふと気づく。


「そういや、この間から思ってたんだけど、その月龍って人、術者かなにかだったの?」

「いんや。あいつはただの、怪力自慢の無能な武官だ」


 質問に、迷うことなく断言した。

 悪意しかない返答に、そういえば月龍のことが嫌いみたいだったなと苦笑する。


「でもまた、なんでそんなこと訊くんだ?」

「こないだ四人の運命を呪縛した、とか言ってたし、今も力量がどうこう言ってたから」

「ああ、なるほどな」


 納得を示す首肯と同時、コリコリと指先で額を掻く。


「草薙は、生まれつきの資質を買われて術者になった。悠哉にも片鱗が見える。ってことは蒼龍(ツァンルン)にもあった可能性が強いし、その双子の兄である月龍にもあったと考えるのが自然だ」

「へぇ……」

「けど、別に力なんかなくったって、呪縛はできるんだぜ? 人の想いくらい強く、恐ろしい『呪』はねぇからな。またあいつは、気味が悪いくらいに執念深い男だったし。思慮がない分、思い込んだら……ってわけさ」

「――複雑な気分だな」


 悪意をこめて、嫌そうに顔を歪めながら言葉を吐く烈牙に、悠哉が困ったように眉をひそめる。

 一瞬きょとんと悠哉を見上げて、すぐにきゃらきゃらと笑った。


「別に双子だからって、蒼龍も同類だなんて思ってねぇよ」


 バシンバシンと、悠哉の肩を力強く叩く。


「確かに双子は、資質自体に差はないかもしれん。けどな、育つ環境や自身の努力で変わってくる。それが個性ってヤツだ。蒼龍と月龍は双子だったが、別人物だ。蓮だって、蒼龍は月龍と違って優しいって思ってたしな。もし――」


 意味深長な台詞と共に、烈牙が目を細める。

 ほんのりと唇に刻まれた笑みにも、胡桃にはない色気が滲んでいた。


「もしおれが蓮だったら、蒼龍の方を選んでた。比べるまでもねぇ。――なぁ、悠哉」


 すぅっと、隣に座る悠哉の頬に手を伸ばす。心痛を刻んでいた悠哉の表情に、驚きが加わった。

 促されるがまま、顔を烈牙へと向ける。克海から見える横顔には、当惑がはっきりと表れていた。


「蒼龍も、蓮に惚れてたんだろ? ちょうどいいじゃねぇか。月龍に奪われる前に、さっさとこいつを頂いちまえよ。――おれは、お前の方がいい」


 低い囁きは、誘惑の甘さを秘めていた。

 中が烈牙――男だと知っているからだろうか。

 そこはかとなく漂う色気も、女性の艶っぽさではなく、男らしさが感じられる。

 なのに見た目は胡桃なのだ。可憐な少女が醸し出す男の色気が、アンバランスな魅力となって溢れている。


 こくりと、悠哉の喉が鳴った。


「で、でも……っ」


 悠哉の手が持ち上がり、そっと烈牙の頬に伸ばされかけたのを見て、黙っていられなかった。思わず上げた声が、上ずっている。


 このままでは、二人が唇を寄せる展開しか思いつかない。

 男同士なのにとか、当人である胡桃の意思を無視するのはよくないとか、理性が言い訳をつけるが単純に嫌なだけだった。


 ハッとした表情をさらした悠哉は、おそらく克海の存在を忘れていたのだろう。克海に目を向けてから、やんわりと烈牙の手を下ろさせる。

 自分から離れ、我に返ったように姿勢を正した悠哉を、烈牙はつまらなさそうに見る。

 それからチラリと克海に流された目つきには、イラ立ちが浮いていた。


「でも、なんだ?」


 問いかけてくる声は、不機嫌そのものだった。


「烈って、ものすごい月龍のこと嫌ってるけど、呪縛かかってんなら、烈の恋人もその月龍が転生した姿だったんじゃないの?」


 話を聞く限り、確かに月龍の行為は許されることではない。

 けれど、過去の自分が愛した男、まして自分が愛した女の過去だと思えば、そこまで嫌いになるのは不自然だった。


 否、嫌いになりたくてもなれないのではないか。


 素朴な疑問に、一瞬だけ烈牙の身が竦む。ぎろりと睨みつけてくる目つきは、殺すぞとでも言わんばかりだった。


「おれは認めねぇ!」

「いや、認めないって言っても……」

「たとえそうだとしても、認めない! って言ってんだよっ!」


 ダンッ!


 力強く足を踏み鳴らして腕組みし、勢いをつけてそっぽを向く。

 「そうだとしても」と言ってる辺り、おそらく自分でもわかっているのだろう。

 悠哉は困ったように眉を歪め、仕方がないと思う反面、克海はなぜだかムッとする。


「――はれ? 烈くん、ひっこんじゃった。疲れた、奥で眠ってるからよほどのことがなければ起こすなよ、ですって。――でも」


 烈牙と入れ替わったのだろう。そっぽを向いていた顔を、正面に戻す。

 かたんと首を傾げ、のんびりとした口調の胡桃が、続ける。


「草野くんの言うとおりだよね。えっと……(えんじゅ)さん、だっけ? 烈くんの恋人」


 文字通り四六時中一緒にいるから、烈牙の過去の話なんかも聞いているのだろう。名前を口にして、確認の目を向ける胡桃に、悠哉が首肯する。

 克海は、初めて聞く名前だった。


 ――初めてのはずなのに、胸が痛い。


「烈くん、その子のことは大好きみたいなのに、月龍さんに対しては容赦がなさすぎるもの」


 なんでだろう? 逆の方向に首を傾げた胡桃に、悠哉は悲しげに笑った。


「烈は、身体的や立場的に弱い者を、力をもってねじ伏せるような輩は嫌いだった。腕力はもちろん、相手によっては立場も、自分が強者になることを知っていたから、そうはなりたくないとも言っていた。だからこそ、自戒もせずに腕力にモノを言わせた月龍のやり方が許せないんだ」


 それだけじゃない、と悠哉は続ける。


「そんな月龍を許し続け、助長させた蓮の――自分の言動もきっと、悔しいんだと思う。想いがあるからこそ、きっと」


 言われて、ようやく気づく。

 ドメスティックバイオレンスの場合、精神的に追いつめられて、逃げられないことが多いらしい。また、夫婦の場合は経済的な理由も大きいと聞く。


 だが蓮は?

 逃げようと思えば、いくらでも逃げられたのではないか。


 まず経済面では、問題ない。王の姪――公主だったという蓮が、念頭に置くはずもない事柄だった。

 また、精神面でも逃げ道はある。皇太子や蒼龍、蓮に想いを寄せていた男は身近にいた。「この人以外にいない」などと思わなければならない状況では、なかった。


 そうだ。暴力が酷くなる前に蓮が逃げていてくれれば、あんなにも壊れずにすんだのに。


「でもね、それは二人が悪いんじゃない。原因を作ったのは僕――蒼龍だ」


 表情に苦味を乗せて囁く悠哉の声が、重い。


「月龍は、愛想もなく口下手ではあったけど、文武両道だった。特に武においては、並ぶ者なきと評されるほどでね。なのに、自信が持てなかった」

「なんで? 聞く限り、妬まれてもおかしくないくらい、出来すぎな男じゃないの?」


 言及されなかったけれど、本来はそこに「眉目秀麗」の言葉も加わるはずだった。

 なにせ、悠哉に似ているのだと言う。彼の顔立ちは、古今東西を問わず端正な部類に入るはずだ。


「実際、妬まれてもいたな。本人の出来もそうだが、親友は皇太子の(リーアン)殿下、恋人は公主である蓮。恵まれ過ぎた環境を、周囲には姦計故と思う者もいた。うまいこと殿下に取り入り、身分を求めて蓮に近づいた、下劣なる輩だとな」

「そんな――」


 おそらく、政略結婚が主流だった時代だ。ならば、そう思われるのが自然かもしれない。

 けれど月龍の想いは、純粋だったのに。


「月龍も、確かにそれなりの地位はあったが公主とつり合うほどではないことを承知していた。蓮は身分など気にしなかったけれど、月龍の中ではそれが引け目になる。いずれ自分よりもっとふさわしい男の元へ行ってしまうのではないかと不安になる。そして――不幸なことに、『ふさわしい男』は目の前にいた」

「亮殿下……?」


 克海の質問に、重々しく頷く。


「彼は王太子の地位だけではなく、本人もとても魅力的な人物だった。容姿も、才覚も、さらに人格まで含めて、これまでに彼以上の人間を見たことはない」


 「これまで」とは、悠哉がくり返した転生すべて――数千年に渡る幾度もの人生、その記憶すべてということだろう。

 これ以上はないという賛美を、その通りだなと実感すら伴って納得してしまうのがまた、不思議だった。


「実際、月龍と蓮が恋仲になる前、二人は非公式の許婚だったらしい。その亮殿下が蓮を好きだったと知れば、月龍の不安は倍増する。そこに付けこんだのが、おれだ」


 おれだと言ったけれど、正確には蒼龍だ。過去を話しているせいで、意識が蒼龍に取りこまれてでもいるのだろうか。


「月龍に、あることないこと吹きこんだんだ。蓮は本当にお前で満足していると思うのか、いずれ亮殿下のところに戻るのではないか、惚れたのがお前の顔ならおれも同じ、彼女はいつ心変わりするのだろうな、と」

「――酷い」


 無意識のうちに、呟く。

 あまりにも酷い嘘だった。自信がなく、不安になっているところにそのようなことを言われれば、信じてしまうかもしれない。

 眉間に刻んだしわをさらに深くしながら、微かに笑う。


「そうだな。そしてそれを信じた月龍は、蓮に亮と会うことを禁じた。蓮にとっては、兄のように慕う幼なじみだったのに。また、蒼龍にも会うなと命じた。恋人の弟だから、親しみたい相手なのに」

「可哀想……」


 これまで黙っていた胡桃が、ぽつりと洩らす。月龍や蒼龍の心情よりも、やはり蓮への共感の方が強いのだろうか。


「そう、当然蓮は寂しがった。月龍にはそれが、二人と通じていたからこその反応に思えて、嘘をさらに強く信じこんだ。怒り狂った月龍は、蓮に手を上げるようになる」

「――だから、かな」


 胡桃が小さく、独り言めいて続ける。


「蓮ちゃんを……殴ってるとき。すごく怒鳴って、ものすごい責め立てる口調で。でも、悲しそうな顔をしてたんです。表情も、怒ってるようにしか見えないのに――でも、目には涙がたまってたようにも見えて」


 それは、泣きたくもなるだろう。恋人、弟、親友に裏切られていると思いこんでいるのだから。


 彼らをすっぱり断ち切ってしまえばきっと、楽になれた。

 けれど月龍にはできなかった。

 王子や公主を敵に回すことを恐れた保身のためではない。月龍には彼らしかいなかったから――彼らこそが、すべてだったから。


「だからたぶん、本気じゃなかったのかも。月龍さんって、軍人さんだったんですよね? 自分が強いことを、知ってた。だから殴るとき、利き手を避けてたのかも。だって、左手だった!」


 自分の前世が愛した男を庇いたかったのか。たとえ利き手ではなくとも、暴力には違いないのに、わずかに声のトーンが上がっている。

 対照的に、悠哉の声が低く沈んだ。


「――非常に言い辛いけど」

「月龍は左利き、だった……?」


 先は、言われなくてもわかってしまった。言葉を継いだ克海に、悠哉は首肯し、胡桃は「あっ」と小さく声を上げて、口元を両手で押さえる。

 悠哉が深く、深くため息を吐いた。


「蓮は、月龍に怯えるようになった。当然だな。身に覚えのないことで、一方的に暴力を振るわれるのだから。でも月龍は、それが悲しかった。同時にイラ立った。だからまた、殴る。殴られれば、怖くなる」


 悪循環だ。

 冷静に考えればわかるはずのことが、月龍にはもう、わからなくなっていたのだろう。


「殴られる理由はわからずとも、自分の言動のなにかが怒らせるのだと蓮は考えた。ならば彼の言うことを聞けば、怒らせずにすむ、と。だからどんな不当な要求も、文句も言わずに受け入れた。感情も、表情も、すべて押し殺して」

「それって逆効果じゃないの?」


 相手のことをなんとも思っていなければ、都合のいい女として利用できる。

 けれどそれが好きな人だったら――自分が壊れてしまうくらいまで強く愛した相手がそうなってしまったら、辛い。


「そういうことだ。おれが蓮から聞いたことがあるのは、他の女の元へ通うから身支度を手伝えとか、昇進のためには上官に気に入られる必要があるから、お前の身を差し出して来いとか」

「そんな――酷い」


 胡桃の呟きは、掠れていた。思わず、といった風に洩れたから、きっと心の底からの本音だろう。


「でも、そんなの普通に考えてウソだろ」


 蓮の気を引きたかったのだ。

 あなた以外の男に抱かれたくないとか、他の女のところになんて行かないでとか、すがってほしかったのだ。

 なのに蓮は、受け入れてしまった。微笑みすら浮かべて月龍を送り出し、涙も見せずに上官の元から戻ってきた。


 キリ、と胃が痛む。


「その通りだな。だが蓮は信じた。そしてそのようなことを命じるのだから、月龍の目的はやはり、自分の身分だけだったのだと確信した」

「――そして月龍も、信じた。嫉妬の欠片すら見せてくれなかった蓮が……最後まですがってくれなかった蓮の想いは、自分には向いていないと」


 なぜだろう。女性に暴力を振るう気持ちなど、まったく理解できない。

 したくもないはずなのに、なぜこうも月龍に共感してしまうのか。


「でも、それだとおかしい」


 胡桃が、悲しそうな顔で反論する。


「だって、そんな理不尽なこと、蓮ちゃんが月龍さんのこと好きじゃなきゃ、受け入れるはずない。好きだから、傍にいたいから、我慢したんでしょう? 月龍さんには、身分を得るとかのメリットがあったかもしれないけど、蓮ちゃんには、傍にいられる以外はデメリットしかないもの」


 だから月龍には、蓮の気持ちは伝わるはずだ。

 主張の中に、たとえ月龍の方に気持ちはなくても、との意図が見え隠れしていて、克海をイラ立たせる。


「だから、怖かったんだろう? そのための、暴力だから。逃げ出したらなにされるかわからないから、逃げるに逃げられなかったんだ。どんなに月龍を憎んでいても、恨んでいても」

「――月龍は、そう思っていたな」


 けんか腰になった克海を、悠哉がやんわりと遮る。


「暴力を振るうとき、月龍は言っていたらしい。逃げたら亮や蓮の親族を殺す、と。それが蓮にとって、もっとも効果的な脅しだとわかっていたからな」


 けれど、と沈痛に歪んだ顔が続ける。


「それが効果的だったからこそ、月龍自身の首を絞めた。蓮が傍にとどまってくれる理由が、彼女の想い以外にも説明できてしまったから。さらに不信感を募らせ、暴力は加速する」


 八方ふさがりだ。月龍でなくとも、精神が壊れてしまう。


「おれは、二人のすれ違いを知っていた。知っていて放置した。――いや、あえて助長させた。なんて酷い男だと月龍のことを誹り、おれの元へおいでと蓮を誘った。月龍と同じ顔で、彼の身代わりでもいい、幸せにしてあげると誘惑した」


 眉間にしわが寄るのを感じた。

 蒼龍は賢い男だ。それも姦計に類する。人の弱みにつけこみ、甘い言葉で罠に誘う――まるで、悪魔だ。


「ふふ……っ」


 ずっと重苦しい表情だった悠哉が、急に小さく笑った。


「蓮は、それで余計に蒼龍を信じた。だから蓮の中で、おれは優しい男だと思われていた」


 本当は、そんなことはないのに。

 泣きそうに顔を歪めたまま、声だけに笑いが含まれているのが、アンバランスだった。


「そもそも、最初は月龍を貶めるためだった」

「――え?」

「月龍が、嫌いだったんだ。双子なのに、なにひとつ勝てず、妬ましかった。だから蓮を狙った。愛する女を奪われたらどんな顔をするかと……どれほど悔しがるかと」


 くっくっと喉を鳴らして笑う声は、いかにも楽しげだった。けれどそれを払拭するほど、姿は痛々しくて――


 悠哉を兄と慕う身としては、痛ましく思うのが当然だった。

 なのに今胸を襲う痛みは、同情のためではない。見えない拳が胸を打ちつけているかのような強い動悸は、憤りのためだった。


「――本気になったのは、途中からだった。蓮はそれを知らない。だから、烈も知らない。――知られたく、ない」


 卑怯だろう?

 くすりと笑って流された悠哉の視線に、胡桃はなにも言わなかった。


 言えなかったのだろう。眉を八の字に歪めて、ただ彼を見つめている。

 その、まっすぐな瞳に耐えられなかったのかもしれない。胡桃へと向けていた顔を、今度は正面にいる克海の方に変える。


「前世療法の中で、グループ転生と呼ばれるものがある。生まれ変わる度に出会い、何らかの関係を結ぶ、複数の人間の集まりのことだ。互いに魂を学び合うことを運命づけられた集団なのだと」


 ほんの一瞬、胡桃に視線を流して、また克海へと戻す。


「おれたちはそれなんだと思う。それをこの間は呪縛と呼んだけれど――もし仮に呪縛だったとしても、それは月龍ではなく、おれがやったのかもしれない」

「蒼龍さんが?」


 問いかけに、悠哉は目だけで頷いた。


「月龍と蓮の仲を引き裂き、亮殿下にまで不幸を及ぼしたのはおれだった。後悔の念はおそらく、月龍にも勝る」


 口の端に刻まれた小さな笑みが、痛々しい。


「だからこそ、思う。これはおれに課せられた義務ではないかと。二人を引き裂いたおれが、今度は、二人が結ばれて幸せな人生を送るのを見届ける。それがきっと、おれの役目だ。拗れた四人の関係を元に戻すのは、拗れさせたおれ自身しかいない」


 そうか。

 やっと、気づく。悠哉は最初から、そのつもりだったのだと。


 だから、胡桃への気持ちを認められない。認めたくない。

 自覚すれば、いざ月龍の転生が現れたとき、引き渡すのが辛くなるのは目に見えているのだから。


 悲愴な覚悟だった。――覚悟だとは、思うのだけれど。


「――この、大馬鹿野郎っ!」


 克海が口を開くより、ほんのわずか早かった。一度顔を伏せた胡桃が、急に怒鳴って立ち上がる。

 否、胡桃ではないのだろう。声も表情も、烈牙そのものだった。


「さっきから聞いてりゃ、なぁにぐだぐだぐだぐだ言ってんだ! ったく、うざってぇ男だな。いいか、原因がなんだろうが、結局蓮を殴ったのは月龍だろうが! 月龍が! 自発的に! 自分の意思で!」


 文節ずつ、強調するように声を張る。両手を腰に当て、悠哉に向き直った。


「そりゃあな、蒼龍の嘘だって酷いけどな。でもよ、要は月龍の自制心のなさが最大の要因なんだ。蒼龍が思い悩む必要はねぇし、まして悠哉、お前は蒼龍じゃねぇ。お前が罪の意識を感じて暗くなるのは、明らかに筋違いだろ。こんな簡単なこともわからねぇのか、このバカがっ!」


 訥々と諭し、最後にはまた、怒鳴りつける。

 声だけを聞けば怒りの発露にも思えるが、これは間違いなく、許しだった。


「――って」


 唖然とした悠哉を見下ろす顔から、怒気が消える。ころりと変わった調子で、小首を傾げた。


「烈くんなら、こう言いそうだなって思って。似てました?」


 いたずらな笑みを刻んだのは烈牙ではなく、胡桃だった。


 決して、ふざけたのではない。

 胡桃が優しくなだめるよりも、悠哉にはきっと、烈牙の一言の方がガツンと響くだろう。

 現に、呆気にとられた表情をしていた悠哉の目が、一瞬泣き出しそうに歪み、それからくっくっと低い笑い声を洩らした。


「――うん、すごく。本当に、烈かと思った」


 ――ありがとう。


 ぽつりと、小さくつけ加えられたのは、囁くような声。

 心の底から溢れ出た感謝に、胡桃はひとつ、うんと頷く。

 わずかに照れたような、ホッとしたような笑顔を浮かべて、再び彼の隣りに腰かけ直した。


 微笑ましい光景だった。

 悠哉が――彼の魂が、幾代にもわたって苦しみ続けた想いが、完全に払拭されたわけではないにせよ、随分と軽くなっただろう。


 なのに――否、だからこそ。


「……な」


 ギリ、と奥歯が鳴る。噛みしめた歯の間から、くぐもった低い声が洩れた。

 え、と驚きを上げた二人の目が克海に向けられるも、止められなかった。


「ふざけるな! どうして蒼龍が許される? そもそも、すべての元凶なのに……!」


 蒼龍が勝手に抱いた妬み、嫉妬から発した悲劇。

 月龍は彼に騙された、被害者だった。蓮や亮も、それに巻き込まれてしまった。


 なのになぜ、その蒼龍が救われるのか。月龍は未だ、こんなにも苦しんでいるのに。


「――草野、くん……?」


 呆然とした調子で名を呼ばれ、ハッと我に返る。

 きょとんとした中にも驚きを含んだ顔と、目が合った。そこで初めて、怒鳴りつけたのだと自覚する。


「あれ、おれ、なんで……」


 あんなに、怒ってしまったんだろう。

 混乱し、悠哉に視線を向けるのは、救いを求めるためだ。困ったとき、いつも助けてくれるのは彼だから、無意識に頼る癖がついている。


 けれど、肝心の悠哉は大きく目を見開いたままだった。

 愕然とした目には、胡桃の機転で一度は薄れた悲痛の色がまた、戻っているようで――


 ようやく、自分の言葉が悠哉を傷つけてしまったのだと、わかる。


「ごめん、おれ……!」

「――いや」


 本当の意味で我に返って、謝るのとほぼ同時だった。

 悠哉がくすりと笑う。目と顔を軽く伏せた、寂しげな表情だった。


「お前の言うとおりだ。おそらく、最も苦しんだのは月龍だろう。その原因が蒼龍にあったのは、まぎれもない事実だ」

「悠哉さん――……」

「大丈夫だよ、胡桃ちゃん。僕は蒼龍だったけど、彼自身じゃない。わかってる」


 ゆっくりと細められた目には、落ち着きが取り戻されていた。


「ごめんね。少し混乱してた。――克海も。すまなかったな」


 胡桃に苦笑を向けたあと、克海に謝罪をくれる。

 悠哉が謝る必要はない。むしろ傷口を抉ったのは、克海の方だ。


 なのに、向けられた視線があまりにも真剣で――なにも、言えなくなってしまった。


 うんとも、ううんともつかぬ曖昧な返事に、悠哉はただ、笑う。そして笑顔のまま、胡桃に向き直った。


「さて、少し遅くなってしまったけど、勉強を始めようか」


 教科書開いて、とでも言いそうな、教師のような口調がやけによく似合っている。

 元々、術の解説などをするために胡桃を呼んだと言っていた。だから本来の目的通りではあるのだけれど、話題を変えるためと思ったのは、穿ちすぎだろうか。


 なにより、先ほど自分が覚えた無用なはずの怒り。


 そこはかとない不安が、胸に降り積もっていくのを感じていた。

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