10話 『悪名は無名に勝る』とはこの事?
私はまだ「夢の中」にいる。
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私とエスペンは、船を降りイナリ城へ向かった。
港内は、漁師や交易港湾関係者で賑やかだったが、町に入ると景色は一変した。
日本の江戸時代のような木造建築が続く町の通りは、人けも無く閑散としていた。『謎の熱病が蔓延している』と聞いていたが、ここまで深刻だったとは。
プ―――ン ブーーーン……
それに、虫!
特に、ハエや蚊がやたら多い。
そういえば今朝、船に戻って来たエスペンの第一声が、「窓を開けたら、蚊に刺された」だった。「網戸ないんかい!?」と突っ込んだのを覚えている。
幸いなことに奴ら(蚊やハエ)は、氷の魔女の私の傍に来ると凍えて動きが止まるので、私が刺される心配は全くない。だけど、アー〇ジェットを噴射した時みたいに虫が、ポト、ポト、、、と、周囲に落ちてくるのでちょっと気持ち悪い。
***
「前来た時は賑やかで、ちょうどこのあたりに、丸くて中にタコが入ってる熱々のおやつを売ってる店があったんだ。コンラードも好きで、食べるのを楽しみにしてたのに」
エスペンは残念そうにボヤいた。
「たこ焼のこと?」
「そう、それ。ヴィティ様知ってんの?」
「ソース味の、あ……そもそも、ソースってあるの?」
「ソース? 俺が知ってるのは甘い味」
「甘いの???」
「うわ、話してたら余計に食べたくなったー。ヴィティ様のせいですよ」
「え? 最初に話をふったのエスペンでしょ。あ、あの看板見て、刀屋さん!」
「ヴィティ様、刀ってべらぼうに高いんですよ。(棒読み)物を買うときはちゃんと値段を聞いてから、買うかどうか決めてくださいねー」
「(棒読み)はーい、わかりました」
とかなんとかあれこれ話をしながら町を抜けイナリ城へ辿り着いた。
(※イナリ城は、堀に囲まれた平城。)
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イナリ城内も閑散としていた。
(イナリ城は、二条城のような武家風書院造の建物。)
正直あまり目立ちたくはなかったので、イナリ城に行こうかどうか少し迷ったが、来てみて正解だった。とにかく、建物の造りが素晴らしい。私のイメージ通りの佇まい。
顔には出さなかったが、思いがけなく小説の舞台「イナリ城」に足を踏み入れることができた喜びで、私は心の中で浮かれまくった。
私たちはゲオルグたちが宿泊しているという『二の丸御殿』に案内された。
現在、「本丸御殿」では、謎の熱病感染者を集め隔離し、治療、特効薬の研究などを行っている。この城の城主マサムネ様も感染し、そこで療養中だという。
ピカピカに磨かれ黒光りする二の丸御殿の廊下からは、美しい庭園が見えた。
その途中、廊下の曲がり角から白衣姿に眼鏡をかけた白髪の白髭の小柄なお爺さんが現れた。
医者だろうか?
そのお爺さんが、すれ違いざま私を見上げ目を細めた、
「ほぅ……涼しげな美人と思ったら、本当に涼しくなったわい」
「(笑顔)フフッ。私、氷の魔女ですから」
”美人”と言われて嬉しくて、思わずペロッと言ってしまった。
「なにーーーーーっ!」
その老人は驚き、その場にひっくり返った。
***
『悪名は無名に勝る』とはこの事なのだろうか?
イナリ城内は戦々恐々となり、私とエスペンはゲオルグたちが滞在している部屋へは向かわず、二の丸御殿の大広間へ案内された。
ここイナリでは、ジェダイドの『氷の魔女』という二つ名は、私が思っていたより知名度が高いらしい。
「(低い声)ヴィティ様、前に『俺ら以外の人前で極力しゃべらないで』って言ったよね」
塩エスペンが、怖い顔で睨んだ。
フロライト王国を自由に旅するため、ジェダイド帝国の民間人『ヴィティ・スノー』の旅券を作ってもらい。入国管理局員とのやりとりもコンラードと練習したのに……ここであっさり身バレするなんて。うっかりにも程がある。
「そう責めるなエスペン。それより、だいぶ涼しくなった」
私たちの後から大広間にやって来た浴衣姿のゲオルグ殿下が、首元に張り付いた長い黒髪をさっと払い艶然と微笑んだ。浴衣の柄は、紫と白のストライプ地に金龍の柄。こんな特殊な柄の浴衣を、色気たっぷりに着こなせるのは殿下ぐらいだろう。その顔や手には、無惨にも無数の虫刺されの痕が見えた。
「この時期のイナリは、過ごしやすいはずなんだが……」
白と紺の市松柄の手拭いで額の汗をぬぐいながら、コンラードがゲオルグの隣に腰を下ろした。いつも着ている白い半そでのYシャツが汗で透け、黒のスラックスはちょっと暑そう。虫刺されの痕は、肌が褐色なせいでよく分からない。
蚊もガチムチ酒飲みコンラードよりも、弱くて柔らかそうなゲオルグや、若くて健康的なエスペンを狙うのだろう。
二人は私の失態について怒るわけでもなく、ただ少し残念そうな目で私を見つめるだけだった。
「失礼いたす!」
張りのある男性の声がして、奥の襖がサッと左右同時に開いた。
白い着物に黒地に金糸の豪華な刺繍入りの陣羽織を羽織った、長身の男性が現れた。少し顔色が悪いがキリッとした顔立ちに、長い黒髪を高い位置で結わえている。
いそいそとやって来たその男性は、私たちの目の前に腰を下ろし頭を畳に着けた。
「イナリ城城主イナリ・マサムネだ。此度の件、まことに申し訳ございませんでした!」
マサムネ様!?
(※小説内でも、イナリ領主。主人公ルーシーの兄オスカーの結婚相手ムラサキの父親。)
「マサムネ殿、熱病で療養中では? どうか頭をお上げ下さい」
ゲオルグが驚き、マサムネ様の肩に手を置いた。
「ヴィティ殿、イナリはこの有様です。どうか他の者たちの命だけは……どうか、お見逃しください。あ……あなた様に失礼を働いた玄武と城主の私の、く、首に……免じて」
震える声で仰ったマサムネ様は、半泣き状態だった。
「く、首!? ちょっとマサムネ様、何か勘違いなさっております! 首って、そんな怖いこと仰らないでください! ほら、ゲオルグも止めて!」
「そうです、マサムネ殿。そのような事は無用です! ここへヴィティ様を連れて来たのは涼をとる為であって」
「いまここにいらっしゃるヴィティ様は、血も暴力も好みません。どうか穏便に対処願います」
「(泣)ですが……玄武が大変失礼なことを」
「全然、失礼じゃないです。玄武さんは、心から私のことを心配なさっていたので私も納得して……ああっ、帰ります。私、いますぐ船に戻るから。これは無かったことにして!」
「(泣)我々が犯した数々のご無礼……無かったことになど、いたしかねます!」
「なんで!?」
慌てる私の服の袖を、エスペンがクイッと引っ張った。
「(小声)だから、しゃべんなって言ってんだろ(怒)」
「ごめん。(半泣)でも、こんなになるって知らなかったから……」
「(怒)だから、しゃべんな」
先に教えてくれれば良かったのに……私、この国で知名度高いって!
「(泣)ゔ……」
塩エスペンが眉間にしわを寄せ、無言で私を睨みつけた。
「まあまあ、エスペンもそのへんにして……マサムネ殿。少々、事情がございまして現在のヴィティ様は、あなた方がご存じの『ジェダイドの氷の魔女・ヴィティ様』ではないのです。今回の入国は、部分的に記憶をなくされたヴィティ様の療養も含めた観光であり……
―――ゲオルグが穏やかな口調で、説明を始めた。
(※どうやらゲオルグは、私の今のこの状態を部分的な記憶喪失。つまり「解離性健忘」と診断しているらしい。)
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……それで、涼をとるために、部下のエスペンがヴィティ様をお連れした。という次第です」
マサムネ様は、ゲオルグの説明を呆気にとられた様子でお聞きになり、
「りょ……涼をとる為と。そうですね……ヴィティ殿がいらっしゃるだけで涼しいです。……あの、少々楽になりました。ありがとうございます」
顔を上げたマサムネ様は、私を黒い瞳でじっと見つめた。
少々やつれてはいるが、めっちゃイケオジ。病気療養中なのに、私のせいでここまで足を運ばせてしまったことを大変申し訳なく感じた。
「恐縮でございます。それでマサムネ様、ご病状のほうは?」
私の問いに、マサムネ様はホッと表情を緩めた。
「はい。私はこのとおり無事峠を越えたましたが、城で働く者たちをはじめ、城下の多くの民たちが未だ床に臥せっておりまする。只今、医療局が総力を挙げて、病の特定と特効薬の開発を急がせておる次第であります。この暑さだけでもなんとかなれば良いのですが……」
そこでマサムネ様は、”はっ”とし目を輝かせ私を見つめた。そして、再び頭を下げられた。
「ヴィティ殿。私が昔読んだ”古文書”によりますと、貴方様は冬の女神と同等の能力を持つと記されておりました。お願い申し上げます。どうかこの命と引き換えに、ここイナリに雪を降らせてはいただけないでしょうか!」
「だからもう、命とかそういうの無し! 雪なんていくらでも降らせてあげるから、その代わりに『たこ焼き』が食べたい!」
「「たこ焼き!」」(コンラード・エスペン)
「た……こ?」(ゲオルグ)
「承知!」
顔を上げたマサムネ様は、凛々しく微笑まれた。
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私はまだ「夢の中」にいる。




