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叶えられた乙女の祈り



高校生になって、出場するコンクールや、リサイタルが増える傍らで、夏休みに入り、とあるレストランのピアノを弾く短期バイトを始めた。

「茜音ちゃんは現役音高生なのよね?」

「はい。」

「うちの娘も来年音高受験するのよ〜」

「頑張ってくださいね!」

「ありがとう」

「ぜひ娘さんにもお会いしてみたいです」

常連さんとのこういう会話も含めて、懐かしい。上野のレストランを思い出す。

「今日、あのイケメンのオーナーがくるらしいよ!」

休憩中に、バイト仲間の沙希に声をかけられた。

「へえ、そうなんだ」

「まったく、茜音はそういうの興味ないよねぇ」

明治時代に行く前は、イケメンな人が大好きだったのだが、今ではどんな男の人を見ても鴎外さんと比べてしまう。

「ああー! シフト午後にしとけばよかった!」

沙希の声が更衣室に響く。

「茜音、素敵な演奏をするのよ!」

「え、うん」

二人でドアを開けた。沙希は職員の玄関の方へ、私はホールの方へ向かう。

「それじゃあまたね!」

友人の方に手を振りながら歩いていたら、誰かとぶつかった。

「ごめんね、怪我はしていないか?」

「すみません、前をきちんと見てなくて……」

にわかに薄いタバコの匂いと、インクの匂いがしてはっとした。顔を上げる。そこには立派なスーツを着た、男性が。

「それは何の楽譜かな?」

彼の視線は私が抱えていた二冊の楽譜に定まっていた。

「ピアノです。乙女の祈りと、その答えになっている……」

言いかけて再びはっとする。

鴎外さん。彼だと、わかった。

「ということは、君の演奏を聞くことが出来るのか」

肩に手を置かれる。

「今日来てよかった。 頑張ってね、お嬢さん。」

「ありがとうございます……!」

立ち去ろうとする背中に思わず声をかけた。

「あの! また会えますか?」

「ああ。また来るよ」

そう言って、彼は微笑んだ。よく見た、あの表情で。

「それにしても僕は君と以前に会ったことがあるような気がするのだが」

はっきりと私のことは覚えていなかった。少し悲しい気もしたけれどこうしてまた出会えたことが嬉しい。

「奇遇ですね、私もです」

予期せずに涙が溢れる。

「目から汗が」

そう言って手で拭おうとしたとき、

「泣かないで」

目の前の男性からハンカチを渡された。

「ありがとうございます」

軽く目に当てたそれからは、やっぱりあの時と同じ匂いがする。

「それじゃあ、僕は行くね」

離れ際に名刺を渡された。

その後ろ姿にドキドキして、目を伏せた先には、楽譜があった。

ピアノピースの表紙には、『かなえられた乙女の祈り』と書かれている。

「まって、私の祈りもかなっちゃった感じじゃない?」

ひとりでつぶやいて笑みが零れる。


何かが始まるような予感がした。



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