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光のもとでⅠ 第六章 葛藤  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
47/59

21~24 Side Akito 03話

「秋斗さん、怒っていますか?」

 不安そうな顔で尋ねられた。

 俺はベッドサイドに腰を下ろし、ベッドマットに肘をつく。

「怒っているわけじゃないけど、少しは怒っているかな」

 本当は怒っているわけじゃないんだけどね……。

 彼女は必死に心当たりを探しているらしい。

「翠葉ちゃんの中にはどのくらい心当たりがあるの?」

 彼女は考えていたことをひとつひとつ話し始めた。

「ひとつは当たりかな。でも、それが回答ではないけどね」

「……ひとつはなんですか?」

「雅に会ったこと。……話してほしかった」

 彼女の目を真っ直ぐに見て言う。

 彼女はというと、視線を外すこともできず、とても居心地悪そうにこちらを向いて横になっている。

「……もうひとつはなんでしょう」

「本当にわからない?」

 彼女は少し考え、

「一緒にいられないって答えたことですか?」

「近いけど違うかな」

「秋斗さん、理由がわからないと謝れないです」

 見ていてかわいそうになるくらい困った顔をされたから、ヒントをあげることにした。

「俺を振った本当の理由は? あれは本当に翠葉ちゃんが自分で考えた答えだった? 誰かの言葉に影響されたからじゃなくて?」

 ゆっくりと話す。彼女の思考が言葉に追いつくように。

「俺は言ったよね? 誰に相談してもかまわないけど、最後には翠葉ちゃんが決めてほしいって。あれは本当に翠葉ちゃんが出した答えだった?」

 お願いだから――雅に言われたことを口にしないでくれ……。

 まだ、今の自分を見られたくないから一緒にいたくないと言われるほうが何倍もましだ。

「少し思い出してみてくれない? 俺が警護についていたとき、少しは付き合ってもいいって思ってくれたことがない?」

 あの間、君は確かに俺の腕の中にいただろう?

 彼女の目の焦点が合わなくなる。

 きっと回想中……。そうだ、思い出してくれ――。

 しだいに彼女の目が揺れ始める。

「何が原因だった?」

「健康じゃないから……。それに子どもなんて産めるかわからないし――」

「それ、誰かに何かを言われたからじゃないの?」

「――雅さん……」

 ……やっとたどり着いたね。

「それが怒っている本当の理由だよ」

「でもっ、ちゃんと自分でも考えましたっ」

「何を?」

 彼女はシーツに視線を落として話し始める。

「……秋斗さんならもっとすてきな人が似合うだろうなって。私は何かをしてもらうばかりで何も返せないから……」

 待ってくれ――弱い自分を見られたくないっていうこと以外にそんなことまで考えていたのかっ!?

「翠葉ちゃん、そんなことを言うともっと怒るよ?」

 彼女の身体が一気に硬直したのがわかった。

 細い肩が思い切り上がっている。

「俺が好きなのは翠葉ちゃんでほかの誰でもないんだけど? その俺に、ほかの誰かが似合うっていうのかな?」

 怯えている彼女を察してはいたけれど、どうしても言わずにはいられなかった。

「……だって、そのほうが幸せなんじゃ――」

「翠葉ちゃん、その先は言わないでくれる?」

 彼女の言葉を遮ると、すぐに、「ごめんなさい」と謝られた。

「中身のない謝罪は欲しくないかな」

 表情が豊かな彼女はどんどん顔を歪ませていく。今にも泣き出しそうだ。

 さっきのリビングで見た涙とは全く違う種の涙。

 もしかしたら本当にわからないのかもしれない。

「……ごめん――でも、好きな子に自分じゃなくてほかの誰かがつり合うって言われて嬉しいわけないでしょ?」

「ど、して……?」

 震える小さな声で訊かれた。

 まいったな……。

「どうして、か――。本当に何もわからないんだな」

 そんな彼女の質問と怯える顔を直視できなくて、ベッドに背を預け立て膝をついて頭を抱える。

 これ以上どうやって説明したらいい? 蒼樹ならどうやって説明するだろう。

 純粋培養もここまでくると毒というか――。

 どうして自分の欲求に対してここまで無欲になれるんだろう。どうして自分の好きな人にほかの人間を勧められるんだろう。どうしてそんな考え方をするんだろう。……理解ができない。

 俺は、ほかの誰でもなく君を求めてるというのに。それとも、俺が気持ちを伝えることを怠っているのか?

 正直、今まで相手にしてきた女どもとは全くタイプが違う以前に、人種が違いすぎて勝手がわからない。

 すると、後ろから苦しそうな息遣いが聞こえてきた。

 びっくりして振り返ると、こちらに背を向け丸くなっている彼女がいた。

「……翠葉ちゃんっ!?」

 まずい、過呼吸だっ――。

「栞ちゃんっっっ」

「何、どうし――秋斗くん、氷水持ってきて」

 翠葉ちゃんを見るとすぐに指示が飛んできた。

 言われたとおりにキッチンで氷水を用意して戻るも、水を飲めるような状態ではなく、かなり呼吸が荒くなっていた。

「翠葉ちゃん、しっかり息を吐き出して、ゆっくり呼吸しよう」

 栞ちゃんはゆっくりとリズムを刻むように背中を叩いてあげていた。

「吸って、吐いて、吸って、吐いて――」

 背中を叩くリズムに合わせて口にするけれど、その言葉が彼女に届いているのかはわからない。

 そこへ湊ちゃんが帰ってきた。

「翠葉ー? 点滴するわよー」

 玄関に入った時点で尋常ではない呼吸音が聞こえたのか、かばんを放り出して部屋に入る。

 翠葉ちゃんの部屋の入り口に置かれているアルコールジェルで除菌を済ませると、すぐにベッドへ駆け寄り彼女の肩を強く揺さぶり大きな声で名前を呼んだ。

「翠葉っ。苦しいだろうけど意識してゆっくり呼吸しなさい」

 湊ちゃんの言葉は聞こえているようだけど、彼女が口から手を外す気配はなかった。それを湊ちゃんが力ずくで剥がす。すると、その手は奇妙な形で固まっていた。

 びっくりしていると、栞ちゃんに声をかけられる。

「秋斗くん、大丈夫よ。今は肺が過緊張の状態で、酸素を吸っているように見えるけど、実際はあまり酸素が吸えてないの。血中酸素のバランスが戻れば治るわ」

 彼女はすごく苦しそうで、目からは大粒の涙が零れ落ちる。

 そんな状態が三十分ほど続くと、少しずつ落ち着き出した。

「そう、上手よ。ゆっくり大きく呼吸をしなさい。吸ったら最後まで吐き出すこと。聞こえてるなら頷きなさい」

 彼女は呼吸に全神経を注いでいた。

 最初こそ奪われていた意識を今は自分のコントロール下におけたよう。

 慎重に「吸って吐いて」の深呼吸を繰り返す。

 その間、湊ちゃんが固まってしまった彼女の手を念入りにほぐしていた。けれど、涙だけは止まらず……。

「なんで泣いてんのよ」

 湊ちゃんが零す。

「……秋斗くん、私、こんな状態にしろとは言ってないんだけど」

 ここまで彼女を不安に追いやったのは自分だろう。それは確かだ。

「……何も言えないかな」

 彼女がいっぱいいっぱいになっているのは話していてわかってた。それでも、彼女をフォローしてあげることはできなかった。

「それは秋斗くんに非があるってことかしら?」

「そう」

 そのとき――。

「違うっ、私が……私が――」

 今にも起き上がりそうな勢いで彼女が口を挟んだ。けれど、まだ普通に話すことはできないようで、言葉にならないことがもどかしいのか、より悲愴そうな顔をして涙を流す。

「翠葉、また過呼吸になるわよ?」

 彼女は湊ちゃんの言葉に口を噤んだ。

 ……これ以上、俺がここにいていいことはないだろう。

「翠葉ちゃん、ごめん。俺、今日は帰るね」

「いやっ――ちゃんと、知りたい……」

 彼女は涙ながらに訴えた。

 まいったな……。

 本当に悪気はなくて、気持ちのうえでは俺と向き合っているつもりなんだ。

 俺の幸せっていうものを彼女が考えた結果、自分のような人間ではなく健康な人のほうがいいだろうと、真面目にそう考えたのだろう。

 自分の体調で迷惑をかけるなら、とそこまで考えてのこと――。

 なんていうか、謙虚とかそういう域じゃない。これは「卑下」だ。

 自分に価値を見出せていない。

 自分の中に確固たる価値観は持っていても、自分という人間の価値をわかっていない。

 これ、相当な強敵だ……。


 玄関で音がすると人が入ってくるのがわかった。

 ドアを開けたのは司と蒼樹だった。

 司が眉間にしわを寄せ、「翠?」と声をかける。

 そのすぐあとに入ってきた蒼樹が血相を変えて彼女に駆け寄る。

「翠葉、どうした!? 湊さん、何があったんですか?」

「知らないわ。私が来たときには過呼吸起こしてて、つい数分前に落ち着いたとこ。原因は秋斗っぽいけど?」

 蒼樹、悪い……。俺、自分に余裕がなさすぎた。

「秋兄、外に出たほうがいいんじゃないの?」

 当然すぎる司の言葉。今は冷たい目を向けられても仕方がない。

「翠葉ちゃんがそれは嫌だって言ったのよ」

 栞ちゃんが口にすると、蒼樹が苦い笑いを顔に貼り付け、

「あのですね……大変申し訳ないのですが、秋斗先輩は帰らずにリビングにいてください。で、湊さんも栞さんも司も、ちょっと向こうに行っててもらっていいですか?」

「しゃーない。こういうのは蒼樹のほうが慣れてるわね」

 湊ちゃんが立ち上がったのが合図となり、蒼樹以外の人間は皆部屋を出た。

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