第三話 噂のあの娘は何カップ?
「え……誰?」
岩の中に映り込んだのは、俺とそう年の変わらない少女の姿。肩のあたりまで伸びた髪に、すらっと長い手足。顔立ちはとても整っていて、薄い唇の端に小さなほくろがあるのが印象的だった。
俺はすぐさま後ろを振り返ったが、もちろんそこには誰もいない。鏡のように反射してるというわけではなく、正真正銘彼女は岩の中にいるのである。
「え、えっと……」
まさか幽霊とか……? そんな想像にぞっとし、背筋がすうっと冷える。しかし、まだ彼女が悪意ある存在と決まったわけではない。とりあえず俺は意志疎通ができるかどうか試みた。
「あのぅ……もしもし?」
顔の前で控えめに手を動かし、相手の様子を窺う。だが、それに対する彼女の反応は俺の想像を遥かに越えていた。
「ふ、ふ、不審者ッ!!」
彼女は青ざめた顔で俺を指さすと、なんと大声で叫び出したのである。
「は……はぁ? 不審者?」
もちろん俺は不審者呼ばわりされる覚えなどない。相手が何者かを確認することも忘れ、とりあえず自身の潔白を明らかにしようとしたのだが、
「やめて! 来ないでっ! それ以上近づいたらっ……近づいたら、その……とにかく来ないで!」
彼女は全く聞く耳を持たない。何か恐ろしいものを見るような目で一歩後ずさると、両手で自分の身体を抱くようにしてその場にしゃがみ込む。
「いや、ちょっと待て……!」
全く理不尽な拒絶に、俺はたまらず彼女に向かって手を伸ばした。しかし、その行動が余計に彼女の警戒心をあおってしまう。
「お、おお、おおおまわりさん呼ぶからっ! こんな山奥だけど……き、きっと助けは来るから! う、うんっ……絶対誰か来るからっ!」
「だから違うって! ちょっと話を聞いてくれ!」
両手をバタバタと振り回し、混乱を通り越してもはや錯乱状態の彼女。しかし、泣き叫びたいのは俺も同じだった。
「そっちが突然岩の中に出て来たんだろ!? むしろ驚かされたのは俺の方だ!!」
…………。
一瞬の静寂が降りる。
「ほへっ……? 今なんて?」
そして彼女は急にきょとんと目を丸くし、首を傾げた。
「いや、だからこのでかい岩をぼうっと眺めてたら、突然光り出してアンタが現れたもんだから……俺だって驚いてるんだよ」
ようやく冷静に話を聞いてもらえそうな状況にほっと一息。だが、本当の混乱はそこからだった。
「え……? な、何言ってるの? そっちが岩の中に現れたんじゃない」
「は? 俺が……岩に……?」
全く話が噛み合わない。てっきり彼女は岩の中に住む精霊的な何かで、久々に人間の姿を見たから驚いちゃった☆てへぺろ♪的なファンタジーなオチを期待していたのだが……。
「……」
腕を組み、しばし考え込む俺。
どういうことだ? 彼女には俺が岩の精霊さんのように見えているのか?
「ちょっ、なんなのよ……! 急に黙り込んで……」
まだ興奮が収まらない様子の彼女。一方で、俺は想像していた。岩の精霊さんたる自分の姿を…………。駄目だ、それは絵的に相当残念だ。絶対流行らないぞ、そんな深夜アニメ。
「……いくつか質問をしてもいいか? きっとそれがお互いのためな気がする」
……とまあ冗談はさておき。どうやらこれは一度状況を整理する必要がありそうだ。俺は、目の前の不可解だが対話には応じてくれそうな岩の少女に呼びかける。
「い、いいよ。そういうの、嫌いじゃない」
幸い、彼女も今何をすべきかはちゃんと分かってくれたようだ。少し身を引き、まだ警戒の色は見せつつも俺の提案にコクリと頷いた。
「とりあえず俺から質問するから、答えはイエスかノーで」
「イエス」
そうして、俺と彼女の記念すべき初めての対話が実現したのだ。
「質問一、あなたは幽霊ですか?」
「ノー。私からしたら幽霊はキミの方だよ」
「質問二、あなたは俺に嘘をついてますか?」
「私がキミを騙して何の得があるの? 答えはノー」
ポンポンとリズムよく繰り返される一問一答。そうしてまずは事実関係を確認する。
「質問三、今は4月8日の午前0時過ぎ、真夜中ですか?」
「イエス。ちなみに西暦は2015年。消費税が8%になったのは去年のことでOK?」
回答に彼女からの質問も加えられる。もちろん答えはイエスだ。
「質問四、ここは篠原市、美山の山中、登山ルートからは離れた場所ですか?」
「……イエス。キミ本当はどこかで私のこと見てたりしないよね……すごく鳥肌立ってきたんだけど」
「質問五、あなたには私が岩の中にいるように見えている?」
「さっきも答えたけど、イエス。そっちには私が岩の中にいるように見えてるんだよね?」
ふう……と彼女が息をついたところで俺は一旦質問を打ち切り、ここまでの話を振り返ってみた。
「時間も場所も同じ。なのにお互いの姿は直接見ることはできない。……どうなってんだ、これ?」
「……なんかもう頭痛くなってきた。わけわかんない」
「はぁ……」と、俺と彼女は同時にため息をついた。
受け答えも、感情も、とてもリアルだ。やはり彼女がただの幽霊だとか、幻覚だとか、そんな風には思えない。彼女もまた俺と同じように、突然巻き込まれたこの不思議な現象にひどく混乱しているのだろう。
「……」
「……なに、黙っちゃって。もう質問は終わり?」
もしそうだとすると、仮に彼女が自分と同じ状況なのだとすると、一体彼女はなぜこんな場所にいるのだろう?
「あのさ……」
「はいはい、次は何ですか?」
もし、俺の推測が正しいとすれば……。
「"ミヤマノカガミイワ”……って言葉聞いたことある?」
「――!!」
ビンゴ。
彼女は全身に電流が走ったようにビクッと身体を強張らせ、大きく目を見張った。
「知ってるか……やっぱり」
「……うん。キミも……なんだ」
今現在、俺達の姿を映し出しているこの奇妙な大岩こそ、やはり美山の鏡岩そのものなのだ。そうでなければ、こんな偶然ありえない。
「どこでその言葉を? 俺は学校の机に文字が彫ってあって……ちなみにその服、篠原高校だよな?」
彼女が着ている制服。それは輪廻や降雪と同じ、篠原高校の女子生徒の制服だった。どうして彼女がこんな時間に制服を着ているのかは気になったが、それは今はまだいい。
「そうだよ、もしかしてキミも篠原高校の生徒? ……私は学校の図書室で、たまたま借りた本に挟んであったメモ書きを見つけたの」
「メモ書きか……」
俺の机に落書きをした誰かと、図書室の本にメモ書きを挟んだ誰か。果たしてその二人は同一人物なのだろうか?
「ええと……嫌なら答えなくてもいいけど、一応学年と名前、聞いてもいい?」
「まあそれくらいなら……」
彼女はさしてためらう風もなくあっさり頷いた。不審者扱いされるくらいだから半分ダメ元だったのだが、どうやら最初の誤解は解けたらしい。
「二年A組、柚木衣沙。……ええっと、一応キミの名前も教えてくれる?」
「三毛継流、二年F組。……釘を刺しておくけど不審者じゃないから。俺は今日ここに携帯を取りに来ただけだし」
「……わかった、そういうことにしておいてあげる」
そう言って彼女は初めて少しだけ笑顔を見せた。笑うととても愛嬌のある、男からも女からも好かれそうな子だと思った。
「他に聞きたいことはない?」
「そうだな……」
これ以上質問したところで今のこの超常的な現象に説明がつくとは思えないし……。
それより、実は初めて彼女を見た時から、俺はずっと気になっていたことが一つあった。
「質問六、ちなみに何カップ?」
「死ね、馬鹿、最低、死ね」
“死ね”が二回入った。きっとよっぽど大事なことなんだろう。
彼女は思い切り蔑んだ目で俺を睨むと、ふいとそっぽを向いた。
だって、制服の膨らみが明らかに輪廻や降雪よりも格段に大きかったから。そりゃ気になるさ、俺だって男だし。
「……というのは冗談だ」
「ぜんっぜん誤魔化せてないんだけど」
……むう、失敗をなかったことにできるこの幻の奥義が通用しないとは……。こやつ只者ではないな。
「ええと……それより私が今日ここにいたこと、黙っててもらえないかな……?」
「そのためなら何でもするわ、ご主人様……と?」
「いいから黙って人の話を聞け、このクズ」
クズ……ああ、なんて甘美な響きだ……とありがたがるような性癖は、残念ながら持ち合わせていない。普通に凹んだ。
「とにかく黙ってて。いい?」
真剣な表情で念を押す彼女。
そもそも俺自体、あまり他人のことをあれこれ喋るタイプじゃない。双子の輪廻くらいには話すこともあるかもしれないが、黙ってろと言われたならそれに従うことくらい何の苦でもない。
「まあ別に構わんけど……」
とにかくそんな感じで最初の混乱から徐々に落ち着きを取り戻してきた俺達。しかし、初めての邂逅は終わりもまた唐突に訪れる。
「うん、ありがと。……えと、そろそろ私は帰ろうかと思うんだけど、キミは――」
「……!?」
そこでフツリと彼女の声が途絶えた。それと同時に鏡岩が光を失う。
「お、おーい……どうした?」
…………。
呼びかけても返事なし。叩いても、擦っても、滑らかな岩肌に再度彼女の姿が映り込む気配はない。
「どういうことだ……?」
辺りは漆黒の闇。虫の鳴き声の他には風が木々の葉を揺らす音しかしない。
自分は夢でも見ていたのだろうか……? 目の前には巨大な岩石。ついさっきまでそこに映り込んだ少女と話をしていたはずなのだが……。
「0時10分……」
俺はふと時計を確認する。さっきより確かに針は進んでいて、俺が彼女と言葉を交わしていた時間はただの思い過ごしというわけでもなさそうだ。
「とにかく帰るか……」
今は何を考えても仕方ない。俺は身を切るような寒さに身を震わせながら、月の出ている方角だけを頼りに山道を下りて行った。
念のため鏡岩の場所だけはわかるように、道中にはしっかりと目印を残しながら。
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「なあリン、柚木って知ってる?」
「ん? 柚木クン? サン?」
翌朝の登校タイム。
あの後無事下山に成功した俺が家に帰り着いたのはもう深夜1時を過ぎた頃。おかげ様で絶賛寝不足気味の重い眼をこすりながら、俺は昨晩の出来事を思い返していた。
「んと……柚木さん、だな。リンのクラスにそんな名字の子いただろ?」
「A組に? そんな子いたっけかなあ……?」
眉間にしわを寄せ、首をひねる輪廻。
岩の中に現れた彼女は、自分が輪廻や千畳と同じ篠原高校の二年A組の生徒だと言っていた。
「あーちょっと待って、まだカバンにクラス名簿が……あ、あったあった」
歩きながらカバンをガサゴソと漁り、中から一枚のA4プリントを取り出す輪廻。
「どれどれ……」
輪廻は目を細め、名簿を上から順に追っていく。
「柚木、柚木っと……うーん、やっぱいないよ? そんな人」
「……そっか」
自分も直接手に取って確かめてみたが、確かに柚木という名の生徒は二年A組にはいない。
それじゃ、昨日のあれは彼女の嘘だったのか? だが、一体何のために?
「ツグ、その柚木って人がどうかしたの?」
しばらく黙り込んでいると、輪廻がまたもや不思議そうに首を傾げた。
「んー……いや、凄いボン、キュッ、ボンだってクラスメイトが言ってたもんで」
「うわっ、最低……死ねば?」
ドン引きの輪廻。ついに身内にまで死ねと言われてしまった俺。
「……という冗談だ」
「いや、全然誤魔化せてないから」
輪廻の冷えきった視線が突き刺さる。
あれ、おかしいな? 最近このスキルが全然効果を発揮しないゾ? まさか我が偉大なる魔力も遂に衰えの時が……なんてロマンチックな妄想をしていたら、
「ツグ、言っておくけど、それ誰にも通用しないし。そこんとこよろしく」
「なんだって……!」
まさに目からうろこ。俺は大いなるカルチャーショックに胸を痛めつつも、その日から必死にネクストスキルの習得に励むのだった。
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「おーっす、降雪」
昼休み。半日だけのゆとり日程はたったの一日で終わり、早速今日からフルタイムのスケジュールとなる。
輪廻や千畳も同じクラスだった時は、いつも4人集まって飯を食っていたのだが……さて今日はどうするか?
そう思ってぐるりと教室を見渡した時、所在無さげにキョロキョロ目を泳がせている降雪の姿を見つけた。きっと、同じことを考えていたのだろう。
「あ……三毛君!」
降雪は俺と目が合うと、安心したようにパッと表情を明るくする。
「その……お昼どうする?」
「ん、購買行こうかと思ってるけど」
「私も……一緒に行っていい?」
「ああ、いいよ」
俺が頷き廊下へ向かうと、なぜか少しタイミングを遅らせてから小走りに追いかけてくる降雪。
「……なんでそんなにコソコソしてるの?」
「え! ええっ! そ、それは……だってクラスの人達に……その変に思われたりしないかな? って……」
そう言って降雪は手に持ったカバンで顔の半分以上を隠しながら、横目に教室内の様子をうかがう。
変に思われるか……まあ降雪の言わんとすることもわからないでもないが……。
「今の降雪の方がよっぽど変だぞ」
「うそっ!? ううう……」
俺が指摘すると今度は顔を真っ赤に染め、今にも泣き出しそうな表情でうつむく降雪。
ほんっと、降雪の恥ずかしがり屋は全然まだまだ健在らしい。
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「なんか昨日は大変だったみたいだね? リンちゃんから聞いたよ?」
廊下を歩き始めてしばらく。初めはまだ恥ずかしそうに後ろをついてきた降雪だったが、途中であきらめたのか、今はもう普通に隣に並んで歩いている。
「あー……携帯無いのに気付いたのが23時過ぎでさ――」
そして俺は昨日いかに大変な思いをしたかを面白おかしく降雪に説明しながら、購買までの道のりを往復した。
多少話を盛ったりもしたが、時折こらえられないと言った風に口元を隠して笑い、涙目になりながら俺の腕を叩く降雪を見ていると、なんだか嬉しくなって途中でやめることが出来なかった。
しかし、肝心の鏡岩を見つけたこと、そこであった一連の出来事については伏せておいた。何も隠し通すつもりはないが、今話したってどうせ冗談を言っているくらいにしか思われない。みんなにも報告するのは俺自身もう少し状況がわかってからだ。
「降雪さ、柚木って名前の子聞いたことない? 同じ学年らしいんだけど……」
そこで、俺は今朝輪廻にした質問を降雪にも聞いてみた。交友範囲は輪廻の方が広そうだが、降雪はまた別ルートで彼女に関して知っていることがあるかもしれない。
「柚木さん? うーん……」
だが、生憎降雪の反応もあまり良くなかった。
「私は知らないなあ……どんな子なの?」
「えっと、割と背は高くて、スタイルも良くて……」
「……」
「え?」
俺が昨晩の彼女の様子を思い浮かべながら説明していると、なぜかひどくシラけた目で俺を見る降雪の視線。
「な、なんでそんな睨むの?」
「別に。……続けて」
そして、急にそっけなくなった降雪の態度。
絶対何か変な誤解をされてる気がするのだが……。
「えっと……笑うととてもいい表情する、まあ明るい女の子だと思うんだけど……」
「そんな子なら、学年でもきっと目立つと思うんだけど? 私は聞いたことないかな」
「……そっか」
それきり降雪は口を閉ざしてしまう。一度こうなった降雪は意外と頑固だ。
結局、それ以降教室に戻るまで、会話どころか俺と目すら合わせてくれなかった。
この話題を振るのに女子は避けた方がいいのかな……。
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「ん、柚木? さぁ、聞いたことないな」
で、皆さん察しの通り俺は全く同じ質問を千畳にしている。
例の彼女には黙っているように言われたんじゃなかったのか? ……とツッコミたい人がいるかもしれないが、あくまで俺は彼女のことを聞いているだけだ。美山で出会ったなどとは一言も言ってない。だから無問題。
「やっぱ知らないか……」
いくら顔の広い千畳といえど、女子2人が知らない女子生徒のことまで知っているとは思えない。俺は半分諦めのつもりで尋ねてみたのだが、やはり結果は予想通り。
……昨日のあれは嘘だったのか?
ここまで来るともう、「柚木衣沙なんて生徒はこの学年にいない」という結論にしても良いような気がする。まだ残されている可能性とすれば彼女がこの春から来た転校生で、まだ誰も知らない……くらいだが。
「その柚木って子がどうかしたのか?」
「いや、噂に聞いただけで――」
それから俺は彼女の特徴を千畳に詳しく説明した。
途中まではふんふんと頷きながら聞いていた千畳だったが、徐々にその表情が険しくなる。
「……継流、まさか同じ質問を葉織にもしてないだろうな?」
「ん、降雪にもさっき聞いたけど……?」
どうしてそんなことを聞くのか、訳が分からず俺が首を傾げると、千畳は力の抜けたようにガクッと肩を落とした。
「おいおい……勘弁してくれよ」
今度は天井を仰ぎ、深いため息をつく千畳。
「俺、何か悪いことしたか……?」
「……明日昼飯おごりな」
「えっ、なんで!?」
話の流れがわからず驚く俺。しかし、千畳は俺の肩を強く掴むと、頭をぐっと近くに引き寄せた。
「な、ん、で、も、だ」
久々に見た千畳の真顔。有無を言わさぬ圧力に俺はただ黙って頷くのだった。
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「で……だ」
場所は変わって美山の山中。時刻は夜の9時を過ぎたあたり。
「また同じことが起こるかと思ったけど……まあそううまくはいかないか」
俺は昨晩同様鏡岩の前に立っていた。さっきから10分ほど岩肌とにらめっこをしているのだが、そこに何かこの世ならざるものが映り込む……なんてことはなし。
「あれは本当に何だったんだ……?」
一晩経つとやはり昨日の出来事は全て夢だったんじゃないか、と段々そんな風に思えてくる。
「……寒い、帰りてぇ……」
山中の冷え込みは今日も絶好調だ。気温も10℃を優に下回っていることだろう。さっきからずっと無駄に足踏みをしては身体を温めているが、そもそもなんでこんな辛い思いをしないといけないのか……と考えるのだけはやめておく。きっと馬鹿らしくてイヤになる。
「今日だけだ……待ってみるか」
今日一日だけ。それで駄目だったらもう諦めよう。そう決意して、俺は持ってきた音楽プレーヤーで暇を潰しながら、時間が経つのを待った。
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「……あと、10秒。」
タイムリミットは午前0時。
俺が昨日奇妙な現象に巻き込まれたのはちょうど時計の針が12を指した頃。そこまで待って何も起きなかったら、昨日の出来事はすべて夢だった、そう結論づけて帰るつもりでいた。
「5……4……」
一人カウントダウンを始める俺。そもそもこの時計が秒単位で正確な保証などどこにもないのだが、まあそこは一人の淋しさを紛らわせるための演出だ。
「3……2……1……」
これで本当に何も起きなかったら相当虚しいな。そう思ってカウントのゼロを告げようとしたその時……。
「!!」
世界が真っ白に染まる。
おびただしい量の光に飲み込まれ、俺は咄嗟に目をつむった。
これは、昨日のあの時と同じだ。
2秒……3秒……俺はまぶたの裏で光が引くのを待つ。
そして……。
「うそ……」
「マジか……」
目を開くと、そこには彼女がいた。
しばらくは二人とも呆気にとられ言葉も出なかったが、徐々にその表情が歓喜へと変わる。
「ええっ、何これ!? ホントに!? ホントに0時になったら映るんだ!」
「ああ、そうらしい! 俺もまさかと思って待ってたけど、本当に0時きっかりに映った!」
手離しに喜ぶ俺達。
純粋に嬉しかった。昨日のアレは単なる思い過ごしなんかじゃなくて、やっぱり本当にあった出来事だったんだ。
クルクル回ったり、跳びはねたり、彼女はまるで子供のように全身で喜びを表現する。それにつられ、つい自分も興奮してしまった俺だが、そこでふと疑問を抱く。
「ん、待てよ……ってことは、もしかしてずっとここで待ってたのか?」
『ホントに0時になったら』。さっきの彼女の口ぶりからするに、少なくとも今来たばっかりというわけでは無さそうだ。
「う、うん……」
恥ずかしいと思ったのか、急に静かになってうつむく彼女。
「ちなみに何時から?」
「22時……そっちは?」
「21時」
「……」
「……」
しばしの沈黙。
「「……プッ」」
そして、俺と彼女が吹き出したのはほぼ同時だった。
「はははっ! いや、バカだろ! 何こんなクソ寒い山ん中で真夜中に岩の前に突っ立ってんだ!」
「あはははは! ホントバカみたい、私達! なんでこんな暇人なのかな!」
真っ暗な静寂の中に、男女2人の笑い声が高く響き渡る。森の住人達よ、おどかしてごめんなさい。
それからしばらく俺達は腹を抱えて笑い合った。だって普通ありえないだろ、こんな真夜中に山の中で何時間も凍えながら立ってるなんて。
考えれば考えるほどおかしくて、俺も彼女も目の淵に溜まった涙を拭うのに必死だった。
「……はあぁ」
笑いもようやく収まったところで、俺はもし今日また彼女に会ったら言おうと決めていたことを思い出す。
「あっ! ってか、嘘ついただろ!? 2年A組に柚木なんて名前のやついなかったぞ!」
一体どういうつもりであんな嘘をついたのか、俺はその真意を問いただすつもりだった。
しかし、彼女は予想外の反応を示す。
「へ!? 嘘ついたのはそっちでしょ!? 私だって今日三毛君のこと校内中探したんだから!」
は? 俺が嘘をついた? そんなわけあるか。
今日は輪廻に死ねと言われ、降雪に口をきいてもらえなくなり、千畳には明日昼飯をおごらされるという散々な目に遭いながらも、俺は柚木衣沙という女子生徒のことを尋ねて回ったのだ。大変な思いをしたのはむしろ俺の方。
「いやいやいやいや、そっちが!」
「ううん! そっちこそ!」
お互い一歩も譲らず、話は一向に平行線。
しばらくそうやってあーだこーだ言い合っていたのだが、ある瞬間ふと冷静になって考えてみた。
「……ちょっと待て」
すると彼女も同じタイミングで何かに気づいたようだ。
「ねえ、これって……」
昨日出会った時と全く同じパターンじゃないのか?
「お互い本当のこと言ってるって……」
「……可能性ない?」
これだけお互い譲らないとなると、どっちも嘘をついていないと考えた方が自然かもしれない。
すると、どうだろう? お互い一日中校内を探し回ったのに見つからなかった?
そこで俺達はある一つの可能性に思い至った。
「そんな! まさか……!」
「で、でもっ! お互い嘘は言ってないわけだし!」
およそ信じられない一つの可能性。
「……ってことは」
「うん……世紀の大発見かも……」
それは冗談としか思えない話。こんな事を誰かに話せば頭がおかしくなったと思われても仕方が無い。
「俺達……」
「違う世界にいるのかな?」
そんな、とんでもなく馬鹿げた、そして限りなく真実に近い一つの仮説。
「ね、ねえ! それってかなりヤバくない! ってか凄くない!?」
「ああ……多分ノーベル賞とかそんなレベルじゃないはず……」
信じられないという思いと、今目の前で起こってる事実。その二つがごちゃ混ぜになり、俺の頭の中はパンク寸前だった。
「本当にそうかどうかはもう少し確認しないと……」
とにかく、今すぐ騒ぎ立てることだけは避けたい。万一それが勘違いだった場合、一生馬鹿にされ続けるくらいの大恥をかくことになる。
「そ、そうだね!」
彼女は興奮しつつも、俺の考えを理解してくれたようだ。そして、何か考えがあるらしい彼女は、一つ頷き口を開こうとして……。
「それじゃこれからーー」
そこで姿を消した。
「……またか」
鏡岩はまるで蛍光灯のスイッチを切ったかのように急に光を失い、辺りは再び真っ暗な闇へと戻る。
「0時10分……昨日と同じか」
俺は時計を確認する。概ね予想通りだった。
この鏡岩が向こうの世界を映す時間は決まっているらしい。
午前0時からの10分間。誰が決めたのか、それが2つの世界が繋がるほんのわずかな時間。
「これから……なんだよ」
そして、俺は岩の中にまだ彼女の残像を見ていた。彼女は一体最後に何を言おうとしたのだろう?
「仕方ない……明日も来るか」
仕方ない、なんて本当はただの口実に過ぎない。俺はもうその瞬間から23時間と50分後の今が待ち遠しくてたまらなかった。