第三話 ヒキコさん
ギャグパートです
怪異とは何か? と問われたら、俺はさっくりとこう答えるだろう。『なんか不思議な事』と。別に適当に答えたわけじゃない。怪異とは文字通り、存在自体が怪しく、世界の常識とは異なる存在、または現象だ。それらを捕まえて、原理を解明しようとするほうが、本質的にずれている。
不思議な事は、不思議な事のままで。
知らなくていいことは、知らない方がいい。
幽霊の正体を探す事を止めはしないが、幽霊の正体が柳でなければ、それ相応の報いを受けるだろう。
好奇心は猫をも殺す。
古い教訓にもある通り、人間、程ほどに自重しながら生きなければならない。
けれど、俺の場合においては違う。
俺は『語り部』だ。物語を語り、紡ぎ、世界に知らしめる存在。そのため、望もうが望まないが関係なく、あらゆる結末を知らなければならない。
例えそれが、知りたくも無い結末だとしても、だ。
●●●
メリーさんの戸籍上の名前は、不本意な事に、鈴木メリーで決定していた。というか、先生が用意してくれた戸籍がそれだったので、好意を受けている側の俺としては、文句の言いようがないのだが、
「や、確かに私はメリーさんだけど! 紛れも無いメリーさんの怪異から発生した存在だけど! 種族名だから! メリーさんって種族名だから! 子どもに【ニンゲン】って名前を付けるような暴挙だよ!?」
と、肝心のメリーさん本人はいたくご不満だったようで。その不機嫌を鎮めるのに、メリーさんの買い物に付き合わなければいけなかったのである。
ちなみに、俺の財布が軽くなっていくにつれて、メリーさんの機嫌も比例的に良くなっていったので、選択肢としては間違いではなかったと思いたい。例え、近々、七条さんから回される仕事をこなさなければ、貯金を切り崩さなければならないとしても。
多分、女の子の笑顔はそれだけの価値があるのだ。
後、例え年齢的に対象外だとしても、可愛い女の子と町を歩くというのは、なかなか気分が良いものである。
「えっへへー、へへへー♪」
ほうら、今も、俺の隣で金髪童女が笑顔でスキップを――
「んぎゃぁあああああああああっ!」
「何事!?」
つい二秒前ぐらいまで、ほのぼのとスキップしていたメリーさんは、わなわなと唇を震わせ、俺たちの前方へ、指を指していた。
『――アァ』
メリーさんが指差した先に居たのは、女だった。
黒の長髪をざっくばらんに掻き乱し、身にまとうのは、白いボロ布だけ。
濁った瞳に、生気も、勝機も感じられない。
紛れも無く、怪異だった。
「お、おばけー! おばけだよー! マイダーリン!」
「落ち着け、メリーさん! お前も元は同類だったろうが!」
「無理無理無理! 同類でも無理は物は無理! だってあれ、『ヒキコさん』じゃん! 特に萌え化もされていない、むしろ、B級方面へ突っ走っちゃった怪異だよ!? 例え、私が怪異だったとしても、出来れば知り合いになりたくない部類の奴だもん!」
どうやら本気で無理のようだ。
なにせ、顔を青ざめながらいち早く安全距離まで逃走を図っているのだから、その本気さが窺える。
そして、俺も『ヒキコさん』はできるだけ遭いたくない怪異だ。
なにせ、ヒキコさんは、人を肉片になるまで引きずるという、残酷極まりない殺し方をしてくるのだ。怪異以前に、物理的に恐ろしい。
『アァ……』
ヒキコさんはどうやら、ターゲットを俺に定めたようだ。
素足だというのに、恐ろしいほどの瞬発力で俺との距離を肉薄。そのまま、型も何も無い、駄々っ子のような拳が振り下ろされる。
「くっ」
咄嗟にヒキコさんの体を蹴り飛ばし体勢を崩したおかげで、直撃は避けられた。けれど、油断は出来ない。ヒキコさんは戦闘型怪異。きっと、一昔前のブームも手伝って、理不尽なレベルの怪力が備わっていても不思議じゃない。一度捕まったら、その怪力で市中引きずり回しの刑にされてしまう。
「……くそ、せめて鏡があれば穏便に退去させられるんだがなぁ」
噂によって発生した物は、噂によって影響を受ける。
大抵の場合、怪異とその対処方法はワンセットで噂になっているので、その対処方法を実践すれば問題無いのだが……そうそう都合よく、手鏡なんて持っていない。女子じゃあるまいし。後、まだまだ女子見習いのメリーさんは、手鏡を持っていないし。
「致し方なし、か」
この手は出来るだけ使いたくなかったが…………
「あ、危ない! ダーリン!」
安全圏まで移動していたメリーさんから、声が飛んできた。
気付くと、いつの間にやら、ヒキコさんが俺に向かって突進してきている。やはり、その動きは稚拙で、乱暴だ。こちらを力任せに掴んで、引きずる。ただ、それだけを行おうと、壊れた機械のように稼動している。
「あらよっと」
なので、技を掛けるには欠伸が出るほど、隙だらけだった。
『ガガッ!?』
力任せに差し出された右腕を掴み、素早く極める。がっちりと、体全体を使って、ヒキコさんの右腕を極め、動けば動くほど苦痛が増す仕様にした。つまり、アームロックである。
『ガァアアアアッ!?』
ヒキコさんは力任せに抜け出そうとするが、それは不可能だ。
なぜなら、俺は語り部だから。ありとあらゆる物語を語る上で、森羅万象の言語は都合よくケースバイケースで理解できるように訓練を受けている。
肉体言語も、その一つ。
世の中には問答無用で殴りかかってきたり、殺しに掛かってくる輩がそれなりに大勢いるので、あらゆる物語に対応する上で、肉体言語……特にサブミッションを会得しておいて損は無い。にせ、サブミッションは王者の技だ。相手が人の形をしているのなら、極められない関節など存在しない。つまり、ヒキコさんのような、力馬鹿な怪異を倒すには、うってつけの技なのである。
「ひぃ! 怪異を物理的に祓おうとするなんて! この外道!」
俺の完璧なアームロックを見たメリーさんはなぜか、『信じられねぇ、こいつ』という表情で野次を飛ばしてくる。何故だ、肉体言語は言葉が通じない相手への、これ以上無いくらい優れた最終手段なのに。
「やめてあげなって、ダーリン! 今から鏡をどうにかして用意してあげるから! せめて、怪異として祓ってあげて!」
「さすがメリーさん……自分の嫌いな怪異にすら、掛ける慈悲。ネット上で嫁宣言される事だけの事はある……が、あめぇんだよ!」
戦いは常に非常。
相手は殺そうとしてきたのだ、ならば当然、殺される覚悟もしなければならない。はい、そんなわけで……ごきり、と俺は容赦なく、極めていたヒキコさんの右腕を折った。
『ガヒッ!?』
すると、あーら、不思議。あれほど暴れていたヒキコさんが、借りてきた猫のように大人しくなりましたとさ。
「よし、人間に憑依する系のタイプで助かったぜ。これがメリーさんみたいな、純粋な怪異だったら、痛みを無視して攻撃してくるもんなぁ」
「待って、待って、ダーリン。さらっと口走ったけど、そのヒキコさん……元は普通の人間なの!?」
「ん、ああ。そうだが? たまーに、ブルー入っている人間が怪異に憑かれて、そのまま変身! ってパターンもあるからなー」
その性質を逆手にとって、怪異の力を借りて、世界の悪を滅ぼす怪異系ヒーローも存在するぞ。俺も一度、その手の物語を語り部として、体験した時があるし。かくいう、このサブミッションも、その時に会得したもので……
「しみじみしてないで、救急車! 救急車呼んで、ダーリン!」
「はっはっは、慌てるなよ、メリーさん。大丈夫、綺麗に折ったし。俺、基本的に自分の知り合い以外の奴がどうなろうと知ったことじゃないし!」
「うちの旦那が外道過ぎる!」
やだな、俺はまだまともな方だって。
『他人』に対するセメントさは、俺なんかよりも、先生が数段上だ。だって先生、基本的に他人の命を、道端に転がる空き缶程度にしか思ってないねぇし。
「っと、怪異が解けるな」
憑依していた人間の意識が失われれば、自然と怪異は消える。元々、人に付かなければ、存在を確立させられなかった怪異だ。本家本元のヒキコさんではなく、ちょっと学校で怪談が流行ったから発生しただけの、弱い怪異だったのだろう。
薄い霞のような者が『ヒキコさん』から離れ、その姿を元の人間へと戻していく。
荒れ果てた長髪は、手入れの行き届いた、滑らかなそれに。
白いボロ布は、見覚えのある制服に。
痛みで歪めた、端整な顔立ちには、見覚えがあるどころか、毎日顔を合わせている。
つ・ま・り、さっきの『ヒキコさん』が憑いていた人間は、俺の知らない他人じゃなくて、むしろ、色々と恩がある人。
「…………なんで、生徒会長が怪異になってんだよ?」
俺が通う高校の生徒会長、森本 乱火だったのである。
「きゅ、救急車ぁあああああああああっ!? いや、迅速な応急手当を!」
「もーう! ダーリンの大馬鹿ぁ!」
教訓:暴力は良くない。
●●●
森本乱火。
俺と同学年の生徒会長。
本来、生徒会長とは漫画やアニメで見る華々しいイメージとは異なり、雑務を押し付けられた総責任者という意味合いが強い。まぁ、その雑務に見合う程度の内申書の評価はあるが、やはり、普通の生徒からすれば、自分の学校の生徒会長に、カリスマを感じることは少ないだろう。
けれど、この森本は違う。
カラス濡れ羽色の長髪を靡かせ、海溝よりも深い黒を湛えた瞳で全校生徒を見渡す様は、まさしく統率者に相応しい。
加えて、森本は現代では考えられないほどの聖人君子であり、よほどの悪事を働かない限りは、大抵、笑顔で何でも許し、頼み事も引き受けてしまう。あ、もちろん、エロ関連の事を口に出したりすると、その瞬間に真顔で説教されるから、常識は弁えるようにな?
はい、そんな訳で。
「もう別に気にしていませんよ、スズキ君。元を正せば、私が正気を失い、貴方に襲い掛かったのが悪かったのです。むしろ、その点から言えば、私は貴方に感謝しなければいけません。ありがとう、スズキ君。貴方が私を止めてくれたおかげで、私は誰も傷付けずに済んだようです」
にこにこと、悪意の欠片もない笑顔で森本は俺に頭を下げてきました。
彼女の利き腕である右は、俺に綺麗に折られたというのに。
おまけに、気を利かせて、病院内でも人目の付かない場所を選んで。
…………心が痛い。
「や、違うんだよ、森本。俺が一から十まで全部悪いんだ。本当は、鏡を探すなり、頃場を弄して怪異を払ったりもできたんだ。でもほら、ギャグパートだったから! ギャグを求められていたからつい…………駄目だぁ! なんだよ!? 美少女の腕を折ることはもはや、ギャグじゃなくて、リョナだ!? くそぅ、馬鹿か俺は! 変態か俺は!」
「よくわかりませんが、床に頭を打ち据えるのはやめてください。そんな事をしたら、頭が割れてしまいます」
「割れればいい! こんな俺なんて、脳漿をぶちまけてしまえ――――」
「はーい、そろそろはた迷惑はやめようね、ダーリン」
「げっほ!?」
躊躇いの無い蹴り上げが、俺のわき腹に突き刺さる。
さ、さすがメリーさん、俺の嫁……的確なツッコミだぜ。
「……ふぅ、悪かったな、森本。もう大丈夫、俺は正気に戻ったぜ」
「いえ、童女に蹴られて正気を取り戻す時点で、元から正気では無いといいますか……」
俺から視線を外し、そっと目を伏せる森本。
あれ? なんで、学校一の聖人君子から、『こいつもうだめだ』みたいな、扱いを受けているのだろうか、俺。
「それはさておき。さすがに恩人である森本の腕を折っておいて、何も償えないのは、自責の念でノイローゼになりそうだから、何か願い事でも、頼み事でもいいから言っておくれよ」
「堂々とそう言い切れる時点で、ノイローゼとは無縁に見えますが……そうですねぇ」
ふむ、と紅色の唇にそっと指を添えて、森本は思案に耽る。その様相は、周囲を額縁で区切ってしまえば、名画として売り出せるほど芸術的だ。
「では、その……こういう頼みをするのは恥かしい限りなのですが」
森本は頬を薄く赤らめさせ、上目遣いで俺を見つめてくる。
やばいぜ、森本。俺が語り部でなかったら、うっかりフラグが立ったかと錯覚するほどの可愛らしさだったわ! だが残念! 主人公ではなく語り部! 登場キャラクターとの恋愛など許されていない……え? メリーさん? あれは愛の無い結婚だから、ノーカン。
などと、俺がメタメタしい、妄想やら内心の呟きをしていると、
「私の妹を、イジメから助けてください。お願いします」
真剣な表情で、森本が俺に頭を下げていた。
おいおい、ギャグパートじゃなかったのかよ、この話。
●●●
イジメ。
その単語をネットで検索を掛けると、軽く一千万を超える結果が現れる。
イジメ問題を取り上げているサイトなんかは、数えきれないほど存在する……が、それだけサイトがあったとしても、イジメの完全な解決方法なんて存在しない。そんな物が存在したら、風邪の特効薬以上の大発明だ。間違いなく、ノーベル平和賞をいただけることだろう。
もっとも、人類が巨大コンピューターに完全管理でもされなければ、そんな未来は永遠にやってこないのだろうけど。
なぜなら、イジメという行動は、誰かに愛を囁くよりも、命を賭けて誰かを救う事よりも、人類らしい行動なのだから。
「……で、やってきました、そのイジメの現場。正確には、森本の妹が通っている中学校。その校舎裏辺りですよーっと」
森本から相談を受けた後、時間帯的に言えば、翌日。俺はまず、そのイジメの実態を探るべく、森本の妹が通っている中学校へ無断で侵入した。なぜなら、普通に考えて、部外者が教育機関へ許可を取って入ること……しかも、森本の妹、及びその周囲にばれないように行動するのは不可能だからだ。
ただ、侵入のことが教師側にばれたら、厄介どころじゃない騒ぎになるけどな。一応、昔の学生服を引っ張り出して偽装しているが、それもいつまで持つことやら。
「っと、そろそろか」
放課後を告げるチャイムが学校中に響き渡った。
格教室から、まだ幼さの残る少年少女たちが校庭や、各々の部室へ散っていくのを、俺はスネークしながら、観察する。そして、しばらく目を皿にして観察していると、ついに、目的のグループが校舎から出てきた。
森本の妹――――森本 鈴鹿が、楽しげに同じ部活の仲間と談笑している。森本の妹の学年は二年生。陸上部に所属しているエース。姉と同じく美形だが、妹の髪型はポニーテイルなので、見分けがつきやすい。先輩も後輩も居て、ある意味、両方からの板ばさみになってストレスを抱えうる可能性がある学年だが……。
「ふむ?」
見ている限りでは、特に不和は感じられない。
森本の妹……ええい、いちいち面倒だ。どっちも森本だし。これからは鈴鹿で描写していくぞ。で、その鈴鹿だが、後輩とも、先輩とも、どちらとも問題が感じられない。それは、部員全員と仲良し、というわけではなくて、あまり気の合わない部員が居ても、きちんとそれなりに対応して受け流すことが出来る、という意味だ。
全校生徒と本気で仲良しになろうとしている姉とは違い、鈴鹿は、飄々と処世術を使いこなしている。
これは、ますます不可解だ。姉のようにカリスマに溢れるタイプならば、それが災いになり、何かしらの不具合でイジメを受けている可能性を挙げられるのだが、鈴鹿のようなタイプならば、隙が無い。きちんと、自分自身に隙を作っていて、その隙を自覚して生きているから、苛められる隙が無い。
仮にイジメが発生しようと何者かが働きかけたとしても、あの様子ならば、飄々と受け流して、何者かとさっさと和解してしまうだろう。
おかしい。
森本の証言では、時折、体に痣をつけて帰ってきたり、服に土足で踏まれたような足型が付いていると聞いていた。その事を訊ねると、露骨に挙動不審になって、強引に誤魔化していたと。だから、森本は自分の妹がイジメられていると結論付けたわけだが。
「…………結局、問題なし、か」
俺は部活動が終わるまで鈴鹿と、その周囲を観察していたが、特に問題と思われる行動や素振りは感じられなかった。
今日はたまたまイジメがなかったのか?
それとも、イジメ自体が森本の勘違いだったのか?
なんにせよ、学校をサボってまで中学校にスネークした俺の苦労は、ここまで、まったく報われていないわけで……はぁ、腹も減ったし、ラーメンでも食いに行くかな?
「っと? お、やっと動いたか」
俺が半ば諦めかけていたその時、鈴鹿と、同学年の部活仲間と思わしき女子が、一緒にこちら――校舎裏の人目が少ない場所まで歩いてきた。
「……ねぇ、鈴鹿。今日もやるの?」
「あったり前でしょ、由紀。約束、約束っ!」
「う、うん…………約束、だもんね」
由紀、と呼ばれた女子は、どこか憂鬱そうな顔をしながら、鈴鹿に頷く。対して、由紀の目はきらきらと輝いていて、表情も、部活動していた時よりも生き生きとしている。
なんだ、これは?
仮に鈴鹿がイジメを受けているとしたら、態度が真逆だ。
「で、でもね? 鈴鹿。最初は私がお願いして、鈴鹿は部活に入ってくれたけど、今は違うよね? ちゃんと、やりがいを感じているんだよね?」
「うん、もちろん! 陸上に誘ってくれた由紀には感謝しているよ。でも、それとこれとは別! ちゃーんと、やることやってもらわないと。うふふ」
「…………うぅ」
暗い笑みを浮かべる鈴鹿と、今にも泣き出しそうな由紀。
なんだ、これではまるで、鈴鹿が由紀を苛めているみたいじゃないか。
「じゃ、じゃあ、いくよ?」
「ばっちこーい」
俺が困惑に思考をめぐらせていると、ついに、『それ』は始まった。
「ぶ、豚みたいな声で鳴きなさい! この雌犬!」
「きゃーん♪ 意味わからない罵倒だけど、そこが素敵ぃ! わんわん! ぶひぶひ!」
「ほ、ほらぁ! もっと無様に泣かないと強く踏んじゃうよ!?」
「むしろ、もっと強く踏んでください、お願いします!」
「うぅ……こ、このど変態ぃ! 生まれた事を後悔しなさい!」
「そうそう! もっとえげつなく! 下品な言葉を使って!」
………………。
「うぇー?」
自然と口からため息が漏れた。
本来なら、隠密行動しているときに、自分から音を立てるような行為はご法度なのだが、そんな事など気にかけられなくなるほど、目の前の光景は異様だった。
それは人類の言葉で語りつくせないほど冒涜的だったけれど、あえてそれを一つの単語に当てはめるのなら――――SMだった。
森本の妹である鈴鹿は、自分の部活仲間に、自分を踏みつけながら罵倒する事を、『約束』として強制していたのである。
「……なんてこったい」
どうやらこの世には神も仏も存在しないらしい。
くそ、森本になんて報告したらいいんだよ? 言えねぇよ、アンタの妹がどMの変態でした、なんて言えるわけねーよ。後、やっぱり、ギャグパートだったよ、これ。
「――や、やっぱり駄目! 私、もう限界!」
俺が衝撃の真実に意気消沈していたところ、S行為を強要されていた由紀が、ついにキレた。オマケに半泣き状態だ。
「私、鈴鹿のこと大切な友達だと思っている! なのに、どうして、その私が鈴鹿にこんなことしなきゃいけないの? こんなの……ただ、辛いだけだよ……」
「由紀……」
鼻声になりながら、由紀という女子は鈴鹿に抱きついた。
よほど、S行為が辛かったのだろう。でも、そんな辛い事を強要されたとしても、やはり、鈴鹿の事は大切な友達だと思っていたのだ。
「大丈夫! その内、それが快感になるから!」
けれど、鈴鹿は予想以上に変態だった。
由紀は鈴鹿の答えを聞いた後、一瞬唖然としたかと思うと、すぐに顔を真っ赤にする。
「鈴鹿の馬鹿! もう知らない!」
「あべし!?」
ぱーん、と実に軽快な音が校舎裏に響く。
「うぇえええん!」
そして、由紀はそのまま校門に向かって走り出してしまった。うん、さすが陸上部。泣きながらでもフォームが綺麗だなぁ。
「……由紀」
さて、問題はビンタを受けた鈴鹿の方である。
由紀の友情がたっぷり詰まった一撃だ。これで心に響かなかったら、何事にも寛容な俺も引くのだが……
「うぇへへへへ、あふぁあ……さっきのビンタ、凄かったなぁ……」
「いくらなんでも駄目すぎるだろ、お前ぇ!」
ドン引きだった。
思わず、自分が見つかったらやばい立場とか、そういうのも頭から吹き飛ぶほどのドン引きレベルだった。
「ひ、だ、誰!? どーしてここに!?」
「どうしてじゃねーよ、お前! むしろお前がどーしてだよ!? どうして、友情溢れる一撃を快感に変換してんだよ!? 中学生にして業が深すぎるだろ!?」
鈴鹿は顔を真っ赤にして、ふるふると瞳を揺らす。
「う、うるさい! 中学生がどMじゃいけない世界なんて滅びればいい! 変態が許容されない世界なんて間違っている!」
「黙れ中二病! そしてど変態! お前はそれでも森本の妹かっ! お前の姉はな、乱火はな、怪異に憑かれてしまうぐらい、お前のことを心配して――」
「お姉ちゃんのことは言わないで!」
俺の言葉を遮るように鈴鹿が叫んだ。
「お姉ちゃんのことを、見知らぬ他人にとやかく言われたくない! いきなり現れた奴が、私とお姉ちゃんの確執も何も知らない奴が、偉そうに!」
「うるせぇ! どうせ、『カリスマ溢れるお姉ちゃんが私を罵倒しながら踏んでくれないよ、えーん! よし、こうなったら信頼できる親友に頼もう』ってオチだろ!」
「な、なんでわかったの!?」
わからいでか。
お前のような変態思考の人間とは、何人か関わりがあるんでな。どんなにシリアスな顔したって、必ずオチがあることぐらいわかっている。
「つーか、俺はお前の姉の同級生だ。森本からお前をイジメから助けて欲しいといわれて、こんな潜入まがいの事をしたわけだが……その結果がこれだ!」
有り余る怒りやらやるせなさを、校舎の壁にぶつける俺。ほんと、壁ドンでもしなきゃ、精神を保っていられないくらいの真実ですわ、これ。
「ちょっと! 私の学校の壁を殴らないでよ! 殴るなら私を殴りなさい! さぁ、早く! そして強く!」
「反省が欠片もねぇな、お前!」
なんで森本と同じ血筋で、こんな変態が生まれてくるのだ?
「……はぁ」
もはや、この変態は俺程度ではどうしようもないので、森本のご家族に任せるか、担任の先生にでも連絡しておこう。
と、俺が涎を垂らしながら近寄ってくる変態を本格的にどうにかしようとしていたその時だった。
「きゃぁああああああっ!!」
絹を裂くような悲鳴が聞こえた。
さっき、校門へ走っていった、由紀という少女の声だった。
「由紀!?」
そして、変態――いや、鈴鹿は俺よりも早くその声に反応し、駆け出す。到底、俺じゃ追いつけないような速度で、必死に歯を食いしばりながら。
「まったく、そんな顔できるのなら、最初からもうちょと自重しとけよ!」
森本。
どうやら、お前の妹は変態のようだ。
けれど、どちらかと言えば、良い方の変態だから、少しは安心していいぞ。
●●●
俺が追いついたとき、そこはちょっとした騒ぎになっていた。
「おい、なんだあれ!?」
「ヒキコさんか!?」
「逃げた方がいいんじゃねーの!?」
「ばか、せめて女の子は助けようぜ!」
「だったらお前が行け、ばか!」
異変を嗅ぎ付けた中学生たちが、無責任にざわざわと、騒ぎ立てている。
その騒ぎの中心には、アスファルトの地面に倒れこんでいる由紀と、その由紀を、必死に形相で守ろうと、手を広げる鈴鹿。
そして、今にも二人へ襲い掛かろうとする怪異、ヒキコさんの姿があった。
「ちぃ! やはり力任せの祓いじゃ根本的な解決にはなんねーか!」
そのヒキコさんの姿には見覚えがある。
俺が昨日、メリーさんと買い物をしていた時に遭った怪異――つまり、森本が憑かれて、変身してしまった怪異なのだ。
「だが、備えあれば憂いなしってな」
俺は学生服の胸ポケットから、コンパクトを取り出す。昨日の反省を生かして、もしものために装備しておいてよかったぜ。
んじゃ、さっさとあの怪異を祓ってやろうか――
「くそ! お前なんか怖くない! 怖くないぞ!!」
しかし、いざ踏み出そうとした俺の足を、鈴鹿の言葉が止める。否、その気迫に、思わず俺が気圧されて、勝手に止めてしまったのだ。
「ああくそ! 確かに私は変態さ! 周りに良い格好しながら、こそこそと親友を巻き込んで、迷惑掛けて! 泣かしてしまった屑だよっ! お姉ちゃんみたいなカリスマも無いし、こんな時、どうしればいいのかも頭真っ白だ! でもっ! でもなぁ、化物! 耳かっぽじって、よく聞きやがれ!」
鈴鹿の目から涙が流れる。
その涙を構成しているのは、恐怖と、悔しさ、情けなさ。
「私はっ! 親友を見捨てるようなクソじゃねーんだよ!」
後は、ほんの一握りの勇気が込められていた。
故に、鈴鹿の言葉は熱を持つ。
野次馬だった群衆の心に火を付け、ヒキコさんをたじろがせる程度の熱を。
「はっ、いいねぇ、鈴鹿。アンタみたいな馬鹿と変態は嫌いじゃない」
だから、俺は直接怪異を祓うのではなく、鈴鹿を手助けすることを選んだ。なに、ほんの少し、ちょっとだけ、後押しをするだけのことさ。野暮はしない。
「よく言った! 森本ぉ! おめーら! 女の子一人がこんな啖呵切っているのに、何ぼさっと突っ立ってんだ!? それでも男か!? それでも女か!?」
ささやかに、不遜に、煽るように、群集に語りかけるだけだ。
「たかが都市伝説の一匹にびびってんじゃねーぞ! おめーらは世界で一番馬鹿な中学生どもだろ! だったら、馬鹿してみせろや!」
全く知らない、学生服の男からの野次。
普段なら、冷ややかな視線と共に黙殺されていただろう。
ああ、しかし、この場には熱がある。あの変態妹が放った、燃え上がるような熱が。
だから、俺なんかの言葉にも応じる奴らが現れる。
「うっせー、ばかって言うほうがばかんだよ!」
「ああ、ばかにすんなよ! やってやる!」
「よっしゃあ! 剣道部呼んで来い! あと弓道部!」
「おっけー! 化物相手なら、容赦なんて必要ないよねー!」
「うっし! ここらで格好つけて! 鈴鹿にフラグ立ててやる!」
「おめーには無理だ! 俺に任しておけ!」
「男子には無理よ! あたしに任しときなさい!」
「女子が女子にフラグ立てんな!」
馬鹿な奴らがわらわらと。
都市伝説なんて何のその。
もはや、恐怖も怪異も存在できないような、そんな熱さと、馬鹿らしさがこの場を包み込んでいる。
『アァ……』
だから、安心しろよ、森本。
お前の妹はちょいと……いや、かなりの変態だが、とりあえず、皆からは慕われているようだぜ。
「いくぞー! 化物なんて怖くない! 私に続けぇ!!」
『おおっ!!』
……後、中学生連合にフルボッコにされる前に、さっさと逃げる事をお勧めする。
●●●
後日談。
結局のところ、ヒキコさんの怪異は中学生のフルボッコにされる前に祓われていた……というよりは、森本自体の悩みがなくなってしまったので、自然消滅した。いきなり、目の前のヒキコさんが、華麗な美少女に変身してしまったので、中学生は驚き、さらに鈴鹿は化物だと思っていた奴が、自分の姉になったのだから、もう大混乱。仕方ないので、最終手段として、先生のツテで怪異関連の情報操作に長けた人を呼んでもらい、混乱を収めてもらったのである。
まぁ、勿論有料だったわけだが。
『それでスズキ君。森本という姉妹の誤解は無事に解けたのですか?』
「ええ、それなりに。妹がど級の変態だったという事実が発覚しましたが」
『むしろ、イジメよりも問題ですねぇ、それは』
電話越しでも、先生が苦笑した吐息が聞こえた。
どうやら、今回の事件は先生が御気に召すような結末だったらしい。
「でも、先生。瑣末というか、ちょっと気になったことがあるんっすけど」
『ふむ、なんでしょう?』
「人の悩みに怪異が付け込んで、怪異と化す現象……俗に言う『魔が刺す』って状態なんですけどね。そんな状態に、あの聖人君子の森本乱火が、どうしてなっていたんだろうって。終わった話を蒸し返すようでなんですけど」
『いえ、スズキ君。貴方の疑問も最もでしょう。怪異とは、人の心の闇、弱き部分が引き寄せます。そして、人は誰しも弱い部分を持っている。例えそれが、聖人君子と呼ばれる類でも、ですよ』
「…………案外、昔、森本の奴も苛められていたんですかねぇ?」
俺には想像もできないが、きっと、森本が、今のカリスマ溢れる姿になるまでは、それ相応の苦労も存在したのかもしれない。その中で、イジメを受け、過剰反応を起こす程度にはトラウマを持っていたのかもしれない。
『さてね? ですが、成った怪異がヒキコさんというのなら、きっと彼女は『引きずっていた』のでしょうね。自分の過去って奴を』
引きずる、か。なるほど、それなら確かにヒキコさんという怪異にぴったりだ。
『しかし、別に心配ありませんよ、スズキ君。怪異が消滅したというのならきっと、その彼女は――――』
最後に、先生はらしからぬ優しい口調でこの物語を締める。
『過去を引きずらず、背負う事を覚えたのでしょうから』




