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ため息

 俺たちは、神山さんの家から、一言も交わさずに家まで帰ってきた。


 どうにも口を開く気になれなかった。


 これから、学校での生活がどうなってしまうのか、全く想像が出来ない。ただ今までのままにはいかないということは、確かだと思っている。

 咲菜のやつも、きっと怒っているに違いない。こっちが無茶言って付き合わせた今日の集まりだったのに、自分で全部おじゃんにしてしまったんだから、彼女としてはドン引きだろう……。


 でも、一つ不思議なのは、咲菜のことをカミングアウトしたことについて、俺自身が全く後悔していないということ。

 これからどんな風になろうとも、これしかなかったんだとそんな風に思っている自分があった。


 咲菜の様子をうかがうと、ただとぼとぼと俺の後をついて来るだけ。電車で横に座っても、信号で横に並んでも、やっぱり一言も話しかけようとしない。

 何か言ってくれれば、対策を練ることもできるのだが、これだと悶々として重い妄想の中に沈んでいるしかない。


 往きとはまた違った意味で、重い足取りを引きずりながら、家路をたどるのだった。




 やっとのことで家にたどり着き、部屋に上がりどさっと荷物を置いた。後から咲菜もカツカツとヒールの音をさせて玄関先まで来ると、さっさと靴を脱いで下駄箱に入れる。

 そんな彼女を見守る俺の目の前に、いつもよりずっと短めのスカートの裾から、普段は見えない彼女の細く真っ白な太ももがのぞいた。

 俺はドキッとしてながらも、気まずくて目をそらした。こんな時でも気になるものは気になるのだよなと、なんかガックリきた。

 

 「昇太さん、手の傷は大丈夫ですか?」


 ため息を連発する俺に、咲菜の静かな声が投げかけられる。

 あ、大丈夫……と咄嗟に答えるも、いきなりだったのでそれ以上言葉が続かない。何か言わなきゃと慌てるも、情けないことにモゴモゴと訳も分からないことを口走るしかかできなかった。

 そんなことをしていると、「昇太さん」と畏まった声で名前を呼ばれ、何が始まるかと振り向くと、咲菜が深々と頭を下げた。


「ごめんなさい……」

「はぁ、…… なんで?」


 謝る彼女に思わず突っ込んでしまう俺。勝手な話だが、ここで謝られると、自分が完全に悪いと思っている俺としては立場がなくなる。


「…… 昇太さん、一人ぼっちが嫌だからって、わたしに今日のこと頼まれたのに、わたし、昇太さんを一人ぼっちにしてました」

「あ、いや、それは作戦だっ……」

「そうかもしれませんが、……そうかもしれませんが、おかげでその傷です。やっぱり……違います」


 咲菜にとっては、俺が怪我をしたということは決定打だったらしく、彼女のハンカチに包まれた俺の左手を、いかにも悲しそうに見つめていた。


「つーか、傷は完全に俺がヘマしたからだろ」

「でも」


いくら言っても、彼女の顔は俯いたまま。


「まあ、着替えようよ。なんか、腹減った。昼飯もちゃんと食べてないし」

「……はい」


 咲菜はそこまで言うと、俺の言葉に従って奥の部屋に着替えに行った。残された俺は、またさっきの堂々巡りに戻っていく。


……しかし、明日から、俺の生活はどんなふうになるだろう。


 高校でたった一人であろう既婚者。


 男女の関係に敏感な高校生に、注目されないわけはないのだ。


どんな目で見られるのか……。



「昇太さん」

「ん?」


 テーブルで座り込んで頭を抱えている俺の横の椅子に、部屋着になった咲菜がすっと座った。いつもは向かい側に座るのに、今に限って横なのでちょっとギクッとする。


「あれで、…… 良かったんですか?」

「あれって?」

「わたしたちのことを、皆さんにお話しして」


 交錯する感情、こんがらがる思考、咲菜の心配そうに見つめる眼差し。


 そんな混乱している俺は、咲菜の顔を見ながら、ふと今度のことで悩んでいるのは自分だけではないことに気づく。

 そしてこっちがどんなにまごまごしていても、急かすでもなく穏やかに待ってくれる咲菜の姿に、不思議な力を貰った気がした。


 ゴチャゴチャしたままだけど、兎に角、今の自分を言葉にしてみよう。


「良くはないけど、…… 最善だったと、思う…… 」


 そう、あれしかなかった。


 それに、もう終わったことなんだ。今は、覚悟を決めて前向きゃなければいけないってこと、……なんだろう。そう、何と言われようと、どんな目で見られようと、どんなことをされようと。

 走馬灯のように、これから直面するであろう、胃の痛くなるようなシーンが脳裏を駆け巡った。確かににキツい。でも、友達に、咲菜に、そして自分に正直に胸を張って生きるには、やっぱりそれしかなかった。

 

 その時、フニュッと温かいものが俺の肩に触れた。ハッとして見ると咲菜が俺の腕にそっと頬を寄せていた。何事かと内心、慌てふためく俺。

 シャツを通して伝わってくる、咲菜の頬の感触と温度。寄り添っている彼女の胸が微妙に触れ、その柔らかさに、心臓はいよいよ鼓動を早めていった。


「わたし、昇太さんが出て行けというまで」

「ん?」

「ずっと昇太さんの側にいますし、昇太さんの味方です」


……咲菜


 その言葉が耳に飛び込んできた瞬間、俺の中で何かがはじけた。


 俺はガバッと咲菜を引き寄せて、気が付いたら彼女の唇を奪っていた。


 *****



 

「重ね重ね、…… ごめん」

「そ、そんなことないです。…… でも、これ、どうぞ」


 彼女が差し出したのは、ティッシュだった。赤い顔でちらちら見るのは俺の唇。あ、そうかとそれを受け取って拭くと、ピンク色の口紅がそれにつく。

 なんか本当にキスしたんだと、それ見て思う。と同時に心臓はもう壊れそうな程バクバク言い始めた。

 そんな俺は彼女の眼差しがむず痒く、なんか恥ずかし過ぎて、口が勝手にしゃべってしまう。


「へ、へへ、…… 俺、すっごいテンパってるわ」

「そ、そうですね」

「……初めてだからな」


 恐る恐るぼそっとカミングアウト。キスすらしたことなくって、良く結婚がどうだの言えたものだと、心の中でセルフ突込み。


 「……わたしもです、へへ」

「??」


いや、「初めて」は流石にないでしょ。バツ2と言ってるんだから。って、ああ、なるほど。


「俺とは……ってこと?」


そういう話だったら分かると、確認してみる。


「え?」

「いや、まあ、初めてなんだ?」

「はい、そうですけど。今のが、生まれて初めてです……よ?」


思わぬところで突っ込まれたみたいなキョトンとした顔をする咲菜。けれどもハッとして口がとがっらせた。


「本当ですよ?」

「でも、……なぁ」


 いつも咲菜を落ち込ませる「結婚」だの「離婚」だのそういう話に、こんな場で持っていきたくない。まあピンと来ないんだったらもう良いかと、口をつぐむことにした。 

 でもあっちは、勝手に矛を収めたのが気に入らないらしく、口を尖らせるだけではなくほっぺたも膨れ始める。


「初めてと言ったら、初めてなんです」

「分かったって……」


まあ、ここまで言うんだから、本当ということにしようと、なんか気まずくなった俺は、じゃあ今度は俺が着替えると席を立とうとすると、咲菜のやつガバッと立ち上がって、行く手を阻む。


「な、なに?」

「ちょっと待ってください、大事な話ですから」

「ま、まあ」


振り切ることもできたけれど、それじゃあ流石に後味悪いと、話につきあうことにした。


「わたし、確かに結婚はしましたけれど、男の人とお付き合いしたことありませんから」

「付き合ったことない?」

「だから、何度も言ってますけど、付き合う前に別れたんです」

「結婚したのに」

「それとこれとは別の話です……」


咲菜はコホンと咳払いをして、ごそっと居住まいを正すと、俺の目を覗き込むようにして続けた。


「好きな人同士なら、結婚前に色々あるのかもしれませんが、わたしは違いました。好きでもない、どんな人かも知らない、どこまでも他人である誰かと仲を深めるなんて、絶対にできませんでした」

「……そう……だ、よな」

「調べていただても結構です」

「調べる?」


急に上ずった声になったので、見ると彼女が耳まで真っ赤にして、目を泳がせていた。


「『初めて』だという、証拠をご覧いただけると思いますから。…… わたし、絶対に昇太さんだけには、ちゃんと本当の知っていて欲しいんです。」


 なんのことを言っているのかと、一瞬、分からずにうろたえたけれど、それはその、女の子と縁がないからと言っても、それぐらいの知識は持っている。

 目に涙を浮かべてそう訴える咲菜の姿に、俺はもう十分だと思った。そのまま信じようと心に決めた。


「そ、そっか」

「じゃあ、わたし……準備します」


咲菜は一瞬硬い表情をし目を泳がすと、すっと自分の部屋の方に行こうとした。今度は俺が彼女の手を掴んで引きとめた。


「分かった、もう良いよ」

「……でも、本当に納得してほしいから」

「だから信じるって、……信じるよ、ホントにホント」


ちょっと涙目になっている目でこっちを見る彼女を、ぐいと向き直らせて目を見据えてそう言った。

そこで彼女は押し黙る。でも、その目はまだ不満の色が滲んでいる。


咲菜は初めてなのか……。


 俺の中では、これから一生一緒に生きていく人間は、彼女以外には絶対にありえないと思うほどに、彼女に対する気持ちはすっかり大きくなっている。

 でも最後にいつも引っかかっていたのが、彼女の異性経験だった。

 本当にそこまで思ってるんなら、それぐらい乗り越えろと言われたらそうなのだろうが、女の子と全く付き合ったことのない俺には、それを気の留めないでいるということは、どうにもならない程、難しいことだった。

 かといって今から他で女性経験を積んで、包容力を培うなど出来るはずもなく、これはもう全部ぐっと飲み込んで、兎に角、先に進むしかないと覚悟していた。

 でも今、俺の前に立ちはだかって、見上げるたびに絶望的な思いに引きずり込んでいた高いハードルが、霧のように姿を消した。

 


 …… もうそれでも良いと思うことにしてたんだけど、まさかそんなことだったなんて。


 頭の中をそんな言葉が巡る度に、自分の中から言いようのない熱いものが頭をもたげるのを感じていた。

 いつも俺を見つめてくれていて、俺のことを思い続けてくれて……。そう、考えてみればこの手に傷を受けた時だって、他の誰も全く気付いてはいなかった。だけど、咲菜はちゃんと気付いていた。

 「冷たい咲菜」をしていながらも、俺のことを全く無視していたような素振りをしていながらも、やっぱり誰よりも俺を見守ってくれていたのだ。


「初めてならなおさらだろ、俺を信じさせるために差し出すなんて、悲しいことしないで欲しい。一番、大切にしなきゃ。……そう、最高に幸せな思い出しなきゃ」


頑なに自分の考えを押し通そうと身構えていた咲菜の強い眼差しが、驚いた顔を一瞬したかと思うと、ふっと柔らかい光を宿す。


「……うん」


 そう答えた咲菜は、まるで小さな女の子のような、くるくるしてキラキラした目をした。


「じゃあそうする……ね」


……あれ、なんか


 ここに来て以来、いつもあった凛としてお嬢様然としたところが、なんだか一枚 フワッと消えたみたいだった。

 嬉しそうに肩を竦めた今の咲菜は、いつも感じる綺麗いという感じというより、「かわいい」とう言葉がずっと似合った。

 いきなりの変貌に俺が驚いていると、今度は一瞬はにかみ、躊躇した素振りをした咲菜が、エイヤー!みたいな気迫を放つ。何が始まると身構えた次の瞬間、彼女が俺の首に抱き着いてきた。


「うわぁ」


 彼女の息の音が耳元をくすぐる。胸が押し付けられていることにハッとし、その柔らかさを意識したとたん、心臓が飛び跳ねた。


「わたし、昇太さんでよかったぁ」

 

 耳元でささやくようにいった咲菜の言葉に、俺の心は今まで感じたこともない、満たされた思いが全身に満ちていく。 


「俺、今、マジ、幸せだわ」

「わたしも」


俺も恐る恐る、咲菜の背中に手をまわし、華奢な彼女の体を、できるだけ優しく抱きしめてみた。

 

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