出会い
ずいぶん暑くなってきた。
この春引っ越してきた俺には、この町では初めての夏だ。
海の近いこの町では、山を切り開いて造った大都会のベッドタウンとは、随分違うように思う。
俺は徒歩で30分、電車で1時間、計1時間半かけて県立高校に通っている。それまでは都心の私立高校に通っていたが、引っ越しと同時に転校したのだ。
その日もジリジリ迫ってくる太陽の日差しにさいなまれ、やっとのことで自分の住むアパートにたどりついた。
兎に角、駅から遠いのだ。今までだと、たかが駅にたどり着くのに、こんな苦労しなけりゃならないって、有り得ない。
3年になって転校なんて、受験のこととか考えると正直有り得ないことなのだが、それがその、のっぴきならない家庭の事情で、結局こうなった。っていうか、大学行けるか分からない。
ぶっちゃけうちの家、親父のやってた小さな会社が倒れかけ、車を売り、家を売り、何もかんも売り払ってやり直しているところなのだ。
今まではそこそこの暮らしをしていた俺たち一家だったが、今は食べていけるだけでやっとという感じである。
錆びくれたスチールの階段をコンコンと上り、自分の家の前に立つ。
色あせ剥げかけたドアの化粧板。ドアの枠も微妙に錆びてて、何もかもが薄汚れていて貧しい。まさにそれが今の俺。
小さなため息をついて部屋に入ろうと、俺はポケットを探って鍵を出す。そしてシリンダー錠の鍵穴に突っ込んだ。
あれ? 開いてる。
父さんも母さんも朝早く出て、夜遅く帰ってくる働きづめ生活をし、弟も妹も、色々とゴタゴタしているところに置いていて良いことないと、爺さんのところに預けられている。
だから学校から帰った時は、自分で鍵を開けて家に入るのが、この春からの「普通」なのだが……。
こういういつもと違うことが有る時は、大概は良くない方のイレギュラーなのだ。
最近、「まさか有り得ない!」という事が、たてつづきにあったので、最近、全てが悪い方に考えるようになっている。
俺は微妙に震えながらドアを開けた。
誰?
目の前に立っているのは、ブレザー姿の女の子だった。小さな玄関のたたきに、表情のない顔でこっちを見ている。その隣に物凄く存在感のあるオジさんが、窮屈そうに立って、興味深そうにこっちを見てる。
「おう、帰ったか」
「ああ」
見るとその女の子の向こうから、父さんが顔を覗かせていた。なんか、今朝より疲れた顔をしてる。
「あ、この娘な、蝶山咲菜さん」
「蝶山?」
どこかで聞いたことのある名前……
一周りその名前を頭のなかで回してみたけれど、ぱっと思いつくことはなく、この時はそれ以上は考えなかった。というか気がついたら、薄暗い玄関先で輝いて見えるほど白い肌、向けられた目の長い睫毛、ちょっとびっくりしたのか少し開いている小さな口。正直、今まで出会った誰よりも、「美しい」という形容詞が似合う女の子に見とれていた。
「昇太、ちょっと話があるんだが……」
「なに?」
親父は、いきなり目の前に出現した美少女に気を取られている俺を、引っ張って外に連れ出した。
「な、なんだよ」
「いやな、込み入った話があるんだ」
見ると親父が済まなそうな顔をして、頭を掻いている。
「な、なんだよ」
そのようすをみるにつけ、思いっ切り悪い「予感」が「確信」へと変わっていく。親父は更に声を潜めて話を続ける。
「おまえ、結婚する気ないか? いや、結婚してくれ」
「な、なんだ、いきなり、って誰と?」
「あの娘とだよ、凄い可愛い子じゃないか、良いだろ?」
「良いだろって、なんだそれ。」
到底、真面目な話などとは思えない。俺は鼻で笑った。
「俺、まだ高校生だし、なんで、結婚なんかしないといけないんだよ。バカにすんな。」
「いや、あの人、蝶山さんだがな、お前も知っているだろ、パルハル・ドットコムって会社。」
「ああ、あのなんでもかんでもやってる、外資の会社?」
「そう、通販からネット、服売ってたり、遊園地やったりしてるあれあれ。お前も知ってるだろ」
親父はなんか嬉しそうな顔をする。
「そりゃ、……知ってる。」
「おうそう、あの娘、パルハル・ジャパンの社長さんのとこの娘さんなんだよ。隣にいたのが蝶山社長。」
「はあ? 何でそんな人たちがここにいるの。嘘だろそれ。」
「いや、それはまあ良い、これからが本題なんだ……」
そこで親父は、一つため息をつくと、頭を振った。
「社長が自分の娘を、お前に頼みたいって直々にやって来られたんだ。」
「頼むって、何を」
最高に嫌な予感がした。思わず一歩後ずさった所で、親父は口を開いた。
「だから嫁にもらって欲しいってさ。そうしたら、うちの会社、助けてくれるんだとよ」
俺は大笑いするしかなかった。これって単なる詐欺だよ、間違いないって。
いくらなんでも脈絡無さすぎだろ。電車の吊り広告とか、新聞とかネットの中の会社の社長が来て、自分の娘を嫁にしろって??
「つーか親父、これ騙されてるって。」
「なんでだよ」
「親父、何歳だよ。こんな話にマジで聞くんだよ、有り得んだろ」
……こんなんだから、俺達はこんな目にあってるんだ。
親父は技術者としては超一流だが、社会人としては三流以下。ボッチな俺から見ても全然人付き合い駄目だし、これまでも妙な詐欺話に乗って、何度バカを見たか。
親父が開発した技術で特許取ってやるっていう話に乗って、なけなしの金まかせて、全部騙し取られて家はなくなり、学校も行けなくなった。
お陰で転校して、ここにいる訳。それでも懲りない親父に、今度は無性に腹が立ってきた。
「絶対ありえない。もうこの話はしないでくれ」
「ちょっとすまないが、いいかね?」
腹が立ってならなくなって、これ以上親父といたらひどいこと言ってしまいそうだと思った俺は、さっさと逃げ出そうと思った。しかしそんな俺の背中に、良く響く男の声が掛けられる。
俺はびくっとして振り返ると、超高そうなスーツを普段着のように着こなした、目つきの鋭いオジサンが立っていた。ちゃんと見ると、迫力ぱないわ、蝶山社長。
「はじめまして、わたしは蝶山光太郎というものだけど、蝶山咲菜の父親だ。」
「は、はあ」
「そんなに怯えた顔をしなくてもいいだろう、私は『良い話』を持ってきたんだよ」
「『良い話』ですか?」
「仕事の話を学生の君に話すのもどうかと思うが、私は君のお父さんの開発されたシステムに、大いに興味があるんだ。」
「はあ」
……なんで、会社の話を俺に?
「手っ取り早く言えば、お父さんの会社を助けたいと思ってる。」
「え?」
「ただし一つだけ飲んでもらいたい条件がある」
「条件ですか?」
「うちの娘を宜しくお願いしたい」
「え?」
「君に貰ってほしいんだ」
蝶山さんはジッとこっちを見つめて、真剣なまなざしでそう言った。
不覚にも思わずときめいてしまった俺。
「そ、それ、マジですか?」
「ああ、大真面目だ。君にあの子の婿になって欲しい」
「え?……そうなんすか」
こう真剣なまなざしで言われると、嘘だと言い辛くなるな。じゃあ、本当なんだろうか? いやまさか、……でも。
微妙にドギマギしてくる。
俺を見て、ホッとした顔をしつつも目を泳がす蝶山さん。
「ただな、親から言うのも何なのだが」
「はあ」
「あの娘の婿さんには、いろいろ苦労を掛けるかもしれないのだが……な」




