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 さ、明日のお弁当、何にしようかしら?


 わたしは昇太さんの弁当の献立を考えるこの時間が、一日のうちで一番好き。自分で考え、自分で作る。しかもそれを心から喜んでくれる人がいてくれる……。

 なんて素敵なことかしら。 


「今日も良い天気ね。暑くなりそう。昇太さん、ちゃんとお水飲んでらっしゃるかしら?」


 そう言いながら、わたしの脳裏には、背中を丸めて暑そうにしている彼の姿が浮かび、思わずクスッと笑った。



 

 最近やっと、ここでの生活の「日常」というのものが、出来上がってきたみたいに思う。

 朝、4時半に起きて、昨日準備していたお弁当の仕上げ。昇太さんは毎朝、7時にはここを出るので、手の遅いわたしには、早起きしてもそんなに時間があるわけではない。

 朝ご飯の支度をし、給仕をしたてから弁当を渡し、昇太さんを送り出す。その後は食事の片付けとお掃除。

 それまでお義母様はとても忙しかったようで、わたしがここに来た時、このお家、十分手が行き届いているというわけではなかった。

 だからここにずっとおらせてもらうことになって、少しでもお役に立てるかと、掃除と整理とを頑張っている。

 わたしにとってこのお宅をお掃除することは、まるで宝物探しをしているのと同じ。 こちらのプライベートのものは覗かないように注意しながらも、時々出会う古い写真や、「卒業記念」とか刻んである小物などに出会うたびに、わたしはそれに秘められたいろいろなストーリーに思いを馳せる。兎に角、飽きることや退屈なことは一つもない。

 古い写真の中の昇太さんは、小さな子供の頃も、小学生の頃も、ずっと明るく笑っている。それは確かに、わたしが初めに見せられた、あのお見合いの写真の笑顔だった。

 お義父様とお義母様、それと、今はお祖父さまのとろこに行かれている、わたしの義妹になった容子さんと義弟の立也さんも、皆さん、本当に幸せそう。


 けれども今の昇太さんは、いつも硬い表情で低い声で話し、いつもだるそうにしている。

時折、帰ってこられる、お義父様もお義母様も、いつも背中を曲げて疲れた様子。


 わたしは昔の昇太さんと今の彼の間に、どんなことが有ったのか。このご家族がどのようなところを通ってこられたのかと良く考える。

 人の顔がこんなにも変わるということは、相当なことがあったということなのだと、わたしは身をもって知っている。


 沢山苦しんだんでしょう。沢山泣かれたことでしょう……。


 そんなことを考えて、改めて笑顔で写っている昔の昇太さんの笑顔を見つめていると、胸が苦しくなってくる。

 どうにかして差し上げたい。だけど、こんな立場のわたしが、彼のために出来ることなど有るわけないと思っていた。


 でも違った……。わたしは見つけた。わたしにもできる一つのこと。


 昇太さんの元気の素になるよう、心を込めてお食事を準備する事。




 わたしは妻としては、良い妻どころか、後ろ指をさされるような最悪の妻。胸を張って昇太さんの妻だとは言えない女。

 法律的には確かに夫婦になれた。でもお役所が夫婦と認めることと、本当の夫婦になることには、ずいぶんと距離があると思う。

 昇太さんはわたしの過去について、受け入れることは出来そうもないと、正直に打ち明けてくれた。

 それはわたしにとって、とてもショックではあったけど、同時に嬉しく思う自分もいた。

 それは昇太さんが、結婚のことを何かの道具としか考えられない、わたしの周りにいた人たちとは全然違うとうことだから。

 そう、わたしの過去を拒絶するということ以上に、結婚がとても大切なものだと思ってられるということを、あかし出来ることが有るでしょうか?


 だからわたしは決めた。


 ちゃんと夫婦になれないことを嘆くのではなく、ここにおらせていただける間は、精いっぱい、今、出来ることをしようと。それで昇太さんのことを励まし、喜ばせ、元気になっていただこうと。



 わたしのかけがえのない旦那様。


 自分が結婚することなど、もう絶対に許されることはないと、信じて疑わなかったわたしです。そんなわたしは、あなたに出会って「夫婦」になりました。

 こんないびつな形ですけど、わたしはあなたと結婚できて本当に嬉しいです。


 でも、あなたとの生活のなかに、わたしが夢の実現していくのを見、口で言えないほどの喜びを感じれば感じるほど、わたしは、とても苦しみます。

 目の前で本当になったその夢は、わたしの手が真実、握ことはないという事を知っているから。




 やだ、また、涙が……。


 自分が涙を流していることに気づくと同時に、せき止められていた思いは益々勢い良く溢れ始め、直に止めることが出来なくなる。








「あ、あら、もうこんな時間だわ」


 今日は久しぶりにこんなに泣いた。時計を見て随分長い間こうしていたのだなと、急いでティッシュに手を伸ばして、鼻をかんだ。


 今日に限ったことではなく、昇太さんのことを思えば思うほど、今の幸せをかみしめると同時に、忘れかけていたこれまでの辛いことがよみがえってくる。

 もう諦めてしまったはずなのに、堪らなく悔しくて悲しくて、時々、こんなうふに幸せを噛みしめながらも、わたしはさめざめと泣く。

 

 鼻をかんだティッシュをゴミ箱に入れ、座り込んだままふと目を上げた。


 そこにはあの晩、わたしの作った御御御付おみおつけを飲みながら、ホロホロ涙をこぼしていた彼がすわっていた。

 わたしはあの時、昇太さんに、すっかり心を奪われたのだと、やっと最近分かるようになった。


 実際に握りしめられなはしないとしても、それはそこに現実的有ることを忘れてはいけない。

 もし普通の夫婦になれないとしても、わたしの目の前には昇太さんがいて、彼のために出来ることがある。

 だから、泣いてばかりではダメ。こんなチャンスを貰えて、何もしないでいるなって絶対にしてはいけない。

 確かに出来ないものは出来ない、帰れないものは帰れない。元に戻りたくったって戻れないこともある。でもそれが全てを諦める理由になるの? 


 もう、わたしは諦められない。彼がもう一度、あの写真の中で喜んでいるように、微笑んでくれる日が来ることを。


 ……わたしの出来ることをしましょう。昇太さんが喜んでくださるお食事を、毎日毎日、準備させて頂きましょう。


 

 「お弁当の時間だわ。今日は、ロシアンハンバーグにしたけれど、昇太さん、喜んで下さったかしら……」


 自分の作ったハンバーグを美味しそうに頬張る昇太の顔を想像する咲菜。思わず「可愛い!」と吹き出すやクスクス笑い始めた。



「……あ」


 咲菜の目は鏡に映る自分の顔に、目を瞬かせた。

 彼女は鏡の中で、頬を赤らめ幸せそうに微笑んでいる自分の顔を見て思った。


 なにこの人、こんなに幸せそうな顔をして……と。


「昇太さん、ありがとうございます。わたし、やりますよ!」


彼女は鏡に向かって、小さくガッツポーズをした。









「しかし、すげえな、今日も」

「……ま、まあな」

「おまえ、毎日、よくもこんなにわびしい昼飯に耐えている親友の前で、そんなウマそうに食べるな」

「ああ、悪い。でも、美味いものは美味い」

「じゃあさ、その、美味い弁当作ってくれる女の人、いっそ、嫁になってもらっちゃえば良いじゃん!」


俺は思わず食い物を喉に詰めて、ゲホゲホする。


「おい、大丈夫かよ、何やってんだよ、本当に世話のやけるヤツだな……」

「ああ、わるい、悪い」



 …… いやあ、心臓止まるかと思った。


 やはり安三、侮りがたし……。


 

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