五場 夏への扉
そして時は現在に立ち返る。
コスプレネーム「天野螢」の女の子は、十葉女三年の「伏見うい」として俺の目の前に立っていた。
「あの時は、本当にありがとうございました。なのにボクってば、お礼の言葉も言えずじまいで……」
「俺の方こそ、勝手な振る舞いをした挙げ句、一人で先に帰っちゃって、ごめん」
実は、『寿ゆふPMA』に新曲が配信される日だったから、速攻で行きつけのゲーセンへ行ってた、なんて、口が裂けても言えない。
「いいえ、とんでもない。急用だったんじゃ仕方ないですよ。あの後、好から色々と聞きました。……その、今は完全にフリーなこととか……」
もじもじしたかと思うと、初ちゃんは頬を染めつつ、蚊の鳴くような小さな声でそれだけを告げた。
幾ら鈍い俺でも、その言わんとすることぐらいは判っている。この期に及んで、「いや、一応、文芸部所属だけど」なんて大ボケはかまさない。
「うん、生まれてこの方、彼女ナシ。こんな俺で良ければ……よ、喜んで」
初ちゃんの顔が見る見る内に真っ赤になった。
「キャー、嬉しいです! ありがとうございます!!」
そう答えるなり、初ちゃんはクルクルとはしゃぎ回った。
まるで仔犬みたいだ。その仕草が、飛びっ切り可愛かった。ついさっきまでの苦悩なんか、一瞬で消え去るほどに。
「ーーそれで、これからどうします?」
急に話を向けられ、期待に満ちた眼差しで見詰められた俺は、しどろもどろにしか答えられなかった。
「いや……俺、こーゆーの慣れてないから、どこへ行ったらいいものか……」
「それじゃあ、取り敢えず喫茶店へ行きませんか? 紅茶のとっても美味しいお店、知ってるんです、ボク」
彼女ははにかみながらも、一生懸命、俺をリードしてくれる。
「そこでおしゃべりしながら、どうするか決めましょう!」
初ちゃんは俺の手を引き、街中へと歩き出した。
手の平から伝わるのは、初めて味わう、恋という名の甘い温もり。
こうして、「おれ」と「ぼく」は、輝きに満ちた夏への扉を開いたのだ。
〔了〕