四場 先週の回想
話は先週にさかのぼる。
日曜の早朝に中村から呼び出された俺は、ほとんど身ひとつで海岸の近くにある小売団地会館にやって来た。人込みの中から中村を見つけ出し、問い詰める。
「何だよ? 日曜の朝っぱらから呼び出して」
「前に言っといたわよ、イベントにコスプレ売り子で参加してもらうって」
「いつ?」
「去年の暮れ」
「半年も前じゃねーか!」
「年明けにも言った。忘れてたあんたが悪い」
有無を言わさぬ口調で俺の反論を封じると、中村は荷物から紙切れを二枚取り出して俺に渡した。
「はい、あんたの分のサークル入場券とコスプレ参加券。失くさないでよ。受け取ったら、さっさと並ぶ! もうじき開場よ」
「ちょっと待て。コスプレ、コスプレって、俺、衣装受け取ってねえぞ」
「もう目の前にある。これがあんたの衣装」
中村は大きなバッグの片方を俺に押し付け、自分のを小脇に抱えると、スタスタ歩き始めた。やむなく俺は後に従う。
「わくわく・まあけっと」、通称「わくマ」は十葉市八千代区の小売団地会館で毎月第四日曜に開催される百五十スペースの中規模オールジャンル同人誌即売会だ。
講堂風のA会場と会議室サイズのB会場から成る。余談だが、期限ギリギリに申し込んだり書類に不備があったりするとB会場に配置され易いと言う。常連はこれを「島流し」と称していると話に聞いた。
実際、その日、中村も愚痴を零していた。
「久々の参加で『島流し』か。ツイてないわね。念のため、『飛び道具』を用意しといて正解だったわ。売上向上に協力してもらうわよ。じゃ、また後で」
中村は荷物を抱えて女子更衣室へ去った。「飛び道具」とはコスプレのことだろう、たぶん。
入場時に受け取ったパンフによれば、男子更衣室は特に用意されていないそうなので、男子トイレの個室で悪戦苦闘しつつ着替えた。
題材はアニメ『創世紀イヴアンジェロス』の特務機関ナーヴ・最高司令長官、掟源道。
中村に強制的に徴収されたお年玉の残りを注ぎ込んだだけあって、司令服の素材は素人目にも立派だし、縫製も丈夫そうだ。
寸法も冬休みに測った採寸通りでジャストフィット。ご丁寧にもダテ眼鏡と付けヒゲまで用意されていた。
着替えを終えてコスプレ登録の受付カウンターに赴くと、鏑木美里の軍服を着た賢木しのぶこと中村好が待ち構えていた。
その隣には、スティックスーツ姿の綾並零。いや、そのコスプレをした見知らぬ少女。
「紹介するわ。コスプレ仲間の天野螢。螢、同じガッコの桐生トーヤ」
中村に紹介された俺は慌ててその子に挨拶した。
「初めまして。今日一日、よろしく」
「……初めまして……」
もう役に入っているのか、螢と呼ばれた可憐な少女は目を伏せてボソボソと答えた。
「挨拶はそのぐらいにして、さっさと登録の手続き済ませたら? 受付時間、もう余り無いんだから。ほら、早く!」
せき立てるように中村が俺の背中を小突いた。
バタバタと受付を済ませ、文芸部のスペースに行ってみると、中村に、螢という子と、部の後輩・小林美幸の三人で出店の準備は完了していた。
どうやら、小林は一足先に到着して販売品の搬入を担当していたと思われる。
売り子の手伝いから始めようと椅子に手を伸ばしかけたら、中村に押しとどめられた。
「ちょい待ち。あんたの役目はこっち。これ背中に貼って、会場内を適当にウロウロしてればいいから。さあ、行った行った」
差し出された紙には、スペースナンバーと宣伝イラストがデカデカと描かれてあった。
(……これも「飛び道具」の内か)
「俺はサンドイッチマンか?」
「それ、禁じ手なの。これなら反則スレスレ、ぎりぎりセーフ! だから安心して」
中村はにっこり笑いながら宣伝ポスターを俺に押し付けた。意地でもやらせる気らしい。俺は深く溜め息をつき、背を向けて貼るに任せた。
歩く広告塔として会場内をブラつき、そこここで立ち読みをする。
新劇場版の完結編が待望されている人気アニメ作品とはいえ、主人公の掟真二や人気キャラの汀薫ではなくマニア向けな源道をやっているせいか、珍しがられても撮影依頼をされることは多くない。
お陰で立ち読みが捗る捗る。午前中にはA・B両会場とも一通り廻り終えてしまった。
ロビーの購買コーナーで軽食を買ってから文芸部のスペースに戻ってみたが、絵に描いたように閑古鳥が鳴いていた。
露骨に不機嫌な中村を避けて俺は素早く昼食を済ますと、早々に退散することにした。触らぬ神に祟り無し。
「ちょい待ち、トーヤ」
だが、トンズラ失敗。
「……何だよ?」
「配置交代。螢に例の紙を渡したら残って。私の手伝い。螢、美幸、ご苦労さま。外で羽を伸ばして来ていいわよ」
そう言われれば嫌だとゴネるわけにもいかない。背中の宣伝ポスターは小林に剥がしてもらった。
私服の小林は螢ちゃんの背中に紙を貼り直すと、連れ立ってA会場の方へ出掛けて行った。
役作りと言うより手持ち無沙汰から、席に着いて司令ポーズで真正面に視線を固定する。
「……午前中、客は来ても螢のコスプレ姿目当てばかりだった。どう見る? 部誌が売れない理由」
目だけ横に流す。中村もこちらは向いていない。朝からさして減っていない平積みの部誌の表紙に目を落としている。
「読者の大多数が求めているのは二次創作。しかも漫画形式の。ガッコの文芸部が小説中心で攻めてもストライクゾーン外。オマケにオリジナルで勝負するには、本文も挿絵も力量不足。もちろん、俺の詩や小説も含めて。悔しいけれど」
「……コスプレ売り子と貼り紙広告で小細工しても無駄だったか……」
中村は座ったまま天井を仰ぎ見た。
「萌えか。萌えが必要ね。時代の流れを手繰り寄せるような、強力な萌えが。……たとえ、悪魔に魂を売り渡してでも……」
親指を立てた握り拳を顎に宛てがうと、中村は物騒な独り言を収め、黙りこくった。俺も目を正面に戻し、司令ポーズでにらみを利かせた。
今にして思えば、さぞかし不景気な構図だったことだろう。売り子が二人とも、雁首そろえて無言で前を凝視していたのだから。
当然、午後は午前に輪をかけて売れなかった。
ピンポンパンポーン♪
陰気なムードを断ち切るように、軽快なチャイムが会場に響いた。
『ただ今より、恒例となりましたコスプレコンテストを始めます』
不意に流れた館内放送に、俺も中村もスマホで時刻を確認した。いつの間にか、閉会の一時間五分前。
『コスプレ参加者の皆さんは、至急、A会場の壇上へお集まり下さい』
ピンポンパンポーン♪
「もうこんな時間。おかしいわね。朝の内に打ち合わせしといたのに。美幸が戻って来なけりゃ、私たち出られないじゃない」
「部長! 灰塚先輩!」
噂をすれば影。小林だけが血相変えて走って来た。しかし、零に扮した可憐な少女の姿は無い。
「螢ちゃんが、螢ちゃんが!」
到着しても小林の息は荒い。
「螢がどうしたの!?」
「あっちで、カメラ小僧に、絡まれて……!」
「あっちってA会場ね!?」
「は、はい」
思わぬ事態に、俺と中村はサークルの島から飛び出すなり、現場へ走り出した。
「美幸、店番!!」
「頼んだぞ!!」
「はい……!」
目的地さえハッキリすれば、俺も男の端くれ、女子を追い抜くのは造作ない。 ロビーで中村を抜き去り、全力疾走でA会場に突入するや否や、目と耳に全神経を集中する。
いた。演壇の右下、昇り段の手前。人だかりが遠巻きに囲んで騒いでいる。
その間も足は休ませず、最短ルートを猛ダッシュで駆け抜ける。
「なあなあ、いいだろ? もう一枚くらい!」
「……コンテストが始まります。……勘弁して下さい」
「いいじゃんよう、減るもんじゃなし! 俺だけ特別ってことで!」
図々しいカメラ小僧は、あろうことか、壇上へ向かおうとする螢ちゃんの手を引き、至近距離からカメラでバシャバシャ撮りまくっていた。
「ーー待て」
人込みを掻き分けて現場に駆け付けた俺は、荒れた息を整えることすら忘れ、怒りに任せて右手でカメラ小僧の手だけを払いのけた。
「なーー!?」
「ーー行くぞ、零」
「……!?」
恐怖に立ち尽くしていた螢ちゃんを俺はお姫さま抱っこすると、そのまま壇上へ運び上げた。
この時、何ナリンだか何パミンだかが頭の中をグルグル駆け巡り、まるで自分が自分でなかったかのような感覚だった。そう、あたかも掟源道の魂でも憑依したかの如くに。
螢ちゃんの体重も、まるで感じなかった。
確かに覚えているのは、無我夢中で壇上に上がり、コスプレ参加者の列の前で螢ちゃんを下ろした途端、会場中から割れんばかりの拍手喝采を受けたことと、ごく至近距離から俺を上目遣いに見上げた後、頬を染めて目を逸らしつつ、俯きがちにはにかんだ螢ちゃんの可愛い顔ぐらいだった。
女の子と息が触れ合うほど接近したのは、これが生まれて初めてだった。
そう、今日のついさっき、急接近されるまでは。




