第2話:幅80センチメートルの不条理と、直列防衛フォーメーションの思想
第2話:幅80センチメートルの不条理と、直列防衛フォーメーションの思想
空間の狭窄は、人間の精神に深刻な内省を強いる。
地下3階から4階へと続く傾斜路は、試練の祠が持つ構造的欠陥の極みであった。
岩肌を強引に削り取って形成された通路の横幅は、正確に80センチメートル。大人が1人、肩をすぼめてようやく通過できるほどの劣悪な空間設計である。壁面には不均一な鑿の跡が残り、そこから染み出した地下水が、黒い粘土質の土壌をぬるぬると濡らしていた。
『ギチ……ギチ……』
静寂が支配する通路に、高密度の繊維が悲鳴を上げる音だけが規則正しく響く。
先頭を歩くアオイ(18)の肋骨を締め付ける悪意の遺物は、その過密な圧迫の手を緩める気配がない。肺の容積を半分以下に制限された少年の、ヒュー、ヒューという浅い胸式呼吸の音が、湿った岩壁に反射して後方へと伝わっていく。
「アオイ、歩度を一定に保ちなさい。衣服の擦れる音の周波数が乱れると、後方の索敵に支障が出ます」
2番手を歩くエレナ(20)が、極めて冷徹な声で告げた。
彼女の視線は、アオイのうなじの2センチメートル上、虚空の1点に固定されている。直列防衛フォーメーションの鉄則――前方の個体の肉体的特徴を視覚情報として脳に処理させないという、生存戦略のための真顔であった。
「わ、分かってるよ……。でも、このスカート、足の可動域が狭くて歩きにくいんだ」
アオイが不満げに声を漏らす。
男らしく凛とした足取りを目指すものの、漆黒のミニスカートの裾が動くたびに、魔力付与筋トレによって極限までカッティングされた大腿四頭筋の溝が、衣服の隙間から不自然に明滅する。それは18歳の雄の質量でありながら、記号としては完全に可憐な少女のそれであった。
「問題ありません。そのために我々は直列に並んでいます」
3番手のセシル(26)が、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げながら、淡々と論理を展開した。
「視覚情報の遮断は、脳内因果律の防衛において最も費用対効果が高い。アオイさんの背筋の運動を1マスの空間で捉え続けた場合、我々のニューロンは毎秒2ギガバイトの不条理なノイズを処理せねばならず、それは中央神経系の物理的破壊、すなわち理性の完全な決壊を意味します」
「その通りだ、セシル」
最後尾を守るカルラ(32)が、鋼鉄の鎧を軋ませながら深く頷く。
「これは旅の効率化だ。世俗の垢にまみれた私の精神が、アオイの突出した鎖骨の窪みに溜まる汗の気化熱を感知したところで、世界の平穏には1ミリグラムも寄与しない。ただ無心に、前の者の背中だけを見つめて進む。これぞ至高の合理的思想だ」
3人の女傑たちは、一寸の隙間もなく直列に並び、機械的な足取りで歩を進める。
衣服の繊維が擦れる音。甲冑の冷たい金属が互いに接触し、カチ、カチと鳴る乾いた音。そのすべてが、完全にコントロールされた理性の証明であるかのように思われた。
だが、この地下空間を支配するシステムは、彼女たちの合理性を嘲笑う。
キャラクター同士のコリジョン(当たり判定)が絶対にすり抜けないという、不条理な世界の仕様。
そのバグは、唐突に牙を剥いた。
ぬかるんだ地面に、わずか5センチメートルだけ突出した、硬質な玄武岩の突起。
「あ――」
過密ビスチェによって重心の制御を乱されていたアオイのつま先が、その突起に完全に引っかかった。
姿勢制御エラー。アオイの細い手首が宙をかき、18歳の引き締まった肉体が、慣性の法則に従って大きく後方へと傾ぐ。
それは、狭幅80センチメートルの閉鎖空間において発生した、不可避の質量移動であった。
「キャパシティ制限――衝突を検知!」
セシルが叫ぶより早く、ドミノ倒しという名の偶発的密着災害が起動する。
『ゴニッ』
凄まじい生身の衝撃が、エレナのフロントアーマーを直撃した。
後方へと倒れ込んできたアオイの、岩のように硬い大胸筋と、縦に深く割れた腹直筋の全質量が、エレナの胸元と腹部に、衣服の薄い布地2枚を挟んで完全に密着する。
「ふぐっ……!?」
エレナの口から、押し出されるような濁った呼気が漏れた。
自分よりも細いと思っていた少年の、骨格の圧倒的な硬さ。衣服の隙間から漏れ出す、熱く、甘く、それでいて冷たい「男のトワレの匂い」が、80センチメートルの密閉空間を瞬時に満たす。
「硬っ……な、にこれ……鉄板!? 衣服の奥、どうなって――」
パニックがエレナの思考を消滅させる。
瞬間、彼女の身体を媒介として、アオイの肉体的質量が3番手のセシルへとドミノ倒しに伝達された。
『ドスッ』
エレナの背中を押しつぶす形で、セシルの顔面が、アオイの露出した滑らかなうなじと、過密ビスチェによって極限まで強調された広背筋のキレに直接衝突する。
「周波数が……心音の、ダイレクトな物理的振動が、私の鼓膜の鼓動と完全に同調――測定不能! エラー、エラーです……っ!」
セシルの知性が、生身の体温の移動によって一瞬で消し飛んだ。
そして、その3人分の質量が、最後尾のカルラへと一気に押し寄せる。
『ガシャインッ!』
聖騎士の重厚な鎧が、3人の肉体的圧力によって壁面に叩きつけられた。
カルラの視界のゼロ距離に、アオイの反り返った鎖骨の窪みと、浅い胸式呼吸で激しく上下する漆黒のビスチェの胸元が飛び込んでくる。そこから放たれるオスのフェロモンが、旅路に疲れ果てた彼女の内臓へと直接吸い込まれていく。
「これが……これが聖典に無き、実存の、暴力……っ!」
3人の女性陣の腹部が、同時にキュウゥゥッと激しく締め付けられた。
耐えがたい疼き。脳内回路の完全なるショート。
「う、あ、あああ……っ!(お腹を抱えて悶絶)」
エレナが顔面を林檎のように紅潮させ、アオイのバキバキの背筋に押し付けられたまま、自らの下腹部を押さえてのたうち回る。しかし、幅80センチメートルの壁が彼女の脱出を阻むため、結果としてアオイの腰回りにさらに深く肉体が絡みつく。
「計算が……1足す1が、アオイの腹筋の枚数に、収束、します……っ!」
セシルが白目を剥きかけながら、両手で自身のお腹をギチギチと押さえつけ、ぬかるんだ土の上に膝をついて身悶えた。眼鏡が完全に傾き、泥に汚れていく。
「内臓が……内臓の潤いが、足りない……っ。神よ、私はこれを受け入れるしか――っ!」
カルラは壁に背中を預けたまま、ずるずると崩れ落ち、腹部を激しく押さえて痙攣した。32年間の理性は、少年の硬質な骨格と体温の前に、塵となって霧散した。
狭い一本道で、4人の肉体が不条理にもつれ合い、物理的圧力が限界値に達する。
アオイはビスチェの締め付けに耐えながら、必死にバランスを保とうとした。
「みんな、大丈夫か!? 動けないんだ、誰か俺を押し戻してくれ!」
アオイが男らしく強がろうと、引き締まった二頭筋に力を込めた瞬間。
女性陣の脳内安全装置が、限界出力を感知して一斉に作動した。
「スン」
一瞬の静寂。
スイッチの切れたおもちゃのように、3人の力が完全に抜けた。さっきまでの赤面とのたうち回りが完全に消失し、絶対的な無――冷徹な真顔へと強制移行する。
「……問題ありません。微小な物理的コリジョンの発生を確認したのみです」
セシルが真顔で眼鏡の位置を直した。
「そうよ、ただの不可抗力。私たちの思想は、この程度の質量移動では揺らがない」
エレナが泥を払い、すんとした表情で立ち上がる。
「直列防衛フォーメーション、再結成」
カルラが氷のような声で告げ、再びアオイの背後にピッタリと張り付いた。
しかし、密着状態は解消されていない。
幅80センチメートルの通路を、アオイが再び歩き出す。
『ギチ……』
『ゴリッ』
「ひぅっ……!(デレ)」
「スン」
「あ、う……っ(デレ)」
「スン」
壊れたメトロノーム。
【デレ ➔ スン ➔ デレ ➔ スン】の超高速反復横跳びが、狭い通路の中でドミノ倒しのように連鎖し、衣類の擦れる不快な音だけが激しく室内に充満していく。
カオスな振動が続く中、壁面の割れ目から、錆びた古い鉄のボルトが1つ、音もなく泥の中に落ちた。
結露した水滴が、アオイの千切れたドレスの裾を静かに濡らしていく。世界は二人のムードに一切協力しない。ただ、少年の圧倒的な肉体的質量と、3人の決壊した理性の残骸だけが、そこに静かに転がっていた。




