第五話 煙火招来記
ぱっ。
ぱっ。
ぱっ。
三発の玉が、夜空の頂点で、ほぼ同時に割れた。
一発目、青の同心円。二発目、紅の同心円。三発目、金の同心円。
三つの円が、空中で、重なった。大きさ、寸分違わず。直径、五十メートル。
三色の光が、互いを抱きしめるように、夜空に広がった。
そして、その三重の円の中心に――三柱の精霊が、本来の姿で、顕現した。
•
シレーヌが、空中に立っていた。もう、人型ではなかった。彼女の本当の姿。透明な水の翼を持つ、一頭の青い龍。
イグニスは、紅蓮の獅子の姿。フラゴルは、金色の鷲の姿。
三柱の本性体が、夜空で、咆哮を上げた。
•
ジェラルドが、振り返った。二振りの大剣を、構えた。けれど、その目に、初めて、恐怖の色が、浮かんでいた。
「――〈空の長たる者〉」
ジェラルドが、つぶやいた。
「最上席ではないにせよ、上席、次席、末席が、揃って顕現するなど」
「君が、この国に来たのが、間違いだ」
シレーヌの龍が、答えた。声は、もう、姉御肌の女のものではなかった。古き神の、深く、低い、響き。
三柱が、ジェラルドに向かって、降下した。
紅蓮の獅子の爪。青い龍の牙。金色の鷲の嘴。
三方向から、同時に、ジェラルドを、貫いた。
紫の鎧が、砕け散った。闇色の翼が、燃え落ちた。二振りの大剣が、地面に突き刺さって、二度と動かなかった。
残った魔王軍の兵士たちは、一斉に、武器を捨てて、地面に伏せた。戦いは、終わった。
•
三柱の精霊が、リオンの前に、降りてきた。
もう、人型に戻る力は、ないようだった。龍も、獅子も、鷲も、薄く、半透明になっていた。
「……行きますね、リオン」
シレーヌの龍の声が、聞こえた。
「五十年、お休みします。次に呼ばれるとき、また、会いましょう」
「シレーヌさん」
「ガキ」
イグニスの獅子の声。
「死ぬなよ。お前は、いい煙火師になる。師匠の名前を、汚すな」
「はい」
「フラゴル」
フラゴルの鷲の声。
「煙火招来記――煙火を以て、招来する記録。お前の代の物語を、書け。次の煙火師の、ために」
「はい」
三柱が、空に、舞い上がった。青、紅、金の光が、夜空に、最後の三重の同心円を描いて――消えた。
•
リオンは、村の中央広場に、ひとり、立っていた。
軍勢の残骸が、地面に散らばっていた。ジェラルドの紫の鎧が、月の光で、鈍く光っていた。
リオンの足元には、もう何も残っていない打揚筒だけが、立っていた。
配合帳が、布袋の中にあった。紫の玉も、まだ、布袋の中に、あった。
――打たずに、済んだ。
リオンは、ふっと、力が抜けた。地面に、座り込んだ。涙が、頬を伝った。一晩、ずっと、流れた。
•
翌朝、村長が、谷から戻ってきた。住民たちも、続いた。
彼らは、戦場の跡を見て、誰もが、立ち尽くした。そして、リオンを見つけて、駆け寄った。
「リオン坊! 生きてたか!」
「はい、村長」
「精霊たちは」
「五十年、お休みです」
「……五十年」
「次に呼ばれるまで、向こうの世界で、休むそうです」
「五十年か。次に呼ぶときには、わしは、生きてないな」
「俺も、おじいちゃんになってます」
リオンは、笑った。村長も、ちょっと、笑った。
•
一月後、村は、復興していた。
工房〈カグツチ〉の焼け跡には、新しい建物が、立っていた。看板も、新しくなった。「煙火工房カグツチ」。
リオンは、二代目の主として、工房に、住み始めた。
弟子は、まだ、いなかった。けれど、村の子供たちが、リオンの工房に、よく遊びに来ていた。配合の手伝いをしたり、玉を磨いたり、配合帳を覗き込んだり。
そのうち、誰かが、煙火師を志すかもしれなかった。リオンは、その日を、楽しみにしていた。
•
ある夕方、リオンは、新しい配合帳を、机の上に広げていた。真っ白な、まだ何も書かれていない一冊。師匠の配合帳とは、別の一冊。
リオンは、最初のページに、ペンを置いた。
そして、書いた。
――三連同心。三発の玉を、一つの筒に重ねて込め、同時に打ち上げる。空中で三色が同心円を描き、その中心に、契約精霊の力が集約される。契約者は、命を失わない。精霊三柱は、五十年の休眠に入る。
リオンは、ペンを置いた。そして、最後の一行を、書き加えた。
――この配合は、〈カグツチ〉二代目、リオンが、師より受け継ぎ、自らの戦いの中で、完成させた。
リオンは、配合帳を、閉じた。そして、その表紙に、墨で、文字を書いた。
――『煙火招来記』。
•
工房の外で、子供たちの声が、聞こえた。
「リオン兄ちゃん、配合のお手伝いするー!」
「はーい、今行く」
リオンは、配合帳を、棚に戻した。棚の隅には、まだ、紫の玉が、ひとつ、置かれていた。師匠が遺した、最後の一発。リオンが、打たずに、済んだ玉。
リオンは、紫の玉に、手を合わせた。
「師匠、俺、まだ、煙火師、続けます」
そして、工房の扉を、開けた。子供たちが、駆け寄ってきた。
•
――数日後。隣村で、夕涼みの老人が、孫に語っていた。
「あの夜の花火、見たか」
「見た。すごかった」
「あんなん、お祭りでも見たことねえ。空に、青と紅と金の、三つの輪が、重なって」
「誰が、上げたの?」
「さあな。けど、あれを上げた誰かが、いるってことは、間違いねえ」
老人が、空を見上げた。雲ひとつない、晴れた、夏の空が、そこにあった。




