ちょっとした会話と履修程度試験
「はああああー!」
「んっ、ちょっ、いきなりどうしたの」
家の食卓から玄関を通り過ぎてまっすぐ行ったところには、綿入れが敷いてある。そしてそこの壁際に座って作業ができる台がある。五人は時たま、自室での勉強が煮詰まった時にここにやってきて、多少騒がしいこの場所で気分転換するのだ。
そんなところでへばったヨルザが突然叫んだので、すぐ隣にいたサキは飛び上がってしまった。心の驚き加減に関わらず、びくん、と動きやすい相変わらずの身体には辟易してしまう。
「このところずっと勉強じゃないか! 必要性はわかるけど、いい加減やだよ」
「じゃあ、休憩しよう。私も疲れたし。昼休業終了の鐘が鳴って、もう夕方だよ」
窓を見れば、すでに紛い空は赤くなっていて、〈表〉に置かれた映写の繋力器の影響なのか、巣に帰っていく鳥達まで見える。
「いや、駄目だ。一旦休んだら、戻れなくなる」
履修程度試験まであと一週間もないのに、良心の呵責が……と、わけのわからないことをぶつぶつと呟いているヨルザを、ため息をついて流す。サキは勝手にその場を立った。すたすたと台所に向かう。
「カイヌ、今からお茶淹れるけど、飲む?」
食卓に座って何やら糸紡ぎのようなことをしているカイヌに声をかけると、カイヌはすっと手を上げた。要るということだろう。
(えっと、水だね)
使えなくなった古布を裂いたのを編んで作った簡単な草鞋を履いて、勝手口から外に出た。
巫子守の人間が井戸と呼んでいるそれは、石造りの円柱に重い石製の盥を、ただはめ込んだだけのものだ。サキはその横に引っ掛けてある小さな籠から、掌大の小石を取り出してその盥の底、ちょうどはまるくらいの凹みに小石を落とす。すると、小石から繋力の光の線が出てきて陣が完成され、小石の周りから水が湧き出てきた。この水は、〈表〉の普通の街にある井戸の水をちょっと拝借して、この小石と対になっている井戸の石組みから送り込まれてきたものだ。
サキは盥の縁に置かれている柄のない柄杓で持ってきたやかんに水を入れ、即座に石を外して籠にしまう。長い間水が転送されていると、水位が不自然に下がって一般人に怪しまれるからだ。だから、必要に応じてしか巫子守では水を取らないよう、弟子になったら真っ先に教え込まれる。
やかんの蓋を閉じて貴重な水が溢れないようにしてから、踵を返して戻ろうとすると正面に、ヨルザが立っていた。
「勉強していたいんじゃないの?」
くすりと笑いながら言うと、やかんをひったくられた。
「お前だけ、ずるいわっ!」
(あ、そう。私が休んだら休むわけね)
ヨルザって扱いやすいかも、と思っていると、怒っているようなそぶりを見せながらヨルザはやかんを一旦空のかまどに置く。手を上に伸ばして、戸棚から茶葉の瓶を取り出す。お茶を淹れ、盆に三つ湯呑みを乗せた状態で運ぶヨルザと二人、カイヌの横に座った。
「煎り菓子があるぞ」
カイヌは作業していた小さな板を膝に置いて、伸び上がるように横の戸棚に手をかける。取った小さな金属の缶には、甘塩っぱく煎った豆が薄い紙に包まれていた。
「俺が作った。皿はないけどいいだろ」
「じゃあ摘んだ手を洗うのが要るね」
「問題ない。その紙に触れれば清められる」
(さすが。カイヌはうちの料理番だね)
茶を啜りつつ、三人は豆に手をつけた。
「ん、うまい。こんなのどこで覚えたんだ?」
「一時期、南方の隊商に保護してもらってた時があってな、そこでいろいろ盗んだりした」
「盗む?」
サキが言うと、カイヌは苦笑する。
「別にモノじゃねえよ、技術だ。砂漠でろくに食い物もないのに、やたら料理がうまいばあさんが居たせいだ」
「へえ」
カイヌは膝の小板をいじくり出した。紡錘形の板に巻かれているのは、糸ではなく繋石の先端を細くこよったものだった。
「それは何?」
聞くと、カイヌはそれを持ち上げる。
「これか? 巫子守団員の義務だ。俺らの着てる服には、繋石の糸が織り込まれてんだ」
「そうだったか? 他人の繋力は全く感じなかったぜ?」
そう言うのはヨルザで、しきりに自分の袖を見つめている。
「まあ、技術もなかなか進化してるそうだからな。最も組成が弱い〈風〉の奴は敏感だ。昔に比べればいいんだろうよ。これはカルンサとか、下に着るつなぎとかに多く使われるんだが」
カイヌは尻を揺り動かして座り直す。どうやら説明が始まるようだった。
「巫子の身体がな、この狭い〈狭間〉に居られるのは、こいつが繋力を引き出して、鎧のようにまとわせてくれるからだ。年齢が低いほど繋力の使い方が下手だから、その糸の分量は孤巫院にいる子ほど多い」
「そうなると、互支村の負担も減るよな?」
「まあな。互支村は俺らを養うために、全収穫量の租穀(巫子守は未毘古王国だけでなく南方にも互支村を持つため、課される税は米でないこともある。よって巫子守では税になる穀物を総称してこう呼んでいる)を抜いた分の二割は提供してくれてる。それに追加で繊維も取ってるからな。大気の繋力の質の調整に精通した巫守を派遣して、常に豊作になりやすくはしているが、俺らの繋力をもっと効率的に活用できるようになればなるほど、楽になるだろうな」
となれば、とカイヌは言う。
「巫子が元の村に帰るためには我らが民に尽くすしかない。知識は統制して我らの価値を釣り上げる。そうして初めて、巫子は人の中に存在を許される」
「え……カイヌ?」
あの夜に、彼が言った言葉は何だったのか。あの時とはまるで違う発言が出てきて、サキは目を瞬いた。
「俺はそんなお堅い爺らに辟易してんだよ。ただ今巫子守の実権を握ってるのはそんな奴らだ。ほとんどの巫子に帰る村なんて、そんなものないのにな」
ヨルザがすっと顔を伏せたのが視界の端に映った。
「そんな実情に合ってないここを変えたいなら、お前らは勉強だ」
「へ?」
「これをやってたからお前らの話を聞いてないとでも思ったか? 良い成績さえ取れれば巫子守は寛容だ。限りある資源を優先して使える。それをアヒノみたいな奴とか、孤巫院で馴染めない奴とかに使って、そもそもこんな事件が起こらない方が良いと思う」
「ずっと考えてたのか?」
ヨルザが聞くと、カイヌは頷いた。
「勉強に身が入らないならな、目標を持つのが一番だ。……俺は巫士もそうだが事務を担う巫官になって、もっと公平にモノを分配できるようになりたい。お前らには何かあるか?」
「いや……」
「私も……皆と一緒でいれれば良いやと思ってたから……」
「駄目だ。ちゃんと先を見ろ。俺は幸せそうな奴が堕ちていくのを見たくない」
ほら、とカイヌは二人を元の台に連れていく。
「俺の私情で悪いがな。学びは生活なんだよ」
「わかったよ……やりゃいいんだろやりゃ」
「そうだ。そして自らやりたくなるような理由をつけろ。俺もそんな時はあるが、無理矢理でもそんな理由を貼っつけるんだ。効果はあるぞ」
「考えてみるよ」
「サキ!?」
サキはふと笑む。
「この十六年間で、初めて自分のことだけに集中できそうだから」
ヨルザが奥歯を噛み締めた。
「もうっ! 何で俺の周りにはそういうやる気に溢れた奴ばっかなんだよ! 俺も引っ張られるじゃないかっ」
「まあね。頑張って」
肩を叩くと、キレて少し涙目になったヨルザはこう返した。
「お互いにな!」
そして、履修程度試験の発表日。
「受かったら二年、落ちたら留年…………」
「ヨルザ。いい加減、不吉なこと言うのやめろ」
シニエに肘で小突かれても、ヨルザはまだ何かぶつぶつと言っている。
「ほっといてもいいんじゃない?」
「ええ……?」
答えかねるようでシニエがヨルザを見やると、ヨルザはサキに泣きついてきた。
「うわっ」
「うう……いつからそういうことを言うようになったんだ?」
「さあね。素が出てきたんじゃない?」
「いくらなんでも酷えよ!」
シニエが吹き出してヨルザに睨まれた直後。
「発表します」
巫官の声が聞こえ、三人は姿勢を正す。
巨大な掛け軸が目の前に垂れ下がってくる。
「あ!」
遠目のきくサキは満面の笑みで振り返った。
「あるよ、名前!」
一歩遅れ、歓声が場を取り巻いた。
「学期制希望者、全員合格!」
歓声に包まれる広間に、そう叫ぶ伝令巫官の声が聞こえた。
短めですがキリがいいので上げます。話が広がるかと思ってカイヌを場に入れたら会話パートが長くなりました。合格発表のシーンを無理やり突っ込みました。が、こんな予定ではなかったのです。
次はやっと夏季休業に入ります。更新時期は未定です。




