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復帰と謝罪

「じゃあ、昼休業の鐘が鳴ったらすぐ来いよ。俺達も残ってるから、話終わったら握り飯だな」


 学徒院に復帰する朝。ミグロンをカルンサの下に背負い、カイヌは台所でこしらえた菜味噌入り握り飯を五人分、干した笹の葉に包んでいた。


「その後とか講義の合間とか、質問攻めに遭うと思うけど、第一波はわたし達が適当にやっておくから心配しないで。二年生が午前で良かったよ」


 そう安堵の息を吐くのはクミルだ。

 今日は昼休業が始まったら、学徒は全員進級式のあった大座敷に集合がかけられている。今回の騒動の詳細を、個人名は避けた上で説明し、何はともあれ和解したことを知らせるのだ。


(大変だったんだよね、公開する情報の調整……)


 裁判が終わった後も、モリテは裁定巫のキラナと数人の検巫、先方の師母のヤイルとともに、公正さを失わないようにどこまで公開するか決めていた。双方の心情を鑑みた上で調整するため、会議の様子は当事者以外秘密だ。今回の揉め事は未成年の門下生同士が当事者なので、話し合いには師親を介して行った。いちいち家に用済みになったら塵になる議事録を持ち帰って、皆が寝た後両親と協議するわけである。


 ——あの、これ、どうしても話し合わなければならないんですか? 別に私は公開されようがされまいが、正直良いんですが……。


 と言ったら、サンガが眉間にしわを寄せた。


 ——人は簡単に誤解する。その誤情報が噂によって広がって、本人達の間では終わったことでも蒸し返されたり、問題の後の人間関係に影響したり……そのことについて無知というのは、面倒なことに発展することが非常に多いのだ。それにこれはお前だけの問題ではない。この門下、ひいてはロタンヨマ族全体に影響するかもしれない。一人ではないということは、それなりに責任が伴う。サキ、お前なら巫子の経験から解っているだろう?


(確かに……二人も私を守るために付き合ってくれているんだし……)


「じゃあ、行ってくる。三人は俺らの分も握り飯持ってこいよ」



「え、わ、ちょっと」


 大座敷前でカイヌ達と合流するなり、サキは他の四人に周囲を固められた。


「……私、庇ってもらわなくても人混み避けられるよ?」

「馬鹿野郎。俺らが庇ってるのはそういう意味じゃねえんだよ」


 鋭く言われてサキが黙ると、カイヌがヨルザを睨んだ。


「こら、ヨルザ。口が悪い。巫子らしくないと言われるぞ」

「……すまん、カイヌ」

「まったく。……スリンクル族は特にそういうところはうるさいんだ。そして、サキ。俺達のこれはお前を要らん噂から守るためだ。師父さんと師母さんからきつく言いつかってる。お前がどんなに言っても包囲は解かない。こんなことを言うのは何だが……兄の名折れだ」

「ただでさえ周りの反応がわからん以上、絡まれたら危ないからな」

「そうよ、サキ。ここは守られておいて」


皆から口々に言われては、頷くしかない。


「う、うん」


 中心球の廊下を歩き出すと、同じく移動してきた所属する一族と門下が入り乱れてくる。


「サキ殿はどこにいるのだ?」

「スリンクル族の席下の者と揉めたそうですよ?」

「どちらが仕掛けたのか知りませんが……物騒なこと」

「なぜ揉め事が起きるたびに関係のない私達まで呼び出してまで話を?」

「それは本人達が噂で困るからでしょう。それでも席下同士であれば、これほどではないはず。よほど相手が高位なのでしょう」

「となるとロタンヨマに有利か……今年の巫議会の勢力図はどう変わるのでしょうね?」


(ああ、なるほど……)


 サキ達は足を早め、なるべくさりげなくざわざわとする大座敷に入った。



「皆様、お静かに」


 拡声の繋力器で増幅された声が、騒がしい大座敷に響き渡る。一瞬で水を打ったように静まった室内の奥、壇上に入学式の時もいた巫官と、後ろにはキラナがいた。


「本日はお集まりいただきありがとうございます。この話の時間分、皆様の昼休業の時間は伸ばそうと思っています。……では、裁定巫キラナ様より、お話をしていただきます」


 巫官はキラナのそばに寄って自分の肘を掴ませると、先ほど自分が立っていた位置にキラナを誘導して、使い終えた繋力器を手渡した。役割を終えた巫官は控え、キラナはそれを口元に当てる。


「今回の件を報告する義務を拝命したキラナ・ロタンヨマです。裁判の様子を記録していた伝令巫官には、わたくしから口止めをいたしました」


 伝令巫官は、巫士団遠征について行ったり互支村各地を飛び回って報告書を作成したり、また巫子守であったことを記事にして知らせたりする職業だ。その記事の作成は個人の裁量によるものが大きい。それが噂の種になったり、時には巫子守全体の収入を振り分ける役目を担う、巫議会の勢力図まで変えてしまうこともある。そんな巫官が、あの裁判の場にいたらしい。


 その後は、話し合いの通りにキラナは説明を続けた。聞いているうち、明らかに周りにも納得の表情が浮かんでくる。質問攻めにされることはなさそうだと思って、サキはそっと安堵の息を吐いた。


 まもなくお開きになった大座敷から、少しずつ人が去っていく。


「行くぞ」


 カイヌの号令で四人も立ち上がった……と思うと、「ソルカ様!」という声がかすかに、座敷の奥から聞こえた。


「ソルカ様、ロタンヨマ族のソルカ様!」


 人の波を必死にかき分けている。


(ソルカ? ……ああ、私か)


 サキをソルカと発音するなら、その人は未毘古人だ。


「アヒノだ」


 と、耳を澄ませたシニエが呟いた。


「え!」

「あいつに会わせてやる顔はない。サキ、行こうぜ」


 そして半ば強引にサキの左下腕を掴む。


「え……でも……」


 サキは立ち上がりざまに振り返る。お待ちください、と叫んで、アヒノはこちらに向かってくる。その姿は二週間前の憤怒の形相とは違って、いかにも情けない。

 ぐいっとシニエがサキの腕を引っ張った。


「え、も、でも、もねえよ。俺は、俺達はあいつを許してないし、これからも許さないと思う。当事者のお前が行ってどうする。……それとも、お前はあいつを取るのか?」


(そんな顔で言われたら……)


 行けなくなってしまう。

 その前に、サキはシニエの手を外した。そのまま俯こうとする彼の目を見つめる。


「そういう意味じゃないよ。彼は謝らなくちゃいけないの。それが裁判で決まったことなの。……どれだけひどいことをして、反省していないならまだしも、反省してるのに、謝る機会すら得られないのって……なんか……」


 そう言ってはみるけれど。


(でも、私は謝ってきたって許したくない人を知ってる)


 正直、自分が許してもいいような心境になれるかわからない。シニエの手首を掴む右手が震える。

 たおやかな浅黒い手がサキの肩に触れた。


「サキ。謝られても、無理に許そうとしなくていいよ。サキが裁判で決まったやらなきゃいけないことはその言葉を聞くことだから。別に彼に話すことは求められてないよ」

「ほんと?」


 クミルに言ったのが、思うよりも情けない声だった。クミルは静かに頷いた。


「シニエ、行かせてやれ。サキは十二分に苦しんできたんだ。一つ謝られたって損はねえだろ」

「ヨルザ」

「俺だって、許したくないさ。でも、それとこれとは違うだろうが」

「うん……」


 すっとシニエの腕がサキの手をすり抜けた。


「行けよ。…………ちょっと、心配になっただけだ」

「ん、わかってる。皆は先に東屋に行ってて」

「じゃあ、凱旋道沿いのどれかを確保しておくから、終わったらすぐ来い」

「わかった」


 サキはゆっくりと踵を返して、人だかりとは反対に向かって歩き出した。


「アヒノ様……」


 近くまでやってきたアヒノは完全に息が上がってしまったらしく、はあはあ言っている。それでも彼は膝をついて、サキの前に平伏した。


「この……度は、本当に、申し訳ございませんでした……!」

「……」


(何だろう? 怒りじゃないし……溜飲が下がったわけでもない……)


 さっきは許せるかどうかと思って怖かったのに、変に胸の内が凪いでいる。冷めた眼のまま、サキは口を開いた。


「今更弁明を求めるつもりはありません。貴方にも事情があったのは、承知しているつもりです」


 アヒノはなおも額を床に擦りつけたままだ。いっそ立ち上がって言い訳でもしてくれれば、圧倒的な上位者として残酷な答えを叩きつけなくて良いのに、と思ってしまう。


「わたくしは別に良いのですよ。許すというより……貴方と私の周りに対して失望したというか……。貴方が、これから私以外の人に先のようなことをしなければ、それで良いのです」

「え?」

「立ち上がって下さい。用がそれだけなら、身内が待っているので行きます」


 もう一度踵を返し、正面の扉に向かう。


「あの!」

「何か?」


 振り返れば、アヒノはそこにぽつんと立っていた。もはや大座敷には二人の他は誰もいない。


「お怒りは……しないのですね」

「……そうですね。今は何も湧いてきません。貴方も早く行った方が良いと思いますよ。皆様に勘付かれる前に」

「……そうします」


 よくわからない間の後に二人とも会釈をして、足早に座敷を出る。入り口についていたラクンラが、その重そうな扉を閉めて鍵をしたのが、背後に聞こえた。



「お待たせ」


 東屋に行けば、皆が長椅子に並んで膝の握り飯を食べているところだった。カイヌがサキの顔を一瞥した。


「……まあ、食べろよ」


 作った笑顔を見抜かれた気がする。


「うん」


 何となく四人が真ん中を空けてくれていたので、そこに座る。受け取った笹の葉をそっと開いた。


「これ、好き」


 ほろ苦いヤンサのつぼみを刻んで味噌と混ぜ込んで塗った握り飯だ。さっき家の氷室から持ってきたから、程よく冷たくて手につかない。

 そっと手に取って一口頬張ると、ヤンサの苦みと米の甘みがいい塩梅で混じってくる。


(嬉しいなあ)


 別にとやかく言うわけでもない。ただ好物を用意して、体温を感じるほど近くで、こうして昼ごはんを食べている。そう思うと、ふっと肩の力が抜けた気がした。


「……皆、何か話さないの? 気を遣っているなら、私は大丈夫なんだけど」


すぐ左にいたヨルザが、「何言ってんだ」とでも言いたげな顔になった。数秒サキの顔を見つめ、突然笑い出す。


「え、何かおかしいことでも言った? 私」

「いやいや……たまたまだよ、心配すんな。それにしても、サキは面白い奴なのかもなあ」

「私が……面白い?」

「あ……ふふっ、わかる気がする」


なぜかクミルも笑い出した。東屋に響く笑う声が他にも伝播していく。


「クミル……ちょっと、やめてよ皆して。あ」


一人平然とした顔で握り飯を食べているカイヌに、サキは目をつけた。


「カイヌぅ、皆止めて」


たまらないといったふうに四人がますます笑い出す。長椅子がもっと狭くなった。

アヒノ関連がやっと終わりました。

次は、時間をさっさと進めて履修程度試験です。

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