第四十一話 試合
「さあ、構えろよ」
太陽が照りつける試合場の中央で、ジークがスラリと剣を引き抜いた。
試合は常に真剣を用いるということがアスラの郷のルールということであり、どちらも自分の剣を握っている。
彼は柄を緩く握り、剣を地面に垂らすようにして立っていた。
その姿からは、戦いの緊張はまるで感じ取れない。
隙だらけだ。
代表に選抜された戦士と知らなければ、高価な剣を買い与えられた貴族の子供にしか見えない。
だというのに、その顔に浮かぶ余裕の笑みが逆に不気味な印象を与えていた。
「分かりました」
剣を引き抜き、柄を両手で握って剣先を正面に向けた。
正眼の構え。
ルナに教えられた、剣士にとって基本の構えだ。
派手さもなく、地味だが攻守に優れていて、ルナに教えられた中で一番しっくりきていた。
「両者、準備は良いか」
「ええ」
「はい」
試合はガンセツ将軍自らが取り仕切っていた。
将軍が自らの剣を天へと向ける。
しばらく目を閉じ、何かを呟くと剣を振り下ろした。
「始め!!!」
試合、開始。
――どうする。
試合開始の合図が出て数瞬、思考を巡らせた。
ジークは余裕なのか、こちらの実力を見たいのか、意図は定かではないが動く様子がない。
こちらから攻めるべきか、あるいは下手に隙を見せずにこのまま動かずにおくべきか。
どちらがい「ふわぁ」
突然、彼は大きくあくびをした。
あまりに突飛な行動に、思わず思考が固まった。
「受け攻めいくつか予想したが、そりゃあ悪手だろ」
目の前にいたはずの彼が消え。
そして。
「格上って分かっているなら、様子見は後手に回るぜ」
「!?――」
気づけば喉元に刃が突きつけられていた。
慌てて距離を取るが、彼は追撃して来ない。
明らかに舐められていた。
「打ち込んでこいよ。心配しなくても、きちんと躱すからさ」
「っ――ハァッ!!」
突進し、剣を打ち込んでいく。
それを彼はヒラリ、ヒラリと躱していった。
剣が当たる直前にそれを見切って紙一重で避けていく。
全く当たる気がしない。
まるでルナを相手にしているようだった。
「へえ、流石に剣筋は綺麗だな。けどそれだけじゃ当たらないぜ」
「まだまだ!!」
魔力で身体を強化しながら、必死に喰らい付いていく。
試合をしてまだほんのわずかな時間しかたっていないけど、彼と自分との間には埋め難いほどの実力の差があることは分かっていた。
けど、それで諦めるわけにはいかない。
何か見つけるんだ、突破口を。
――
――――――
「あんまり強くはないけど、根性だけは一人前みたいだな」
「はぁっ、はぁっ、はぁ――」
そこから時間にしてほんのわずか。
けれど、その間に十、五十と斬り込んでいき、その数が百を越えようとした頃。
ジークが少しだけ呆れたように剣を肩に当てていた。
魔力でいくら身体を強化しても、その体力や魔力は無限にあるわけじゃない。
肩で呼吸をしながら、これまでの戦いから何か弱点を考えるが、何も思い浮かばなかった。
そもそも、彼は避けるばかりで何も斬り込んでこないのだから、癖を掴むことすらできない。
これが、彼と僕の実力の差。
「そろそろ終わらせるぜ」
「っ――」
ジークが、弓を引き絞るように剣先をこちらに向けながら、右腕を大きく引いた。
空気が震える。
何かが、来る。
最初に感じたのは、熱さだった。
空気中の水分がなくなり、唇がひび割れていく。
その熱の中心は、間違いなく彼の黄金の剣にあった。
轟轟と、唸るように熱が炎を帯びて渦巻いていく。
彼の剣の周囲に何か炎のようなものが集まっていく。
刀身が黄金に輝き、その炎はやがて灼熱の大剣となっていく
「赫の極――煌剣」
刹那。
剣の刺突が不死鳥の如き炎を纏い、気づいた時には眼前に迫ってきた。
これは、不味い。
避けきれな――
「んっ?」
「っ――――はぁっ、はぁっ、はぁ!!!」
必殺の刺突を躱されたジークは、まさか避けられるとは思ってもいなかったのだろう。
訝しげな表情で眉を顰めていた。
わずかに一矢報いることができたものの、少しも喜ぶことはできなかった。
頭がハンマーで殴られているように痛い。
あまりの痛みに視界が霞み、吐き気が止まらなかった。
学院都市アリスで一度だけ発現した、思考を加速することによって時間が止まるような感覚。
あれから、何度発動させようとしてもできなかったことが、土壇場で発動することで何とか回避できた。
「?……」
ジークは自分の必殺の一撃が回避されたことや、回避した僕が異様な状態となっていることで混乱し、隙が生じていた。
――仕掛けるなら、今しかない。
息を整え、集中する。
周囲から音が消え、思考がクリアになっていく。
ジークの挙動が遅くなる。
やがて全てがゆっくりとなり、呼吸すらも遅く感じた。
よし……!
これで終わらせる!
剣に纏わせるように魔力を練り上げる。
そして、想像するのはあの夜の眩い雷。
地獄のような村を救ってくれたあの剣技。
ルナの代名詞とも言える、あの必殺の一撃だった。
「雷鳴、剣……!」
魔力が雷へと変換され、小さな光を帯び始めた。
そしてルナほどではないものの、徐々にその光が強くなっていく。
正直、この技は未完成もいいところだ。
魔力を安定して雷に変換できるようにはなったものの、ルナのような出力には到底及ばないし、日に二発以上撃つと魔力切れになってしまう。
けれど、彼に勝つにはこの技しかない。
「はっ、ああああああ!!!」
剣を振り下ろし、雷を放つ。
その、瞬間――
ごふっ。
「え゙っ」
声に血が混じる。
視界が霞む。
身体が揺れる。
頭がガンガンと鳴り響き、足元がぐらついて踏み込めない。
剣に纏っていた雷が暴発したかのように弾け飛び、霞のように消えてしまった。
「どうし、て……」
魔力、切れ……?
どうして。
まだ、一発も打っていないはずなのに。
しかも脳髄を直接叩かれるような痛み。
普通じゃない。
「……お前、今何かしたか?」
「!?――」
いつの間にか、ジークが正面に立っていた。
彼の頬には一筋の紅い筋が垂れている。
どうやら、先ほどの雷の暴発が当たったらしい。
そのためか、彼に表情に先ほどまでの余裕はなく、こちらを覗き込む瞳には殺気が込められていた。
その剣がゆっくりと上がって行き、次の瞬間には眼前まで迫っていた。
どうする、回避も防御も間に合わない……!
早く、何とかしないと――
早く、早く、早く……
早く――
――バチン
頭の奥で何かが弾けた。
そして。
――ガキイイイイイン!!!
咄嗟に出せた剣で、何とか被弾を抑えた。
けれども剣で衝撃まで受け止めることができず、吹き飛ばされて後方の壁に激突した。
強い衝撃に肺の中の空気が全て吐き出された。
空気を求めて大きく喘ぐ。
『※※ル!!!』
誰かの声がする。
ぐわん、ぐわん、と耳鳴りがして視界が揺らぐ。
震える脚に鞭打って何とか立ち上がる。
すると、誰かが身体を抱き止めた。
離してくれ。
戦わないと。
まだ、戦えるんだ。
戦える、戦えるから。
離して、くれ……!
※
「――っつ」
割れんばかりの身体の痛みで目が覚めた。
全身の骨が軋んで音を立てているようだった。
身体を起こそうとすると、首の辺りが痛んでピクリとも動かない。
頭が痛いし、高熱を出した時のように身体がだるい。
酷く喉が渇いた。
首の痛みを我慢して周囲を見ると、水の入ったコップが見えた。
何とか手を伸ばそうとするが、あとほんのわずかに届かない。
それでも指を伸ばし、手前に引っ張ろうとしたその時、手元が狂ってコップが床に落ちてしまった。
パリン、と大きな音が鼓膜を叩いた。
思ったよりも大きな音に周囲の音が慌ただしくなった。
「ウィル!」
最初に扉を開いて入ってきたのは、スネイルさんだった。
「ウィル、身体は無事ですか?」
その次に入ってきたリリィさんは、身体を労るように包帯の巻かれた部分を撫でてくれた。
少しだけ痛みがあったものの、激痛というほどではない。
そのことを伝えると、リリィさんがホッとしたように安堵の表情を見せた。
「喉が渇いただろう?水を飲め」
「ありがとうございます」
手渡された水を飲む。
カラカラに渇いた喉に水が染み込む。
まるで何日も雨が降っていない渇いた土が水を吸い込むようだった。
「んぐっ、んぐっ……ぷはぁ。美味しかった」
「だろうな、お前。何日も寝込んでたし」
「えっ……」
試合の傷がそんなに凄かったのだろうか。
そんな疑問が表情に出ていたのか、スネイルさんはゆっくりと頭を振った。
「勘違いするな、試合の傷自体は直撃を喰らわなかった分、そんなにひどいもんじゃなかった。ま、それでもやり過ぎだったってことでジークは今説教中だけどな。問題は、脳の方だ」
「脳……?」
「お前、ジークの攻撃を避けた時に目や鼻から血が噴き出してたんだぞ。覚えてないのか?」
言われて、思い出す。
激しい頭の痛みと、溢れ出る血。
普通の状態じゃなかった。
覚えていることを伝えると、スネイルさんが話を続けた。
「あの前後で、お前の脳には凄まじいほどに魔力が集中していた。普通じゃ考えられないほどに。脳のような繊細な臓器に、魔力を集中させすぎるとわずかなコントロールのミスで取り返しのつかない反動が襲ってくる。あの出血は、それが原因だ」
スネイルさんは、心配するように目線を合わせた。
「あれは、お前が前に言っていた感覚と関係があるのか?」
「はい。誘拐犯と戦った時はあの状態になることで立ち向かうことができました。あの時は、もう少し使えたはずなのに、何故か今日はすぐに限界が来てしまって」
「……」
改めて、スネイルさんとリリィさんに思考の加速とそれによって時間が止まったかのような不思議な感覚について伝えた。
スネイルさんは少し考え込むようにリリィさんと視線を合わせた。
今度は、リリィさんが口を開いた。
「ウィルが倒れてから、スネイルさんとも話合いをしましたが、そのような現象というのは聞いたことがありませんわ」
「俺もだ。動体視力を強化しても限度がある。遥か格上の敵の動きを捉えられるほど急激に視力が向上するなんて聞いたことがない。まして、思考の加速なんてな……全く、何でお前にこんな現象が起きてんだか」
リリィさんもその言葉に頷いてこちらを見つめていた。
真剣な表情は、普段の少し抜けたお姉さんの姿ではなく、学院の主席として選ばれた才女のものだった。
「ウィル、病み上がりのところ申し訳ありませんが、一度魔力を練り上げて頂けませんか?」
「?……はい、分かりました」
言われた通り魔力を練り上げる。
頭のてっぺんから足の爪先まで魔力を身体に纏わせた。
やっぱり、とリリィさんが呟いた。
「初めてウィルの魔力操作を見た時に勘違いかと思っていましたが、やはり間違いではなかったようです。ウィルの魔力の起点は脳からなのですね」
「?……それがどうかしたんですか」
「ウィル。一般的に魔力は心臓から生み出されると言われています。だからこそ、魔力は心臓を起点として全身に巡るというのが自然なんです。けれども、ウィルはなぜか脳を起点としているのです。こんなこと、聞いたことがないのですが」
何か心当たりがありますか?
そう聞かれた時、誰かの顔が頭に浮かんだ。
月を溶かしたような黄金の髪。
夜に浮かぶ星々のような蒼い瞳。
女神かと見紛う少女の近づく顔。
脳に走る火花にもよく似た熱。
この、記憶は一体――?
「ウィル?」
「あ、いいえ。何でもないです」
リリィさん達が訝しげな視線を向けきたが、なぜかこのことは、誰にも話してはいけない気がした。
「話を戻します。ウィル、これは仮説ですがウィルの魔力操作は脳を起点としていて、それによって思考の強化……加速という聞いたことがない現象が生じたのかもしれません」
「仮説としては、考えられるかもしれねえな。まぁ、真相はどうあれ、とりあえず言えることはその加速思考っていうのが命に関わるものだってことだけだ」
「えっ……」
スネイルさんが真剣な表情でこちらを見つめた。
「さっきも言った通り、その加速思考は脳への負担が大きすぎる上に針の穴を通すような繊細な魔力操作が要求される。落ち着いた状況ならいざ知らず、戦闘中にそれは難易度が高すぎる」
その言葉にリリィさんも頷いた。
「基本的にそれは使うな。どうしても使わざる得ない状況でも一日に一度……使えても二度。それを超えると、取り返しがつかない事態になる可能性が高い」
「でも――っ……!」
何とかならないのか。
これは、ようやく掴んだ切り札なんです。
ルナの隣に立てるかもしれない、希望なんです。
そう反論しようとして、頭の痛みでこめかみを抑えた。
頭の芯から破裂しそうな痛みが、何よりも自分の希望を否定していた。
「気持ちは分かる。だが、お前が死ねば一番悲しむのはルナだろう。焦るなとは言わないが、無茶はするな」
「……はい」
とはいえ、気持ちが沈むのは止められない。
気分を変えようとして周囲を見渡すと、いるはずの人間がいないことに気がついた。
「そう言えば、ルナはどこですか?」
「ああ、それなら――」
――キィ
その質問に応じるように部屋の扉が開いた。
その陰から現れたのは、ルナだ。
けれども、いつも明るいその表情は陰っていて、目は伏せられていた。
その手には布に包まれた何かが抱えられていた。
「ウィル、落ち込まないで聞いて欲しいんだけど……」
ゴトリ、何か金属の重い物を乗せた音が机に響く。
その布の隙間から見慣れた柄が見て取れた。
その瞬間、心臓が大きく跳ねた。
何かの間違いだと思いたかった。
けれど、そんな暇などなくルナの口から、その正体が告げられた。
「ウィルの剣が、折れたの」
それは、父の形見でもあり、これまでの旅を一緒に戦い抜いてきた相棒とも言える剣の悲惨な姿だった。
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