2 泣くよ、辿り着いたから
壇上で簡単にゲーム音楽の馴れ初めを語る。
幸い会場は暗めなのと、この時だけメガネを外せば、視力が悪いのでよく見えない。
10分程度で予定時間になり、袖へ掃けていく。
やっと自分の出番が終わったという思いで、一気に自分の体重が重く感じた。
ここからは、純粋に楽しもう。
こんな袖脇でフルオーケストラを聴く機会は、もう訪れないだろうから。
照明が暗転。
ゆっくりと音楽の胎動が聴こえてきた。
音楽と妹を託された一人の青年は、親友の才能を引き継ぐ。
止まってもやれることはない。とりあえず走り出した。
自分は、そんなことをコンサートホールの舞台袖で考えながら上を見たときに、ふと感傷にふける。
1曲目は、メインテーマを編曲したアレンジバージョン。
それから、各シーンのメインテーマ。
迫力のうちにプログラムは進み、いくつかの音楽で観客を温めた。
このコンサートホールには、自分が担当したゲーム音楽のフルオーケストラを聴きたいと集まった、満員の観客。
最高潮に達したタイミングで、自分が作曲のオリジナルのメインテーマがトリを飾る。
ここまで来ると、楽器が出来ない自分を恥じた。
照明が
ゆっくり落ちていく。
―――静寂―――
―――そして―――
トランペットの重なる吹奏が、ゆっくりと豊かな、でも静かに訪れる。
少しずつ照明が、オーケストラを照らしていく。
ホルンがバイオリンを連れてやって来る。
共にこれから始まる序曲を想像させる。
軍靴の足音が聴こえて、一層、二層、三層と厚みを増す。重なる。厚みを増す。さらに上から。
やがて聴く者の手を誘うリズムから期待は高まる。
遠くから確かに来る静かな複数のトロンボーンは、徐々に多くの音を連れて来る。
フッと一呼吸の間。静寂を一瞬挟む。
・・・間もなく、
指揮者が振る指揮棒が小さくゆっくり振れだすと、ハープが遠くからフルートを連れてやって来た。
それは目の前で霧が晴れて、山岳地帯の全景が姿を現すイメージ。
風が流れ、耳をイタズラしてくる。
小さな音色は、小気味よくリズムを刻みだす。
少しの間を置いて、ホルンが同じ歩調で合わせてくる。
徐々に数を増やし、徐々に音色を重ね、バイオリンが合流し次のバイオリンを呼び寄せ、待ちわびたドラムが鼓舞を始めて。みんなが最初の一歩を待っている。
―――――来る。
指揮棒が一番高い場所から降り下ろされると同時。
シンバルの合図で、打楽器のティンパニからの突然立ち上がる重低音、
雄大なトランペットと壮大なトロンボーン、厳かなコントラバスが会場を大きく包む。
霊峰のごとく高台に位置するパイプオルガンが、会場を見下ろして、息吹を吹き下ろす。
その息吹、シンバルがさらに緊張感を高める。
先ほどの仲良しから一転、主旋律を走るヴァイオリンとトランペットのユニゾンが、お互いを牽制しながら、聴く者の魂を鷲掴みにする。
力強く地を駆ける旋律は、ティンバルが観客の心をこじ開け、安心して横になっていた魂をドラムが揺さぶり起こす。
馴れ合うことなく、自分がメインだと主張するばかりの楽器達。
もっとやれとばかりの鼓舞を始める打楽器が音圧で迫る。
どの楽器も一歩も引かない。断じて下がらない。
幾種もの木管楽器も下から持ち上げるべく重厚な音の舞台を支えている。
バイオリンとチェロが、コントラバスを連れて後ろから皆を支え、待ちわびた観客を迎え打つ。
バラバラになりそうな主張の強い楽器達を、さらに強くなった指揮者が靭やかにいなす。
その指揮棒、もはや軽やかではない。負けまいと、ねじ伏せて調和を保つ。
すでに耳だけで聴いている観客はもういない。
足は心地良い緊張を伴い、胸で、腹で、心で酔いしれる。
高揚する音は、強く、激しく、頭を揺り動かす。
ここから、男女の声楽が声高らかに、盛り上げに加わる。
両肩を推してくるオーケストラの音圧。
負けじと胸を張って押し返す観客。
自然で逞しく生きる者を称賛してくれる。
ただただ迫力。
唾を飲む喉の音さえ雑音に聴こえる。
心臓の音が煩い。
お前もか。
自分の中の『何か』も、この旋律にリズムを合わせたがっているのだ。
ここから始まったんだ。
お互いの主張が終わり、クラリネットのソロパート。
艶のある音色が実に艶めかしい。
まるで見えてくる、クラリネットに腰を降ろして演奏者と見つめ合う妖精。
クラリネットが、妖精と戯れている間、この空間にいる楽器は呼吸と気持ちを整える。
観客は我を忘れ、ある観客は深呼吸し、ある観客は堅く握った掌に気が付く。
・・・少しずつ
少しづつ静寂が戻ろうかとする遠くから、ひとつのトランペットがやってきた。
その後ろから、ホルンが、バイオリンが、それぞれの歩調で集まってくる。
このパート全部の楽器の歩調が、最後だけピタッと一致した瞬間。
そして指揮棒が頂点で全ての呼吸を止めたその時、
―――!
堰を切った様な大音量で、一斉に楽器達のサビのメロディが溢れ出す。
一斉に思い思いに、同じ場所を目指して駆けていく。
帰る場所であり、かつ、一番高い至高の場所。
メロディは、皆を約束された高みに連れて行く。
頂点に上がった観客を、旋律が誉め称える。
指揮棒はこれでもかと振られ、
トランペット高らかに。
ついて来いとピアノが。
太く強くトロンボーン。
大地を叩くティンバル。
もっと走れとドラムが。
まだ走れるとコントラバス。
重厚なチェロを引き連れたバイオリンに支えられ、オーケストラと観客は約束の場所へ辿り着く。
鳥肌を纏う観客が腕を抱き締める。
クライマックスが終わり、指揮者が指揮棒を振り下ろす。
このタイミングで、全ての楽器と演奏者と観客の足が揃った。
時が止まる。
音が止まる。
光が止まる。
静寂から
――――誰が先頭を切ったのか――――
「「『『『『!!!!!!♪』』』』」」拍手喝采。
「「『『『『!!!!!!!!!!♪!!』』』』」」
割れんばかりの突然の拍手が、喝采が、称賛が、感動と感謝が、シャワーとなり、演奏者と指揮者とコーラスへ降り注ぐ。
先ほどの演奏に負けない拍手は、やはり演奏に負けないくらいの、気持ち良くオーケストラは存分に酔いしれる。
指揮者は演奏者に時折目線を送り、両手を掲げ拍手。
ここまで一緒に駆け抜けた演奏者とコーラスを、称える。
そして指揮者は観客のほうに振り向く。
辿り着いたこの場所で、全ての感謝を込めて、深々と礼をする。
より一層大きな拍手が包み、演奏者も起立して、会場を見守る。
コンサートホールが、ひとつになった瞬間だった。
全てのプログラムが終わり、指揮者が指揮台から降りて、舞台袖へ戻ってきた。
舞台袖に入ると、感動で拍手を送る自分の肩に触れて首を振る。
「 君がいるべき場所はここじゃない 」
指揮者が自分の肩を抱き、ステージへと案内する。
リハーサルでは、この場面は無かった。
指揮者が再びステージへ戻ると、両手を高く上げ拍手で自分を招く。
観客は指揮者の意図に気づき、ステージに足りない最後の一人の登場を待っている。
終始がつかないので、恥ずかしい中、舞台中央へ歩いていく。
観客が目の前に見えた。
足と呼吸が止まる。
瞬間、
沸き上がる!先ほどの拍手と称賛と喝采が自分一人を包んできた。
演奏者が立ち上がり、連れて観客が立ち上がり、全ての拍手を独り占めしている。
見回すと、両手がフリーのスタッフも頭上で大きく拍手をしている。
指揮者は下から両手を何度も何度も何度も、もっともっともっと!と、大きく観客にアピールするとどんどん拍手が大きくなる。
たまらず条件反射で、ペコペコ頭を下げた。
指揮者と握手を交わし肩を組み、観客席右へ、左へ、中央へ、それぞれに深々と礼をして舞台を後にした。
舞台袖へ戻ると、涙でグシャグシャなスタッフがたまらず自分をハグで迎えてくれた。男だ(苦笑)