第34話「予感(side neige)」
馬車の小さな窓に流れゆく町並みを観ながら、ネージュは退屈を隠せずに欠伸をした。
「……ちょっと! ネージュ。もう少しで到着するんだから、ちゃんとしなさいよ!」
プリスコット雪豹三兄弟の母であるオルレアンは、うら若き乙女であった頃、絶世の美女だと称されていたらしい。
当時は、母を信奉する男性たちに常に囲まれていたらしいが、ネージュにとってはただの口うるさい母親でしかない。
(……母さんみたいな人は、たまに会うと良いんだよな。何言い出すかわからなくて、たまには良い刺激になるけど、ずーっと一緒に居るとうんざりしてしまいそうだ。恋人や結婚したりする相手には、母さんみたいな人は嫌だな)
頬杖をついて冷静に母を見返したネージュは、もしこの母がまだ未婚令嬢だった時に、自分が血が繋がらない貴族男性だったとしても、彼女には求婚しない自信がある。
全く相性が合わないのだ。これは、ネージュの良く当たる勘でそう思ってしまうだけで、単純に母オルレアンのような良く喋る女性と付き合いたくないだけだ。
気楽な次男のネージュは幼い頃から、女性には好かれるし愛の告白も良くされた。
ネージュは家督を継ぐ長男ニクスとも違うので、平民女性とも縁続きになれるかもしれないと騒がれた。
野心的ではない貴族令嬢から見ても辺境伯家と縁続きになれると魅力的で、身分の高い辺境伯夫人とは名ばかりで面倒な仕事を常にこなす女主人にならなくて良いし、なにより母似のネージュは容姿が良かった。
そんなこんなで付き合った女性も複数居るには居るが、恋愛対象者として見るには数ヶ月が限界だった。
「何よ。どうせ、母さんみたいな人とは結婚したくない……みたいな事考えてるんでしょ」
「すごい。母さんどうして、僕の考えていることがわかったの。顔にでも書いてた?」
ネージュは真面目な表情で両手で顔を触ると、オルレアンは盛大に顔を顰めた。
「顔に書いてくても、わかるわよ! ……ネージュも早く結婚して欲しいけど、ニクスが弟二人に先を越されたとなると色々と面倒だから、一生独身でも良いわよ」
不機嫌さを隠せずぷいっと顔を背けた母へ、ネージュは楽しそうに答えた。
「ははは。僕が独身だと、プリスコット辺境伯家に居残りになるね。ニクスのお嫁さんに邪魔っ気にされるのか、いまから楽しみだな……」
「ちょっと! 前言撤回よ! 早く結婚しなさい! どこの娘さんでも許してあげるから!」
ネージュが小姑のように次なるプリスコット辺境伯夫人に口だしする光景が頭に浮かんだのか、オルレアンは狭い馬車の中に関わらずに慌てて立ち上がった。
「落ち着きなよ。冗談だって。母さん……そういえば、亡くなったルアン叔母さんの娘二人も、そろそろ結婚する年齢なんじゃない」
ネージュは冷静に立ち上がった母を座面に座らせてから、それとなく話を変えた。
オルレアンには妹が二人おり、美しい三人姉妹として世間を騒がせていたらしい。双子の娘を遺して亡くなったルアンは、このプラージュ地方に嫁いでいた。
もう一人の妹ヴァレンヌはオルレアンと共にプリスコットの地方貴族へと嫁ぎ、ネージュたちの従兄弟ユージンを産んでいる。
「ああ……そうなのよ。ミランダとアマリアにだって、ここ数年満足に会えていないわね。ルアンのお墓参りだって行けていないし、きっと私のことを……薄情者だと思っているでしょうね」
オルレアンは自嘲するように、力なく笑った。
母はプリスコット辺境伯夫人として多忙な責務があり、会えていない姪が心配だからとそうそう城を空けることは出来なかった。
三年間実家に戻っていなかったネージュは、母から従姉妹たちの話を聞いて不思議だったのだ。
騎士団の訓練があり外出していたために自分は一度も会えなかった従姉妹二人は、母によく懐いていたという。
それに、未婚の貴族令嬢であれば、それほど時間は拘束されることもないだろう。旅行がてら伯母を訪ねて来ることだって、何もおかしくないはずなのに。
(……どうしてだろう。母さんは性格的に、母を亡くした姪二人を放って置くはずもない。手紙だってこまめに送っていたはずだったろうに)
ネージュにとっては従姉妹にあたる二人の情報を、彼はおぼろげに思い出していた。唯一の会える機会には、ネージュは王立騎士団に所属していて訓練で会うことは叶わなかったのだ。
なんでも一番年が近く彼女たちと過ごした弟スノウからの情報によると、姿はうり二つなのだが、性格が真逆だったらしい。ミランダは快活で良く喋り、アマリアは真面目で大人しかったとか。
ただ、それは十にも満たない年齢だったので、現在は違うかもしれないが。
「ねえ。母さん。どうして、ミランダとアマリアをプリスコットに呼ばなかったの。城ならあの子たちもゆっくり過ごせただろうし……」
「それが……義母が嫌な顔をするからって、以前にアマリアに手紙で断られたのよ。亡くなった母の姉である私と連絡を取っていることも、彼女があまり良い顔をしていないと……」
オルレアンは表情を曇らせ、興味がまったくないため他家の事情に明るくないネージュは、そういうことかと息をついた。
(叔父さんの再婚した後妻が、産みの母親の影を嫌がったってことか……それ自体は良くあると思うけど、どうしていま母さんがプラージュへと行くことにしたんだ?)
姪二人には義母に良く思われないので接触を断たれているというオルレアンが、数年経ってから彼女たち二人に何か連絡をしたということだろうか。
「違うわよ。数ヶ月前に、スノウの結婚式の招待状を出したの……! けれど、待てども待てどもまったく連絡がなくて……これは絶対におかしいと気が付いたのよ。あの子たちにとっては、スノウは血の繋がった従姉妹なのよ。結婚式の招待状の返事くらい、届いてもおかしくないわ。来たくなければ、丁重に断れば良いじゃない……! 何ヶ月も何の連絡もないなんて、おかしすぎるわ……」
スノウの結婚式の日付は、数ヶ月前だ。それに、招待状であれば先方の都合を考えて、三月前には発送しているだろう。
「へえ……なんだかそれは、おかしいね。この国でイグレシアス伯爵となるスノウの結婚式の正式な招待状を無視? まっとうな貴族であれば、それはあり得ないね。行きたくないならば、ただ断りの返事を返せば良いだけなのに」
ネージュは母が叔母が亡くなり義母が居るため縁が切れたように思える姪二人を、やけに気にしている理由をここで理解出来た。
なんらかの返事があれば、こんなにも心配はしていないだろうことも。
「そうなの! そう思うでしょう? すごく気になるでしょう!? けど、私もいろいろとやることがあって……それに、シュレグもニクスもこんな時に限って、忙しそうだったの。もうこれはネージュに来て貰うしかないって、そう思ったわけ」
オルレアンも流石に一人で乗り込むのは怖かったのか、夫か長男同伴で行くつもりだったらしいが、二人とも今はこの国自体が情勢が不安定で忙しい。
我慢出来ないとばかりにネージュが弟スノウの教育係として残っていたイグレシアス伯爵家へと、手紙を送ったのだろう。
「……一人で行かなくて、正解だったと思うよ。あの子たちが返事を返せないとしても、誰かは代理で返信を書かねばならないほどに重要な用件ではあるからね。叔父さんは良さそうな人だと思ったけど……人は変わる。僕の従姉妹が嫌な目に遭っていないことを祈るよ」
義母と折り合いが悪ければ、そういう状況になってしまうことも考えられた。貴族の邸でか弱い令嬢たちの立場は、とにかく弱いからだ。
「!! ……ネージュ。どうしましょう。あの子たちに何かあったら……もっと早くに行けば良かったわ。断わられてもよ」
最悪な想像をしてしまったのか、オルレアンは顔色を青くして両頬に手を当てた。
「まあ、母さん……ここで変な想像しても仕方ないよ。もうすぐ到着だ。この目で確かめよう」
ネージュに宥めるように肩を叩かれ、オルレアンは自分を落ち着かせようとしてか胸に手を当てて大きく息をついた。
(十中八九、義母に何かされているのかな。もしそうなら、父さんに出て来てもらって彼女たちの身柄を引き取れば良いだけなんだけど……何だろう。嫌な予感がするなあ……)
黙ったままで顎に手を当て、暗くなり始めた空の下にある城へとネージュは目を向けた。




