第1話 勇者の子
勇者の嫡男は、【人】であってはならない。
完璧な存在でなくてはならない。
勇者を想起させなくてはならない。
勇者以上の存在感を示さなければならない。
人類の理想を一身に背負った子ども。
だが――、
僕は、【失敗作】だった。
壁にかけられた時計に目をやる。
「ん……朝か……」
着替えると、自室を出た。
朝日が差し込む広い廊下には、人の気配はない。
絨毯の上を歩く僕の足音が、やけに大きく聞こえる。
一階へ降りると、一人の侍従と出くわした。
侍従と目が合う。
「おは――」
挨拶をしようとした。
だが、使用人は視線を逸らす。
そして、ごく小さくお辞儀をしてそそくさと離れていった。
胸の奥が、すっと冷たくなる。
朝靄に包まれた屋敷の中庭。
色とりどりの花が咲き、石畳の道は綺麗に手入れされている。
通路を進み、中庭の隅へ向かう。
屋敷を囲むように植えられている木々。
その隅に生えた木の根元だけ、地面が剥き出しになっている。
軽く準備運動をしたあと、地面の上に立ち、目を閉じた。
木剣を握り締めたまま、深く息を吸い込む。
朝の冷たい空気が心地よい。
そよぐ風を感じながら、集中力を高めていく。
ふと、風が止んだ。
直立した姿勢から、素早く木剣を上段から振り下ろす。
木剣を返し、逆袈裟斬りをした後、大きく薙ぎ払う。
素早く重心を後ろへ下げた後、大きく踏み込みながら刺突を繰り出す。
訓練を始めたきっかけは、父さんに少しでも近づきたくて。
いや、それだけじゃない。
諦めきれなくて、誰かに認めてもらいたかった。
十年以上その一心で続けたが、結局実ることはなかった。
それどころか、下の世代にも追い越されてしまっている始末だ。
心が乱れ、剣先がブレた。
「クソ」
汗を拭いながら、ポケットに入れていた懐中時計を確認する。
「もう時間か……」
気が重いが、遅れると何を言われるか分からない。
数時間の我慢だ、と自分に言い聞かせる。
手早く身支度を整えた後、待機している馬車のもとへ向かう。
玄関ホールにたどり着くと、執事長が立っていた。
掃除をするわけでもなく、ただ扉の傍に一人で。
足が重くなる。
裏口から出ようかとも考えたが、それでは遅れてしまう。
覚悟を決めつつも、淡い期待を込めて扉だけ見つめながら早歩きをする。
「ん? おや、これはこれはフィレン様、おはようございます。こんな時間にお出かけになられるとは珍しい。どちらへお出かけになられるのでしょうか?」
誰が見ても朗らかな笑みを浮かべ、執事長が尋ねてきた。
「今日は、『家族の日』ですから」
「ああ、そうでした。最近、歳ですかな。すっかり忘れておりました」
執事長は、芝居がかったように間違いを認める。
「ソルオスト家の方々には、覇を示す責務がございますからね。先日城内で行われたノルグムジャード様の誕生パーティーもそうでございます。盛大であり、圧巻。……おや、そう言えば、フィレン様をお見かけしなかったような……」
目を細め、横目で僕を見てくる。
すべてを知った上で、僕の口から言わせたいのだ。
「ええ、その日は体調が優れなくて……屋敷で休んでいました」
「そうだったのですね。皆様方はきっと、フィレン様がご参加なされなかったことを残念に思っておられたでしょう」
「はは、どうでしょうか」
「そうに決まっております。旦那様や奥様方はもちろん、御子息の方々も自覚を持たれ、各々の分野で覇を示しておりますゆえ。誠に、ご立派でございます」
「そうですね……僕も恥じぬよう頑張ります。あの、すみません、もう時間なので……」
出発の時間が目前に迫り、僕は会話を切り上げた。
「おお、申し訳ございません。いってらっしゃいませ、フィレン様」
執事長は、流れるような所作で頭を下げた。
「行ってきます」
外に出てすぐ、僕には聞こえてないだろうと高を括ったのか、執事長は「さようなら」と呟いた。
馬車に乗り込み、王城へ向かう。
規則的なリズムを刻む蹄の音に耳を傾け、ぼんやりと外の景色を眺めながら物思いに耽る。
平和になったこの時代、魔族を殺すための武術は魅せる舞踏へと様変わりした。
特に魔術は顕著で、素質と知識を求められる性質が貴族の琴線に触れた結果、ひと際派手なものが主流になった。
この流れを後押ししたのが、父さんの「物騒な魔術なんかじゃなく、笑顔になる魔術。これが、俺が望んだ未来だ」という一言。
その一言が、僕に「失敗作」という烙印を押した。
馬車の速度がゆっくりと落ちていくのを感じ、現実に呼び戻される。
白日ノ城。
かつての憧憬の場所であり、畏れを植え付けられた場所。
外壁を補強するための尖塔。幾重にも張られた防御魔術。
白亜の石材と防御魔術の放つ光が相まって、まるで天に掲げられた剣のよう。
もっとも高い塔の先端には、赤地に金糸を用いて刺繍された太陽――ソルシアの国旗が風にはためいていた。
門番たちが僕を見つけるや否や、一瞬だけ固まった。
ただ、すぐ我に返って敬礼をしてくる。
僕は気づかなかったふりをして、城内へ入ろうとした。
「どうして、来た?」
ところが、城の中から僕を睨む二つの目が光った。
「ノル……」
実際に顔を合わせるのは、一年ぶり。
記憶の中よりも痩せていて、顔色も悪い。
「言った筈だ、今日は来るなと! いい加減、身の程を弁えろ! 貴様のせいで、どれだけ僕に迷惑が掛かっていると思ってるッ!」
ノルは青白い顔を真っ赤に染め、大口を開けて叫ぶ。
「そんなことできるわけないだろ。今日は、『家族の日』だ」
「馬鹿か! 足を怪我するなりすればいいだろ! そんなことも分からないのか、この無能が!」
喉元まで出かかった想いを静かに飲み込む。
本当なら帰りたい。
でも、できない。
母さんのためにも。
僕に唯一できるのは、耐えることだけ。
嵐が過ぎ去るのを耐えるように、顔を伏せた。
「ん?」
ノルの足が、小刻みに震えている。
慌てて顔を上げると、ノルは左胸を押さえていた。
「大丈夫か、ノル?」
顔を歪ませるノル。
呼吸も荒く、水を含んだような異音が混じっている。
身を案じて一歩近づく、ノルが僕に向かって手を翳した。
「こうなったら、力づくで――ッ!」
一瞬息を詰まらせた後、ノルは「ゴホッ! ゴホッ!」と激しくせき込み出す。
体を折り曲げ、やがて力なくその場にしゃがみ込む。
「ノルッ!?」
咄嗟に歩み寄ろうした。だが、ノルは苦痛に顔を歪ませながらも、その目に「近寄るな」という強い拒絶の意志を込めて向けてきた。
「ノル!」
城の方から、後ろから切羽詰まった声が響く。
その声が誰なのか、すぐに分かった。
「母さん……」
ただ母さんは僕に目もくれず、ノルに駆け寄った。そして、懐から小瓶を取り出すとゆっくりとノルに飲ませる。
ノルグムジャード・ソルオスト。一つ下の実の弟。
しばらくして薬が効いてきたのか、ノルの荒い呼吸が治まっていく。それを見て、母さんは胸を撫で下ろすと、立ち上がって僕に向き直った。
「久しぶりね、フィレン」
「久しぶり、母さん」
母さんは、僕に優しく微笑む。ただすぐに、真剣な面持ちに変わった。
「フィレン。どうして、ノルを興奮させたりしたの?」
真っ直ぐ向けられた眼差しは、僕のことを咎めてくる。
拳を力一杯握りしめ、そっと解く。
力が抜ける感覚を、全身へ巡るようにイメージする。
「ごめんなさい」
できるだけ平坦な声で謝罪し、僕は頭を下げる。
「まあ、そう言うなよ、ゾアン」
母さんの後から、自信に満ちたよく通る声がした。
直後、遠巻きにこちらを眺めていた騎士たちが一斉に姿勢を正し、敬礼を行う。
「父さん」
二十代に見間違うほどの容姿。真夜中のような濃い紺色の髪。
圧倒的な存在感を放ち、その場にいるだけで畏怖の念を抱かずにはいられない。
世界を救った勇者――ロキ・ソルオスト。
「フィレンも、久しぶりにノルに会えて嬉しかったんだろ。な、フィレン?」
父さんは纏っていた覇気を消すと、人懐っこい笑顔を浮かべながらそう言った。
「何言ってるの? ノルは発作を起こしたのよ。やり過ぎよ」
「そうか? 俺がガキの頃なんか――」
「アンタと一緒にしない!」
「おお、怖……」
母さんに怒鳴られた父さんは、逃げるように僕の前にやってきた。
「久しぶりだな、フィレン。どうだ? 何か変わったことはねぇか?」
「ッ、久しぶり、父さん。大丈夫、何にもないよ」
僕は、笑いながら何事も無かったと伝える。
「そうか、そりゃよかった。ハッハッハ――」
心が、暴れる。
そんな心を、自制心の鎖で雁字搦めにする。
暴れられないように、太く、重い鎖で。
「あー、その、なんだ……」
軽快に笑っていた父さんが、唐突に難しい顔をし、歯切れの悪い声を出す。
目も忙しなく動かし、明らかに言葉を選んでいるのが丸分かりだった。
「お前は、俺の息子だ。胸を張ってればいい」
悩み悩んだ末、父さんが口にした言葉。
「はい!」
僕は、出来る限り力強く返事した。
その返事に父さんは満足したのか、ニカッと笑う。
「うし、それじゃあ行くか。もう、みんな待ってるぞ」
父さんはそう言うと、ごく自然なことのようにノルの左隣へ向かう。母さんも、ノルの体調を気遣いながら右隣で歩き出す。
そんな親子三人の姿を見つめながら、僕は少し距離を取ってついて行く。
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