第二章 再会④
「……俺だ」
その時、彼はとある人物に連絡をしていた。
有名なチェーン店であるカフェ。土曜の朝なので店内は休日を楽しむ者も多い。
しかし、そんな中で彼は紳士服をしっかりと着込んでいた。
「追加の依頼がある。いけるか?」
彼――仙石六郎は尋ねる。石神分家筋の一つ。仙石家の若き当主である。
『……何だ?』通話の相手は男の声だった。
『編入試験に落ちたのか? 成績を書き換えたいのか?』
「そんなことは不要だ」仙石は鼻を鳴らした。
「あの方をどなたと心得る。編入試験などあの方には児戯に等しい。編入は月曜からだ。何の問題もない。しかし」
そこで微かに眉をひそめた。
「俺には懸念がある。姫さまはどうにもご自身を軽んじられるところがあるのだ」
『ああ。あの噂は本当だったのか?』男は呟く。
『石神家の《砂塵姫》は心に空洞を抱えていると聞いたな。一種の自傷癖か?』
仙石は不快そうに渋面を浮かべた。
「黙れ。自傷癖などない。あの方に傷などあるものか」
そう吐き捨ててから、
「とはいえ、二年半ほど前からだ。その言葉をよく呟かれるようになられたのは。そう。姫さまがあのお美しい《星銀の髪》を失ってからだ。ヤブ医者どもは身体的な成長の影響などとほざいていたがな」
『……《星銀の髪》の話も聞いたことがあるが、実際のところはどうなんだ? 成長の影響ではなかったということなのか?』
「分からん。なにしろ《星銀の髪》は実例が少ない。長き石神家の歴史においても、姫さまを含めてたった三名しか確認できていない異相だからな」
仙石は双眸を細めた。
「しかし、《星銀の髪》を失おうともあの方が尊き御方には変わらん。そして今回の編入。ご当主さまのご下命ではあるが、改めて言うが、俺には懸念することがある」
『……本題を聞こうか』
「潜入したお前も分かっているだろう? 新城学園は初めての試みだ。これだけ同じ世代の鬼狩りたちが集まる場所はかつてなかった」
一呼吸入れて、
「幸運にもその尊き血を。神々しくもあるその御姿を目の当たりにし、姫さまに懸想する不遜な輩も多いことだろうな」
『……何とも仰々しいが、なるほどな』
男が苦笑の混じった声で言う。
『お前の懸念を察したよ。ましてや、同じ二姫である御門家の《瑠璃光姫》はその身を卒業時の副賞にしているからな。六大家の威光も薄れ、お姫さまに欲情するガキどもが出てくるんじゃないかと言いたいんだな』
「……その通りだ。だが、『二姫』だと?」
不快そうに仙石は眉をしかめた。
「御門の小娘ごときが姫さまに並び評されるなどおこがましいことだ。才能と美貌のみではない。あのお方は武の化身でもあらせられる。その尊き血をお守りするためにこそ」
一呼吸入れて告げる。
「俺は分家最強の座を勝ち取り、あの方の許嫁となったのだ」
『大した執念だよ』男は呆れるように言う。
『そこまでして、あのお姫さまが欲しいのか?』
「下衆な勘繰りをするな。俺は姫さまの従者であり、お守りする騎士だ。今日まで俺はあらゆる敵をねじ伏せてきた。あの方に誰も手出しさせぬようにな」
それは、まるで星に群がる蟲のようだった。分家からも他家からも、姫さまに取り入ろうとする輩は後を絶えなかった。そのすべてを仙石が打ち払ってきたのだ。
そのことには自負がある。しかし、同時に疑問にも思う。
二年半より前には、何故か姫さまに取り入ろうとする輩がでていなかった事実に。
(その頃から姫さまがより美しく成長されてきたということもあるが)
姫さまがご自身を軽んじるようなお言葉を言われるようになったものその頃からなので、それも影響しているのかも知れない。
いずれにせよだ。
「本来のお前への依頼は神槍の奪取だった」
『ああ。承知している』男は答える。
「それは変わらん。だが、追加で任務を依頼したい。内容は分かるな」
『……お姫さまの護衛か?』
「その通りだ。口惜しいが、学園内では俺はお傍にお仕えすることができん。姫さまはお前が影よりお守りしろ。羽虫が近づけば悉く駆除しろ。手段は問わん」
『強欲だな。神槍もお姫さまも両方手に入れたいのか?』
男がそう尋ねると、仙石は「それも下衆な勘繰りだな」と吐き捨てた。
「確かに俺はいずれ姫さまの夫となる。姫さまの尊き血筋を絶やす訳にはいかんからな。しかし、神槍は姫さまに手にあるのが相応しいのだ。そのために奪取するのだ」
一拍おいて、
「すべては姫さまのために。ゆえにどちらの任務も成し遂げろ。いいな」
『……安くはないぞ』
「構わん。追加で三千万。いや五千万用意しよう」
『いいだろう。前金で一千万を振り込め。お守りと羽虫退治ぐらいはしてやる』
「それでいい。お前が今どんな姿に化けているかは知らんが、頼んだぞ。《夜叉猿》」
そう告げて、仙石は通話を切った。
そうして、仙石は注文したまま冷えてしまったホットコーヒーを口にして、
「何とも歯がゆいな。自ら動けんというのは」
と、呟くのであった。
――同刻。場所は市街区の公道。
人通りがかなり多い道。
ガードレールに腰を掛けていたその少女は、通話の切れたスマホを見つめていた。
年齢は十七歳ほどか。百六十後半ほどの女性としてはかなりの長身、さらには年齢離れした見事なスタイルが印象的だ。その身に着けるのはノースリーブタイプの黒いブラウス。白いプリーツスカートを履いていた。腰に届くほどに長い黒のストールを首に巻いて口元を隠している。赤みがかった黒い瞳と、長い髪のサイドテールを持ち、切れ長の眉が凛々しい少女だ。
「……化けてなどいないさ。二歳ほど年齢は誤魔化したがな」
少女はポツリと呟いた。見た目通りの少女の声だった。
「しかし、あの執着ぶりはもはや信仰だな。とはいえ、そのおかげでお守りと羽虫退治だけで五千万とは有り難い。上客ではある」
そう呟いた。
それから豊かな胸を揺らして大きく伸びをする。
「いや、執着なら私も人のことは言えんか。なにせ、神槍の奪取さえ私が潜入した目的としてはおまけに過ぎないのだからな」
腕を下すと、彼女は晴天の空を見上げた。
すっと瞳を細める。
――あの日は雨の降る夜だった。
今でも忘れない。
漆黒の巨躯に、鬼火のように青白く光る獣毛。
第五階位の妖鬼さえも容易く屠ったあの方の雄々しい姿は……。
(噂通りなら、貴方もこの学園にいるのか?)
彼女は瞳を閉じる。
こうすれば、何度でもあの姿を思い出せる。
(必ず見つけ出してみせよう。貴方を)
彼女は腰を上げた。
そうして人混みの中へと消えていくのであった。




