最後の一枚
それから三日間、私は風呂も入らず、食事もとらず、最低限の飲み物だけを飲み、姉さんを偲んでは泣きに泣き、そのたびに姉さんの遺書を何度も読み返した。
姉さんの笑顔がもう二度と見られない、だなんて。
姉さんの声がもう二度と聞けない、だなんて。
信じられるはずがなかった。
信じていいはずがない。
大切な人がいない日々が当たり前のように感じられてしまう世界が、私には酷く恐ろしいものに映った。
そんなとき、私は部屋の壁に何度も体当たりをした。
何度も……何度も何度も壁に体当たりをすることで、私は姉さんのいない世界が与えてくる恐怖を忘れようとした。
けれど、喪失感はどうしたって付きまとった。
そればかりか、姉さんを喪ったのは自分のせいだと、私は自分自身を責め続けた。
まだ血痕残る床を拳で思い切り叩いた私は、ワアッと大声で泣き出した。
「どうして、ですか。どうして、あなたは……ああ!」
いつしか、私は目についたすべての物を投げるようになっていた。
枕、掛け布団、敷き布団、箱ティッシュ、飲みかけのペットボトル、スマートフォンの充電器、ゴミ箱……。
遺書が入れられていた空の封筒。
と、そのとき、私は封筒を投げる寸前になって、不意に姉さんの遺書についての違和感を覚えた。
そういえば、姉さんの遺書には……どうして私を襲って、血液を採取したのかについての説明がなかった。
足りなかった説明は、それだけではない。
私たちの血液を混ぜ合わせて作られた、毒薬入りの赤ワインの謎。
なぜそんなものを作った挙句、姉さんはそれを口にしたのか。
考えれば考えるほど、説明がなかったことについての違和感が膨らむ。
ふと手元の封筒に目が行き、私は封筒の中身をダメ元で覗いてみた。
そこには……姉さんが書いたラスト一枚の遺書があった。
よりにもよって、最後の原稿用紙だけ、封筒から出し忘れていたようだ。
「……姉さん。どうか真実を、哀れな私に教えてください」
私は最後の一枚となる姉さんの遺書を……ゆっくりと読んでいく。
「――さて、これからあたしが生涯最後に飲むものは、単なるあの世逝きの片道切符ではありません。
これはあたしたちにしか理解のできないカクテルです。
このカクテルには赤ワインのほか、あたしたちの血液、それに毒薬も入れました。
あたしはこのカクテルを『レッド・シティ』と名付けます。
この『レッド・シティ』、あたしは深い意味を込めて作ったのです。
それはあたしのカクテルでもあり、きみのカクテルでもあります。
『レッド・シティ』、それはあたしたちのことを指します。
この広い街の中、危険で情熱的な愛で恋をしたあたしたちは、お互いの血液が混ざり合ったことで、ともに繋がれ、いつまでも結ばれる。
今までありがとう。あたしのこと、忘れないでね。
いつまでも、あたしはきみのことを愛してるよ。大好きだよ。
姉さんより」
姉さんを喪った今だからこそ、決して失ってはいけないものがある。
明日を生きていこうとする希望だ。
姉さんが亡くなった今、遺された私にとって絶対失くしてはいけないものがある。
姉さんがくれた愛だ。
姉さんの遺書をすべて読み終えた私には、そう思えるまで回復していた。
なぜって、私は独りではないのだから。
この世に「レッド・シティ」という刺激に満ちたカクテルが存在する限り、私は独りではないのだから。
そうでしょう、姉さん。
その日の夜――私は武蔵小杉にあるショットバー「レイン」を再び訪れた。
何を注文するか悩んでいたところ、まだ何も頼んでいないのにも関わらず、老齢のバーテンダーはバラのように真っ赤なお酒が注がれたグラスを、私のコースターに置いた。
「これは……なんというお酒ですか」
私が尋ねると、バーテンダーは穏やかに「あなたが心の中に思ったお酒こそが、目の前のお酒となります」と説明し、深々と一礼。
さすがはベテランのバーテンダーだ。
私は感服しながら、目の前に置かれたお酒――「レッド・シティ」をコクッと飲むのであった。




