古代遺跡ダンジョン
マジックバッグの口を閉じると、革がぎしりと鳴った。
限界まで詰め込んだせいだ。
回復薬、予備、食料。
万が一に備えた物、そのさらに万が一のための物。
正直、重い。
でも、足りないよりはずっといい。
「初の未踏破だ。気合い入ってんな、クオン」
先輩のひとりが、からかうように笑う。
俺は肩をすくめて返した。
「念のため、です」
口に出すと軽いが、胸の奥は落ち着かない。
古代遺跡が、魔力溜まりによってダンジョン化した
――元神殿。
ただの洞窟とは、わけが違う。
入口をくぐった瞬間、空気が変わった。
ひんやりしているのに、どこか澄んでいる。
石壁は荒れておらず、柱の意匠も整っていた。
「……思ったより、綺麗だな」
「元は女神の神殿だ。雑に造るわけがない」
先輩の言葉に、なるほどと頷く。
確かに、ただの遺跡というより、今も祈りが残っているみたいだ。
魔物はいる。
だが配置は規則的で、奇襲も少ない。
前衛が盾を構え、後衛が魔術を準備し、治癒役が距離を保つ。
俺は状況を見て、剣と魔術を切り替えながら動いた。
戦闘は安定していた。
連携が噛み合い、無駄な動きがない。
「ここ、右に分岐」
「マークつけた」
先輩たちは各自、地図を書き込んでいく。
俺は――ただ、見ていた。
(覚えてるから、大丈夫だろ)
そう思った。
この時は、まだ。
進めど進めど、回廊は続く。
とにかく広い。
天井は高く、視線の先が遠い。
「未踏破でこの規模か……」
誰かが呟く。
確かに、想像していたよりずっと大きい。
回廊の途中、壁画が現れた。
女神が寝転び、男に王冠を載せている。
剣を掲げ、女神を守る男。
果物を差し出し、「はい、あーん」とでも言いそうな仕草。
「……めちゃくちゃ愛されてんな、女神さま」
思わず、笑った。
理由は分からない。ただ、可笑しかった。
石に刻まれたはずなのに、柔らかい。
守られて、与えられて、信じられている。
「信仰ってやつだな」
先輩が言う。
俺は、なんとなく頷いた。
順調に進み、やがて空気が変わる。
広い通路の先、重厚な大扉。
「……来たな」
探索調査隊全員が、自然と足を止める。
こういう場所だ。
戦闘が始まる前提で、開く。
罠、強敵、何が出てもおかしくない。
頷き合い、役割を確認する。
呼吸が揃う。
「行くぞ」
扉が、ゆっくりと開いた。
――大広間。
思ったほど、派手ではない。
魔物もいない。
「安全地帯、か」
よくある。
だからこそ、油断しない。
中央に祭壇。
その背後に、女神をかたどった壁画。
近づくと分かる。
何百、何千年を経ても、変わらない美しさ。
石なのに、時間が止まっているみたいだ。
調査を進める。
魔力の流れ、床の刻印、壁の継ぎ目。
俺も祭壇の前へ――一歩。
その瞬間。
魔術陣が、幾重にも浮かび上がった。
「……は?」
誰かの詠唱が、頭の中に直接流れ込む。
キーン、と耳鳴り。
魔力が揺さぶられ、視界が歪む。
世界が、スローモーションになる。
先輩たちが慌てて動くのが見えた。
目を開けた瞬間、胸がひどく軽かった。
いや、正確には――軽すぎた。
空気が、薄い。
「……っ」
反射的に息を吸って、むせる。
肺の奥がじんと痺れ、遅れて鼓動が強く打った。
「……?」
身体を起こそうとして、止まる。
周囲に、誰の気配もない。
「……先輩?」
返事はない。
声が、石壁に吸われて消える。
「転送……トラップか……」
喉が乾く。
舌が、口内に張り付く。
「嘘だろ……冗談きつい」
頭を振る。
考えろ。まずは状況確認。
大広間は……同じだ。
祭壇も、壁画もある。
だが――空気が違う。
魔力の流れが、濁っている。
「……は?」
広間の外、回廊の向こう。
気配が、動いている。
魔物だ。
(前衛、後衛、治癒……)
いない。
「……俺ひとり、か」
喉が鳴る。
背中に、じっとりと汗が滲んだ。
「……いけるか」
いや、行くしかない。
立ち止まっても、状況は変わらない。
剣を抜き、魔力を整える。
足音を殺して、回廊へ。
……魔物は、確かに減っていない。
むしろ、活性化している。
「やば……」
避けて、切って、焼く。
一体ずつ。
だが、休む暇はない。
時間が、削られていく。
(……地図)
脳裏に、先輩たちの手元が浮かぶ。
各自、黙々と書き込んでいたあの線。
(……書いときゃ、よかった)
後悔先に立たず。
それでも、不思議と戻れている気がした。
壁画が、道標みたいに現れる。
女神と、王様。
「……なんだよ。案内してんのか?」
独り言が増える。
じゃないと、心が折れそうだ。
体力は、もう限界に近い。
魔力も、削れている。
(出口……あと少しのはずだ)
そう思った瞬間。
ズン……。
床が、低く唸った。
「……あー」
乾いた笑いが出る。
「神様、ひどくない?」
闇の奥から、複数の影。
ダイアウルフの群れ。
牙が光り、唸り声が重なる。
「……やるしかねぇ」
詠唱。
火球。
一体、倒す。
剣を振る。
骨に手応え。
魔力障壁を展開。
……数が、多い。
腕が重い。
息が、荒い。
(最後……)
残り一体。
踏み込んだ、その瞬間。
咆哮。
視界の端が、赤く弾けた。
「――っ!!」
脇腹に、鋭い衝撃。
熱が、走る。
赤が舞う。
「……く、そ……!」
歯を食いしばり、剣を突き出す。
喉元。
魔術陣を展開。
内部を――爆破。
轟音。
そのまま、膝が折れた。
「……あ……」
視界が、揺れる。
「あー……これ……死んだわ、俺……」
仰向けに倒れ、天井を見る。
呼吸が、浅い。
血の匂いが、濃い。
走馬灯が、始まった。
母さんの声。
父さんの背中。
妹と弟の、うるさい笑い。
友人たちとの、くだらない日々。
(……悪くなかったな)
息が、詰まる。
視界が、霞む。
女神が、見えた。
白く、眩しい。
……迎えに来た、のか?
引っ張られる感覚。
魂を、掴まれるみたいな。
(……あ)
妙に、知っている感触。
(治癒……に、似てる……?)
意識が、落ちる。
――夢を見た。
スターチスが、一面に咲いている。
紫の花海。
誰かと、笑っていた。
理由もなく、幸せで。
(……もう、いいか)
そう思った、瞬間。
「って……俺は童貞のまま、死んでたまるか!!!」
叫んで、拳を握った。
――意識が、浮上する。
「……っ」
眩しい。
瞼を開けると、
そこに、女神さまがいた。
金色の髪。
碧い瞳。
柔らかな光。
「あ……天国か……」
喉が勝手に動く。
「俺と……結婚してくれ……」
――パーン!!
鋭い衝撃。
頬が、燃える。
「はーい! 戻ってこーい!」
耳元で、はっきりした声。
(……?)
魔力が、身体を巡る。
裂けた感覚が、塞がっていた。
(……治癒魔術……?)
息が、深く吸える。
(……生きてる)
視界が、はっきりする。
目の前で、
にこっと笑う――
スーパー美女が、いた。
え……?
やっぱり天国じゃないか?




