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転生忍者少年はダンジョンに挑む  作者: 田舎暮らし
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第五十六話 狂乱の王都

 『レイドリオン大陸』の西域には、三つの大国が君臨している。

 森と湖、鋼と獣の帝国『ジーネボリス』。

 小麦と果実、詩と書物の王国『ロルドニア』。

 退廃と黄金、海賊と奴隷の王国『ヘルトーラ』。

 この内、歴史的に最も若いのが、ロルドニア王国であった。


 その建国は、三百年近く前に遡る。

 当時のこの地方は、小国が乱立して武力で覇権を争い合い、血みどろの戦乱の時代を迎えていた。

 圧倒的に強大な国が無い中での国取り合戦は、戦争に次ぐ戦争を引き起こし、人心と国土は荒廃し、疲弊して行ったと伝えられている。


 そうした小国の一つに、ある時一人の王子が生まれた。

 彼の名は、『アスベル・ロルド』。

 世の禍を憂いていた王子アスベルは、戦乱を治め、この地の平穏を取り戻す事を神に誓い、若くして『聖騎士』の職に就いた。


 そして彼は、当時発見されたばかりの試練の迷宮『奈落都市』に、仲間達と共に挑む事になる。

 終わり無く続く、戦闘と探索の冒険を続ける事、数年。

 アスベルと仲間達は、全員がレベル20以上の『ハイマスター』にまで到達し、その名と力を世に知らしめた。

 『奈落都市』の最下層に於いて、迷宮の支配者『奈落の巨人』を倒したのは、『白百合の剣聖』率いる英雄パーティだったが、王子アスベルとその仲間達の活躍も、その勝利に大きく貢献したと伝承では語られている。


 その後、彼は故国に帰還。

 迷宮で得た莫大な財宝と身に宿した超人の力、そして彼と同等の力を持つ五人の仲間達と共に、アスベルは戦乱の平定に取り掛かった。

 その終結には、さらに十年の歳月が費やされたが、王子アスベルはついにこの地方の統一を果たし、新たなる国家、ロルドニアを建国したのである。

 建国王と成ったアスベルは、その不老の身を持って、長く玉座を維持した。

 彼と共に戦った五人の仲間には、それぞれ爵位と領地が与えられ、王家を支える『五大公爵家』が誕生した。


 そして現在、ロルドニア王国は西方の三大国の一つとして、大いに繁栄している。

 日照量、降雨量共に良好で、温暖な気候と豊穣の大地を持つこの地方は、広大な平原に広がる田園地帯を持つ事で知られるようになった。

 さらに温かい気候の南部では、様々な果実が栽培され、西は『キルベッツ海』、南は『エゼルティール海』という豊かな漁場にも恵まれている。


 その国土の中心、大きな港を有する『王都クライゼール』は、位置的に北のジーネボリス、南のヘルトーラ、さらには東からの街道の終点とも成り、陸上、海上双方の交易路の拠点としても大変な賑わいを見せていた。

 一時滞在者を含めれば二十万人を超える人口を有する、世界有数の大都市でもある。


 現在、その王国ロルドニアを治める者の名は、女王ヘルマイア・ロルド。

 年齢は、十五歳。

 三年前、父王の急死により、五歳年下の弟の代わりに女王として即位した少女である。

 無論、まだうら若き娘に、国政を取り仕切る力は無い。

 彼女を補佐し、王国を治めているのは、有能な宰相にして五大公爵家の一つオリオス家の現当主、ヴァルデム・オリオス。


 北の帝国とは違い、この国では貴族達の力が強く、王権といえども絶対ではない。

 若き女王は、王家を支持する公爵家の力を借りて、国を治めている。

 一見豊かで平和なこの国にも、内憂外患は存在する。

 そして、女王を襲う国家的悲劇の種は、既に人知れず蒔かれているのであった。




 「見えて来ましたよ、師匠っ! ついに僕達、ロルドニアの王都に辿り着きましたね」


 石畳で舗装された古代街道を歩く少年は、前方に見え出した高い城壁を指差し、はしゃいだ声を上げる。

 その明るい態度や変声期前の可愛いボーイソプラノの声によって、彼は歳相応の十二歳の少年のように、周りには見えていた。

 着ている物も、旅の途中で調達した粗末でも高価でもない、シャツとズボン、帽子にブーツと、ありふれている。

 長く伸ばした黒髪を首筋のところで紐で縛って纏め、顔には彼の掛けられた『お呪い』とも言える包帯を巻き付けて、その隙間から覗く黒い瞳以外の素顔を隠している。

 多少変な格好ではあるが、道行く者の注意を引く程ではない。

 しかし、その一見無邪気な子供の様子とは裏腹に、彼は既に職に就いた一人の冒険者であった。


 彼の名は、セディル・レイド。

 年齢は十二歳、種族は『半人間』。

 そして職業は、『Lv2忍者』。

 北の帝国ジーネボリスの森の中の村で生まれ育ち、訳あって村を逃げ出し、師の下で忍者と成る為の修行を積んだ少年である。


 「確かに……、あれは王都クライゼールの城壁だ。俺も、この街に来るのは、二十年ぶりくらいだが、変わっていないな……」


 そのセディルが師匠と呼んだ男は、感情の余りこもらない低い声でそう言うと、遠くに見える街に視線を向ける。

 隣の少年が普通の子供に見えるとしたら、彼は誰がどう見ても、普通には見えないような男だった。

 その身長は、二メートル。

 丈夫な素材の上衣をラフに着こなし、同じく丈夫なズボンに頑丈そうなブーツを履いているが、武器の類いは何も身に着けていない。


 整備された街道を進むとはいえ、この世界の旅の安全は、誰かに保障されている訳ではない。

 その道中では、山賊や盗賊、或いは亜人種の部族に襲われる危険性がある為、多くの旅人は武装し、集団で旅をする。

 だが、男は武器を持っていない。

 その必要が無いからだ。


 服の上から見ても判る、鋼鉄のワイヤーを捩ったような筋肉を盛り上がらせたその肉体は、徹底的に鍛え上げられていた。

 大男に見られる鈍重さが全く無い、鋭く重く分厚い凶器を思わせる肉体なのだ。

 二十代後半から三十歳くらいに見える、男っぽい魅力を持った彫りの深い顔には、砥がれた短剣のように鋭い双眸が目立ち、そこに冷たい光を湛えている。


 彼の名は、ライガ・ツキカゲ。

 年齢は六十歳、種族は人間。

 その職業は、『Lv22忍者』。

 セディルの師にして、職を極めし者たる『ハイマスター』の地位にいる男。

 その魂に宿した莫大な『魔素』の影響により、彼の肉体は不老と化している。

 現代では失われた忍者の職を継ぐ、最後の男であったが、今はその立場をセディルに譲っていた。


 「わたくしも、隣国の王都に来るのは、初めてですわ。まあ……、このような事にならなければ、おそらくは、一生来る事の無かった場所ですわね……」


 セディルの側に歩み寄り、純銀の鈴が鳴るような声でそう呟いたのは、一人の少女。

 着ている物は、白い清潔なブラウスに藍色のスカート。足元は旅の為に丈夫な鹿革のブーツを履き、頭には日除けになる、大きな麦藁帽子を被っている。

 その姿は普通の街娘のようにも見えるが、ハッキリ言って、少女の容姿に服装が吊り合っていない。


 麦藁帽子から零れるのは、長く豊かな黄金色の髪。

 弧を描く細い眉、長い睫毛に縁取られた大粒のサファイアのような大きな蒼い瞳は、彼女の気の強さを示すように目尻を少し跳ね上げ、尋常ではない強い光を宿している。

 つんと上向く鼻梁はほっそりと整い、強情そうにもキュッと引き締められた形の良い唇は、艶やかなピンク色。

 肌は日焼け一つ見せずに真珠のように白く、身体付きこそまだ子供だが、その成長を誰もが楽しまずにはいられない、絶世の美少女であった。


 彼女の名は、エリー・レイド。

 年齢は十二歳、種族は『天使』。

 職業は、『Lv2賢者』。

 複雑な事情を抱える彼女は、つい最近その名が変わった。

 その理由は、婚姻によるもの。

 彼女は、セディルの正式な妻なのである。


 「私もですよ、お嬢様。こんな遠い国まで自分が旅をする事があるなんて……、以前は、考えた事もありませんでした」


 感慨深そうに、穏やかな声でそう言ったのは、身長百七十二、三センチと、女性にしては少し背の高い妙齢の美女。

 彼女もエリーと同じく普通の街の女の格好をし、その少し波打った長く豊かな栗色の髪にスカーフを巻いている。

 緑色をした大きな瞳の切れ長の目に、上品に整った鼻筋を持つ、しっとりと落ち着いた細面の美貌。

 紅い唇はふっくらとし、大理石のようなクリーム色の肌に良く映えている。

 着ている物は同じでも子供のエリーとは違い、豊かな膨らみが胸元を押し上げ、引き締まった腰は細く括れていた。

 歳の割には若々しい顔立ちで、どこか憂いと寂しさを感じさせる表情と、それに反するように漂わせる濃い女の色香が彼女の魅力を引き立てる。


 彼女は、アンナ・ハーベルス。

 年齢は二十七歳、種族は人間。

 職業は、『Lv4厨房師』。

 八年前に夫を亡くした寡婦だったが、エリーの家で使用人として働き、彼女の世話をしていた。

 その彼女も、今はエリーと共にセディルの側にいる女の一人と成っている。


 彼ら四人は一月前まで、北の帝国ジーネボリスの首都ジーネロンに居たのだが、様々な紆余曲折を経て、ここロルドニアへと逃れて来た。


 セディルとエリーが結婚式を挙げた村を旅立ってから、約三週間。

 街と街を繋ぐ古代街道を、徒歩と乗合馬車で移動しつつ、彼らは目的地まで辿り着いた。


 その間、何も面倒事が無かった訳ではないが、疲弊していたエリーも少し立ち直り、体調も回復させて表面上は元の勝気なまでの彼女に戻っている。

 道中のトラブルを潜り抜けてここまで来た彼女は、セディルと同様レベルアップを果たし、今はレベル2の賢者と成っていた。

 国から平和喪失を宣告され、一切の法的権利を剥奪された帝国内から出た後は変装の必要も無くなり、男の子の格好から、途中の街で仕入れた服に着替え、エリーはその姿を街娘のものに変えている。


 そして彼らは、ロルドニア王国の首都クライゼールをハッキリと見渡せる場所までやって来た。


 「おおっ! 海だっ! 海だよ、エリー、アンナさん!」


 街に近付くと、同時に彼らの視界に飛び込んで来たものは、太陽の光を反射させて輝く広がる水平線。

 ジーネボリスでは、広大な面積を持つサドラス湖を見ていたが、それとはまた違う水の集まり。

 淡水で穏やかな湖とは、その吹き抜ける風と漂う匂い、空を舞う鳥の姿までが違う。


 「これが、海ですのね……」

 「綺麗ですね、お嬢様」


 エリーとアンナが、共に大きな瞳に感動を浮かべて、その光景を見やる。

 国の内陸で生まれ育った二人は、海を見るのは初めてだった。

 セディルも、生まれ変わってから海に来るのは初めてだ。

 唯一人、ライガだけはかつては見慣れた場所であったからか、その表情には郷愁すら浮かばせていない。


 「行くぞ。昼になる前には街に入り、夜までにはイルメッタの所に行きたいからな」


 彼に促され、三人は海を横目で見つつ、街道を進む。

 王都クライゼールは、内陸に深く入り込んだ南北に細長い『エストラ湾』の、北の最奥にある港湾都市である。

 そこを海として見た場合、外海とは比べ物にならない小さなものなのだが、それでも初めて海を見た彼女達の感動を損なう事は無かった。


 季節は夏が近付き、温暖なロルドニアでは、もう日中の日差しが汗ばむ程だ。

 それでも街へと続く街道は、人で賑わっていた。

 交易都市だけに人の出入りは激しく、荷物を運ぶ商人や農作物を持ち込む農民、様々な姿をした旅人など、城壁の中へ入ろうとする人々で街の各所の門はごった返している。


 「人も多いけど、人種も豊富だな~」


 そうした人々と一緒に列に並んだセディルは、周りを見渡し、その豊かな顔ぶれに驚いた。

 旅人と思しきエルフや職人風のドワーフ、旅芸人の小人族や傭兵らしき獣人といった、人間以外の種族が見えるのは勿論、同じ人間でも、東方から来たらしい黄色い肌のホウライ人や、浅黒い肌をした砂漠の民、大陸南方の熱帯に暮らす褐色の肌の南方人など、人種も色々だ。


 東西南北から、馬車や船で様々な物資が街に運び込まれ、この地での商いによって、再び各地へと送られて行く。

 それにより技術と商業も発展し、この国は豊かさを享受しているのであった。




 一行は城門を潜り、街に入る事が出来た。

 ここに来るまでに用意して置いた証明書の効果なのか、それとも人が多いゆえの審査の甘さなのか、意外とすんなり街に入る事が出来たのである。

 門から入った街の中は、石畳で舗装された大通りが延び、その両脇に住宅や店舗が立ち並んでいた。

 人々が頻繁に行き交うその賑わいは、帝都ジーネロンに勝るとも劣らないものだった。


 「流石は、大陸でも有数の大都市。賑やかで楽しそう。ここでなら、冒険のネタにも困らないのかな~」


 新米冒険者と成ったセディルは、この街を新たな拠点として冒険をする予定でいた。

 人、物、金が集まるここクライゼールの街は、多くの冒険者が集う街としても知られているのだ。


 「師匠、この街にも『冒険者の酒場』があるんですよね?」


 忍者に成る為の修行の傍ら、セディルはライガから、冒険者としての基本的な知識や技術、それに彼の過去の冒険の経験についても教えられていた。

 忍者に転職した後の二十代の頃のライガは、この街を拠点にして仲間と共に冒険をしていたらしい。


 「そうだな、冒険者専用という訳ではないが、冒険者が仲間や情報を集めたり、依頼を引き受けたりする内に、自然とその名で呼ばれる様になった酒場は、いくつかある」


 かつて闊歩した街並みに視線を向け、ライガは記憶の糸を手繰り寄せるように、そうした酒場の光景を思い出す。


 「良いですね、僕も早速行って見たいです」

 「……お前みたいな子供が顔を出しても、中々相手にはして貰えんぞ。ましてや、お前はただの『下忍』という扱いになるからな」


 好奇心に胸を躍らせるセディルに、ライガが悲しい現実を突き付ける。

 成人前の十二歳の上に、まだレベル2のセディルでは、酒場に行っても大人の冒険者にからかわれるのが関の山。

 さらに彼は就いている職を忍者ではなく、下忍として通さなければならないので、一般の冒険者の中から仲間を集めるというのは、少々難しい。


 「うーん、それも問題ですね。僕としては、パーティにもう一人くらいは、前衛を勤められる戦士系の人が欲しいんですけど……」


 今のところ、彼のパーティメンバーは三人。

 自分とエリー、それにアンナだ。


 「待ちなさい、セディル。何故、そこにアンナまで入っているのかしら?」


 セディルのパーティ構想の説明に、エリーが口を挟んで来た。

 彼女は彼と共に冒険者をやる、と契約したものの、アンナに関してはそうではない。


 「あ、あのね、セディル君……。私の職は、戦う為のものではないのよ……」


 自分も冒険メンバーに数えられ、アンナが困惑していた。

 確かに職にこそ就いてはいるものの、彼女は非戦闘員とも言うべき職人系の『厨房師』なのだ。

 『一般魔法』以外の魔法は使えないし、白兵戦でも特に戦力になる訳でもなく、『盗賊』のように探索に役立つ技術も持ってはいない。


 「でもアンナさんにも、レベルは上げて欲しいんですよ。厨房師のレベルが上がれば、『魔素料理』の効果も上昇する。そうすれば、僕達の冒険にとっても凄く有益なんです」


 彼女の職の本領が、戦いに無い事はセディルも承知している。

 その料理の効果も、低レベルの内は実感し難く、厨房師は他の職人系の職と比べても、普通の料理人と大して変わらぬ存在だと軽んじられる事もある。

 だが、もしもアンナを高レベルの厨房師へと導けたとしたら、セディルはそう夢想する。

 彼女が作る料理によって齎されるスキル効果と、HPとMPの回復効果は、劇的に有効なものへと変化するだろう。


 「それでも、一度『冒険者の酒場』に行ってみましょう。ちょうどお昼だから、そこで昼食を食べられます。イルメッタさんのところに行くのは、その後ですね、師匠」

 「どうしても行くのか?」

 「今なら、師匠がいるじゃないですか。師匠がパーティのリーダーみたいな顔をしていれば、誰も喧嘩なんて売って来ませんよ」


 冒険者の酒場への顔繋ぎ。

 その為には、独立する前の最後のライガの協力が、セディルには必要だった。


 「……良いだろう、こっちだ」


 ライガもそれを理解したのか、拒否はせずに、彼らをかつて自らが馴染みとしていた店へ案内する。

 彼もほぼ二十年振りに歩く、クライゼールの街の通り。

 その街並には、大きな変化は見られなかった。

 整備された石畳の道、三階建て、四階建ての住居兼様々な店舗。

 広場に出れば、露店や屋台が立ち並び、着飾った人々から素朴な農民まで、色々な階級の人々が行き交っている。

 そんな人通りの多い場所の一角に、その店はあった。


 冒険者の集う酒場、看板に彫られたその店の名は、『ガリアンドの酒場』。

 それは、かなり大きな建物だった。

 造りは二階建てだが、全体的に高さがある。

 煉瓦で組まれた頑丈な土台に、漆喰塗りの壁、太い建材で組み上げられ、屋根には鱗の様にスレートが敷かれている。


 「うーん、雰囲気ありますね」


 その外観からは、年季も感じられる。

 優に築四、五十年は経っているのではないかと、セディルは思った。


 「冒険者の酒場は、宿屋と兼業で営業しているところが殆どだが、この店は酒場が専業だ。冒険者が利用する店としては、最大手だったな……」


 店の入り口に立ったライガは、そう言って、その酒場を見上げる。

 街に入った時には見せなかった、ライガの郷愁の念。

 それが今、師の顔に微かに浮かんでいる事に、セディルは気付いた。


 (やっぱり師匠、冒険者に未練があるんじゃないかな~)


 この七年間、師と弟子として過ごして来た印象から言わせて貰えば、ライガはまだ心の奥に冒険心を熾火の様に燻らせている。

 かつて、ライガは言った。

 己の師である、レベル29の伝説の忍者を超えたかったと。

 しかし何らかの理由によって、彼はそれを道半ばで諦め、クレイム伯爵の別荘を管理するただの男に成ってしまった。


 (勿体無いよね。師匠なら、そこまでだって行けたかも知れないのに……。まあ、僕は目指しちゃうけどねっ!)


 セディルは、師の挫折を惜しむ。

 そして自分は、必ずそれを超えると心に誓うのであった。




 『ガリアンドの酒場』。


 それはクライゼールの街の中央大通りを進み、大広場に近い場所にある、かなり大きな酒場であった。

 創業者は、ドワーフ族の男ガリアンド・ドムーラ。

 かつて冒険者として財を成したガリアンドは、四十年以上前、現役引退と同時にこの店を出した。

 元々彼が冒険者だった事もあり、店には多くの冒険者が客として訪れ、同時に彼らに仕事を頼みたい依頼人達も集まる様になった。

 そうした者達によって店は栄え、いつしかガリアンドの酒場は、クライゼールの街でも有名な『冒険者の酒場』として知られる様に成ったのである。


 そんな、ある日の昼下がり。

 ガリアンドの酒場に、今日も新たな客がやって来た。

 客達の手でツルツルに磨かれた分厚い木の扉が押し開けられ、四人の男女が入って来る。

 店の客達、その多くは冒険者だが、彼らの視線が一斉に入口へと向けられた。


 一人は並外れた大男で、武装は身に着けていないが、この店の者ならば、誰もが冒険者なのだろうと納得する雰囲気を持っていた。

 しかし続く三人は、明らかに場違いな場所に来た様子だ。

 一人は女で、美人だが普通の街の女の様にしか見えず、残りの二人に到っては、まだ子供の少年少女なのだ。

 冒険者の酒場といって、その客の全てが冒険者という訳ではない。

 ここは普通の酒場としても営業されており、街の住民も飲みに来るし、冒険者に仕事を依頼したい者が訪ねて来る事も多い。

 そんな客達を見慣れた冒険者達の目にも、その一行は少し奇妙に映っていた。


 昼を過ぎたあたりであるせいか、酒場の客の入りは満員ではない。

 一階にはいくつもの長方形の長テーブルや丸いテーブル、それぞれに背凭れのある椅子が置かれ、今はその半分程度に客が座っている。

 この店の本番は夜の営業なので、昼はこれが普通なのかも知れない。


 店は二階建てで、中心部は吹き抜けになり、階段で上れる手摺りの向こうの二階部分にも、丸テーブルと椅子が置かれているが、今はそこに客はいない。

 吹き抜けの中心には舞台が用意され、普段はそこで芸人が歌や踊りを披露する。

 店の奥には長いカウンターがあり、丸椅子がいくつも置かれ、その奥には酒樽が並べられ、棚には様々な酒瓶が立っている。

 そこでは、何人かの店の者がジョッキを磨いていた。


 カウンターの奥には大きな厨房もあるらしく、料理人達が働き、香辛料の良い香りが漂って来る。

 出来上がった料理を運び、食べ終わった食器を片付ける若い女性店員の姿も見えた。

 店の一角の壁には、冒険者への依頼の内容を書いた紙が何枚も貼り付けられ、幾人かの冒険者が、それを眺めている。


 「そうそう、これだよこれっ! 僕が求めていた、冒険者の酒場。ついに、ここまで来たんだっ!」


 酒場に足を踏み入れ、その中を見回し、セディルはその雰囲気に感動を覚えていた。

 生まれ変わってから、苦節十二年。

 彼はついに、冒険者社会の入り口に到達したのだった。


 「このような場所の、何がそんなに良いのかしら? 噂に聞く山賊の砦と、何がどう違いますの?」


 店に屯するその客層、エリーの基準で言えば街のごろつきに毛が生えた程度の者達を見回し、彼女は眉を顰める。

 まだ冒険者見習い以下の彼女には、この良さが判らないのだと、セディルは勝手に思う事にした。

 そんな彼らを、食事中の冒険者達がジロジロと見ている。

 その視線を無視し、ライガは三人を連れて店の奥のカウンターに向かった。


 カウンター席の中心、そこに立って接客をする一人の『ドワーフ』がいた。

 ドワーフ族は、大地の精霊が受肉して生まれた種族と言われ、人間に比べて身長は低いものの、頑健で強い力を持つ事で知られている。

 その身長は、男女とも多少の個体差はあるが、平均して百五十センチ程。

 男は酒樽に例えられる程分厚い肉と骨太の手足、それに豊かな髭を持つが、女性のドワーフはより人間に似た容姿に立体的なプロポーションを持っている。


 彼らは戦士としての特性が高く、その怪力から繰り出される一撃は、他の種族にも真似出来ないものだ。

 また、職人としての評価も非常に高く、彼らの作る様々な道具や工芸品、建築物などは、世界の各地で求められている。

 北方山岳地帯の地下に『ドワーフ王国』を持ち、そこから戦士として、職人として旅に出るドワーフも多く、彼らは人間の街でも良く見かける種族であった。

 性格は頑固で一途、職人気質で酒と武勇を愛し、仲間同士の結束も固い彼らドワーフ族は、人間の良き戦友とされていた。


 自分に近付くライガに気付き、カウンターにいたドワーフが顔を上げる。

 ドワーフの男の年齢は人間には判り辛いのだが、その男は、五十代くらいのドワーフで、顔を覆う髭はまだ真っ黒だった。

 そのドワーフの目がライガの姿を捉えると、彼の顔が驚愕の表情に固まった。


 「これは驚いたぞ、あんたライガかっ!?」

 「そうだ。久し振りだな、ギルガンド」


 ドワーフの男ギルガンドは、目の前の男が、二十年ぶりに見るかつての知り合いだと気が付いた。

 その男ライガは、二十年前と全く変わらない姿で、再びこの店を訪れたのだ。


 「親父殿は、元気か? お前が店に出ているという事は、代替わりしたのか?」

 「ああ、親父は元気だとも。俺にこの店を任せて隠居はしたが、この前、九十歳に成った。あんたが帰って来たと知れば、尚更元気に成るよ」


 野太い声でそう言ったギルガンドは、懐かしさにカウンターを飛び出し、ライガの下へ駆け寄った。

 彼は、この店の創業者ガリアンドの息子だった。

 ドワーフ族は、エルフ族程ではないが人間よりは長命だ。

 その寿命は百二十歳と言われ、老ドワーフなら百歳を過ぎても元気な者がざらにいる。


 しかし、店の名前こそ変わらないものの、そのオーナーは先代のガリアンドから息子ギルガンドへと変わっていた。

 不老の忍者ハイマスターライガの時は止まっているが、外の時間は確実に流れているのだった。


 「ところで、何の用でこの店に来たんだ? あんたは、冒険者を引退したって、俺は聞いたんだが……?」

 「ああ、俺は冒険者を引退した。ここにも、二度と来る事は無い筈だったんだが……、色々と事情が発生してな……」


 その色々な事情は、ギルガンドにも詳しく話す事は出来ない。

 ライガは後ろを振り返り、そこにいる弟子のセディルに目を向けた。


 「こいつが、どうしてもここに来たいと言うのでな。我ながら、厄介な奴を弟子にしたものだと思うが、な……」

 「ほう、この子はあんたの弟子なのか?」


 ギルガンドの目も、セディルに向く。

 先程までライガに向けていた懐かしさと親しみに溢れていたものとは違い、冒険者の実力を値踏みする、冒険者の酒場の主人の目がセディルを見る。


 「初めまして、ギルガンドさん。僕の名前は、セディル・レイド。師匠の弟子で、レベル2の冒険者です」


 これから冒険者として活動するに当たり、冒険者の酒場の主人とは、友好関係を保たなければならない、とセディルは思っている。


 「こっちの女の子がエリー、レベル2の賢者。女の人が、アンナさん。レベル4の厨房師です」


 誇張も無く、今の自分と仲間達のレベルを告げ、真っ直ぐにギルガンドを見返す。


 「まだ子供で、駆け出しか。だがライガの見込んだ男なら、これからでっかくなるだろうな、ハハハッ!」


 鋭くしていた目を、愛嬌のある店主の目に戻し、ギルガンドは大きな手でセディルの頭を掴むと、豪快に笑いながらグリグリと弄り回した。

 彼としては、子供の頭を撫でているだけなのかも知れないが、ドワーフの怪力でそれをやられては、子供は堪らない。

 エリーに到っては、巻き込まれないようにアンナと一緒に後ろに下がってしまった。


 「今後とも、宜しくお願いしますね、ギルガンドさん」


 セディルは辛うじて、そう挨拶の言葉を捻り出す。

 店の冒険者達は、店主と親しげに話す男と少年達に興味を引かれているのか、食事をしながら彼らにチラチラと視線を送っている。


 その時、店の扉が開き、新たな冒険者が入って来た。

 冒険者達の注目が、一斉にセディル達から彼らに向く。その注目度は、明らかにセディル達よりも上だった。

 店に入って来たのは、二人の男女。

 一人は、黒褐色の肌に雪のように白い髪を持つ冷たい美貌の女。

 もう一人は、絵に描いたようなエルフの美青年である。


 二人共、武器こそ持っていないが、全身に防具を装備し、冒険から帰って来たばかりのような姿をしている。

 そして黒い肌の美女の視線が、店主と話す男――ライガに集中し、その姿に釘付けとなった。

 その気配にライガも気付き、彼女の方に視線を向けた。

 普段の鉄面皮からは想像出来ない程に、彼の鋭い目に驚愕の色が浮かび上がる。


 「馬鹿な……」


 ライガは、あり得ない者の姿をそこに見た。

 それは、死者。

 二度と出会えぬ筈の者。


 「何故、お前がここにいる、ライガ・ツキカゲっ!?」


 二人の視線が交差し、美女の口から憎々しい言葉が迸る。

 その言葉で、ライガは彼女が何者なのかを理解した。

 やはり、死者とは会えない。

 会えるのは、生者だった。


 「お前……、フェルセイスなのか?」


 ライガの口から、封印していた我が子の名が零れ落ちる。

 それは十五年振りとなる、父と娘の再会だった。

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