第五十五話 南への旅立ち
「それでは、これでお二人は神の名の下に、正しく結ばれましたのう」
セディルとエリーの誓いの言葉と、それを約する誓いの口付けを見届け、老僧ホスリードは彼ら二人に『祝福』を与えた。
正しい僧侶の力による祝福は、気休めではない。
それは確かな力として、二人の身を包み込んだ。
神聖なる霊気を浴び、心身が心地良く引き締まる。
婚姻の儀式は、ここに終了したのであった。
「儀式は終わったね。上手く行ったのか、確認してみる、エリー?」
セディルにそう促されて、エリーは『ステータスカード』を取り出し、その魔石に指先を触れさせた。
レベル:1
名前 :エリーエル・レイド
HP :3/5 MP :22/12+10 状態 :正常
職業 :賢者 年齢 :12 性別 :女 種族 :天使 属性 :混沌
筋力 :9 敏捷 :11 魔力 :18
生命 :13 精神 :18 幸運 :13
スキル
【精神強化】【魔力強化】【古代魔術】【神聖魔術】【不死退散】
【MP増強】【物品鑑定】
魔法
一般系レベル:8 魔術師系レベル:1 僧侶系レベル:0
特殊装備品
『魔力の耳飾り』
カード上に表された、今の彼女の【ステータス】。
その名前の項目に、変化が起きていた。
名乗る名は変えたが、その真の名であるエリーエルという名前は変化していない。
しかし正規の結婚を行なった事によって、彼女は生家たるクレイム家を離れ、セディルの家名である『レイド』へとその姓を更新されたのだ。
(これでクレイム家は……、本当に無くなってしまったのかも知れませんわ……)
その変化を、現実を目の当たりにし、エリーの胸中には哀しみが溢れ返る。
もう後戻りは出来ない。
彼女に許されるのは、この道を最後まで進み続けるか、或いは道の途中で死ぬかだけ。
今ようやくその道の始まりに立ち、隣の少年と共に第一歩を踏み出す時。
(お父様、お母様、お兄様達、それに……ミルファウス祖父様……、わたくしは……)
そう、家族への想いを新たにした時、溢れる感情が飽和し、エリーの精神は限界に達した。
プツリと糸が切れるように、彼女の意識が途切れる。
「エリー? 大丈夫……じゃなさそうだね」
倒れそうになったエリーを咄嗟に抱き抱えたセディルは、自分の腕の中で、彼女が意識を失っているのを確認した。
強いストレスに晒され続けた少女の心身は、もうこれ以上の緊張に耐えられなくなったのだ。
「おっ、お嬢様、しっかりなさって下さいっ」
近寄って来たアンナが、心配そうにエリーの肩を揺すっても、彼女に起きる気配は無い。
「うーん、やっぱり限界みたいですね。すみません、シーナさん。もう一晩だけ、エリーを休ませて貰えませんか?」
両腕で気絶した花嫁の身体を抱え上げると、セディルはシーナに今夜の宿泊を願い出る。
「ええ、構いませんよ。お嬢さんは、随分お疲れの様子でしたからね。部屋にお連れして下さいな」
ホスリードの孫娘シーナは、にこやかな笑顔でセディル達の滞在を許してくれた。
「ありがとうございます、シーナさん、ホスリード老師も」
セディルは、シーナ達に礼を言い、エリーを抱いて礼拝堂を後にした。
結婚式を終えた、その日の夜。
式が終わると同時に気を失ったエリーを、セディルは旅人が宿泊に使う寺院の部屋のベッドに寝かせた。今は、アンナが側に付いて様子を見ている。
そしてセディルは、寺院の中庭に置かれた椅子に座り、小型の丸テーブルの反対側に座るライガと、酒を飲んでいた。
珍しい事に、ライガがセディルに声を掛けて来たのだ。
テーブルの上には、ドワーフ製のガラスの酒瓶がいくつも置かれている。セディルが、クレイム伯爵家の屋敷の地下食料庫から持って来た、ワインやビール、蜂蜜酒などだった。
酒の肴に、ナイフで薄く切ったチーズとベーコンも木皿に乗せてある。
「これ以上、この村には居られんな。明日には、ここを出るぞ」
「まあ、そうですよね。この国から出るまでは、一箇所には留まれませんよね、僕達」
ライガは酒瓶を握り、注ぎ口から直接ビールを飲んでいた。
それを見ながら、セディルは木のコップに入れた蜂蜜酒を舐める。
貴重な血を持つ天使というお宝を抱える彼らは、様々な者達に追われる身だ。
世話に成ったこの寺院の祖父と孫を巻き込まない内に、ここを離れるのが賢明だろう。
「でも、エリーの体調は少し心配ですね。街道を進むとはいえ、旅に耐えられるかな?」
まだレベル1で、HPも低い花嫁の身体を、セディルは少し心配する。
これから彼らは、隣国のロルドニアまで長旅をしなければならないのだ。
途中、乗合馬車の利用も考えてはいるが、その道中の半分くらいは歩かなければならないだろう。
「彼女はもう、お前の花嫁だ。歩けない時は、お前が背負って行けば良いだろう」
「そうですね、そうします。女の子を背負って逃げるのは、これが二回目だから、慣れたものですよ」
セディルは、懐かしそうに昔を振り返る。
彼が妹を背負って村を脱出したのは、七年前。
ロルドニアの王都に行けば、その妹セディナにも会えるだろう。
「俺達が行く先は、『王都クライゼール』。お前の妹を預けたイルメッタも、そこに居るだろうな」
「イルメッタさんにも、感謝しないといけませんね、僕達」
彼の妹セディナは、ライガのかつての仲間の一人で、今は大商家カリビング家の奥方と成ったイルメッタ・カリビング夫人に預けられている。
セディルは、妹とも約束を交わしていた。
冒険者に成ったら迎えに行く、と。
イルメッタのような、清楚で上品な女の子に成って、待っているように、と。
そして彼は忍者の職を得て、冒険者に成った。
めでたくも、花嫁と愛人まで手に入れた。
後は、妹を迎えに行くだけ。
おそらく、セディナも今頃は何らかの職に就いているのだろう。イルメッタが、そう教育してくれた筈なのだ。
今のところセディルの冒険者人生は、仲間集めの段階では、悪くない滑り出しを迎えていた。
「そう言えば師匠は、僕とエリーの結婚に反対しませんでしたね? あんな、あからさまに不幸に成りそうな選択だったのに」
復讐の為に、エリーはセディルとの結婚を選択した。
何もかもを失い、ライガにも助力を拒まれた彼女が、復讐を成し遂げる為の唯一の道として、それを選んだ時、ライガは何も言わなかった。
「……俺が果たす義理は、あの子が安全な場所に辿り着くまで護る事だけだ。それ以上の事は、何もする気は無い。復讐するもしないも、彼女が好きにすれば良い。今も、その考えは変わっていない。ロルドニアの王都までは、連れて行く。だがその後、彼女の事は、全てお前に任せるぞ」
『好きにしろ』。
それは、ライガの口癖だった。
全ては個人の選択。
世捨て人となった今の彼は、それには介入しない。
その方針を、彼は己に課した掟としていた。
「まあ、復讐なんて自己責任でやる事ですよね。成り行きというか、報酬に目が眩んだというか、僕もその一翼を担う事に成っちゃった訳ですけど」
ライガの当初の予定では、エリーの事もイルメッタに預けて、彼女が生きて行けるように手配したら、自分はそのまま何処かに消えるつもりだったのだろう。
それが、エリーの復讐の誓いと、己が身を報酬に変えてのセディルとの結婚という奇手により、大きく狂おうとしていた。
今、エリーの保護者という立場は、ライガからセディルに正式に移ったのである。
「『危険な玩具』を手に入れて、嬉しいか?」
不意に、ライガは弟子にそう訊ねた。
一本を空にしたビールの瓶をテーブルの上に置き、彼はその鋭い目でセディルを見つめている。
ライガは、セディルがあの報酬に納得した真意について、薄々勘付いているらしい。
彼が求めているものが、『危険と遊び』ならば、彼女はうってつけの存在に成り得る。
「ええ~、そう言っちゃうと、流石に僕が人非人みたいじゃないですか。危険を冒すのが冒険者とはいえ、僕だって死ぬのは嫌ですよ」
師の指摘に、おどけた調子で答えるセディル。
彼には、やりたい事がたくさんある。
死ねば、それらも出来なくなるのだから、彼は死ぬのが嫌いなのだ。
「あのお嬢様が復讐を諦めた時、お前は死ぬんだぞ」
それは契約条件の一つ。
公平を期する為にセディルが設けた、エリーが彼から自由に成れる唯一の選択肢だ。
復讐を諦めれば、契約に従い、彼女はセディルに死を命じる事が出来る。
「うーん、確かに危ない賭けですよね~」
正直、その可能性はゼロではない、と彼は思っていた。
この先、彼と彼女が目的を達成出来る力を得るまでには、時間と試練が必要になる。
その過酷さに、エリーが耐え切れなくなった時、再び選択の時が訪れる筈なのだ。
「でも、それでも、エリーが復讐を諦めなかったら……、最後まで、その意志を貫くとしたら……。彼女がそんな女の子だったなら……、僕も惚れちゃうかも知れないですよ」
その時の彼女の選択を、セディルは無意識の内に、楽しみにしているのかも知れない。
未来の事は誰にも判らない。
そして、彼とて木石ではない。
女の子に恋する事も、あり得なくはないのだ。
復讐を諦めず、何を犠牲にしてでも、そこに辿り着こうとする女の子。
そんな子を花嫁として手に入れる事が出来るのならば、この賭け事はやる価値がある、とセディルは思ったのだ。
「……やはり、お前は死ぬ事を怖がっていない」
下忍との戦いで、セディルは一度死んでいる。
その前には、地下墓所での『ワイト』との戦いも経験している。
ライガは思う。
どちらの戦いでも、こいつは死を恐れず戦った。
『ワイト』との戦いで生き残ったのは、運だろう。
下忍マスターとの戦いで死んだが、生き返ったのも運。
自分の命を、平気で博打に注ぎ込める男。
「僕は、人事を尽くしただけ。それ以上の事は、それ以上の何かに委ねますよ、師匠」
彼が何を考えているのか、師の思考を読み取り、セディルは肩を竦めて素知らぬ顔でそう言った。
セディルが死に慣れているのは、確かだ。
彼は既に、一度目の人生を終えている。
ここは彼の死後、転生して来た世界。
二度目の人生。
全ては、成る様になる。
「……好きにしろ」
そう言って、ライガは二本目の酒瓶の栓を抜いた。
「それと、これはお前の『戦利品』だ」
腰の『収納鞄』から、ライガは一振りの刀を取り出した。彼が回収して来た、下忍の男ロ・ビルドが持っていた忍者刀である。
「おおっ、中々良さそうな武器ですね」
渡された刀を手に取り、セディルはカチャッという音と共に鞘から刃を抜き放つ。
侍が使う刀よりは刀身が短いが、その鋭さでは引けを取らない忍者の武器。
それも、セディルが持つ普及品とは違う、魔力の付与が成された特注品だ。
「『骨斬り』という銘の忍者刀だな。さらに『+3』の強化付与がされている」
「へー、『骨斬り+3』ですか~。僕を殺しただけあって、切れ味も良さそうだな~」
自分の心臓を貫いた刀を、セディルは嬉しそうに品定めする。
武具や装飾品、護符、その他の様々な魔法の品は、強化付与を行なう事で、その効果を高める事が出来る。
その力の効果は、『+1~+5』までの数値で示されるが、現代の技術では、『+3』までの付与しか行う事が出来ない。
『+4』以上の付与が成された品は、全て古代からの伝わる物か、遺跡から発掘された物なのだ。
「ありがとうございます、師匠。これで僕達が生き延びる可能性も、少しは上がりますね」
「………………」
ライガは無言で、酒瓶からビールを呷る。
セディルも彼に付き合い、チーズを摘みながら、蜂蜜酒を飲んだ。
一人の少女が復讐を決意し、一人の少年と結婚したその日、男達は夜遅くまで語り、飲み明かしたのであった。
翌朝。
セディル達は、二日間宿泊した寺院から旅立つ時間を迎えていた。
これ以上の滞在は、世話に成った二人の祖父と孫の迷惑になってしまう。そう皆が思っていたので、早い出発に文句をいう者はいなかった。
「色々、お世話に成りました。ホスリード老師、シーナさん、ありがとうございます」
顔に包帯を巻き直し、普段着を着たセディルは、寺院の外で彼らを見送ろうとしている二人に、深々と頭を下げた。
死んだ彼を生き返らせて貰い、エリーの望みで結婚式まで執り行って貰った礼は、いくら言っても足りない程だ。
その彼の背には、眠り込んだエリーが背負われている。
彼女の疲労はまだ癒えず、朝方、変装用の男の子の格好に着替え終わると、また眠ってしまったのだ。
「本当に、ありがとうございます」
眠るエリーの代わりに、アンナが老僧達に何度も礼を言った。
「俺からも……、礼を言います、ホスリード老師。それに……、十五年前のあの時は取り乱してしまい、申し訳ありませんでした……」
ライガもまた、無表情でありながらも、感慨深げに頭を下げる。
そんな彼に、にこやかな笑みを向けるホスリード。
「あなたの奥方の事は、大変申し訳なかったと思うております」
「老師っ!?」
突然、ホスリードはライガにあの日の事を語り出す。
それは十五年前に行われた、ライガの妻ルナセイスの蘇生の儀式。
その時、ホスリードが行なった二度の儀式は失敗に終わり、彼の妻は永遠にこの世を去った。
「覚えていたのですか、老師……」
「今度は、助ける事が出来ましたな。どうでしょう? この少年少女が、道を誤らぬよう、見守って上げては如何かな……」
ホスリードはしわ深い顔に笑みを絶やさず、セディルが背負うエリーの頭をそっと撫でた。
その目には、深い慈しみが込められている。
「この子を見ていると……、とても懐かしい子を思い出しますのう。誇り高く、責任感の強かったあの子を……」
それが誰なのか、もう彼自身にも判らないのだろう。
僅かにどこかで頭の回路が繋がったのか、呆けた老僧は昔を思い出し、少しだけまともな事を語ったのだ。
(師匠の奥さん、自分の所為で死んだって、師匠は言っていたけど……。この人に、奥さんの蘇生を頼んだ事があったんだ……)
セディルは、ライガがホスリードの事を知っていて、真っ先に彼を頼った理由に納得した。
死んだ妻の蘇生に、失敗した僧侶。
それでも、ライガはこの老僧の事を信用に足る人物と確信していたのだろう。
そして旅立ちの時。
ホスリードとシーナは、最後まで彼ら四人に親切だった。
「では、皆様に祝福があらん事を」
五十年もの昔、寺院の勢力争いに嫌気が差して帝都を去った、元ジーネボリス帝国大司教ホスリード・カルマンは、そう言って彼らを見送った。
セディル達が目指す先は、西方三大国の一つ、小麦と果実、詩と書物の王国ロルドニア。
その王都の名は、『クライゼール』。
そこには、セディルが妹のセディナを預けた、カリビング商会がある。
「僕は、妹を迎えに行って、そのまま冒険者をやりますよ」
「俺は、それを見届けたら、好きにさせて貰うぞ……」
「私は……、お嬢様とセディル君と一緒にいます」
眠り姫と成ったエリーを背負い、ライガとアンナを伴って街道を歩くセディル。その行く手に何があるのかは、まだ誰も知らない。
こうして、新たな冒険の舞台に向けて、彼らは旅立ったのであった。
ここで、第一部完とします。




